映画を見に行こう、と決めた所で、レイトショーで行ったみたい、と言い出したのは吉田の方だ。佐藤も吉田も、部屋でまったり過ごすのが一番好き、というタイプなので、夜遊び、というか深夜の外出は殆ど無い。
 それと、やはり高校からの付き合いなので、日中での遊びが身についてしまっているのかもしれない。高校の3年間より、その後の方がずっと長いのだけども、やはり初めの印象は拭いづらいものである。夜は家に帰るもの、と何となく自分の中で決められてしまっている。
 まあ、要するに吉田は(そして佐藤も)夜に映画に行った事がまだない、という訳で、だからしてみたい、という話だ。
 やった事のない事をする、という期待に、吉田の目はまるで公園で遊ぶ子供の様にキラキラしている。高校での再会以前、小学の時にも見た、宝石よりも眩い煌めきだ。遠巻きに見ていた時でも、それはとても綺麗な印象を佐藤に残していた。それが今はこんなに近くで見られる喜びに、佐藤はひっそりと浸る。
 そして、その日にと決めた当日。郊外のショッピングモールに内装されているシネコンへと、2人は向かう。
「やっぱり、学生さんは少ないねー」
 ざっと中を見渡し、吉田が言う。普段は昼下がり付近に来るので、制服姿もちらほらと見受けれるのだった。
 今はまだ宵の口ではあるが、映画を見終わる頃には深夜に差し掛かるだろう。学生以上に、子供連れの方が見られない。
 手続きやらの席指定は、すでに佐藤がネットにて済ませてある。それでも、ポップコーンやらの軽食を売る売り場が混んでいるかもと気持ち早めの到着になる様出発をした。しかし、先述したように、客層がかなり絞られる時間帯では、その配慮は意味をなさなかったようだ。佐藤も、この時間帯に訪れるのは初めてで、読みが浅かった。
 まあ、時間が余ったら、余ったで、ここはテナントが100に届くかというショッピングモールだ。今の時間、閉店してしまった所も多いが、映画客を見込んで営業を続けている所もある。
 ここなんて、その最たるものだろう、とシネコンに最も近い場所に在る、ゲームセンターを佐藤は横目に見た。
 と、その時。佐藤が気を引く物を見つける。
「どこ行こうか。本屋さんは開いてるみたい」
 案内板を見ながら、吉田が言う。その吉田の言葉も聞えていたが、佐藤としては。
「なあ、吉田」
「ん?」
「プリクラ、撮ろう?」
 プリクラ。
 主に女子高校生が盛んに活用する、シール状の写真を画面上で作成する機械の略称である。
 なんて、ナレーションじみた音声が吉田の頭の中に流れた。
「え、プリクラって……え、えっ!!?!??」
 それを自分が、というか自分たちがするという発想が吉田の中にまるで無かったのか、心底驚愕しているようだ。佐藤は、そんな反応も解りきった事、とばかりにうろたえているのを良い事に、腕を引っ張ってプリクラが乱立するコーナーへと向かう。
 普段は若い女子で賑わう場所だろうが、ターゲット層が薄いこの時間では奥まった場所にある事もあり、実にひっそりしている。それでも、自分達の様な恋人同士が戯れに撮っているようだ。1つの使用中のそれには、男性と女性の足が見える。
「へ〜、こんなに色々あるんだな」
 周りをプリクラで取り囲む一角に入り、看板代わりの様に垂れ幕に自らの機器の特徴を謳っている。肌が綺麗になる、目を大きく見せる、フレームの数が豊富。まさに、目移りしそうだ。
「ホントだ〜……って、ホントにやるの!?」
 あわあわ、と四方をプリクラ機で囲まれ、吉田は泡を食った様だ。最も、これは単に慣れていないだけの姿だ。こういう所にデートで入った事は、数えるくらいしか無い。吉田が佐藤には合わないと避けたのだろうか。確かに、煩い音が犇めき合うこの空間は、佐藤にとってあまり好ましいものでも無い。吉田の声が聞こえづらいから。
 それでも、時折、UFOキャッチャーなのでぬいぐるみを取ったり、お菓子を取ったりして、吉田の喜ぶ姿を佐藤も楽しんでいたが。プリクラだって、これが初めてではない。けれど、あくまでその程度だ。
 えー、とか、でもー、とか、凄まじく乗り気では無い吉田を余所に、佐藤はさっさと選んで幕で覆われた中へと入ってしまう。その佐藤に腕を掴まれている吉田も、勿論。
「へー、割と広いな」
 そして明るい、と佐藤は思った。外のゲームセンター内より、ここの空間の方がとても明るい。
