梅雨の気配を感じながら、週末の今日も雨だった。このまま本格的に梅雨に入るのかもしれない。
 2人は、雨なので大人しく部屋デートを堪能していた。部屋でだらだらしているだけなのに、吉田は佐藤と一緒だとそれすら楽しく感じる。それは相手も同じだろう。
 外の雨はしとしと、といった感じで、やたら不安な轟音を轟かせる集中豪雨とは程遠い。穏やかな雨音をBGMとして嗜みながら、今の時間、2人は読書に更け込んだ。佐藤みたいな優等生の本棚に、自分のような赤点予備軍でも読める本があるのが少し不思議だったが、そう言えば見る映画やDVDの趣味も何となく合っている。仮に2人の趣味がかけ離れていたとしても、どちらかが譲歩したりして歩み寄るのだろうが、その必要のない間柄の方が気楽でいい。
 ぱたん、と吉田は読み終わった本を閉じる。佐藤は、未だ読書に没頭中だ。
 そういえば、佐藤に訊きたい事があったんだっけ。不意に思い出した吉田は、読書の邪魔にならないよう、そっと尋ねた。
「あのさ、佐藤。男の人って何を贈って貰ったら嬉しいかな」
「んー?」
 吉田としては読書の片手間に答えてくれて良かったのだが、佐藤は本を傍らに置き、ベッドに背を持たれて床に坐っている吉田の元へと赴く。
「贈り物なんてね、しなくてもこうすれば十分なんだよv」
 そう、極上の笑顔で言った佐藤は、あっという間に吉田をベッドの上に引き上げた。
 パチクリしてきょとんとした吉田の顔に、佐藤は指を滑らす。その感触に、吉田は、はっとなった。
「わ、わ、わ、ちょ、ちょ、ちょとっと違う! そういうのじゃなくて――――――ッ!!!」
「……何なんだよ」
 べちべちべち!と顔を叩かれ、本気のダメージにならないように配慮しているとは言え、続行は難しい。佐藤は断念した。
「だから! そういうのじゃなくて!」
 大切な事なので吉田はもう一度言った。出来ればこの不穏な体勢もさっさと退いてくれると嬉しいのだが、生憎佐藤にその気はないようだ。
「父の日に何を贈ろうかなって話」
「……………。吉田、ファザコン?」
 まさかこの場で出る内容とは思わなかった佐藤は、ついそう呟いていた。
「なっ!!! 違うよっ! 父の日なんだから、贈るだろフツー!」
 憤慨して吉田が反論する。そうかもしれないが、佐藤にはそういうアットホームなイベントは遠い国のお伽話みたいに思える。
「お酒飲むからそれにしようかな、って思ったけど、未成年相手じゃ売ってくれないし……」
「ふーん、じゃあ、肩叩き券でもあげれば?」
 適当だな、佐藤。
「やだよ、もう高校生なんだから」
 と、言う事は去年まで肩叩き券を贈ってたのだろう。吉田が紙を切って券を作る光景を想像してみた。うん、凄く可愛い。
「っていうか、そんな事なら、俺よりお母さんに訊いた方がいいんじゃないか?」
 自分と父親は同じ男かもしれないが、その立場は天と地よりもかけ離れたものだと吉田はちゃんと理解してくれているのだろうか。
 両方とも「好きな男性」で括られていたら、少し泣ける。
「そうかもしんないけどさー……母ちゃんに訊いたら、結局惚気に終わって参考になんないんだもん」
 若干疲れたような表情を浮かべる辺り、何度かそういう経験をした事が窺える。
「父ちゃん、ちょっと前から出張が多い仕事になってさ」
 吉田が言う。
「最近あんまり会えないから、その分の気持ちも込めて良い物あげたいんだ」
 ちょっとはにかんだその顔は、父親を心底慕っていると解る。そういう表情は佐藤に眩しくて、自分なんかが独占したら罰せられるのではないかと思う。
「……………」
「……何?」
 上から覗きこまれている居心地の悪さに、吉田も睨み返す。
「いや……吉田みたいな娘を持ったら、凄い幸せだろうな〜って」
「は?」
「息子でもいいや。ねえ、俺も欲しいv」
「ちょ、ちょっと! だから意見が欲し……いや―――! ボタン外すな―――――!!!!」

 最初の会話の振り方が紛らわしかったのだろうか。いや、決してそんな事は無い。そんな事は無いぞ!!
 自分の部屋に戻っても尚続く怠惰巻に悩まされながら、結局答えてくれなかった佐藤に恨み事を呟いた。


