生徒で溢れかえっている校舎だが、屋上へ足を向ける人は多くないようだ。なので、佐藤は吉田と余程2人きりになりたい時は屋上に向かう。
 オチケンの部室でもいいが、如何せんあそこは牧村や秋本が来る可能性もある。
 勿論連れだって向かう事は出来ないから、事前に一言約束をして別々に向かう。不便だが、こんな事が出来るのも今の内だけだと思うと楽しみにすり替えられる。
「んー、今日は良い天気だなー」
 天井と言う遮るものの無い空、見上げて吉田はのびのびと声を上げる。
 確かに、気温も落ちついて風も強くない。しかし佐藤はどちらかと言えば少々悪天候の方が良い。確実に他人が来る確率は減るし、何より寒かったのならそれを理由に吉田と密着出来るから。
 ちょっとだけ残念そうな佐藤には気付かず、吉田は今日の昼食を取り出す。それはいつものコンビニ飯ではなく、弁当箱だった。勿論手作りの。
「あれ、今日は弁当なんだ?」
 付き合ってから暫く昼を一緒にしていたが、吉田が手作りの物を持って来たのは初めてだった。これまでは、オニギリとかサンドイッチとか、買ったものばかりだった。
 まあ、この弁当の製作者は、吉田ではなくその母親なんだろうけども。
「うん。父ちゃんが弁当居るらしくて、そのついで」
 確かに1人分も2人分も作る手間は同じだし、1人分だけを作るのが却って面倒な事もある。吉田はそのおこぼれをもらったようだ。
 何かな〜と吉田はそれでも嬉しそうに蓋をあける。
 2分割された弁当箱内は、片方がご飯、片方がおかずで埋まっている。卵焼き、唐揚げ、アスパラの牛肉巻き……等々という内容より、吉田の目を更に点にさせた物があった。
 ハートの桜でんぶ。愛妻弁当の定番で、この弁当に限ってはご丁寧に更にカリカリ小梅をハートに細工したものまで置かれている。あ、よく見たらアスパラの牛肉巻きの楊枝もハートだ!!!
「……”お父さん、お仕事頑張ってねv 愛してるわvvvv”」
 色んな意味で衝撃を受けて固まっている横から、抑揚のない声でそんなセリフが飛び込んできた。
「どうやら、間違えたみたいだな?」
 笑みを押し殺すような顔で、佐藤が言った。その手には、可愛い柄のメモ用紙。吉田は気付かなかったが、包みの中に入って居たのだろう。
 持った吉田か渡した母親か、はたまた父親か。誰かが間違えたのは確実で、誰が間違えていても微笑ましい(佐藤には)。
 父親の分がここにあると言う事は、自分の分は父親の元にあるのだろう。当たり前だが。
 今から違っていた、という連絡をしてもしょうがない。この場では、これを食べる事にしよう。
「………母ちゃん、こんな弁当作るんだな……」
 しかし箸をつけるのに若干覚悟の居る佇まいの弁当で、箸を手にした所で吉田の動きが止まる。見れば見る程、壮絶な弁当だ。
「んー、でも愛情たっぷり!って感じでいいじゃないか」
 横からひょっこり眺めている佐藤が、呑気に言う。
「たっぷり過ぎるよ……」
 やや疲れて吉田が言う。たっぷり過ぎて食べる前からお腹一杯なのだった。まあ、食べるけど。
 久しぶりの弁当だ。食べてる物は夜、家で食べているのと同じだというのに、昼間弁当として食べるとまた違った趣を感じた。特に、今日は気持ち良いくらいの晴天だし。
(ん、美味しv)
 卵焼きはどの時代だって母親の味が一番美味しいのだ。甘い味付けの卵焼きを、吉田は嬉々として食べる。
 ふと、横からの視線を感じてそっちを向くと、佐藤が吉田の弁当をじぃ、と眺めている。もしかしてずっと見ていたんだろうか。
「あ。食べる?」
 佐藤も毎日昼食は購入しているから、手作りの味が恋しくなったのかもしれない。他人の母親ではあるが、一応これはおふくろの味だし。
「いや、食べたいっていうか……俺も、結婚したらこーゆー弁当作って貰いたいかなーって」
「………はあ、ちょっと、何言ってんの!?」
 このハートが乱舞してるような弁当が欲しいなんて、本気で言ってるなら正気を疑いたい所だ。しかし残念ながらというか、佐藤は本気のようだ。じぃ、と弁当を見つめる視線がそう言っている。
(うぅぅ……母ちゃんに作り方とか訊いておくべきかな………)
 来るべく恐ろしい未来に備え、吉田がそんな事を思う。
「………………」