 吉田は、入ってしまった事で腹も決まったのか、もう抵抗の意思はないようだ。ただ単に、目の前の機具に興味がある、という感じかもしれないが。
 基本的な事は、かつて自分達の学生時代にあったものと同じだ。ただ、オプションがこれでもかというくらい増えている。横には、おそらくゲームセンターのスタックが作ったらしき、機能の一覧表みたいなものがある。明度の違いで肌の色を変えるのはともかく、目の大きさが変わるとか、髪型が変わるとか、もはや修正であろう。何の意味が?と思わず首を傾げる吉田だった。
「じゃ、やろうか」
 吉田の返事も待たず、佐藤が小銭を投入する。すぐさま、手順説明の音声が流れ、吉田の緊張がまたぶり返したようだ。目を丸く開いて、かちこちになっている。
 何をそんなに畏まっているのか、とそれでも身を固くする吉田を可愛く思う。
「カメラ、あそこだって。ほら、ポーズ取ろう」
「ポーズって……わ、あぁぁ!!」
 どんな格好と顔で撮ればいいの、と目を泳がす吉田の肩を、佐藤が優しく抱く。
 撮影の為のカウントダウンが始まった。その音声に合わせて、また吉田が目を回す。パシャッと音のみのシャッター音が狭い空間に響く。
 同時に、終わった〜と身体を弛緩させる吉田だが、それは甘い。甘過ぎるってものだ。
 次に佐藤は、吉田をぎゅっと抱き上げる。足が宙ぶらりんになり、吉田がぎょっと目を丸くした。そこでまた、パシャリ。抱きあげられた事に驚いている間に、次のカウントダウンが始まっていたようだ。
「ちょ、ちょっと佐藤っ……! !!!?!??」
 降ろして、と言おうとした時、頬に柔らかい感触。
 キスされた、という吉田の認識と同時に、またシャッター音が響いた。


「もー!なんてもの撮るんだよ! なんてもの!!」
「あれ、まだ怒ってたんだ」
「怒るよ! 怒るもんだろ!!」
 帰宅して、上着をハンガーに掛けた所、早速吉田が続きとばかりにぷりぷり怒りだした。
 吉田とのキスシーン(ほっぺた)含むプリクラに、佐藤はその仕上がりに大層ご満悦だったのだが、吉田としてはそんな自分たちの姿が形になって残るなんて、と顔を真っ赤にして、怒ったり恥ずかしがったり。
 今にも帰りだしそうな程憤怒しかけた吉田を、佐藤は映画が始まる、としれっと言い放ってシネコンの方へと引っ張って行った。
 顔を真っ赤にして、むーっと剥れる吉田であったが、期間限定のいちごミルクとキャラメルのハーフ&ハーフのポップコーンとアップルパイとココアをまぶしたチェロスを買い与えると、その態度がちょっとだけ和らいだ。これだから憎めない奴だ。最も、憎もうと思った事もないが。
 映画もコメディ仕様の楽しいもので、隣に居て佐藤は吉田が笑っているのを感じていた。
 これで済んだかと思ったが、そうは問屋が降ろさない様だ。
「よりによって、キ、キ……キス、とか」
 吉田はその単語を、とても言いづらいものとして言う。苦手とする英語より、余程。
 確かに、そこは佐藤もやり過ぎ、というかテンションが高くなってしまった為に、つい羽目を外してしまった訳だけども。
「だって、吉田とプリクラなんてあまり無い事だし。チャンスだ〜って思ってさ」
 あくまで佐藤は悪びれない。吉田だって、照れているだけで心底嫌がっている訳じゃないからだ。こう言う時、表面上の台詞だけ受け取って謝罪なんてすると、もっと拗れる。あえてそれをしてみても良いが、今日はこれ以上は止めておこう。深夜だし。
「お風呂は?」
「後で入る!」
 つまり、一緒には入らないという事だ。う〜ん、ちょっとやりすぎたかな、と省みながらも、それでもポップなフレームで彩られた自分達のシールに悔いは無い佐藤である。


 全くもう!佐藤ってば!!と、寝室に戻っても吉田はぷんすかしていた。半分はポーズだけど、半分は割と怒っている。
 人前でキスをするのを好まない吉田にとって、キスシーン自体を人目に触れるような状態で残すのもあまり感激出来ない。まあ、佐藤も、簡単に人目につく所なんかに貼らないと思う……けども。
 鞄の中に、それでも大事に仕舞っておいたプリクラを取りだす。切り離したりせず、吉田が1シート全部持っている。
 そこに、自分の頬に唇を当てている佐藤の姿を見つけ、むむ、と眉間に皺を寄せる。
