台に置かれたままの小瓶に、吉田はもしや、と注目した。
 それは佐藤の持つ香水で、普段にはつけずに吉田との外デートの時にのみつけるのである。さすがというか、目に見えない香りにまでお洒落を取りこんでいる模様だ。
 佐藤の香りは料理の邪魔もしないし、近くで寄り添っていても鼻につく類でも無い。たまに擦れ違うだけでmはっきりしていると感じるものもあるが、佐藤はそれとは対極であった。香水選びに置いてもそのセンスの良さは変わる事は無い。
 吉田はちょっとした悪戯心で、それを自分に振りかけてみた。出掛ける予定は無い、むしろ今しがた帰った所ではあるが、だからこそやっているのだ。
 香水なんてつけなくても、佐藤はとても良い香りだけどつけたらつけたで、それまた良い芳香なのだ。それをちょっと再現させたいだけ。
 吉田自身はつける趣味は無いのだが、佐藤がつけている所は間近で見ている。それを忠実に再現した。手首に軽く。
 途端、ふわっと香る爽やかな方向。うん、この香り、と吉田も目を閉じて浸ったが、それは長くは続かなかった。
 ぱちぱち、と瞬きを繰り返す。次いで、確かめるように香水をかけた手首を鼻に近付けてふんふんと香ってみる。そこでまた、首を捻った。
「何をしてるの?」
「わーっ!?」
 所用の電話でちょっと離れていた佐藤が、吉田にとっては突然背後から現れた。
 折角吉田との楽しいディナーの帰りに、詰まらない電話が入ったものである。不幸中の幸いは、帰宅直後だった所だろうか。食事中だったら無視していた。そう、幸いなのは電話の相手の方だ。
 ふと近くの台の上を見ると、出がけに自分がつけて来た香水の瓶がある。香水を使った後、普段は仕舞うのだが今日はそのタイミングで吉田に声を掛けられた。そしてそのまま、出しっぱなしにして来てしまったのだろう。是が非でも仕舞う必要の無いものだから、意識から外されるのは容易い事なのだ。
 出したままの香水の瓶を吉田が見つけて、面白半分に自分につけてみたというのは状況的に佐藤でも解る。解らないのは、吉田が怪訝そうな表情を浮かべていた所。
 どうしたの?と問いかけると、吉田も何だか半信半疑の様子で言う。
「う〜ん、なんか、匂いがさ、同じだけど違うっていうか、違うけど同じっていうか……?」
 同じだと思った香りに違和感を覚えたらしい。くんくん、と尚も確かめるような吉田の様子は、まさに小動物みたいで可愛い。
「ああ、それは当然だよ」
 吉田が不思議がっている事象に、佐藤はあっさり答えを言う。
「人にはそれぞれもう匂いがついているんだから。他人が感じる香りは、香水にその匂いが重なったものなんだよ」
 謂わば香水などは最後の仕上げのトッピングの様なものであり、ベースが違えばそれが同じでも違う香りに感じて当然なのだ。吉田はこういうアイテムに疎いから、解らなかったようだが。
「だから、本当に自分に合うのが欲しかったらオーダーメイドの方が良いよ。市販のものでも合うものもあるうだろうけど、ぴったりなのに遭遇するのは難しいだろうし」
「ふ〜ん」
 感心したように頷く吉田。不意に、佐藤が微笑む。
「吉田も香水、欲しくなった?」
「え、えっ?」
 吉田がちょっとしたお茶目だけで自分の香水に手を出したのだと、解っていながら言う佐藤だ。
「欲しくなったら、俺に言ってね。一緒に選びたいから」
 と、いうよりむしろオーダーメイドする気満々の佐藤である。香りに合わせた服も選びたい所だ。
 にっこり、と笑った佐藤に吉田が戸惑うように視線を彷徨わせる。佐藤の台詞に他意……というか揶揄が無いのは解る。純粋に、良い物を選ばせたいという親切心だ。それは、良く解るのだけど。
「う〜ん……佐藤がつけてると良い香りだなって思うけど……自分でつけるのはどうも……」
 確かに佐藤なら自分に相応しい香りを選んでくれるだろうけど、そもそも香水というもの自体をつけるのが吉田の趣味に合っていない。人工的なものはあまり受け付けないのだ。化粧も、必要最低限しかしていない。
 でも、と吉田は続ける。
「佐藤がして欲しいなら、するけど」
 全ての人がそうだと言わないが、少なくとも吉田にとってお洒落は相手の為にするものだ。あくまで自分に出来る範囲で、望むのなら合わせたい。香水程度なら、苦にもならないし。
 吉田がそう言うと、佐藤はさっき以上の笑顔を浮かべ、そして吉田をむぎゅっと抱きしめた。うわぁ?!と声をあげて顔を赤らめる。
「そうだな……香水つけた吉田も良いけど、そのまんまの香りが俺も好きだなー」
「す、好きって……ちょっ、わぁああっ!」
 より深く掻き抱いて、首筋に鼻を埋める程近くなった佐藤の顔に、吉田はうろたえてさっきよりももっと顔を真っ赤にした。
「あー、良い香り……v」
「う、ううう、お風呂、入る!!!」
 いくら良い香りだと褒められても、体臭を嗅がれるのは正直堪ったものじゃない。目を回す程の羞恥を感じ、吉田は何だか場違いなように入浴を求めた。いや、逆に場に合っているのかもしれないが。
「うん、良いよ」
 あっさり頷き、抱きしめたままなのを良い事に、吉田を抱き上げそのまま風呂場へと連れて行く。
 抱きあげられた事で、より佐藤と密着し、感じる香りがますます強くなる。
 でも、不快じゃない。
 吉田は正直、それまで香水というものは香りがキツくて、いっそつける意義があるのかと思う程だったが、佐藤の使い方を見て軽くカルチャーショックを受けたのだった。香水はやはり、良い香りを見に着ける為に在るものなのだ。
 けれど、自分が良い香りだと感じたのは、その奥にある佐藤の香りだったのだろう。
(佐藤、良い香りだな)
 まるでアロマテラピーのように、外出での疲労が癒される。知らず、吉田は佐藤の方に頭を預けるように身を齎す。
 無意識だろう仕草に、佐藤の口元も綻ぶ。
 甘い甘い時間は、これからだ。



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