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どんなジャンルであれ、洗練された無駄のない動きというのはそれだけで十分人の目を惹きつける物となる。実際吉田も、カウンターの向こうの佐藤に釘付けだ。普段は決して見る事の出来ないバーテン服に身を包んだ佐藤は、これまた普段はしないようなややオールバック調の髪型をしている。やはり調理をするのであるから、髪には気を配っている所なのだろう。
「はい、吉田」
それまでぼんやり、というか見惚れて佐藤を眺めていた吉田は、差し出されたグラスとその声ではっと我に戻った。
ぱっと見、グラスに入ったミルクチョコレート。表面にはミントの葉が3枚泳いでいる。
一口飲むと、それがアルコールを含んだものだというのが解る。それと、他の事にも。
「なんか、イチゴの味がする」
見た目は全くのミルクチョコレートなのに、舌に感じる酸味は果物の、イチゴのそれ。
吉田の指摘に、佐藤がにこっと笑う。悪戯が成功した時のように。
「うん、チョコレートリキュールにイチゴのリキュール混ぜたんだ」
そしてそこにミルクを入れた、という事か。単純にイチゴの果汁であれば、色で一発で解る事だろう。無色のリキュールだからこそ出来る事だ。まるで手品のよう。
佐藤お手製のカクテルは、分量やレシピに従うものはむしろ少ない。その場その場で、吉田が欲しそうなのを思い付きで作っている。自分専用に作られたものだから、吉田としても不味い筈がない。
けれど今夜は、その美味に心から酔い痴れる事は難しい。何故なら、この場には佐藤と吉田ともう1人。
高校の時のクラスメイト、牧村が居るからだ。
事の起こりは1週間前。牧村の必死の懇願から始まる。
「なっ! 頼む! この通りだって!」
「嫌だ。絶対嫌だ。超嫌だ」
言い方を変えた所で結局嫌としか言っていない佐藤だ。しかも、段々酷くなっている。
ここは喫茶店内で、土下座せんばかりの牧村に、踏ん反りかえる程に不遜な態度の佐藤。そして、そこに同席している自分はどう見られているんだろう、とアイスモカジャバを口にしつつ、吉田は困惑した表情を浮かべる。
「お願いだってぇぇぇ! もう佐藤しか頼る相手居ないんだって! 頼む!”店”を開けてくれ!」
「い・や・だ」
縋れるものがあれば藁だって掴む勢いの牧村に、佐藤の態度はにべもない。
「美味い店っていう条件なら、俺に頼むのは筋違いだろ。あれはあくまで趣味の場なんだから」
牧村が口走った”店”というのは、実は店では無い。佐藤の台詞が全てを物語っている。確かに店舗として開けそうな場所を佐藤は持っているが――まあ、実際の権利は艶子にあるのだが――あそこは佐藤が個人的に腕を振るう場なのだ。知人以外を招く事はしない。
「仮に相手が気に入ったとしても、俺は絶対、2度と、金輪際お前の為に開く事はしないぞ。それじゃ結果的に約束を果たしてない事になるんじゃないのか」
「う、そ、そうかもしれないけどよ……」
痛い所を突かれたのか、高校以来変わらないへもじ顔に焦りの色を浮かせる。
遡る事、さらに一カ月。街中で、佐藤と吉田がデートに洒落こんでいる所に、全く牧村が偶然声を掛けて来た。奇跡的に近い再会だった。最も佐藤は、これよりもっと奇跡的で劇的な再会を吉田と果たしている訳だが。
佐藤と吉田が連れ立って並んでいる所に、牧村はまず自分のように佐藤たちも偶然の再会をしたのかと言って来た。そこで吉田は、ちょっと佐藤とアイコンタクトを交わしてこの機会にとばかりに自分たちの関係を打ち明けた。
