吉田と出会ってからというもの、佐藤は過ぎゆく今日も来るべき明日も愛おしい。移ろう四季を肌で感じ、その中での吉田を思うと心躍るものであるが、やはり通り過ぎた日々を惜しむ事もある。
 夏は良かった。汗を流すため、冷涼の為と一緒に風呂に入る事が出来た。
 けれど冬は出来ない。帰る時に湯冷めしてしまうからだ。吉田を第一に考える佐藤にとって、風邪の可能性が含まれる事は出来ない。例え自分が望む事であっても。
 それでもやはり、吉田を隅から隅まで磨く入浴タイムは佐藤にとって実に至福、敢えて言えば吉田充な時間な訳で、夏が来るまで待てというのも酷な話だ。
 佐藤の部屋に宿泊となれば、付随するように一緒に風呂に入れるのだが。けれども、まだ稚いような吉田に、荒々しい雄の本性を見せてしまうのが怖くて、なかなか自分の部屋に寝泊まりと率先的に誘えないのだが。やはり、自分のテリトリーとなると箍が外れやすい。
 自分はそうじゃないけど、吉田にとっては初めての事。何より、2人の初めての事。
 勢いに任せないで、大事に大事に、ゆっくりと踏み込みたいと思う佐藤なのだった。

 そしてその為にも、途中の発散は必要な訳で。

 こんなんで本当に良いのかな、と吉田は首を傾げたい気持ちで一杯だった。確かに、なんでも良いと言ったのは自分だし、それに後から条件を付けるのは潔くないし。
 学生の本分であるテスト期間。吉田はずっと、佐藤に勉強を教わっていた。佐藤は解るまでやるという、ちょっと厳しいけど決して見放さない優しさを持って吉田に接していった。その甲斐あって、吉田は手応えのある結果を残すことが出来た。と思う。
 吉田と一緒に居る事自体がご褒美になる佐藤は、その勉強のお礼という名目に意義は見いだせない。けれど、初心な吉田が中々頷いてくれない事には、ちょっと隙をついて利用させて貰った。
 それじゃ、一緒にお風呂入ろう、と。
 そういう訳で、佐藤の家の脱衣所で、吉田は衣服を脱いでいる。ここは脱衣所も十分なスペースがあるから、佐藤と吉田が一緒に入っても窮屈じゃないが、吉田があまりに居たたまれないので時間差で入る事になった。
 佐藤の切なる内情を知らないでいる吉田は、こんなんでお礼になるのかなぁ、と改めて首を捻る。浴室に繋がるドアを開け、湯船にとぷん、と浸かった。入ったよー、と声を上げれば、程なくして佐藤が脱衣所のドアを開ける。曇りガラスの向こう、フォルムが大分ぼかされながらも、脱いでいる様子が見てとれて、吉田は自分がいけない事でもしたかのように、慌てて目を逸らした。
「入るよ」
 と、これは佐藤の声。うん、と吉田が頷くと、佐藤が現れる。一応タオルで巻いてはいるものの、一糸纏わぬ姿に吉田の顔がかーっと熱くなる。慣れない。どうしたって慣れない。他の人の裸なんて見た事は無いが、吉田はそれでも佐藤の体が綺麗だと思う。均等が取れていて、筋肉も程よくて。乳白色の湯に入ってしまえば、その体も見えないが。
「熱くない?」
 と、佐藤から気遣う声。お湯は実際吉田にとって適温だった。こくり、と頷くだけで返事をすると、佐藤は良かった、とでも言うような微笑みを浮かべる。
 その笑顔ずるい……と佐藤に背を預ける形で収まっている吉田は、鼻の下までずぶずぶと埋まっていった。


