日曜。午前中からお邪魔します、と佐藤の家のドアを開けたのは、勿論というか佐藤の可愛い可愛い恋人の吉田だ。今日もひょっこり顔を出し、ちょこんと玄関に立ってるのを見るだけで攫いたくなる。攫うまでも無く、すでに家に来ているのだが。
 あればこの時やっつける英語の課題も今週は無い。正確に言えば週明けに英語の授業が無いので、土日で取り掛かる必要も無いという事だ。だから、心置きなく佐藤の部屋でごろごろ出来る。
「昨日は何してたの?」
 自分の入れたミルクティーを美味しそうに口に着ける吉田を眺めながら、佐藤は尋ねる。昨日は家族との予定があるから、一緒には過ごせなかった。
 自分とは居られなかったけど、普段は出張の多い父親も交えての外出だと楽しそうに吉田が話していてくれたから、佐藤はそれでいいか、という気になれる。第一は吉田の幸せ。自分はその次で、というか吉田が幸せなら自動的に自分も幸せなのだ。
「デパートに行ったよ」
 ロールケーキに小さいフォークを突き入れながら、吉田が言う。
「そんでさ。母ちゃんの服の選ぶのがもう長くて長くて!何か、そのせいで疲れちゃった」
 その時の事を思い出したのか、むぅ、と吉田が顔を顰めさせる。けれど、それもロールケーキを口にした事であっさりと霧散したが。今日のロールケーキは、秋を意識して、モンブランをロールケーキ状に仕立てたものだ。栗の風味をふんだんに感じられる。 
 確かに、今は季節が移り替わる頃だ。衣替えの際、不要になったのを捨てた分と、欲しいと思った服を買いに行くタイミングでもある。おそらくだが、母親としてはそれが目的だったのかも。いや、一番の目的は勿論家族での外出だと思うが。
「父ちゃんはよく付き合っていられるな~~」
 それどころか、逐一似合う似合う、と褒めそやしていたのだという。いっそ感心というか、尊敬したように言う吉田を眺め、佐藤はひっそりと微笑む。
 こうして吉田から、仲の良い家族の話を聞くと、その光景を実際に見たかのような気分になれる。自分の家族は虐待こそ無かったが、代わりに無償の愛も感じられなかった。あったのは義務と世間体の為の育児と教育だ。
「吉田はどんな服買ったの?」
 頬杖をしながら、興味津々、といった具合に佐藤は尋ねた。
 その質問に、しかし吉田はんー、と若干言葉に迷いながら。
「服っていうか、パジャマ買って貰ったんだ」
 これからの季節に良いように、薄くてあったかいの、と吉田は嬉しそうに話す。
「へぇ、良かったな」
「うん!」
 にっこり、と返事をして、ロールケーキをぱくぱくと食べて行く。そんなに美味しそうに食べて貰えて、買いに行った甲斐もあるというものだ。
「ねえ、吉田」
 ぺろり、と唇についたクリームを舐め取りながら、吉田はその声に応えるよう、佐藤の方を向く。
「そのパジャマ、見たいな」
「え?」
「だから、買ってきたパジャマ。見たいな~」
 にっこり、と笑う佐藤はいっそ胡散臭い良い笑顔だ。
 え、え、え、と吉田は返事に困っているようだった。吉田は佐藤の事が好きだから、お願いと頼まれた事は出来る範囲なら答えてやりたいとは思っている。しかし、このお願いは。
「で、で、でも、パジャマだし!!」
 着て行けない!と吉田は困っているようだった。佐藤の発想には無かった考えなので、思わず吹き出しかける。
「部屋で自分撮りしたの送ってくれたら良いよ」
「じ、自分撮りとか、は、恥ずかしいじゃんか」
 自分の容姿に若干のコンプレックスを抱く吉田としては、佐藤のその頼み事は些かハードルが高いようだった。可愛いのになぁ、と佐藤は顔を赤める吉田を眺めて思う。
 だがしかし、吉田がそうやってコンプレックスを持つのは佐藤と付き合っているからだ。それ以前の吉田と言えば、そんな事どこ吹く風とばかりに毎日呑気に過ごしていたと思う。
 それだからこそ、余計に佐藤としては吉田が可愛いんだという事をずっと言い聞かせてやろう、と思っているのだった。そう、ずっと。
「えー、だって、見たいー。可愛いだろうな、新しいパジャマの吉田v」
「そ、そんなに可愛くない……あ、パジャマは可愛いんだけど……」
 ポケットついてるんだ、とパジャマの説明。吉田が可愛いのは佐藤にはとっくに知れた事だが、その新しいパジャマも可愛いらしい。これはもう、是非にでも拝まねば、と妙な使命感を抱く。
「それなら、パジャマ持って家に泊りに来れば」
「うぇ、えええぇぇぇぇぇ………」
 まるで途中から消え入りそうな呻き声を漏らしつつ、吉田はその顔をどんどん赤らめていった。その様子を、佐藤は勿論楽しそうに眺めていた。


