吉田の会社では、有給消化の為に月イチでの休みを推奨されている。なので吉田も、毎月どこかしらで休みを取っていた。
 それは佐藤と合わせる時もあるし、合わない時もある。合ったら合ったで、合わなかったら合わなかったで、吉田は割と充実した休みを過ごしている。
 次の有給はどう過ごそう。そんな事をつらつら考えていた吉田に、母親から電話が掛って来た。
『ねえ、次の休みとか暇?それなら、一緒にランチしない?』
 ここで母親の言う「次の休み」というのは吉田の有給日の事だ。何故なら、普通の休日なら母親は最愛の夫と過ごしているからである。
 ランチ?と目の前には居ない相手に、吉田はぱちくりと瞬きをした。そうよ、と母親は頷く。
『クーポン券貰ったのよ!これを持っていけば1000円でランチが食べれるんですって』
 その後、告げられたホテル名はその手の知識が深くも無い吉田でも十分知り得る有名な所だった。そんな場所のランチが1000円で頂けるとは、まさに美味しい話である。さらに聞けば、バイキングスタイルだそうだ。なるほど、それである程度安価になるのだろう。給仕による人件費がかからない分。
「でもそこ、美味しいの?」
 何せ初めて入る所なので、吉田は何も評判を知らない。けれど、それは向こうも同じ事らしい。
『解んないわよ。だから行くんじゃない』
「えー、毒見?」
『ま、失礼な。せめて味見って言いなさいな』
 どっちにしろ、自分は実験体なんじゃないか、と吉田はひっそりと胸中で呟いた。
 そこで美味しかったら、今度は自分の大事な人と行くのだろう。夫婦揃って。
 

 そして、当日。ホテルのレストランではあるが、ドレスコードとは特に関係無いらしい。それでも一応、友達との外食の時に着ていく様な出で立ちで、吉田は待ち合わせの場所へと向かう。
 母親と待ち合わせするなんて妙な感じだな。てくてく歩きながら、吉田はそんな事を思った。
 集合先に居た母親は、初めて見る服装ながらに既視感めいたものを覚えた。どこで見たような服装だろう、と思えば自分の入学式や卒業式に訪れた際の格好に良く似ていた。
「隆彦くん、元気?」
 割と久しぶりだと言うのに、娘の顔を見ての第一声がそれである。別に自分の心配をして貰いたかった訳でもないが、何故佐藤をまず気にかけるのか。そもそも、あっさり名前で呼んだりして、吉田としてはちょっとむ〜っとした気分になってしまう。
 まあ、それなら吉田も名前で呼べばよい、という話になるのだが、それはそれで、ちょっと。
「元気だよ。父ちゃんは?」
 吉田自身が大人になり、両親の健康が気になる年代である。それとなく尋ねてみたが、父親は元より、母親も状態は良好のようだ。最も、そうでなければ、自分とランチなんかもしないだろう。
 訪れた先のホテルは、さすがに名だたる有名な場所であるだけに、入口から豪奢な香りが漂ってくる。置かれてある装飾品にいちいち感嘆の声を上げながら、吉田達は13階のレストランのあるフロアへとエレベーターを上がる。
 着いてみれば、平日ながらも割と人で込み入っていた。大半が女性で、ざっと見た年齢層、子育てを終えたという頃か。吉田のような若い世代もちらほらと居る。同じように、有給を利用しているのだろう。
 人が多かったが、用意してある席も多かった。並んで時間を要する事無く、2人は座り心地の良い椅子に座る事が出来た。