 吉田はよく、母親が見る雑誌や番組などで何故そんなにエステが取り上げられるのか、疑問でしかなかった。何をするのか解らないこそではあるが、そんなに良いものかと。
 けれど、こうして佐藤に風呂場で頭から爪先まで、丹念に洗われていると、熱中する気持ちも少し解るかもしれなかった。丁寧に扱われると、肌の具合がどうこうより、まず心地よくて、気持ち良い。
 佐藤の浴室は自分の家のより、余程システムが進んでいて、冬でも湯船から出ていても寒くない。当然床だって温かいのだ。そこで吉田はたっぷりと全身を磨かれた。こんな自分、手入れした所でどうにもならないと思うけど、鼻歌でもしそうな程、楽しげな佐藤を見ているとやるなとも言えない。
 でも、前述した通り、さっぱりするのは気持ち良い。引き換えにするのは少しばかりの羞恥心なので、吉田も余程の事が無ければ断らないのだった。
 湯から上がった後、湯冷めを絶対にさせないという気迫を持った佐藤に、まずもこもことしたバスタオルで包まれ、水分を完全に吸い取られる。そして、次にまた新しいタオルで包まれたかと思えば、そのまま抱き上げられて移動された。
「ど、ど、ど、何処行くの??」
 裸なんだけど?服は?という疑問符を並べ、吉田は自分を運ぶ佐藤に尋ねる。
「冬だからな。乾燥しないように、保湿クリーム塗ろうと思って」
 事も無げに言って、平然とした面持ちで寝室に向かう佐藤。あまりに普通だから、そんなに警戒しなくて良いかな?と吉田もふっと力を抜く。
 湯上りでさっぱりして、温かいタオルに包まれ、ゆらゆらと揺れて、睡魔でも誘い込みそうなシチュエーションだが、寝室までの距離も長くは無いので、寝入る事はなかった。
 まるで壊れ物のようにそっとベッドの上に置かれる。そういえば、バスタオルの下は下着1つしか身に着けていない。服は?服は??ときょとんとする吉田に、佐藤はバスタオルをあっさり取ってしまう。
「んな―――――ッッ!!!」
 慌てて取り返そうとする吉田だったが、胸が見えてしまう事に素早く気付いてそっちを覆う方に手を回した。
「クリーム塗るだけだってば。恥ずかしいなら、後ろ向いてて」
「……う~~~……」
 吉田は精いっぱい睨んで見せた後、ぷい、と体を後ろに向けた。と、いう事は佐藤に従ったのだろう。
「肩に塗るよ」
 自分の動きが解らないだろう吉田に、佐藤が説明するように言ってやる。そして、その台詞通り、まずは吉田の方に丁寧な手つきで肩に塗って行く。
 すると、体温で馴染んだクリームから香り立った芳香が、ふと吉田の鼻に感じられる。
「……桃?」
「うん、当たり」
 仄かな、けれど優しくて甘い香り。辺りをつけて言ってみたらその通りで、吉田はちょっと嬉しくなった。
「腕、良い?」
「ん……」
 胸を隠しているものがなくなるけど、後ろだからま、いっか、と吉田は軽い調子で考えて、腕を佐藤の好きなように持たせる。風呂上がりで、佐藤の手の平もしっとりとしている。何だか、妙にドキドキしてきた。
 こんなに近くで、触れられてもいるのに。こんなにドキドキしたらばれてしまう、と動悸を押さえ込もうとするが、そんな事は不可能で。しかも心なしか体温が上がったせいで、桃の香りも強くなっているような気がする。いよいよ、吉田は居たたまれない。
 その後、佐藤は反対の腕も、そして腰にも丁寧にクリームを撫でるように塗りつける。吉田も感じている桃の芳香は、勿論佐藤も感じ取っていた。背中に塗る時、長めの髪を前に流したので、普段は隠れている項も露わになっている。
「……吉田、美味しそう」
 ベッドの上、肌がほんのりと朱を差して、香りばかりか色までも桃に近くなった吉田を見て、佐藤は思わず呟いていた。しかも、吉田の耳のすぐ後ろで。
「ッッ!!!?」
 言われた内容というより、声を吹きかけられた感触に驚いて吉田は小さな体躯を撥ねさせた。
「さっ、さささ、佐藤!!!!っわぁ―――――!!!」
 ベッドの上で、ひょいっと軽く体が上がったかと思えば、ころりと横になっていた。何も隠すものが無くて、硬直する吉田の前には同じくほぼ裸の佐藤が居て、ますます吉田は真っ赤になって固まった。
 無垢な吉田の肢体をじっくり眺め、初心な反応に顔を綻ばす。それから、完全に停止してしまった吉田の手を取り、自分の左胸へと当てた。あ、と吉田が小さく声を上げるのは、自分と同じくらいの速度だからだ。
「吉田が可愛いから、俺、いつもこんなだよ」
「―――う、う……う~~~~」
 嘘、と吉田は余程言ってやりたかったのだが。
 そう言った佐藤の笑顔があまりに綺麗で、そして何より口を塞がれ、何も言えなくなった。


「はい、これ」
 と、台付きのガラス皿に出されたものは、ぱっと見ババロアのようだ。
 わーい、美味しそう!と吉田は意気揚揚とスプーンを手に持ち、食べ始める。
 一口含んだ所で、ん、と目を丸くする。
「これ、ご飯入ってる?」
「当たりー」
 と、テーブルの向かいで咀嚼する吉田を見つめていた佐藤が答える。
「白桃と豆乳とご飯を冷やして固めた物」
「へえ、やっぱりご飯入ってるんだ!」
 最初はタピオカかと思ったのだが、それにしては弾力が無いし素朴な味がする。白米だと思った吉田の勘は当たった。
「他の国だとサラダにも入ったりするからね。主食と捉えるか穀物と捉えるかで使い方も違うんだろうな」
 なるほどー、と呟きながら、吉田はまた一口をぱくり。
 今言った通り、日本人にとって米は主食だから、それ以外の所で使われるのに抵抗を覚える人がいる。だから最初、何も言わずに出してみたのだが、吉田は気に入ってくれたようだ。
「んんん、美味しい~」
 むぎゅむぎゅ、とババロア内の白米を噛みながら、吉田が嬉しそうに言う。
「それは良かった」
 と、そんな様子を見ている佐藤も、つられるように嬉しい。
 でも、と胸中で佐藤。
 きっとそのババロアより、さっきの吉田の方が美味しかった。―――なんて言ったら。
(やっぱり、怒って帰っちゃうかな)
 まあ、ババロアを完食してからかもしれないが。真っ赤になってじたばたする吉田は何度見ても飽きないけど、それはさっき今日の分は堪能したから、今は吉田に合わせてただただ穏やかに過ごそう。
 最も、佐藤自身、こういう過ごし方は嫌いではない。むしろ、その逆。
 ババロアと一緒に持って来た紅茶に口をつけて、佐藤は幸せを噛み締めた。




<END>