 とはいえ、吉田も。佐藤がここまではしゃいだ理由が解らないでも無い。
 高校時代、人目を阻むあまり、高校生らしいお付き合いがあまり出来なかった自分達だ。デートに出掛けたり、こうしてプリクラを撮ったり。
 それでも以前に1度だけ撮った事がある。あの時も、たまたま今日みたく人気の無い空間になっていて、ちょっとやってみたい、という好奇心が疼いた。丁度そのちょっと前、高橋達とプリクラを撮った後だったので、やり方もよく覚えていた。あの時は吉田が率先してパネル操作をしてプリクラを作ったのだ。
 出来上がった時、2人で同時に笑みを浮かべる。ハサミを入れるのが躊躇われたが、そうしないと分割は出来ない。佐藤が綺麗に切れ分けてくれたシールは、結局どこにも貼れないでいる。
 今も。
「…………」
 この家は広くて、吉田専用の部屋を割り当てる事も出来たが、吉田はそれを由とはしなかった。個別のスペースを貰っても、持て余すだけのような気もするし。
 それでも、吉田の私物を置くスペースはある。それはこの寝室内で収まってしまう程だ。吉田の持ち込んだ本は、佐藤の本棚に収まっている。
 吉田の私物の中から、綺麗な箱を取り出した。これには、思い出が詰まっている。佐藤との、これまでの大事な思い出。
 外出デートの時、行った喫茶店やカフェのカードや紙ナプキン。そして映画の半券。そういった数々の品が収まっている。
 高校生から続くこの習慣。だとしたら、結構な数や量になってしまうのではと思われるが、そもそも外に出るデート自体をあまりしないので、現在もなお収集出来る範囲に収まっている。だからこそ、吉田もやろうと思った訳だが。
 その中から、吉田はそっと慎重な手つきで取り出す。他でも無い、高校生の時、佐藤と初めて撮ったプリクラである。制服ではなく、私服で撮ったものだけど、高校生らしい感じが漂っている。
 一緒に成長しているから解り難いが、こうしてはっきり比べると、この時の佐藤と今の佐藤、印象が色々違って見える。今よりも、高校生の時分の佐藤はやはり頬に丸みがあって、ややあどけない。子供だという印象すら受ける。
 大人びたヤツだ、と吉田は常々思っていたが、こうしてみるとそうでもなかったかもしれない。可愛い、と思える。
 まあ、当時も今も、佐藤の事を可愛いと思う時がちょくちょくあるのだけど。
 それよりも、さしたる変化の無い自分の方が余程問題だ。これでも、結構色々頑張って来たのに!何も変わらないなんてどういう事だ!!
 向き場の無い怒りに、吉田はさっきと別の意味でもやもやしてきた。やはり、プリクラなんて撮るべきでは無かったかもしれない。
 でも、あの時、はしゃぐ佐藤を見て。
 撮るのは嫌だなんて、その笑顔に見惚れてしまった吉田には、出来る筈もない事なのだった。


 佐藤が風呂から上がったので、今度は吉田の入る番だ。佐藤は2人で入ると長風呂だが、1人だとむしろ早い。というか短い。シャワーしか浴びてないのでは、と疑う時もあった。ちゃんと温まってる?と吉田も何度尋ねた事か。
 吉田の方は、やはり2人だと長くはなるものの、1人で入る時もそれなりの時間を要する。髪や肌の手入れ云々の前に、単純に湯に浸かっている時間が長いのだ。程良い温度に浸かり、紅潮しながらふにゃりとしている吉田を見るのは佐藤の至福の時でもある。生憎今日は、お預けを食らってしまったが。
 寝室で1人、待ちぼうけしてるような佐藤は、不意に立ちあがり、小さい鍵を手にする。それは、一番上の引き出しを開ける鍵である。
 大抵は鍵が刺さったまま、活用される事の無い鍵つきの引き出したが、佐藤はちゃんと、というか鍵をかける習慣がある。吉田が越して来る前、1人暮らしだった時ですらも。
 きっと鍵をかけるというこの行為は、隠す為というよりも儀式なのだ。厳重に、大事に守り抜くという気概を蓄える為の。
 ここには佐藤にとっての大切なものばかりが収まっている。吉田の左薬指に嵌っている指輪も、彼女に渡る前にはこの引き出しの奥に入っていた。
 ここを開けるのは、おそらくその時以来だな、と佐藤は穏やかに笑みを浮かべて鍵を開けた。
 普段仕舞っているそこを開けたのは、そこに仕舞ってある物を取り出して眺めたくなったから。


 お互い、相手が風呂に入っている時、同じものを見て、同じ思い出に浸っていたと解るのは、時間の問題だった。