艶子という人物はとにかく突然なのである。思えば、自己紹介の時からすでにそうであった。何もあの場面で無くても良かっただろうに。
 まあ、それはともかく。
 吉田宛てに自分の家に宅配を送ったという連絡が来たのは、風呂を上がった後。直接の贈り先に届けない所に他の人は疑問を持つかもしれないだろうが、自分達の場合はこれで正しい。吉田を呼び出す絶好の理由になる。
 こういう事をしてくれる辺り、艶子は自分と吉田との事を応援してくれているのだろうが、反面ここまでしてるんだから上手くいななかったらタダじゃ済まない、みたいな所もひしひしと感じる。
 まあ、最終的な結果はともかく、今は目先の欲に駆られて早速吉田にメールを入れよう。極端な夜更かしでもなければ決して早寝の達でも無い吉田なら、今の時間ならまだ起きているだろう。
 用件のみを打ち、送信。絵文字も何も無いメールは、恋人に送るものとして素っ気ないのだろうか、と送り度に頭の片隅で思う。けれど、吉田も似た様な感じなので、まあいいか、とシャボン玉のようにあっさり消える。他がどうかなんて、一般がどうかなんて、どうでも良い。
 自分達が自分達の良いように、関係を作れば良いのだ。


 さて、その週末。
 おじゃまします!とその時だけ佐藤の家の玄関にはパッと明かりが灯った様になる。今日も吉田は可愛かった。昨日も可愛いし、だから明日も可愛いのだろう。出来ればその全部を見て収めたいくらいなのだが、思うだけに留めておく。
「艶子さんからの贈物って、何?」
「残念だけど、菓子じゃないみたいだぞ」
「……別にお菓子目当てで来た訳じゃないし!」
 目を輝かせて問いかける吉田に、そう言い返す佐藤。吉田は噛みつく様に反論するが、一瞬の間が開いた事を佐藤は勿論見抜いた。
「あいつ、今京都なんだって」
 京都、と吉田は自分に確認するように言っていた。てっきり、外国からと思っていたのだが。
「海外からの客人案内の為に行ってるんだってよ」
 大変だな、とあまり大変でなさそうに言う佐藤であった。
「ふーん、だったら着物でも着てるのかな〜」
 艶子は日本人とはかけ離れた髪質や体躯の持ち主だが、不思議に着物姿が良く似合った。あの金の細波のような髪をアップにすれば、幻想的な仕上がりになるのではないか。
「俺は吉田の着物姿の方が見たいよ」
 しれっとそう言い、吉田の顔を赤くするだけして、佐藤は昨日届いた荷物を取りだす。
 吉田宛ての手紙もあったので、それを手渡す。わーい、と喜ぶ吉田。艶子は滅多に会えないので、喜びも一入だろう。
「何か、良い匂いする!」
 手にした途端、ふわりと香る手紙に、吉田が驚きと同時に感動を浮かべる。
「ああ、香でも焚いたかな」
 あるいは入っているのかも、と吉田に言う。佐藤からペーパーナイフを借り、いつになく丁寧に丁寧に開いて中の手紙を取り出す。封筒の中には、佐藤が言った通り、何か小さい紙がころんと出てきた。これが香りの正体である。手毬の形をしていた。
 艶子の手紙には、自分の近況、佐藤との事を気遣う優しい言葉等が並んでいて、吉田は今ここで艶子に会えないのが寂しく思う程、ほっこりした気持ちに包まれた。自分も手紙を出したい所だが、艶子は何やら地味に忙しいようで、自宅に手紙を出した所で彼女がそれを見るのが届いた初日とも限らないのだ。勿論、今はメールという便利な物があるが、こうして手紙の良さに改めて触れると、自分も出してみたい所だ。
 その辺りの問題はさておき、艶子の手紙には宅配物の説明もついていた。
「へー、天然素材で出来た石鹸だって」
 合成着色料、香料、合成保存料、凝固剤、乳化剤、アルコールなどを一切含んでいないそうだ。
「これって、食べても大丈夫かな?」
 純粋な好奇心で佐藤に言う吉田。
