現在渡仏中の艶子より、時期的に結果としてお中元みたくなった宅配物が届いた。
 その中を区分すると、まず割れ物。他はびん詰と乾燥豆。そして真空パックされた鶏肉らしきものが発砲スチロールの包みに梱包されて送られて来た。
 吉田はまず、割れ物扱いの陶器の器を取りだした。少なくとも、吉田が生まれて初めて見る形である。
「ん〜〜お鍋かな? それともココット皿?」
 そのままオーブンに入れて焼き上げられるココット器は、この家でも大活躍だ。例えばオニオンスープの時なんかに。
「いや、それはカソールだろうな」
 かそーる?と明らかに解ってない発音で吉田が言う。
「カスレを作る為の物で……あ、まだ食べた事無いか?」
 佐藤の問いかけに、吉田はうん、と頷いた。
「とても簡単に言えば、豆と肉を煮込んでオーブンで焼き上げた料理の事だよ」
 料理の説明をして見せた後、即座に吉田が「美味しいのかな?」という無邪気な顔を覗かせる。こうして親元を離れて暮らすようになってから久しいが、吉田のこう言う所は昔から変わらない。綺麗な所が綺麗なまま、ピカピカしている。
 それをこんなに近くに見られる事を、佐藤は光栄に、そして幸福に思う。


 この料理の主な食材は豆と肉。最も他にも野菜も入れるが、それでも主張しなければならないのは主役は豆なのだと言う事だ。
 そして豆は豆でもいんげん豆。専門の売り場に行くと色んな種類があるが、大福豆が向いていると言われている。最も、今回に限っては艶子が同封してくれたタルベという品種の豆を使う。その豆はカスレといえば即座に繋がる地方、トゥールーズの地元品種である。カスレが有名な地域の豆を使うのだから、外れは無い。
 ちなみにカスレを誇る地区は他にもある。その中でも艶子が贈ってきたトゥールーズの地方のカスレは名物であるトゥールーズソーセージ、鴨か鵞鳥のコンフェをいれたものが定番となっている。真空パックにされてきた肉が、鴨のコンフェだ。
 カスレを知らないという吉田の為に、その場で作る事を提言する。吉田はすぐに頷いてくれた。けれど、ちょっと申し訳ないのがすぐに作って食べられる物では無いという事だ。まず、豆を一晩水につけておかなければならない。
 吉田はまだ未知なる料理に心を馳せながら、寝る前にもう一度水に浸かったインゲン豆を拝んで就寝に着いた。


 今日のディナーはカスレと決まっている。そしてそれを、午前中から取りかかる。
 炒めるべき素材を炒めた後、豆をじっくりと煮込む。1時間は煮込みたい。そしてその後、また一晩寝かせたい所だが、すぐ横で目を輝かせている吉田の為、今回はその手間は省く事としよう。佐藤は煮込む時間を2時間とした。
「時間が掛るんだな〜」
 関心したように吉田が言う。この後は、煮込んだ豆を例の器に入れて焼き上げるのだが、それもまた、1時間は掛る。
 でもその分美味しいよな!と吉田は今からその美味しさを味わっている様な顔になる。吉田のみならず、佐藤も完成が楽しみになってきた。
 鍋で豆を煮る傍ら、昼食である。夜がフレンチとなるので、和風のチャーハンと澄まし汁にした。青ジソと梅干とジャコが具のチャーハンで、汁には三つ葉と麩を入れた。むぎゅむぎゅ、と吉田が食感を楽しむように麩を頬張る。
 カスレは時間の掛る料理だが、時間が掛るだけの料理とも言える。時間はかかるがつきっきりの手間はいらず、その間は他の事も出来る。他の事をしていても、勝手に料理が出来ているという点では、便利な料理でもあった。まあ、ほっといても良いとは言うが、火を使うので当然その元には気をつけないといけないが。
 豆を煮る間は、映画を観賞する時間に当てた。幸い、吉田と映画の趣味はそんなには違わない。なので高校生の時は、映画を見に行ったり、DVDを借りたりしたものだ。
 週末、吉田を家に招いては、同棲のような部屋デートをして、帰ってしまった後は自分の部屋の無機質さを感じたものだ。吉田は自分に明かりと温もりを与える灯のような存在なのだと、改めて思い知らされた。
 一緒に暮らしている今だって、逐一実感している。
 こんな風に、隣で当たり前のようにソファに座って居る所とか。