 それじゃ取って来る!と席に着くなり早々、食事を取りに行った娘を、母親はその背中を愛しく眺める。全く変わって無いようで、でも確実に成長している姿。手を引かなければ満足にも歩けなかった頃が、まるで夢の中のように遠く感じる。
 プレートに相応の量を乗せて戻って来た吉田は、そのまま席には着かずに飲み物を持って来た。それも、2つ。自分と母親の分である。こういう事を、吉田は自然にやるのだ。
 母親が席の着くのを待って、吉田は食事に手をつけ始めた。バイキング形式の良い所は、料理が届くまでの待ち時間が無いのと、色んな種類を少量ずつ味わえる所だろう。全種類制覇を目論む吉田は少しを沢山乗せていた。食べ物を残してはいけない、と幼い頃から植え付けられているので、無謀な量に決して手を出さない。
 それから、2,3回お代りとして吉田のランチは終了した。さすがにメインの制覇は出来なかったが、デザート、というかスイーツは全種類を味わった。
「なかなか、美味しかったわね」
 レストランを出た後、上機嫌の母親が言う。1つ不満があるとすれば、アルコールが飲めなかった事だろうか。頼めない事も無かったのだが、別料金になってしまうのだ。
 しかし気になったのはそこだけのようで、母親は概ね満足をしたらしい。だが一方、吉田の方は。
「……………」
「あら、何。美味しくなかった?」
 顔に出ていたのか、沈黙としての態度で表してしまったのか、手放しで美味しいとは言えない心情をあっさり看破され、吉田は少し焦る。
「ま、不味いって訳じゃないけど……美味しかったよ、うん」
 一応は頷きながらも、吉田は違和感を隠せないでいた。
 美味しいと言えば、美味しいのだろう。けれども、そこはポイントが少々ずれた美味しさだった。ここ、という箇所に掠るだけに留まっている。
 いつもはそんな事ないのに。
 そう思った途端、頭や胸にあったもやもやがすっと消えた。気付けば、何でも無い事だった。
 エレベーター待ちで、ふと横を見れば母親がにやにやとした顔つきでこっちを見ている。顔は瓜二つなのに、身長は母親の方が高いのが小憎たらしい。
 なんだよぅ、と次に言われる台詞を、多分吉田は解っている。実際、口から出た母親の言葉は、十分吉田の予想内だった。
「隆彦くんの作る料理の方が美味しい?」
「―――んなっ!!」
 解っていたとは言え、絶句をしてしまう吉田。そんな娘を見て、ますます母親は楽しそうに、嬉しそうに揶揄する。
「そうよね〜隆彦くん、ただえさえ上手なのに、愛情たっぷり込められたら、そりゃどんなレストランの料理も叶わないわよね〜〜」
「そ、そこまで思って無いっっ!」
「て事は、ある程度までは思ってるって事ね」
「〜〜〜〜っ もぉ―――――ッ!!」
 何を言ってもからかいの材料にされるだけで、吉田は呻くだけである。自分を苛めて楽しそうな所は、血の繋がりも無いのに佐藤と母親はそっくりだ。
 思えば、母親は妙に佐藤を気に入っていた。それは単に顔が好みだというよりも、似た様な性格を感じ取ったからも知れないと吉田は思った。


 余計な残業は決してせず、佐藤はさっさと帰宅を決める。時間外の交流も必要性はあるかもしれないが、佐藤はそれらも就業時間内に納めている。とにかく、吉田と過ごす時間を増やしたい!のだ!!
 しかも今日は吉田の有給日。生憎自分は合わせて取れなかったが、今日は早く帰った分だけ、確実に自宅で吉田と過ごす時間が長くなるのだ。これを早く帰らず、どうしてくれよう!
