「へえ~~~、クリスマスマーケット……!」
 ゆったりと、しかし座り心地をしっかり感じるソファに腰かけ、吉田は覚えたての単語を舌に乗せ、目を輝かせていた。
 現在吉田の話し相手となっているヨハンは、吉田の向かいに座り温かい飲み物を携え、時事的な話題で会話に花を咲かせていた。
「ドイツの冬は夜が長いからね。うんとイルミネーションで飾られるんだよ」
 クリスマスの1か月前くらいから、広場の中心にクリスマスタワーが設置され、その周りに出店が立ち並ぶ。そこでホットワインやホットチョコレートが振る舞われるのだと説明すると、そこにまず吉田は反応した。吉田がお菓子の中でもチョコレートが好きなのは、少し見れば解る事だ。
 そして出店以外でも、移動式の遊園地が来たりと、まさに一大祭りなのだった。
 凄いな~~と、自分の話を聞いただけで表情を煌めかせる吉田に、ヨハンは小さく笑って、ちょっと悪戯するように言ってやる。
「隆彦に言ってみたら?新婚旅行で連れて行ってくれるかもよ?」
「え、あ、ぅ」
 途端、吉田はぽっと赤くなり、両手でマグカップをぎゅ、と掴む。優しい甘さのミルクココアだ。淹れてから時間も経って居るし、思い切り握りしめた所で大して熱くも無いだろう。
「いやいやいや!それは違うぜ!」
 と、何か芝居掛かったように、吉田側のソファの背もたれから文字通り首を突っ込んできたのはジャックだ。
「ヨシダは、隆彦との新婚旅行はアフリカで、シマウマの見える庭のホテルに行くんだよな~v」
「え、えぇぇぇ、と」
 ジャックに言われ、ますます顔を赤らめる吉田。ヨハンが「え、そうなの?」と吉田を見やると、「そういうホテルが出てる番組を見たの」と吉田が説明する。それ以上は吉田は言わなかったが、その時の彼女が今のようにキラキラした目でその映像を眺めていたのは想像に難くない。そうでなければ、ジャックもこんなことは言わないだろうし。
「おい、お前ら」
 と、不機嫌を微塵にも隠さず、そのまま上乗せした声がした。ある意味本命というか、佐藤の登場だ。少し席を外してみればこれだ、と吉田の隣の席に、当然のように腰を下ろす。傍に来た佐藤に、吉田の表情がそれまでと違うのは、佐藤の不在時を知る者にしか解らない。つまり、佐藤本人は知らないという状況だ。この2つの差を見比べたら、いかに吉田が佐藤を好いているのか、一発で解る程だ。見れない佐藤を少し哀れに思うが、それを見守れる立場の自分達に満足しているヨハンとジャックである。
「何だよ、旅行の行先はあらかじめ決めておいて損は無いだろ」
 にやにや、と背凭れに持たれたまま、器用に頬杖付いて佐藤に話しかけるジャック。
「そういうのは自分達で決めるから、外野は口を挟むなと言っている」
「えー、外野とかヒデェな~」
 俺たち友達だろー?とわざとらしくジャックは嘆いた。どう見ても本気で傷ついている様子では無いジャックに、佐藤はふん、と鼻を鳴らし受け流す。
 そうする佐藤は、いつにない仏頂面だけども、その分本音であると解る。普段は人当たりの良い笑顔と言動しかしない佐藤を思うと、吉田も何だか嬉しくて微笑んでしまう。その笑みの質がさっきまでと違うのに、やはり佐藤と吉田だけが気付けないのだった。


 期末テストが終わり、後は長期休暇を待つばかりののんびりした時、ジャックとヨハンが来日してきた。学業に関しては自由な彼らはいつでも来れるのだけど、佐藤達はいつでも遊べる訳ではない。だからヨハン達も、その休みに合わせて訪れてた。
「……全くあいつら、人ので遊びやがって」
 クラスの女子の前では絶対に言わないような口調になっている。が、男子高校生としてはむしろ自然と呼べるものだろう。普段が不自然なのだと吉田は思っている。