 映画を見ている時、画面に集中する事もあるが、大半はおしゃべりをしながらの観賞である。映画館とは違う気楽さがそこにはある。
 吉田の話す他愛のない話に、佐藤は頷き、するすると頭に記憶していく。一緒に暮らして、過ごす時間は以前より増えたが、それで満足という気にはなれない。これ以上何をどうしろと自分にも言いたいが、こうして休日に過ごすのと比べると、平日の慌ただしさは否めない。
 もっと、ゆっくり佐藤は吉田と過ごしたいのだけど。幸せが駆け足で過ぎて言ったら勿体ない。


「わー、美味しそう!!」
 作ろうと決めてから丸一日。吉田はようやく、カスレを目の当たりにする事が出来た。
「何か、グラタンぽい?」
「まあ、作り方だけはな」
 最後にパン粉を上に散らし、焦げ目を作るのでそこだけは確かにグラタンであろう。
 口に合えばいいんだけど、と佐藤は最後のダメ押しの様に言う。何せ郷土色の強い料理である。合う合わないが顕著に出るだろう。
 けれど吉田は、こんなに美味しそうな匂いをしているのだから、美味しいに決まっている、と言い張る。何より佐藤が一生懸命作ってくれたものが不味い筈がないのである。それは過去の経験が証明している。
 カスレが主役の今日の夕食は、カスレの他にはフルーツサラダとカットしたバケットだけだ。カスレ自体がかなりのボリュームなので、これだけで十分なのである。それに甘いもの好きな吉田の為に、デザートの余地も考えて。
 オーブンから出した時、沸騰するマグマのようにぐつぐつ言っていたカスレは、テーブルに移動してもその熱を抱き続ける。吉田もその熱さと懸命に闘い、出来たてを味わおうとしていた。
「熱、熱っ、」
「舌、火傷するなよ」
 いつだって可愛い吉田の食事風景を眺めながら、佐藤はそっと忠告してやる。
 はふほふ、と辛うじて口に入れる事が出来た吉田。熱さに耐える為に、ぎゅっと瞑る目が愛しい。
「ん、美味しい〜〜〜!!」
 味わってからの讃辞に、佐藤もようやく胸を撫で下ろす。そして、自分も手を付けた。正直言って、作るのは初めてだったが、大きな失敗は無く出来たと思う。まあ、この料理に失敗はある意味あるかもしれない。その代わり、星の数ほどのアレンジが存在する。言ってみれば各家庭に1つづつレシピがあるようなもので。
 そして当然ながら、皆自分のものが一番と思っている。
 佐藤もそうだ。
 こうして、吉田と食べる物が一番に決まっている。


 デザートは吉田の好きなチョコレートのプリンだ。これにイチゴのソースを付けたのが特にお気に入りである。
 作るのを佐藤が頑張ってくれたから!という吉田の力強い主張により、佐藤は皿洗いの仕事を免除された。隙あらば一緒に居たい佐藤としては、微妙な所である。一緒に家事をしたいけど、自分を気遣ってくれる事も嬉しい。
 今日は後者の方を取り上げるとして、1人ゆったりとソファに腰を降ろした。その目は当然、小さい体躯で家事をこなしている吉田に向いている。エプロン姿はやっぱりいいなぁ、なんて思いつつ。
 と、そんな時に携帯が鳴る。メールの着信音。見れば、艶子からだった。
 しかし、何となく腑に落ちない。カスレを半分くらい食べた時、吉田があっと思い立って作った物を写メールで艶子に送ったのだ。思い立ったというより、そうしようと決めていたらしいのだが、目の前に料理を出されてそんな考えは頭から飛び出てしまったようだ。思い出せただけ、吉田の成長としておこう。
 こうしてメールを送るくらいなのだから、吉田からのメールにだって気付いて居る。一体何故自分に?と怪訝に思いながらもメールを開いた。そこには、こんな文面。

『喜んで貰えたかしら?』

 何とも素っ気ない文面だ。電報にすら匹敵する。
 けれど、その文面で、艶子が昨日、本当は何を贈ってきたのかが佐藤には完全に把握できた。
 知らない料理に想いを馳せる吉田も、そんな吉田に自分の手で作ってあげれられる事。昨日からの充実感が胸に過ぎる。
 佐藤は少し考え、「まあな」と艶子以下の文面のメールで送った。これで通じる相手だから良い。
 キッチンに目を戻せば、皿を洗い終えた吉田が最後に手を洗っているのが見えた。
 この後、手を拭いてこっちにやってきた吉田を抱き留め、労いの言葉と一緒に手の甲にキスをしてやろう。
 そんな計画を瞬時に練り、佐藤はすぐ後のその瞬間を、わくわくと心待ちにしたのだった。



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