 しかし、佐藤は。
「……吉田……そんなにお腹空いてるならお菓子があるから、石鹸なんか食べなくても」
「そーゆー風に訊いたんじゃないのッ!!!」
 佐藤に再三怒鳴りながらも、そんなに自分は意地汚く見えるのだろうか、とちょっと自己嫌悪しちゃう吉田だった。


 で。
 そうやって怒ったからお菓子を食べないかと言えば勿論そうではなく、しっかりもぐもぐ冷やし白玉ぜんざいを食べてから、吉田は。
 お風呂に入っていた。
 う〜ん、何でかな〜と思うが、確かに今日は梅雨の名残りの湿気でとても蒸し暑かったし、ちょっと肌もべた付いてるようだったし、艶子のくれた天然素材の石鹸はすぐに試したいし……とあれこれ考えている間でも、吉田の身体はゆっくりたっぷり、佐藤の家の浴槽に浸かっている。
 勿論、というか佐藤と一緒に。
 そしてたっぷり洗われた後だったりするのだ。沢山泡立ててから洗うのが良いんだよ、と言いながら佐藤は吉田の身体をピカピカにした。吉田としては、湯船に入っているより、余程逆上せてしまいそうだった。
 けれども、佐藤の手がとても丁寧に洗ってくれるから、そこは気持ち良くて良かったのだが。癖の強いこの髪だって、佐藤はまるで傷でもつけないように、と丁重に扱った。そんな柔な髪質でも無いのに、と吉田は居た堪れない。
「やっぱり、違う感じ?」
 佐藤が吉田に問いかける。自分で使うのはともかく、吉田が使うとなると佐藤はその原料選びからしっかり拘る。けれど艶子から贈られたものは、それらとはまた別種のものだ。吉田がこっちの方が具合が良いとなると、今度からそういう方向で選んで行こうと思う。
 佐藤の台詞に、吉田はことん、と首を傾げる。生憎、髪と同様、肌もそんなにデリケートとは言えない。佐藤に言われるまで、日焼けクリームの発想すら無かったが、全く問題も無かった。そもそも、何がどうなっているのが、良い状態なのかすらも解らない。
 だから、素直によく解んない、と返した。呆れられるかと思えば、吉田らしい、とでも言いたげな笑みを返された。馬鹿にされたのかそうでないのか、いまいち良く解らなくて吉田はやきもきしてしまう。
「てか、佐藤はどうなの? 自分の感じは」
 吉田はしっかり洗ったが、雑という訳でもないがさっさと自分のは済ませた佐藤である。吉田の勧めで、同じ石鹸を使った訳だが。
 佐藤は吉田の切り返しを思って無かったのか、あたかもさっきの吉田の様に視線をめぐらす。やがて出た言葉は「どうかな、解らない」であった。
「なんだ!佐藤も一緒じゃん!」
 それが何だか可笑しくて、あはは、と吉田は笑う。思いっきり笑われた佐藤だが、時にやり返すでもなく、そのままにしておく。
 吉田は一緒と笑うが、多分そうじゃない。吉田はまだ肌ケアに興味が持てないだけかもしれないが、佐藤は自分に凄く無関心なのだ。吉田との付き合いがなければ、本当に何もしなかったかもしれない。
 外のデートの時は、それなりに雑誌などをパラ見して、コーディネイトを整えるのだ。パラ見程度ながら、そのセンスは熟読した牧村を遥かに凌駕するのだが。
 ひとしきり笑った後の吉田は、上機嫌のまま浴槽の縁に肘を乗せて寛ぐ。その仕草を見て、少しぼーっとしてきたのかな、と佐藤は思った。
 長く浸かるには半身浴が良いのだが、吉田が裸体を晒すのをとても嫌う――というかその場から逃げだす程羞恥するので、胸元が隠れる程度には湯を張っている。最も、吉田の胸元が隠れるとなると、佐藤にとってはまさに半身浴状態だったりするが。
 いつまでも浸かって居たいが、そのせいで後の時間、吉田が逆上せてぐったりしていたのでは本末転倒も甚だしい。
 そろそろ出よう、と佐藤が言うと、吉田がいつもよりふんにゃりした笑顔で応えた。やはり、ちょっとばかりヤバいみたいだ。