 あのまま、誰もが集まるリビングに居たら吉田に構えないと早々に結論付けた佐藤は、吉田を引き連れて艶子から割り当てられた個室へと籠った。仲間のブーイングなんて、なんのそのである。
 人の、って、と突っ込みたい気持ちもあるのにそれ以上に羞恥が先走って吉田は何も言えない。そう言われてちょっと嬉しい自分が居るのは確かなのだ。
 佐藤は吉田を独占できないと不服そうだが、吉田はあの空間は心地よい。多少の疎外感はあるけれど、それ以上に迎え入れてくれているのが解るし、何より佐藤との仲をごく自然に、その通りに受け入れてくれるから。隠さなければ、という意識が無いのは楽だった。牧村と秋本の前でも、普通に振る舞っているけども、やはり佐藤と恋人だという事実は伏せておかなければならないし。それならいっそ打ち明けてしまった方が……いやいやでも、あの女子のエネルギーに勝てる自信は無いし、むしろ足手まといにしかならないだろうし。佐藤との楽しい学園生活には、やはり秘密の保持は必須なのだと吉田は思った。
「……ん?」
 不意に何かを感じ、隣に坐る佐藤を見上げる。この部屋にはちゃんと、まるで応接室のような立派なテーブルも椅子もあるけれど、2人はベッドに並んで腰かけていた。ぷらぷらと吉田の足が揺れる。
 じぃ、と佐藤は物言いたげに、しかし何も言わずに顔を寄せる。キスの流れたと解った吉田は、顔を赤らめる。佐藤に最初を奪われてから、もう随分時間も回数も重ねたのに、未だに自然な対応が解らない。他の皆がどうしているのか知りたい所だけど、そういった知り合いも居ないし、聞き出す技術にも吉田には無い。結局、佐藤だけを相手に、手探りの状態が続いている。今だって。
「ん、っ」
 と、佐藤の唇が重なった時、知らず出てしまう声が恥ずかしい。身構えていることが佐藤に悟られてしまう。いや、とっくに悟られてるんだろうけども。
 キスとは言っても、色んな種類があるのだと吉田は佐藤と付き合うようになってから知った。経験で。
 挨拶のように軽く触れ合うだけのもあれば、想いを伝えるようにしっとりと重ねる時もある。そして、キスとは言え唇だけでは治まらない時も。
 軽く肩を掴んでいた佐藤の手が、角度を変えるキスに合わせて動きを見せる。するすると首筋を辿り、その感触に吉田が身じろいでもそれをおいかけてキスを途切れさせない。
「ふ……は、ぅ……っ」
 耳に触れられると、どうしようもなく吐息が震える。声が含まれたそれが、キスの僅かな隙間を縫って外に漏れる。
 くん、と袖に引っ掛かりを感じた佐藤が、視線だけ向いてみせると吉田の小さな手がぎゅうと掴んでいるのが見えた。けれど佐藤は勢いが収まらず、華奢過ぎる腰を引き寄せ、もっと口の中を堪能した。その動きに、吉田は何とか応えようとする。
「は、ふ……んっ……、ぷぁっ!」
 ようやっと解放され、息継ぎのように大きく息を吸う。次いで、はあ、ふぅ、と大きな息を繰り返す。これまた腰と同じく頼りない華奢な肩が大きく上下した。それを優しく、労わるようにぎゅう、と佐藤が吉田を抱きしめる。
「ごめん」
「?」
 何故か佐藤から言われた謝罪の言葉に、吉田がきょとんとする。
 抱きしめた身体を少し話、顔を見れるように向き合うと、涙が少し溜まった眦を親指で拭う。
「何か、がっついた気がする」
 止められなかった、と佐藤が言う。謝るというには、あまりに真剣な面持ちなので、吉田もどうすれば良いか解らない。経験何て、佐藤とでしか培っていないし、生かそうにも同じ場面なんてきっと訪れてこないのだ。毎日が、初めての事ばかりで。
「……ん~と、」