牧村は、相手までは見抜けずにいたけれども吉田が難しい恋をしている事を看破し、相手不明ながらもフォローのような事もしてくれた。本来なら在学中に言うべきだったかもしれないが、卒業という節目を迎えでも言い出せなかったのを、吉田は心の隅でずっと引っ掛かっていたのだ。
実は高校の時から付き合っていた、という吉田の打ち明けを聞き、牧村はあれでていて喜怒哀楽の激しい顔を思いっきり驚愕に染めていた。
けれども牧村は、極端に驚いただけで秘密裏だった2人の付き合いを責めるでもなく詰るでもなく、驚愕が抜けたらすぐに祝福してくれた。
牧村は自分たちと同じクラスだから、あの強烈過ぎるほど強烈な女子軍を目の当たりにしているので、打ち明けられなかったという吉田の心境を深く理解したのだろう。何だかんだで、良い人なのだ。牧村は。
自分たちとは疎遠になっていた牧村だが、秋本との付き合いは続いていたようだ。どうせだからプチ同窓会しようぜ!という提案に秋本が呼び出された。それと、同窓じゃないけど秋本の可愛い幼馴染。今となっては名実と秋本の認識と共に恋人同士だ。
近くの居酒屋に入り、わいわいと楽しいおしゃべりを楽しんだ。酒も入り、テンションも上がった吉田はつい、素敵な恋人の惚気話に走ってしまった。そこで言ったのだ。佐藤の料理の腕は本当に凄くて、家庭用のじゃ追いつかなくなって友達が店を作ってくれたのだ、と。勿論営業はしていないから、その辺りもしっかり言っていたのだが、しかし。
また何かの機会に、と連絡し合えるように携帯番号を交換したのは間違いだったかもしれない。そんな後悔を佐藤がしたのは存外早かった。。
牧村が佐藤に会いたいという打診を送って来た。また何か飲みに行こうかという誘いかな、と吉田と一緒にのこのこと赴いてしまったのが間違いなのだ。
待ち合わせの喫茶店で、先に席に来ていた牧村のテーブルに着き、開口一番牧村が言う。
「頼む佐藤! 今度のデートでお前の店を使わせてくれ!」
と。
恋多き男・牧村は、その数と同じに失恋もしてきた。牧村がフラれて嘆いたり頬に平手を食らった跡をつけて来るのは、高校1年の最初の段階でもはや見慣れた光景になりつつあった。
けれども、当時の生徒会長にすぐに告白するのを躊躇う程惚れた事で、その失恋歴は一時期ストップした。だがしかし、さすがに彼女が卒業するとなると黙ってもいられず、ついに告白した牧村だがあっさり玉砕。以来、卒業式当日まで女子にフラれるという作業を繰り返し、吉田が佐藤の事を言い出せなかった最大の原因である。さすがに牧村が前向きだとしても、女子にフラれれた直後の相手に、自分たち恋人同士ですとは言えない。
そんな牧村だが、卒業してからも相変わらずだったらしい。秋本が零すように言う分を鵜呑みにするとだが、事実と大差ないだろう。
そして現在、牧村が懸想する相手は随分な食通らしく、ミシュラン等で紹介される様な場所はすでに網羅している。そんな人に並大抵のレストランなんかに連れて行った日にはその場でフラれてしまう。加えて、行った事のある店より、初めて連れて行く店が美味しければ、その方がインパクトあるし自分の株も挙がる筈……と思ってた牧村は、傍迷惑な事に吉田曰くプロ級の料理の腕を持つ佐藤に白羽の矢をぶすりと当てたようだ。本当に、傍迷惑な事に。
せめて相手の女性に言う前にこうして佐藤に頼めば良いのに、牧村は浅はかにも「美味しい店に案内してあげる」と先に約束してしまったのだ。今日から一週間後の日に。
「絶対誰も知らない、行った事の無い店ってもう言っちまったんだよ!後には引けないんだって~~~」
「黙れこの落書き。どうせフラれるだけなんだから、余計な手間を取らせるな」
