久しぶりの外出デート。あまり意欲的に外で遊ぶ事が無いので、街に繰り出す度に新しい発見が多い。
 今日入ったカフェは、併設して個展を催せるスペースがあった。入口近くのフリーペーパーを見ると、この先半年分の予定がかかれている。今の期間は、七宝焼きのアクセサリの展示となっていた。勿論と言うか、購入可能となっている。
 食べ終わった後、吉田達はそのスペースに入った。カフェの方も、吉田の満足行く味だった。店の名前の入ったパフェが気になる所だが、デザートの入ったセットを頼んだのではさすがに入らない。また来たいね、と口頭だけの約束をした。
 アクセサリは、大きな木のテーブルに、素っ気ないくらいにぽん、と置かれていた。その分、手に取り易い親しみがある。
 ヘアゴム、ネックレス、ブレスレットやブローチと、アクセサリとしての種類は豊富だが、全てが花をモチーフにして作られている。四季を彩る全ての中が、ここで爛漫と咲いていた。
 吉田は普段はアクセサリの類はあまりつけない。キラキラと光りを反射するのは、あまり自分に似合わないようで、中々手が伸びないようだ。その点は佐藤も同意見である。どんな輝石や宝石より、吉田の方がずっと煌めいているのだから。
 そんな佐藤の人知れない意見はともかく、吉田の方は描いた絵のような素朴さに惹かれ、購入を決めたらしい。デザイン費を含まないアクセサリは、手作りの品であってもかなりリーズナブルになっている。材消費しか考えられていないのだろう。
「これにしよっかな」
 たっぷりと作品を鑑賞し、購入を決めて手を取ったそれは、小ぶりの花を数多く寄せ集めたブローチ。なるほど、吉田に良く似合う……と言いたい所だが。
「それ、買うの?」
「え? 似合わないかな?」
 佐藤の声は、止めておいた方が良い、みたいな含みが入っていた。コーディネイトに関しては、吉田は自分よりもむしろ佐藤に信頼を置いている。思わずブローチをまじまじと見返す吉田に、そうじゃなくて、と少し言いにくそうに。
「その花、紫陽花だろ?」
「へ? ……うん、そうだね」
 吉田もそうだと思って手に取ったのだ。あるいは違うのかも、と思って値札を見ると、そこには”アジサイ”の文字が。自分の見たては正しかったようだ。満足そうな吉田とは裏腹に、それが紫陽花だと確実になった事に、佐藤はいよいよ難しい顔になる。
 あのさ、と佐藤は切りだした。
「紫陽花って、恋人には贈っちゃいけない花なんだよな」
 そうなの?と目をぱちくり。吉田には初耳の事だった。
 でも確か、昔ガクの無い花は摘んではいけないと父親に教わった様な気がする。秋の頃、真っ赤な彼岸花が綺麗で持ち帰りたいと言った時、言われた事だ。吉田はそんな風に思っているが、実際はちょっと違う。
「ほら、紫陽花って地面の成分によって色が変わるだろ?」
 その辺りは吉田も知っている。リトマス試験紙と同じ現象だ。うん、と吉田が頷くのを待って、佐藤は続ける。
「だから、そういう色が変わるのって、心変わりの象徴みたいになってて」
「…………」
 そこまで言われ、ようやく吉田も理解が出来た。心変わり。つまり、他に好きな人が出来る、という事だ。
「なんだよ、紫陽花持ったくらいで、浮気するって言うの!?」
 そ、そうじゃないけど、と思わぬ吉田の剣幕にたじろぐ佐藤。
 何だか気の鎮まらない吉田の発言は留まる所を知らない。
「これ、買うからね! だって可愛いし! 絶対買う!」
 ぷんぷん、と一回りしてなんだか可愛く見える激怒した吉田に、佐藤は言うタイミングを誤ったかな、と吉田の後ろで頭を掻いていた。


 さて、そんな日の夜。
 吉田はとある本を引っ張り出し、目当ての項目を開く。そして、う、と言葉に詰まった。
 そこに書いてあるのは、移り気、浮気、冷酷、自慢家、あなたは冷たい、など。