 全くもう! パジャマ買ったとか言わなきゃ良かった!!
 なんて胸中で憤りながら、さんざん遊ばれっぱなしだった今日の佐藤宅訪問を思い返す。そういえば、またお姉さんの姿は無かった。
 そうして着替えるのは、まさに渦中(?)の新しいパジャマ。パジャマとは言えワンピースのような形で、室内履きとセットなのだ。
 そりゃまあ、パジャマとはいえ、おニューの服だ。佐藤に見せたい気持ちが、無くは無いのだけども。
「……………」
 しかし問題はやはり、完全なる室内着という点である。可愛いしデザイン性ばっちりなのだが、ルームウェアとはっきり解るものだから、外には着てはいけない。それこそ、佐藤が言うように泊りに行った時等、持って行くしか……
 それはそれでな~とベッドの上で吉田は悩みこむ。まあ、佐藤と一緒に同じ部屋で過ごすのは初めてでは無いとは言え、やっぱり何か……やっぱり何か!と踏み切れない吉田なのだった。
「……………」
 ちょっと考え、吉田はよいしょ、とベッドの上から降りてクローゼットを開ける。その扉には全身が映し出される鏡がついているのだ。鏡の前から数歩離れ、室内履きまで見える距離を取ると、携帯を構える。
(う~ん、どうやって撮ればいいんだ?)
 フツーの感じで良いの?と迷いながら、決定ボタンでぱしゃり。
 撮れた画像を見ると、決して良い撮りとは思えないが、とりあえずパジャマのデザインくらいは解る。しかし、フラッシュが鏡に反射してしまい、非常に残念な映りになってしまった。
 まあ、元のモデルがあんまり良くないけどさ、と吉田は胸中でぼやき、その画像は削除して布団の中へと潜った。


 そんな事があってから、ちょっと経って、とある日。
「今度の土日、お父さんとお泊りデートに行ってくるから、後はよろしくねv」
 と、突如にして食卓で吉田は母親からそんな事を告げられた。あまりに突然で、口に運ぼうとしたプリンが乗ったスプーンが、口の中に入る直前で止まる。
「え―――!? 聞いてないけどそんなの!」
「そりゃそうよ、だって今言ったもの」
「えーえーえー、そんな、二人だけで旅行なんてずるい―――!」
「だって、デートだものvvv」
 うふっ、と頬に手を添えて微笑む母親は、もはや親では無く乙女の顔になっていた。こういう時、自分の主張は何も通らないのだと、吉田は経験上学んでいる。
 むーん、と憤懣やるかたない思いを抱きつつ、ようやく吉田はプリンを口に入れた。思えば、このプリンからしてすでに怪しかった。たまに持ち帰りお土産なんて、誰かからの貰いものが多いと言うのに、今日のこれは母親自らが買ってきたのだと言う。
 その場では素直にわーい!と喜んだものだが、2日の留守を預かる代償には安い。あまりに安い!
「火元さえ気を付けてくれたら、お友達招いてお泊りしても良いから」
 ぷんぷん!と安く見られたことに娘が腹を立てているのを知ってか知らずか、そんな事を言いだす。それは吉田にとっては甘美な言葉で、えっ、いいの?と顔が明るくなる。吉田も高校生だ。高校にもなれば、家族と過ごすより友達との時間をに裂けたいとおも思うようになる。
 やったぁ、とはしゃぐ反面、そこまで信頼があったとは吉田もちょっと思わなかった。そりゃまあ、大した悪さもしてこなかったけど。逆にそこまで素行の善さも無かったと思うが。
 正確な日にちを教えて貰い、吉田はその日のプランを練り始める。別に友達とのお泊りが初めてという訳でもないが、何せ完全に自分達だけ、というのが気持ちを盛り上げる。
 さてどうしようかな、とさっきの仏頂面から一転、喜色を浮かべ、自室に入った吉田はベッドでごろごろしながらその日を思う。
 クラスが別になって、あまり会えなくなってしまった井上と高橋を招いて、パジャマパーティーなんて良いかもしれない。でも、2人とも彼氏(と彼氏っぽい人)が居るのだし、予定は埋まってるかも、とちょっと寂しく思う。それでも、友達がそういう人と出会えた事は素直に祝える。……高橋のは、若干諸手を上げての歓迎が出来ないが。
「…………」
 吉田はちょっと考え、少し物思いに耽り、ちょっとの間をおいてそうしよう、と決めた。