 ぐるぐるする頭で吉田は考える。佐藤は、正直に胸の内を明かしたのだ。ならば、自分もそうすべきではないか。そう決めた吉田は、佐藤を見上げる。吉田の手は、佐藤の袖をずっと握ったままで、改めてその手に力が籠る。
「……こーゆーの、まだ慣れないし、驚くし……でも、ヤ、じゃない」
 好きでする事だと解っているから、決して嫌では無い。顔どころか、擽られた耳も首筋も真っ赤にしながら懸命に言う。そのいじらしさは、当然佐藤の胸を真っ直ぐに射抜いた。それはもう、ずぎゅんと。
「……………」
 さっきまで、沢山触れたい、感じたいと思って少々暴走すらした佐藤だが、愛しさが溢れると逆に何も出来ないと最近知ったように思う。まあ、結局触るんだけども。
 胸に感じた衝撃が、腹の底に回ってじわじわと込み上げる。それはくすぐったさを伴っていて、口元がむずむずしてくるのだ。だから、手で口を覆う。けれども、これだけで隠せるものではないようで。
 あ、佐藤、変な顔、とこういう時ばかりの吉田の笑顔は、可愛くて凶悪で、やっぱり可愛いのだった。


 気の置けない仲間たちと集まると、やはりその分、佐藤も抑制されているものが解放されてしまうようだ。
 さっきは思わず、吉田の事も顧みず、深いキスをしてしまったが、一度したからか、今は穏やかに凪いでいる。こんな時も確かに幸せなのに、長続きしないのは劣情が収まるのと同じ理由だろうか。
「――で、吉田は結局どこに行きたいんだ?」
「え?」
「新婚旅行v」
 吉田の為にと艶子が事前に置いてある焼き菓子を摘まみ、無邪気な顔で訊き返した吉田はその言葉に菓子を食べる手が止まる。
「ドイツでもアフリカでも良いよ。勿論両方だって」
 本気で言っているのか、あるいは揶揄か。どっちの空気もありそうで、判別が出来ない。
 むぅ~といつもの照れ隠しに顔を顰める吉田を楽しく眺めながら、佐藤は場を取り直すように言う。
「ま、新婚とかはさておき、旅行は行きたいな」
 吉田と一緒なら、どこだって行きたい。きっと楽しい。こんな事、以前には思わなかった事だ。
 思い出は、日々の中で自然と生まれるものだけど、敢えて作りに行くのも良いかもしれない。
 佐藤に本気の意思が取れたのか、旅行、と吉田は確認するように口の中で復唱する。
「ん~……佐藤は行きたい所とか、ある?」
 吉田には沢山あると言えばあるのだけど、テレビで見たり話を聞いたり、その時の興味で飛びついているものばかりだ。これと言った拘りや思い入れはあまりない。それなら、佐藤の方に合わせたいと思うし、佐藤の行きたいという所は吉田も是非知りたい所だ。
 しかしそれはお互い様のようで、佐藤も考えるように頭を傾けている。無防備な姿に、吉田はひっそりと笑う。
 行きたい所と言えば、以前に佐藤が、宇宙の果てに行ってみたかった、と打ち明けてくれたのを思い出す。今、話題にしている事とは意味が違うのだろうけど。
 でもその内、この先一緒に進んでいく将来、旅行の行先に当然のように宇宙が候補にあがる未来が訪れるかもしれない。今は人類が宇宙に行っても然程騒がれないが、以前は絶対不可能だった事を思えばありえない事でも無い。
 佐藤と、宇宙旅行。考えてみると、ちょっと楽しいかも。
 遺産になる建築物も名物の美味しい料理も無いだろうけど、きっと星は綺麗だし無重力は体験してみたい。
 けれどもこれは、計画以前の夢物語だから、今は胸の内にだけ留めておく。いつか取り出す為に。
 大事に仕舞い込んだ吉田に佐藤が「吉田の行きたい所が良い」と語りかけてきた。



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