「こら、佐藤! そんな本当の事、そのまんま言うな!」
嗜めるような吉田の台詞だが、勿論吉田の発言の方が牧村を酷く抉ったのは言うまでも無い。
「なあ、頼むよ。俺、この恋に賭けてるんだって。あとひと息なんだ。俺には解る!!」
恋愛経験と失恋歴が等しい身分で言われても信用出来ない佐藤、と吉田だった。
「ちゃんと材料費も光熱費も払うし!なんだったら別に手間賃出して良い!だから、頼む!」
テーブルに手をつき、へこへこと頭を下げる牧村。
やだ、と何度目か解らないその台詞を口にしようとした時、吉田がそっと佐藤の袖を摘む。あまりに可愛い仕草に、一瞬牧村の鬱陶しさも忘れる程だった。
「佐藤、1回だけなら、開けてやったら?」
援軍を見つけた事で、牧村の顔がパァァ……と輝いた。
「どうせフラれるにしても、思う着く限りの事をやった後の方が吹っ切れるのも早いと思うし」
そう言うが、高校の時分を思い出しても牧村は十分吹っ切れるのが早い様な気がして止まない。それにしても吉田はすっかり牧村がフラれる前提だ。ここで問題なのはその前提で問題が無い事だろう。
まあ、牧村の性格上、お前があの時してくれたら、と恨み節をぶつける事も無いだろうし、だからこそ佐藤も突っぱねる事も出来る。けれども、逆に言えばそこまでの親しみを持つ相手だ。1回の我儘なら、聞いてやろうか。
「……解った。本当に1回だけだぞ。上手く行ってもいかなくても、それっきりだ」
承諾を得た牧村は、これまた一層に顔を輝かせた。ハレルヤ!と今にも叫びそうだ。気持ちは解るが店内では勘弁して欲しい。
「マジで―――!? やった、サンキュありがとな佐藤―――!!
さっすが吉田の見込んだ男だぜ!!人が出来てるよなぁ~~~~!!!」
「……………」
後半の台詞、計算で言ったらこいつ中々の策士だな、と思わず口元を綻ばせてしまった佐藤は胸中で呟いた。
そして、今日がその当日だ。店を開くにあたり、佐藤は牧村に1つだけ条件を出した。
それは、吉田も同席させる事。
そう主張する佐藤に牧村はあっさり2つ返事だった。とりあえず、佐藤が店主を勤めてくれるとなれば、他はもうどうでも良いらしい。
ちっとも良くなかったのはむしろ吉田の方で、調理も手伝えない自分が居てどうするのか、と佐藤に詰め寄ったが、それに対し佐藤の主張する所は、佐藤にとって週末はゆっくり吉田と過ごす何よりかけがいのない時間だ。それを他の事に奪われた上に、顔すら拝めないとなるとあまりに残酷極まりない。酷い仕打ちだ。全くとんでもない所だ……とひたすら感情面で詰め寄って半ば強引に吉田の合意を受け取ったのだった。
同席するは良いが、その際気にかかるのは吉田のポジションである。客の1人を装ってもよいが、牧村の誘ったコンセプトが「誰も知らない店」ならば同席者はむしろ要らない演出かもしれない。そういう流れで、吉田はにわか従業員となった。とは言っても、レストランでは無くてカウンター式のバーである。給仕は必要ないし、吉田の役割は牧村とその同行者に向けて「いらっしゃいませ」と第一声を掛ける事で終わりそうだ。
だと言うのに、準備中の店に来た吉田は、自分用の衣装一式揃っているのに大層驚いた。佐藤と同じブランドのシャツ、ズボン。スカートでは無いのは、佐藤が吉田の脚を気に入っているからの事だろうか。それと、ギャルソン用のエプロン。吉田に合わせた、ぴったりの長さになっている。市販のものだとこうはいかない。
うろたえる吉田に、人の好意は謹んで受け入れるべきだともっともらしい理由を佐藤がつけてそれを着る事を進める。確かに自分が使わなければ完全に無駄になると思った吉田は、言われる通り服に袖を通した。仕立ての良い服。生地も上等で、何より佐藤とお揃いのデザインに吉田も嬉しそうな笑みを浮かべた。