「え、いいのか!?」
 と聞き返す佐藤は、いつになくテンションが高かった。舞い上がっているとでも言うか。
 両親が泊りでデートに行くと言うその日程、誰を家に招こうと思った吉田の脳裏に、佐藤の顔が浮かんだのだ。もっと言えば、「新しいパジャマの吉田が見たいなv」と言った佐藤の姿が。佐藤が自分の家に泊りに来てくれるのなら、見せる事が出来る。まあ、自分が佐藤の家に泊りに行っても同じだが。
 けれど自分は家の留守を任されたのだ。その家を空けて他の場所に泊まるという事は吉田としては出来ない。
 それにしても、と佐藤は言う。
「泊りでデートなんて、吉田のご両親は相変わらず仲が良いな」
「うーん……まあ、父ちゃんが珍しく連休取れたからだな」
 今となっては自分にも好きな人が出来た吉田にとって、その人と会えない時間が辛いものだというのは、それこそ身を以て知っている。それを埋める為の手助けなら、何だってしてやりたい。何だかんだで、母親の事が好きなのだし。父親も。
「なあ、吉田」
 呼ばれて、佐藤を振り向く。そうしたら、とても優しげな微笑に、吉田はうっとなった。素直に笑えない、という佐藤なのだが、こんなにも自然に笑っている。
「俺たちも、そういう事したいな」
「え?」
「お泊りデートv」
 にこっと笑いかけられ、さっきとはまた別にうう、と唸る。
 そんな日が来るかどうか解らないけど、吉田は来たら良いな、とそう思ってしまった。


 そしてその当日。朝一番から、両親は二人揃って出かけて行った。やっぱりというか、母親はこの前新調した服を着ている。
 じゃあね~と見送り、完全に行ったのを確かめてから、吉田は佐藤にメールを送った。出発時間は決まっていたけど、出て行った時にメールをした方が確実だし手っ取り早い。
 用件だけの簡単なメールに、同じく返事だけのメール。なのに、ほんのり甘い気持ちになれる。
 もうすぐ佐藤が来る、と吉田もちょっと浮かれたのだった。


 玄関のチャイムが鳴り、時間的に佐藤だろうと決めつけて吉田はパタパタと足音を立ててドアへと向かう。
 ガチャリを開ければ、やはり佐藤の顔。いらっしゃい、と出迎えた後、佐藤もふっ、と笑う。けれども。
「いきなりドアを開けるのは良くないぞ。ちゃんとインターホン越しに確認しないと」
 そんな注意を食らってしまった。確かに、ちょっと軽率だとは今になって思うけど。
「んー、でも、佐藤だと思ったから……」
 頬を掻きながら吉田はそう言う。
「……………」
「? 佐藤?」
 自分の方を見るだけで何も言おうとしない佐藤を、吉田が覗き込む。なんでもない、と言う佐藤に、吉田が「変な顔~」と嬉しそうに指さす。
 家に入って直後からこんな調子で大丈夫なんだろうか、と手で口元を隠しながら佐藤は少しだけ思った。


 昼食は、吉田が腕を振るうのだとこの日を迎える前から吉田は張り切っていた。
「オムライス作るから!」
 えっへん、と言い切る吉田は、予習の成果を確信しているようだった。それは楽しみだな、と佐藤も軽く返してやる。
「他に何か作る?」
「えーっと、あとはサラダとか……」
「じゃ、それ作るよ」
 材料を並べてくれたら適当に作る、と自然に横に並んで佐藤。え、う、と吉田が困惑したように目をくりくりさせているのは、佐藤の行動が吉田の予定に当てはまらない事だからだろう。
「佐藤は、ゆっくり休んで……」
「何もしないで居るより、吉田の傍に居た方が余程回復できるよ」
「…………」
 そう言われては、吉田も返す言葉は無い。じゃあ……と呟き、冷蔵庫から野菜を取り出す。
 それらをカットしながら、横で一生懸命にフライパンを揺する吉田を盗み見る。
 ホントに可愛いな、と佐藤はほっこりした気分になりながら、今度はレタスを洗った。


