楽しくも幸せな夕飯の後片付けも終わり、今日は週末であるし明日の起床を気にする事無くのんびり過ごそうとした矢先であった。玄関からの呼び出し音に、とりあえず家主である佐藤がインターフォンを取る。どうやら宅配だったらしく、佐藤は差出人の名を改めていた。防犯意識の高い佐藤である。
 名前を聞いたらしい佐藤は、ちょっと驚くような顔で吉田の方を見た。何?と吉田がきょとんと首を傾げると、吉田宛ての荷物だと言う。
 誰なんだろう、とまずそこを気にした吉田だが、出れば解ると玄関に急ぐ。送られて来た箱は、吉田が持って抱える程。けれど、重さはそうはない。固い材質は缶を彷彿させる。
「井上さんだ」
 伝票を見て、そこで吉田も相手を知った。
 一体なんだろう、と今度は中身とその動機を思いながら、がさがさと綺麗な包装紙をはぎ取る。
 そしてその箱に書かれた「chocolate」の文字に吉田の目がわぁっと輝く。チョコレートは吉田の好物の最たるものだ。大好物だと言って良い。
 待ちきれないように蓋を開いて、そこでまた吉田が歓声を上げる。
「わーっ、チョコが沢山ーッ!」
 見たままの声がその昂ぶりをよく表していた。そこには区切られた箱の中、様々な種類のチョコレートが並んで鎮座していた。
「ええっと、6かける7列だから……42個だ!」
 こんなにいっぱい!と具体的な数字を割り出した後に、その感激も一入だった。早速手を付けるかと思えば、吉田は携帯を片手に「井上さんにお礼言ってくる!」とちょっと席を外した。ぱたぱたぱた、と可愛い足音が室内に響く。
 部屋の向こう、はしゃいだ吉田の声が何となしに聴こえてくる。
「………………」
 チョコレートと一緒にこのリビングに残されてしまった佐藤は、その贈物を見やる。なるほど、チョコレートである。
 包装紙を見る分には、デパートからのお歳暮ギフト、といった感じだろうか。確か井上は、デパートで化粧品の販売員をやっているらしい。吉田の化粧の知識は殆どが彼女からだ。最も、肌や髪のケアは佐藤プレゼンツであるが。
 うん、じゃあね、またね、と吉田の可愛い声が響く。電話は終わったらしい。
 ドアを開いて現れた吉田は、部屋を出て行く時よりも余程嬉しそうな表情を浮かべていた。
「井上さんからのお歳暮だって!」
 隣にちょこんと座るなり、にこーっと今は夜だが太陽のような眩しい笑顔で言う。しかし、その笑顔が佐藤に向けられていたのも束の間(少なくとも佐藤にとって)すぐに吉田の意識はまたテーブルの上のチョコレートに移り、どれにしようかな!と嬉しい悩みに思いを馳せる。
「う~ん、どれも美味しそうだな~~」
 ふふふ、えへへ、と始終笑みを零す吉田のテンションはいつになく高い。別に根暗では無いにしても、ここまで浮かれるのも珍しかった。
 それが自分じゃないというのが、佐藤には何だか口惜しくて。
「……………」
「なあ、佐藤はどれが……佐藤?」
 自分の好きなものだからこそ、分け合いたいと佐藤を伺ってみると、何やら言いかけようとした相手は考えるような素振りを見せている。
 その顔を眺め、吉田ははっとなった。
「だ、ダメだからなっ」
「へ?」
 急にダメだと言われ、佐藤が呆けた顔をする。会社での同僚の前では絶対見せない表情だ。
「自分もお歳暮贈ろうとか、思ってんだろ!」
「……ああ、分かった?」
 バレたというのに、何故かそれが嬉しい佐藤だった。
「可笑しいだろ!一緒に住んでるのに!!」
「やっぱりダメか?」
「だめ!」
 そうでなくても、普段から吉田は佐藤に貰ってばっかりと思っているのだ。これ以上だなんて、とんでもない話だ。
 吉田の反証は何とも可愛いものだった。佐藤は締まりない笑顔をを浮かべて見せたものの、折角見つけた吉田の嬉しい顔を見るチャンスをこのまま逃すのも惜しいと思っている。
「……お歳暮かー。全く考え付かなかったな」
「そりゃまぁ……お互い様なんじゃないの?」
 佐藤の呟きに答えるように吉田が言う。付き合い始めが高校生だったからか、その時の雰囲気がずっと持続しているようなのだ。自分達の関係を秘密にしておいたのは、ひとえに校内の女子対策であったにも関わらず、高校を卒業して尚周りに打ち明ける事がなかったのは、多分それが原因なのだと思う。最も、一番の要因は吉田が照れ屋だから、なのだろうけども。月日の流れて解消出来るものではないらしい。
 そしてそのまま大学に進学、そして就職して社会人になった訳だが、さすがにすぐにお歳暮とかお中元とかいう考えは過ぎらなかった。これまでとは劇的に一変した生活に慣れるので精いっぱいで。
 思えば、常に吉田に贈り物の隙を伺うような自分にしては、この習慣を見落としていたとはあまりに大きなミスであると佐藤は思った。実家に居れば嫌でもその手の宅配物が目に入っただろうが、実質中学から実家を出ているようなものだ。
「それにさ、」 
 と、未練がましそうな佐藤を見て、吉田が言う。
「ウチの実家に贈ってくれてるんだから、それで良いだろ?」
 やや頬を染めて言った。自分に贈るのも自分の家に贈るのも、同じ事だと言いたいらしい。
 吉田の両親に同棲と求婚の意思を伝えたのをこれ幸いと、佐藤は吉田の実家に行く暁には父親に惚気ているのである。そして父親もまた母親の自慢をしているのだから、どっこいどっこいというか、同類というか。
 今のこの現状を思うとさっさと打ち明けていれば良かったと思うが、言い出すまでの勇気を溜めるにはやはりこれまでの月日が必要だったのだ。吉田と付き合って、無駄な事は何もないと佐藤は思う。
「んー、じゃ、次の週末、吉田の実家に行こうか」
「えっ、なんでそうなる!?」
 佐藤と父親の惚気合戦とも言える会話を、母親はともかく吉田は顔に熱が溜まる思いで聞いているのだ。いっそ席を立ちたいとすら思うけど、佐藤と居たいとも思うから大人しく横に坐っているが。
 まあ、でも、居た堪れないだけで嫌という訳でもないのだが。
「そろそろ大掃除だし、男手が居るかと思ってさ」
 佐藤が言う。確かに、そろそろ年の暮れを実感する頃だ。本当の年末はまだもう少し先だが、そう思っていたらあっという間に訪れるだろう。じゃ、連絡しとく、ともごもごと口の中で転がすように言う吉田。
「チョコレート、」
「え?」
「食べるんだろ? 紅茶淹れて来るよ」
「わっ、ありがとー」
 佐藤の淹れる紅茶って美味しい!と吉田は嬉しい事を言ってくれる。
 ゴールデンルールはちゃんと守っているし、何より吉田に飲ませる為、より美味しくなるようにと思いながら淹れている。科学的実証なんて何も出ないだろうけど、やはり気持ち次第で同じ茶葉、同じ手順で淹れても味は確実に変わると思うのだ。
 お湯を注ぎ、蒸らし時間の中で移動する。戻れば、吉田はチョコレートには手を付けず、自分を待っていた。それが大好物だと知っているから分かる、些細な愛情である。
 アールグレイの豊かな香りを漂わせながら、佐藤は吉田の隣にそっと腰を下ろした。



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