メニューは全て佐藤に一任されている。佐藤は丸投げされた、と思っているが、吉田としては牧村は佐藤をそんなに信頼してるんだなぁとほのぼのしていた。
牧村が訪れる頃、準備はすでに整っていた。後は、その彼女が来るだけである。
自分の携帯の時計や、部屋に備え付けの時計を何度も何度も見ながら、牧村はその到着を待っていた。
丸投げ、もとい一任したとは言え、このディナーをし切るのは牧村の役目である。佐藤は今日出すメニューと仕上げを残した料理を見せた。牧村はそれに大層満足、そして喜び、これで今日のデートは間違い無しだ!と早速テンションを上げていた。
牧村としても、2人の時間を邪魔しているという自覚は持っているらしく、2人に割と何度も「ごめんなー」と繰り返していた。その後、ちょっと高校時代の話に花を咲かせ、彼女の来る約束の時間30分前くらいになると、緊張して来たか牧村の口数は少なくなった。そんな牧村を解そうと、佐藤は酒を進めていたが、牧村はやんわり断った。おそらく、デート時の過剰の飲酒で破局した事でもあるのだろう。牧村ならあり得る話だ、と佐藤は勝手に決着をつけ、吉田にその場で浮かんだ自製のカクテルを振舞った。
いつもなら、その美味しさに満面の笑みを浮かべる吉田だが、さすがに今日は牧村の方が気になるらしく、その表情はあまり芳しくない。
けれども、そこまではまだ良かった。
室内の空気が一気に重さを増して来たのは、約束の時間を10分過ぎ。
それでも尚、到着どころか彼女の方から連絡すら無い事だった。
L字型のカウンターで、牧村は長い方のテーブルで彼女を待ち、吉田は短い方のテーブルに身をひっそりとおいていた。明らかに意気消沈している牧村に、何か声をかけようと模索して、見つからなくて、声を掛けられずに居る、という感じである。ある意味、吉田にも声をかけられる状態でも無く、持て余した佐藤はアンチョビのオイル漬けを作っている。無心になってやる作業は案外楽しい。アンチョビの中骨を取り除く作業を黙々とこなしながら、牧村の恋は今回もダメだろうな、と佐藤は思っていた。とはいえ、それは今この場で思い浮かんだ事では無く、牧村から店を開けてくれと相談されたその時だ。
相手の女性は、牧村より2つ下だという。同じ課の別の班だが、歓迎会か送迎会か何かの折に連絡先を交換したのが第一歩だという。
そこまではまだ良いとしても、その彼女の美食遍歴である。牧村の会社の業績や手取りがどうなっているかなんて佐藤には解らないが、それでも有名レストランにあらかた通う事の出来る収入ではないだろう。
と、なるとその食事代はどこから出たのか。彼女が牧村に話したエピソード自体が嘘か、あるいは代金を出しているのが彼女本人では無い。佐藤としては、後者の可能性が思い切り高いと思う。
そして、その奢る相手も、親族や友達では無いのかもしれない。
佐藤はちらりと時計を見やった。約束の時間から、30分が過ぎた。
牧村の落ち込みようがいよいよ酷い事になって来た。
と、その時。
流行りのラブソングが店内に響く。何かと思えば、牧村の着信である。
それまで半ば屍化していた牧村だが、その音色を聞いた途端がばああぁぁっ!と起き上がる。この反応を見るに、どうやら誘った彼女からの着信らしい。
「もっ、ももも、もしもし!!?!?」
声を裏返しながら、牧村が電話に出る。吉田は、固唾を飲んでそれを見守る。佐藤は、明日の吉田のデザートのついて考えている。
「えっ!? ああ、うん、まだ大丈夫! 全然良いからっ!!