 今日の吉田は、昼間は彼女の母親とホテルのランチに行っていたとの事だ。その際のメールが、吉田からではなく母親の方から来た。パスタを咀嚼する、可愛い吉田の姿はきちんとフォルダに保存した。
「ただいま」
「おかえりー」
 笑顔とともに出迎えてくれた吉田は、エプロン姿だった。ベタではあるが、顔がにやけるシチュエーションである。最も佐藤は、対象が吉田ならベタだろうがマニアだろうが、何でも良いのだが。
 玄関先に漂う良い香り。芳香剤の類なぞではなく、調理中の匂いだ。1人暮らしでは決して向けられない匂いに包まれ、佐藤は早速仕事での疲れが癒される。
「今日ね、コロッケ作ったよ」
 吉田の言った献立に、佐藤の幸福指数がまたも跳ね上がる。吉田の手作りコロッケは、佐藤の好物の1つである。冷凍食品や買ってくる惣菜のイメージが強いコロッケだが、だからこそ手作りだと温かみあるほっこりした仕上がりになるのだ。だがしかし、固いジャガイモを向いて茹でて潰して、という手間は仕事後に作るにはやや手間ではある。事前に下準備をしておけば、当日は揚げるだけに出来るものの、コロッケを作るのは余裕のある時、と何となく吉田は決めている。
 食卓には、すでに夕食の支度が出来つつあった。逆さに置かれた茶碗が持ち主を出迎える。
 いただきます、と手を合わせて食事が始まる。1人暮らしの時にはそんな習慣の無かった佐藤だが、吉田と暮らしてすぐに身に着いた。
 箸を持ち、早速佐藤はコロッケに手をつける。丸く、小ぶりなコロッケだ。ぱく、と一口の時点ですでに半分が無い。吉田と同じように可愛い。
 相変わらずもげもげと食べる佐藤を、吉田は何かを待つように見つめる。こくん、と喉を動かし、飲み下した佐藤は吉田に言う。
「うん、美味しい。すごくジャガイモの感じがしてて」
 佐藤の感想を聞いて、吉田は嬉しそうに微笑む。佐藤は、単純に美味しいと褒めるだけじゃなく、吉田の工夫した所や頑張った所を、ちゃんと汲み取って褒めてくれるのだ。例えば今日のコロッケも、荒く潰してジャガイモの感じを強く残しておいたのだ。佐藤は、そこを解っている。
「新じゃがなんだ、それ」
 今日母ちゃんに貰ったんだー、と吉田は嬉しそうに話す。
 折角の新ジャガだから、味付けに凝ったりせず、ジャガイモだけで作った。なので、主菜ではなく、副菜として置いてある。
「そういや、お母義さんとランチしたんだよな」
 母親が会話に上がったので、丁度良いとばかりに尋ねてみる。
 うん、と頷くものの、吉田の表情はあまり芳しくない。美味しくなかったのかな、と佐藤は首を捻った。
「美味しい事は美味しかったんだけど――ウチのご飯の方が美味しいかなって」
「………………」
 言い終えた後、吉田はほうれん草と牛肉の炒め物をもぐもぐ。これが本日のメインである。
 炒め物は何せ楽、というか調理時間が短くて良い。おかげで高橋とのシェア生活はつい炒め物ばかり献立に上げてしまったが、おかげで火の通し方には自信がある。
 うん、今日もばっちり、と満足そうに咀嚼する吉田だったが、そこでようやく佐藤からの返事がない事に気付いた。
 どうかしたのかな、と見てみれば、佐藤は顔を赤くしていた。えっ、なんで!?と理由の解らないまま、佐藤の赤面を見て吉田も顔を赤くしてしまう。
「………ウチの、って」
 顔を赤らめたまま、佐藤が言う。
「……ここの、だよな……?」
「……………」
 佐藤に言われ、吉田は今更ながらに自分の発言の恥ずかしさを悟った。もう、すっかり。この部屋で佐藤と過ごす事が生活の、いや自分の一部なのだ。
 何だか、恥ずかしい。
 でも、絶対嫌じゃない。だから、訂正しない。
「そっ、そうだよっ。そうに決まってんじゃん!」
 さらに顔の熱があがるのを承知で、吉田は開き直るように言い募る。その後、やっぱり恥ずかしくなって、茶碗の中にあったご飯をかっ込んでしまったが。
 吉田がそんな風になると、佐藤の方に余裕が生まれた。ガツガツ!とご飯を食べる吉田に、ふっとした笑みを浮かべる。
「そうだな。ウチのご飯が一番美味しい」
 あまりに自然に言われてしまい、吉田がうっ、と詰まったのは一度に大量のご飯を飲み込んでしまったからではない。
 ほうじ茶で喉の閊えを解消している吉田の前、佐藤はまたもコロッケに箸を伸ばす。
 ――ああ、美味しい。
 何度思っても飽きないそれを、佐藤はまた、まさに噛み締めて思ったのだった。



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