吉田が帰宅すると、大抵郵便受けにはその日の夕刊と届いた郵便物、主にダイレクトメールやそれに部類する冊子が突っ込まれている。今日はまた一段と入ってるなぁ、とよいしょと引っこ抜いた吉田はそれらを何となく眺めながら玄関に上がる。
「母ちゃん、何か着物のパンフレットが来てたよ」
 ちょっとした雑誌にも及ぶ暑さのそれを、届けられたのだろうと思う人物の前に差し出す。夕飯作り前のちょっとしたブレイクタイムをお茶と一緒に過ごしていた母親は、それを一瞥した。そして。
「何よ、これ、アンタ宛てよ?」
 自分のだ、と言われて吉田は「へ?」ときょとんとなった。
「え、何で着物??」
「そりゃー、成人式の為でしょ」
 当然じゃない、とでも言いたげな口ぶりで言い、バリン、と煎餅を齧る。
「せ、成人式って!!まだ早いよ!?」
 改めて確認するでもなく、まだ高校一年生、16歳を迎えたばかりである。
「まあ、別に早いとダメって言う決まりも無いしね~。アピールするにも早いに越した事無いって感じじゃない?」
 自分にもそういう頃があった、と思い出に浸っているようだ。
「え~~~、でも、着物とか~~~」
 着るのも脱ぐのも面倒くさそう、と今から尻込みしている吉田。そんな娘を見て、母親は人生の先輩として一言言ってやる。
「ま、こういうのは自分じゃなくて見ている人を楽しませるために着るもんよ」
「……………」
 だったら余計に自分には無意味では、と思う吉田。最も、父親は喜んで写真も撮ってくるに違いないとは思うが。
 それと――
 不意に過ぎったのは佐藤の顔で、何だかそれだけで動揺してしまった吉田は、その場から逃げるように自室へと向かった。


「……んでさ、夜に帰ってきた父ちゃんと、そのカタログ見て盛り上がってたんだよ。母ちゃんが」
 仮にも自分にと送られたもので、と吉田の胸中はもやもやする。というかひたすら釈然しない。しかも自分に着せる為というよりは、母さんに似合うよ~なんて会話だった。親の仲が良いのは何よりだが、仲が良すぎるとどうして良いか解らなくなる。
「でも着物も結構色々あるんだな~って見てるのは結構楽しかった……って、佐藤? どうしたの?」
 室内に入ったばかりは温かなココアで暖を取った吉田だが、部屋の温度と馴染んできた今はオレンジジュースで喉を潤していた。それらを吉田に提供してくれた佐藤と言えば、その隣で何やら、難しいような真剣な顔つきで何かを思っている。
 自分の話をすることに気を取られていたが、佐藤は佐藤で何か深刻な問題でも抱えていたのか、と吉田が焦る前、佐藤が言う。
「それは……難しい問題だな。着物の吉田も見たいけど、スーツでも十分可愛いのはあるし……」
「え?」
「成人式はお色直しなんてしないだろうしなぁ~」
 一体佐藤が何について呟いているか解らなかったが、成人式、の単語で把握出来た。佐藤も、昨日の父親と同じく、その当日の衣装について思いを馳せているのだと。
「なななな、何言って!!どうせなら自分の服考えてろ!!」
 自分なんかより、佐藤のその容姿の方が、余程衣装の考え甲斐があろうというものだ。それこそスーツでも良いし、和服でも良い。佐藤の格好よさはは流行で決められたものではないから、似合わない服は無いのでは、とすら思う。
「うん、だからさ」
 と、吉田の髪を軽く梳く。その手つきに、吉田は背中の方がむずむずしてくる。
「吉田と並んで、吊り合える格好が良いからさ」
 その為にも吉田の服を知る必要があると言う。
「っ、」
 告げられたその言葉に、吉田はかぁ~と赤くなって顔を俯かせる。恥ずかしかったからなのだが、その顔の熱さの為にも残っているオレンジジュースをストローで啜る。無くなってしまった。名残惜しそうにストローを齧る吉田。
「……でも、まだ、先の事だし」
 辛うじて、それだけは言い返してみる。吉田の可愛い精一杯の抵抗に、佐藤の顔が綻んだ。
「きっと吉田、可愛くなってるだろうな~~」
「どうせ、もう身長伸びないし」
「そういうのじゃないって、解って言ってるだろ?」
 そう言って佐藤は、吉田を軽く抱き上げた。自分も座ったままの格好で、何の苦も無く吉田を持ち上げ、自分の膝の上に乗せてしまう。あわあわと逃げを打とうとする吉田を、ぎゅぅと抱きしめて腕の中に閉じ込めた。首筋に顔を埋めると、ひゃーっっと吉田から声ない悲鳴が飛び出る。
 その様子の吉田の顔は、佐藤からは完全に死角になっているから見る事は叶わないが、通常よりも熱くなっている体温に吉田の心境を知る。
 未来を思うのは、楽しみでもあるし、恐怖でもある。今はこうして腕の中に納まっている吉田が、明日も居るとも限らない。関係は築くにかかる時間と比べ、それが壊れるのは一瞬で良い。佐藤には、まだ自分にはそれを守る力が無いと思っている。
 強くなりたいなぁ、とこんな時だからこそ思う。大虎を一撃で倒す攻撃力よりも、ただただ、大事な人との生活を守る為の。そんな強さの方が余程佐藤は欲しい。
「……20歳になったら、佐藤、もっと女子にモテてんだろうな~~」
 成人式の会場で、また女子がばたばた倒れるんだ、と吉田はちょっと剥れたような口調で言う。自分の膝の上から伸びた吉田の足先を辿って行くと、両足の親指同士を弾くような動きをしている。
「さあ、どうかな。解らないよ」
 それこそ、かつてのように苛められているのかもしれない。あくまで可能性だが、吉田の懸念する未来とその確率は同等だ。
 それでも、そうだとしても、吉田だけは変わらずに居て欲しいと思う。例え恋人同士じゃなくなっても。周囲に促されるのではなく、自分で動く吉田であって欲しい。クラスの中で唯一、庇ってくれた吉田。強さというのは、きっとああいう事を言うんだと思う。
 人の膝の上、というのはあまり座り心地の良い場所でも無い。吉田が身じろいだのに気付いた佐藤は、抱きかかえ直して吉田の体制を変える。少し横抱きにするような姿勢にして落ち着かせる。こうすれば、佐藤も吉田の顔が拝めて万々歳である。
 改めて眺めてみると、同じだ同じだと思っている吉田の風貌も、3年前のあの時より多少の変化はやはりある。以前丸みを帯びているが、子供のそれだけでもないし、手つきや足つきもあの頃とは違う。解り易い所ではその髪型。空手を習っていた時はその都合で短髪だったのか、今は長く伸ばしてある。和服にする時は、この髪を結い上げなくちゃな、とさっきよりも丹念に梳いた。
「~~~~、さささ、佐藤!」
 訴えるように名前を呼ぶ吉田を見下ろしてみれば、もはや無い部分が無いという程、肌を染め上げている彼女が居た。未だスキンシップにも慣れない様子に、微笑ましさと悪戯心が同時に湧く。
 さぁて、これからどうしようかな、と佐藤はこれからの事を楽しく考え始めた。



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