 それらすべては、紫陽花の花言葉であった。佐藤の台詞からして、良い類ではないだろうな、と思ったがここまで酷いとは。
 けれど、その一方で一家団欒、家族愛、というものもある。前者のイメージは佐藤も言っていた、色が変わる=心変わりから、そして後者のは小さい花の群衆という所から取ったのだろう。
 そしてこれは日本の花言葉で、フランスになると、忍耐強い愛情、元気な女性、という意味も持つらしい。
 まあ、花言葉とか、占いに関するようなものには、完全な解答なんて存在しないのだ。誰かが提示したイメージに、自分の感性が沿えば受けいれば良いだけの事。そして、間違っても他人に強要するものではないと思うのだが。
(言われたら、気になっちゃうじゃん)
 元から買うつもりだったけど、佐藤に言われて何だか衝動買いのようになってしまった。
 確かに、ブローチは可愛い。ピンクの紫陽花と水色の紫陽花が仲良く並んだブローチである。実際の花のように、きちんと小さい花が1つ1つ集まって作られている。凝った作りで、そこも気に入ったのだ。
 あの後、きちんと和解までは言わなくても、帰る頃には普段の様に別れる事は出来た。こういう諍いは割と多い。諍いというより、佐藤のした事や言った事に、吉田がへそを曲げている、という表現の方が正しいか。
 紫陽花がそんな恋人にとって、縁起の悪いものだなんて知らなかった。ただ可愛いブローチでしかなくて、指摘されたのが何だか恥ずかしかったのだ。恋人としての自覚が足りない、と言われたみたいで。勿論、佐藤がそんなつもりで言ったのではないと、解っているのだけど。
「……………」
 怖い話しに過剰に反応する弊害か、吉田はこういうおまじない、というかジンクスの類も結構気にしてしまう。
 怖い話が載った本が、何やら禍々しいオーラでも放っている様に、紫陽花のブローチからも良くない空気が漂っている様に思えてきた。
 ううん、と吉田は悩む。けれど、決断するのは、割と早かった。


「ねえ、吉田」
 とあるお部屋デートの時。佐藤が不意に思った、という風に言う。何?と吉田は口に運ぶ途中だったフォークを止め、佐藤に向き直る。
「この前買ったブローチ、どうした?」
 付けて来ないの?と佐藤は言う。
 あれから何度かの週末を迎え、こうした部屋デートの時もあれば外出デートの時もあった。けれど、そのどれにもあのブローチは姿を見せなかったのだ。吉田の性格を思えば、次のデートの時に嬉々として付けて来ると思ったのだが。
 まさかあの不用意な一言で、吉田の気分を害してしまったのであれば、謝ってもう気にする事は無いと言いたい。吉田がうっかりしているというより、自分が無駄に知識が多いだけなのだ。折角、可愛いブローチにはしゃいでいたのに、水を差すような事を言うべきではなかったのだ。あれからずっと、佐藤は人知れず反省していた。
 佐藤に尋ねられ、吉田は大好きなチョコレートケーキを止めて黙り込む。しまった、また余計な事を言ったか、と佐藤が少し慌てていると。
「……母ちゃんにあげた」
「へ?」
 佐藤の範疇には無かった返事に、優等生の顔らしからぬ間抜けな声が出た。吉田はちょっと俯き、もう一度「母ちゃんにあげた」と呟く様に言った。
「えっと、だって、何だか花言葉に家族愛とか元気な女性とかあったし、だったら母ちゃんが持ってる方がいいなーって思って」
 別に上げても可笑しい事じゃないしー、と吉田はここでチョコレートケーキをぱくぱく。味が解って食べているのか、というよな食べ方である。
「………」
 佐藤は、声も無く立ちあがり、机の辺りでごそごぞとやっている。吉田は、そんな佐藤の行動も気にならないくらい、自分の考えに真っ赤になっていた。買う時はあんなに突っぱねていたのに、やっぱり浮気の象徴みたいなのは持ちたくなくなった、だなんて。