 次の日。
 月曜日はどこか身体が重たい。まあ、吉田の場合前日の事が尾を引いているかもしれないが。
 昨日の雨は止んでいた。地面はまだぬかるんでいるが、1日ぶりの太陽だ。今日はオチケンの部室で2人は昼を取った。今の所、他には誰も居ない。
「あ、そうだ。吉田、これ」
 もぐもぐ、と咀嚼を始めた吉田に、クリアファイルを差し出す。本来の目的は、ファイルの中にある用紙だろう。何かの画像がプリントしてある。
 口の中を動かしながら、吉田は何気なく手に取ってみる。
「……え、これ………」
 嗜好品や、実用品。それも、吉田の父親に当たる年代が持つに相応しい作りのものばかりだ。
「とりあえず、適当にチョイスしてみたけど、どうかな」
 佐藤は自分の食事をもげもげ食べながら言う。
「今すぐ決めなくてもいいからな。家に帰った後でもメールとかで教えて」
 そしたらネットオークションで落とすから、と言う佐藤。
(あ、これ、ネットオークションなんだ)
 どうりで、想像以下の価格ばかりだと吉田は思った。最もこれは途中経過なのだから、価格は今も変動しているだろうが。
 それより――
 早く決めた方が佐藤にとっても都合がいいだろうに、吉田の頭にはちっとも商品の情報が入って来ない。
(佐藤……調べて来てくれたんだ………)
 てっきりあの場で、はぐらかされて終わったものだとばかり思っていたのに。こんなにきっちりと調べて来てくれた。
(こ、これってやっぱり……)
 自分が尋ねたから、だろう。それ以外にあり得ないのだが、今一度確認してしまう。そして、顔が焼ける程恥ずかしい。
 いや、恥ずかしい、のではなく………
「……佐藤」
「ん?」
「ありがとう。……凄く、嬉しい。………ありがと」
 意地を張らずに素直になろう、と努めているらしく、真っ赤な吉田は2度「ありがとう」を言っているのに多分気付いていない。指先に力が籠ったのか、紙の端が少しくしゃりと歪んだ。
「どういたしましてv」
 それまで真向かいに坐って居たのを、ちゃっかり隣に坐り直し、頭を優しい手つきでくしゃりと撫でる。それにより、熱が一層上がるが、決して嫌なものではない。
「これ、調べるの大変じゃなかった?」
「いや、丁度時期が時期だし、特設ページみたいなのがあったからそんなに大変じゃなかったよ
 ――ま、将来俺の父親にもなる人だし? それは真剣に探すよ」
「え、ちょ、なっ!」
 にこっとした顔で何気に爆弾発言を投下され、うろたえる吉田。あわあわしている所に、佐藤が更に囁く。
「それにさ、好きな子の頼みごとなら、なんでも叶えてあげたいものなんだよ」
「う…………」
 さらっとこんな事を言うのが、佐藤は曲者だと思う。
 しかし「なんでも」と言う割にはやめて、と言ったセリフを蔑ろにされるよーな気がしないでもないけど。押し倒された時とか。
 ともあれ、吉田は改めて紙面と向き合った。佐藤が勝手に選んだというが、どれもデザインが大人が持つに相応しく渋く、尚且つ吉田があげても可笑しくないような品物ばかり。しかし自分の力では絶対に探し出せないだろう。絶対に。佐藤に頼んでみて、本当に良かったと思った。
 とは言え、どれもこれも良い品物ばかりで、そういう意味で選ぶのに吉田は困る。
「ねえ、佐藤はお父さんにどんなのあげるの?」
 すっかり佐藤の審美眼を信じた吉田は、そう尋ねる。
「……うーん、ウチはあまりそういう事をする間柄じゃないしな……」
 何重にもオブラードに包んだ言い方をする佐藤。功を成したのか、吉田は何の不審も抱いて無いみたいだ。
「そっかー、でも、佐藤のお父さんも貰ったら嬉しいと思うよ」
 吉田が無邪気に提言をするので、やってみようかな、という気になってしまう。言う事は何でも叶えてやりたい、というのは決して過言ではないのだ。
 とはいえ、自分が父親に贈り物、か。
 ……実際、ぞっとしない。
(っていうか、むしろ吉田の父親にあげたいよな)
 まだ会った事は無いが、吉田から聞く限りでもその人柄の良さが窺える。自分が贈っても、素直に喜んでくれそうな気がする。
「やっぱり、吉田の父親にあげたいなー」
 いかにも諦めきれない、といったオーラで佐藤が呟く。
「また、そういう事言う………」
 少し落ち着いた顔色が、まだ赤くなる吉田。
「自分の父親にあげろって」
「いやだから、いずれ婿になる立場なんだし」
 ポイント稼ぎたいし、これをネタに家に上がり込みたいし(←重要)。
「だからっ! そーゆーのはまだ早いッ!」
 噛みつくように吉田が言う。佐藤は、少しの間を空けて言った。吉田の顔をさらに覗きこんで。
「”まだ”……って……行く行くはしてくれるの?」
「―――え、あッ! あのっ! そ、それは……!!!」
 すぐに否定しないのが、吉田の本音の表れだ。
「それっていつ? 楽しみだなーv」
「だから、………あぅー……」
 誤魔化し方なんて知らない吉田は、最後は真っ赤になって唸るだけだ。
 そんな顔も、とても可愛らしい。
 いつか、吉田を育てた家庭に自分も入る事が出来るんだろうか。
 それこそ、夢みたいな話だけど、すでに吉田と再会し、付き合うという奇跡を果たせた今では、強ちあり得ない話でもないかも、なんて佐藤は思ってしまうのだった。
 とりあえず、これはその未来の布石として。
 プリントアウトした用紙を、吉田と2人して見ていた。



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