 けれど、吉田から出ようと言わなかった辺り、吉田もずっと一緒にお風呂に入っていたのかな、と佐藤は甘い期待を抱いた。


 洗濯はしないで干しただけの衣服だったが、それだけ十分さっぱりした着心地になった。
 さっぱりすると、小腹が減る所である。けれど、今日は思いっきり食いしんぼう認定されているのが解ったから、強請るのは控えておこうかな……と思った傍、佐藤がフルーツジュレを持って部屋に戻ってきた。わーい、と思わず飛びついてしまう吉田。
 フルーツジュレと一緒にアイスココアを持って来てくれた。ちょっとチョコレート的なものが欲しかったから、アイスココアは嬉しい限りだ。嬉しいな〜とほくほくした顔で、アイスココアをストローで吸う。そんな風に、とても幸せそうに食べるから食いしんぼう認定されているのだが、吉田がその真実に気付くのはまだ遠いようだ。
 佐藤がこうして吉田にせっせとスイーツを振舞うのは、勿論食べている様子を見るのが好きだと言うのもあるが、最近吉田は満腹の方がいちゃいちゃしてくれる、という傾向に気付いたからである。勿論本人も気づいてはいないだろう。佐藤だって、見抜くのに大分掛った。
 いちゃいちゃしてくれる、というか、スキンシップに寛容になってくれる、というか。お腹一杯で機嫌が良いからかもしれない。食欲で気分が左右されるのは、何も吉田だけに限った問題でも無い。
 ぺろり、と吉田が口の中に含め切れなかったジュレを、舌で舐め取る。何の紅も引いて居ない吉田の唇は、何より佐藤を誘って止まない。
 堪らず、ちゅ、とその頬に口付けた。吉田はちょっと驚いて目を丸くしたが、咎めるでもなく文句を言うでも無く、むぅ、と少し剥れただけだった。これを可愛い表情と言わないで何と言おうか。食べ終わったのを見計らって、顔中にキスを降らす。くすぐったい、とじたばたしながらも、吉田は決して佐藤を押しのけようとはしなかった。まるで、子猫同士がじゃれるようにキスをする。
 そういえば、うっかり忘れかけていたが(失礼)艶子からの石鹸の効能は、いまいちまだ良く解らない。吉田の肌はいつだって、佐藤にとって心地よくて触りたいものなのだ。自分での判断は無理だな、と佐藤は早々に放棄した。
 一通り吉田を堪能して、今はおしゃべりを楽しんでいる。普段学校でもあれこれ話しているのに、どうして吉田とは会話が尽きないのかな、と取りとめのない事を思う。それどころか、足りないとすら思う。
 最も、話して居なくても、同じ空間に居るだけでとても満たされる。吉田が傍に居ると言うのは、佐藤にとっては何とも素晴らしい事なのだ。
 と、吉田が唐突に腕を摩る。寒いか?と尋ねるとそうじゃなくて、と吉田は首を振る。
「艶子さんからの石鹸、どんな具合かな〜て思って」
 さっき解らなかったから今解るというでもないだろうに、吉田としては友人の好意に報いたいようだ。何やら、ずれた努力のように思えるが、そんな所も微笑ましい。
 腕を摩ったり、頬をむにむにと撫で上げてみたり。猫が顔洗ってるみたい、とほのぼの眺めていた佐藤に、吉田がくりん、と向き直る。
「佐藤は? 解らなかった?」
 吉田にそう言われ、佐藤は一瞬ぱちくり、と瞬きをし。
 そして。
「……意外に大胆な事言うな」
 思わず、思ったままを口にしてしまった。あ、しまった、と佐藤が思う前、どう言う事?ときょとんとしていた吉田も、その意味に気付いたようだった。
 もはや言い訳のしようも無い様で、あーとかうーとか唸った後、わーん!と何故だか泣き声を上げてクッションに顔を埋めた。
 本当に、全く。
 つくづく可愛いヤツ、と佐藤はくすくす笑い、そんなに顔を押し付けたら窒息するよ、とまずは吉田の顔を上げさせる事にした。




<END>