「? 佐藤?」
 不意に、不自然なくらい黙り込んだ佐藤に、吉田が声をかける。なんだか、その顔はさっきとは違い、思いつめたようなものになっている……と、思う。
「あ、いや………」
 佐藤は、半ば反射のようにはぐらかそうとしたが、見抜かれた後となってはそれは無意味だと、話し始めた。
「……いや、吉田ってもう結婚できる年齢なんだなって思って」
「……………は?」
 現在、日本の法律では男子は18歳、女子は16歳から婚姻が果たせる。高校一年生である吉田はその範囲内に収まっているが、それがこの場でどうだというのだろうか。
「だからさ」
 完全にきょとんとする吉田の前、佐藤はまだ言葉を続けていた。
「ここでいきなり18歳以上の男が吉田が好きだって出てきて、吉田もそいつの事が好きなら結婚出来ちゃうんだなって」
「……あの、何ていうか……何言ってんの?」
 悪意でも嘲笑でもなく、本当にそう言うしかなかった吉田だった。佐藤の頭の中で、何がどんな化学変化(?)でも起こしてそうなってしまったのか。
 佐藤も自分の言動の可笑しさには気付いているのか、自棄気味のように髪をがしがしと掻いた。
「ヘンな事を言ってるのは解ってるよ。……でも、可能性はあるんだな、っていうか……」
 確かに、この場で佐藤と吉田が法的に結ばれるよりも、佐藤の今言った杞憂の方が実現可能だ。
 でも。
 だからと言って。
「……そんなあてもない事、今心配してもしょうがないじゃん!」
 吉田が言う。
 要するに何だかんだ言って、佐藤はその内自分から吉田が離れて行く事を想定しているだけなのだ。勿論、相手の好意を疑っている訳ではない。でも、佐藤の心はもう傷だらけで、その上好きな人が自分から離れて行く衝撃には耐えられないからその前に、自ら離れようとしてしまう。そんな弱さと戦いながら、佐藤はこうして隣に居るのだ。
 全くバカだ、と思う。こんな佐藤は本当にバカで――それをどうにも出来ない自分が不甲斐ない。
 自分は器用な性質じゃないから、相手を先回りするような事は出来ない。不安をぶつけられたら、その度に否定するくらいしか出来ない。でも、途中でめげない自信は、ある。自分の気持ちはもう決まっている。
「まだなってない事に不安になっても、どうにもなんないんだから。ほら、予防注射だって、やるって言われた日から嫌だなーって思うよりも、やる直前になってから嫌だなーって思ってる方が心の負担も少ないしさ」
 例えまで持ち出して、佐藤を慰めようとする。その気持ちはありがたいのだが――
「……それじゃ、何だか吉田が他のヤツと結婚するのが確定みたいに聞こえるんだけど…………」
 ………………………………
「………………え。あれ。え」
 ひょる〜、と風が過ぎた後、吉田はよくよく自分の言動を省みる。
 確かにそう言われればそう聞こえなくもなかったような気がしなくも(どっちだ)
「い、いや! そうじゃなくて! あの、だからつまり……!!!」
 目を回してあわあわと慌てふためく吉田。格好つけて下手に例え何て言わなければ良かった。
 ぐるぐるし始めてた吉田の頭に、佐藤の掌がぽん、と乗る。
「うん、大丈夫。言いたい事は解ってるから」
「………………」
 そんなに優しく言われると、色んな意味で泣けて来る。うぅ、と吉田は俯いた。
「吉田は強いよな」
 佐藤が言う。
 こんな不安定で面倒くさい自分と付き合っていられるのだから、吉田の精神はかなりタフだ。そして、美しい。もしかしたら世界は、こんな彼女に相応しい相手を用意していて、出会う時を待っているのかもしれない。その前の一時を、自分が間借りして。
「……でも、今はそんなでもないけど」
 空手も止めちゃったし、と佐藤の呟きを取り違えた吉田が言う。あえてその間違いは訂正せず、佐藤は微笑むだけ。
 やがて、中断していた昼食の時間が動き出した。
「……お弁当、欲しい?」
 吉田が言いだす。ちょっと間を空けて、佐藤が言う。
「結婚後にね」
 きっと、約束には満たないやり取り。
 でも絶対忘れないだろう。真っ赤な顔の吉田を眺め、佐藤はそう思った。



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