 そんな2人の共同制作の昼食を、やはり2人で談笑しながら平らげ、後片付けも勿論並んで済ました。そんな作業を一通りこなしながら、自分の横の佐藤が「入り婿したらこんな感じかな~」なんて思っていたのを、吉田は気づかない。
 その後、特に何処へ行こうかというプランも無く、それこそ吉田が佐藤の部屋を訪れた時のように、だらだらして過ごした。ただ、吉田の家には佐藤の家のような溢れる蔵書の棚は無い。そこで代わりに取り出されたのは家庭用ゲーム機である。ゲーム機であるが、コントロールを手に全身を使ってプレイするタイプのものなので、母親のエクササイズにも一役買っている物だ。佐藤にプレイさせてみせたら、初めての癖たちどころにハイスコアを連発し始めた。何しても上手なんだな~とその様子をいっそほれぼれしながら眺める吉田。
 昼は吉田がメインとして作り、そして晩が佐藤が主体として作る段取りとなっていた。結局は、2人で一緒に作っているのだが。
 夕食は、鮭とキノコと栗のホイル焼き。白味噌で味を付けた。ここで味噌を使ったから、汁物はまき麩吸い物だ。最後に入れた三つ葉が匂い立たせる。
 美味しいねー、とむぐむぐと新米を頬張る吉田を独り占めして堪能し、別の意味でもお腹いっぱいになった佐藤であった。
 さて。
 ある意味、吉田にとってここからが執念場だとも言える。後、残すは風呂に就寝。どっちも、吉田がこなすにはハードルが高い。
「佐藤~、先にお風呂入って」
 風呂の準備が整った後、吉田が佐藤に声をかける。一応、招いた立場だし、佐藤は客人だし先に進めるのが筋ってもんだろう。
「うん。あ、まだ布団は出すなよ。俺が敷くからな」
「布団くらい、運べるって」
 例えば吉田が佐藤の部屋に泊まるのなら、佐藤の寝室にそのまま吉田が寝るのだろうが、逆だとそうはいかない。吉田の部屋のスペースでは、とてもこんな日本人体系以上の男が十分に寝そべられるスペースは無い。同じベットの上なんて、物理的に不可能だし。
 その為、客用の布団を居間で広げる必要があった。その用意も吉田がしようと思ったのだが、先に佐藤に釘を刺されてしまった。
 確かに、軽い物でもないけど運べない程でもないのに。そんな風に言われて、気遣ってくれていると嬉しく思うより不貞腐れてしまうのは、やはり佐藤と対等に居たいからだろう。完全に同じは無理だとは解っているけど、出来る事なら佐藤が寄りかかれる自分でありたい。自分が佐藤を心のどこかで頼りに思っているように。
 それでも、佐藤から「一人で出したらそこから一緒にお風呂なv」と言われてしまい、吉田としてはそれに従うしかない。佐藤の家の広い風呂場ならともかく、自分の家みたいなほどほどの広さだと、かなりの密着を強いられてしまう。想像だけで沸騰しそうだ。
 結局、佐藤の入浴中、吉田は時間を持て余しただけだった。いつも見ているバラエティ番組を、ただ凡庸と眺めていただけで。
 そして風呂から上がった佐藤と入れ違いで吉田も湯船に浸かる。敷かない事は約束したが、佐藤に客用の布団がどこにあるか解る筈も無いので、一式はすでに居間に出して置いた。
 最近は、朝晩の冷え込みが強いので、吉田もしっかり温まる事にした。でも、あまり風呂が長いと佐藤と一緒の時間が減っちゃうし、とそう思ってしまった吉田は、それだけで真っ赤になった。
 いつもより髪も体も丁寧に洗った後、湯船から上がりバスタオルで体を拭く。
 そして手にしたパジャマを見て、吉田は言うべきかどうかを迷った。手にしているこれこそ、新しく買ったパジャマである。佐藤が見たい見たいと言っていた。
「……………」
 もとはと言えば、そう言った佐藤に見せてあげる為の、この泊まりの誘いだった。けれど、敢えて言うのもちょっとどうかな、と吉田は思い始める。だって、何だかいかにも褒めてと催促しているようで。
 そういうのはあまり好まない吉田だから、言わないでおこうとこの場でそんな結論を出した。