 自分勝手にも程がある、と吉田は羞恥で頭の中がぐるぐるしていた。いつかは言われる事だと覚悟はしていたが、やはりいざ言われるとうろたえてしまう。気付けば、知らない間にチョコレートケーキが殆ど無くなっているし。
 気付いた後の残りはせめて味わった食べよう……ともぐもぐしていたら、何かしていた佐藤が戻ってきた。何してたんだろ、とここでようやく吉田は思った。
「吉田、これ」
 手渡された、紙袋。しかし、吉田は見覚えがあった。
 まさか、と思ってその袋からころりと掌に転がせたのは、七宝焼きの髪飾りだった。間違いなく、紫陽花のブローチがあったのと同じ所で売っていたものだ。それが入っていた紙袋を吉田はまだ覚えている。
 これ、と吉田が表情だけで佐藤に訴えると、佐藤はやや照れ臭そうに頬を掻いていた。
「吉田に似合うと思って。何かの隙にあげようと思って買った」
「隙に、て」
 とても贈物をする台詞とは思えない、と吉田はなんだか笑ってしまう。
 隙と言えば、一体いつの間に買ったのだろうか。そりゃ、常にべったりくっついていた訳でも無いが。
 佐藤の方が余程隙が無い。いや、抜け目ないとでも言おうか。
「……じゃあ、こっちを勧めてくれたら良かったじゃん」
 佐藤がこっちが良い、と言えば吉田は素直に聞いたのだ。それで終わった話だ。
 いや、そうなんだけど、と佐藤。
「やっぱり紫陽花が気になっちゃって。吉田は浮気なんてしないと思ってるけど」
 それに贈りたかったから、と続ける。その場で勧めたのであれば、吉田が購入してしまうだろうし。
 吉田は掌の髪飾りを、じっと見た。とても大事そうに。
「綺麗だな〜……これ、何の花だっけ?」
 濃いピンクをした、上を向く花弁の重なった美しい花だ。多分見た事があるのだろうが、吉田はすぐには出て来ない。
「蓮の花だよ」
 佐藤に言われ、ああ、と頷く。花の名前が解り、一層興味深けに髪飾りを見つめる吉田。
 吉田は気に入ってくれたようだ。佐藤も、嬉しそうに吉田を眺める。
 と、佐藤の手がそっと髪飾りを摘む。そして、とても丁寧な手つきで、吉田の前髪を横に留めた。
「うん、似合う。可愛い」
 間近の佐藤に微笑みかけられながらそう言われ、吉田の頬がぽっと灯ったように染まる。
「ホントに、可愛い……」
 噛み締めるように、心に沁み入る様に。一層大切に呟かれた音に、吉田はいよいよ赤くなり、視線が俯いてしまう。真っすぐな行為を一身に浴びるのは、まだ慣れない。付き合いだしてからを思うと、こうなるともはや慣れる慣れないでは無く、吉田としての性質かもしれないが。そんな初心な吉田が、佐藤はとても大好きで、大切なのだ。
 吉田の視界から外れた事で、佐藤は好き勝手に動き始める。まずは、こめかみにちゅっとキス。その音に驚いて顔を上げた所で、唇を重ねた。ずるいやり方、と吉田は口を塞がれ胸中だけで思った。
 深くはならず、唇の柔らかさを堪能する様な口付けが終わり、それだけのキスでも吉田は息が上がってしまう。
 うう、と呻く吉田に、佐藤が言う。
「蓮の花って、泥の上で咲くんだよ」
「? へー、そうなんだ」
 何だか急な説明だが、知識が増えるのは楽しい。と、いうか、佐藤から語られる事だからだろう。同じ事を教師から言われても、転寝を誘発するくらいだ。
 少し目をぱちくりさせ、感心したように言う吉田に、うん、そう、と佐藤も頷く。きっと吉田は、その花と自分を重ねられているとは思っても無いのだろう。
 まあ、敢えて知らせなくても良い事だ。今日のデートを堪能しよう。さっき勢いに任せてチョコレートケーキを味も解らず食べてしまったようだから、クッキーでも持ってこようか。佐藤は吉田との楽しいひと時を過ごすプランを、次から次へと湧き起こす。

 まるで泥の中の様に退屈な世界。
 その中で、綺麗に咲いた花は、佐藤にとってまさに吉田なのだった。




<END>