 そうして戻った居間は、布団が敷かれていていつもとは違った光景があった。すっかり場所を整えた佐藤は、まだちょっとしっとりしている髪している。濡れて、艶やかさが増しているようで蛍光灯の光を煌々と弾いている。
 戻った吉田の気配に、佐藤が振り返る。と、その顔がやおら灯りでもついたように、ぱっと輝いた。え、え?何?と吉田がちょっとだけ困惑していると、佐藤が言う。
「それ、新しいヤツ?」
「え、う、うん」
 なんで解ったんだろう、と思ったが、きっと佐藤の中でも強く記憶に残っていたに違いない。吉田の新しいパジャマが見たい、と。
 へー、と頷きながら佐藤は入口付近で立って居る吉田の、それこそ頭の上から爪先まで、じっくり視線を巡らす。明らかに見られている、という感じに、吉田は何だか居たたまれない。もう動いて良いのかな?とずっと立ちすくんだままなのも気になる。
「吉田、」
 と声を掛けられる。軽く腕を広げているから、おいで、という事なのだろう。
「…………」
 佐藤の意図はすぐに読み取る事は出来たけど、何せすぐに実行には移せない初心な吉田だ。ちょっとの間、躊躇するようにもじもじして、それから思い切ったように、ててて、と小走りで佐藤の元まで赴く。
 吉田が完全に佐藤の腕の中に入りきる前、佐藤の方から引き寄せてその腕の中に閉じ込めてしまう。
「可愛いね」
「………………」
「すっごく可愛い」
「……う~……」
 すり、と佐藤の顔が自分の髪にすり寄っているのが解り、さっきの風呂よりもよほど上せた心地になる。
 それこそ隙間ないくらい密着した状態から、ちょっとだけ体を離し、顔にかかる髪をそっとかき分けて自然な流れで唇を寄せる。思えば、今日、初めてのキスだ。時に意識もしてなかったけど、やはり招かれた立場で佐藤も色々思う所でもあるんだろうか。
 キスの最中にそんな事を考えていたからだろうか。終わった後、軽く鼻を抓まれる。
「ふぎゃ、」
「何か余所事考えてた?」
 からかうような、拗ねているような。きっとこの顔は、佐藤が普段は隠している素の顔だ。
 キスとは違う事ながら、結局は佐藤の事を考えていたのだから、こんな一方的な仕打ちはあんまりである。むむ、と顔を顰めた吉田は、仕返しに同じ事をしようと佐藤に手を伸ばす。
 と、その手を掴まれてしまい。
「っ、わぁ!」
 そのまま、佐藤の敷いた布団の上に横たわる。真横の、同じ視線になった佐藤に、何すんだ、という意味を込めてその顔を見たのだが、ひたすらに愛おしさを上乗せした佐藤の視線に中てられてしまい、何かを言う事も、目を逸らす事も出来ない。
「ホントに可愛いな……」
 佐藤の手を掴んでいた手が、優しく頭に回って髪を梳く。いつもより、ずっと丁寧に洗ったのだ。
「吉田が可愛すぎてどうにかなりそう」
「えー、」
 何言ってんだ、と思わず吉田は少し笑ってしまう。何だか、些細なことが可笑しい。これがいわゆる夜のテンションというやつか。単に、好きな人と一緒に居られて、吉田も最初から浮かれていたのかもしれない。
 いつもなら、帰らなくてはならない時間。別れる時間だけど、今はまだ、一緒に居る。
 寝転がったまま、吉田を引き寄せる佐藤。その中に抱きとめられて、吉田も幸せそうに息を吐く。
「んー……」
「? どうした?」
 胸に顔を摺り寄せ、そうしたら頭上から何か佐藤が考え込んでいるような声がした。いや別に、と誤魔化そうとする佐藤。
 怪しいなぁ、と疑いのまなざしで佐藤の顔を見るが、ただ綺麗な顔が待っているだけだった。吉田は何となく、佐藤の思って居る事とかは解るけど、本当に何となくなので詳細はさっぱり掴めない。そもそも、全てが御見通し、という訳でもない。
(……さすがに、親のいない隙を狙って、っていうのもなぁ……)
 だから、佐藤がそんな風に、吉田との初めてを慎重に段取りしていた、なんて事は、吉田にはまず気付けっこない事なのだった。





<END>

*次の日の朝の光景とか書くかもです*^^*