……………
え、へ、そう……あ、そうなの……
うん、じゃあ………うん………」
2人は、牧村の声しか聞こえない訳だが、その台詞や勢いを無くしつつある口調、トーンで大体は察せられた。
吉田は佐藤と窺う。佐藤も、吉田を見ている。2人は、アイコンタクトを交わす。
(ドタキャンかな)
(だろうな)
おそらく、牧村の電話の相手は、今夜を牧村以外と過ごす事に決めたのだろう。一応、牧村にずっと待ちぼうけをさせる事無いよう、断りの電話を入れてやるだけ誠実と言ってやるべきか。フラれまくる牧村だが、全く幸いな事に性質の悪い詐欺には掛った事は無い。むしろ何だかその代わりに特定の恋人が出来ない様な気がしないでもないが。
「………………」
2人背を見せ、だらん、と腕を下げる牧村にはいよいよかける言葉も無い。良く考えれば、吉田の周りで失恋経験者は牧村くらいしか居ないのだ。後はまあ、西田と言ってやるべきか。どっちにしろ、こんな場で言うべき台詞を吉田は知らない。
だから無意識に、佐藤に縋る様な目を向けた。佐藤は、身を屈め、下から何かを取りだした。
それは焼酎の瓶で。
ドン!と黒檀のカウンターに瓶を置き、佐藤は誰に向けてでもなく言う。
「飲むか」
牧村の自棄酒の始まりだった。
「潰れたな~」
「ああ、見事なくらい」
ある意味普段と変わらない顔だが、その顔が極限まで赤くぐったりとカウンターの上に上半身を預けているので、牧村は間違いなく酔い潰れているのだろう。
「明日、大丈夫かな……」
牧村の身体を心配する吉田。
「どうだろうな……とりあえず、つまみのオニオンフライにたっぷりサフランかけてみたけど」
サフランは悪酔いに効くのである。最も、その効能以上に酒を飲まれたら歯が立たないが。
「自力じゃ、とても帰れないな……」
「そうだな」
と、見たままの感想。ここで問題なのは、2人のどっちも牧村の住所を知らない事。唯一知っている本人は、とても話せる状態では無い。
幸いこの店には、仮眠室と呼べそうなスペースがある。こうして、酔い潰れた者を休ませるために作られたものだ。寝具は揃えてあるから、今日はこのまま牧村を泊まらす事も出来る。
それは良い。それは良いのだが。
佐藤の自宅は、ここから近いがそれでも離れている。さすがに、初めて訪れた人をに1人で寝かして置いておくのは躊躇われる。だとすれば、誰かが着いてやるべきだろうが、多分佐藤だろう。相手が牧村(酔い潰れ)とは言え、男と同じ部屋で一夜を過ごす事を佐藤が許すとは思えないだろうし、実際もそうだろう。はたまた、2人で付き添うとか。
つまりどっちにしろ、今夜は佐藤と2人きりになれない訳で。
高校生の時分とは違い、今の2人はしっかり身体でも結ばれている。それを確かめる行為に確かな快楽も覚えて来て、吉田からそれを強請るのも珍しくは無い。その時の線引きやタイミングに、明確な決まりは無いが、どうも吉田は美味しい食事を済ませた後、その後佐藤とそういう雰囲気になるのを望んでいる。食欲が満たされて他のが誘発してきたか、他の欲求も満たしたくなったか。幸いお腹一杯で、激しい運動にも耐えられる準備も出来ているし。
何より美味しい食事を迎えた素敵な日の最後には、最愛の人の腕に抱かれて、隙の無い素敵な1日にしたい。そういう想いが吉田にはあった。
今日はやや変則的だけども、佐藤から美味しい食事を振舞って貰った。牧村を気にしての事だけども、その美味しさが薄れる事は無い。
今夜と佐藤と迎えられないのは残念だけど、牧村の方が余程酷な目に遭っているのだ。ここは大人しく、家に帰ろう。
そう思っている吉田の前で、佐藤が携帯を取り出す。そしてやおら、誰かに電話をかけた。
「ああ、今大丈夫か?……ああ、そうだ。で、良いか?そうか。解った」
牧村の時は相手のやり取りが見えそうではあったが、佐藤の今の電話は相手もその内容もさっぱりだ。何?ときょとんとしている吉田に佐藤が説明する。
「秋本だよ。牧村がフラれて酔い潰れたら、迎えに行くから連絡してくれって」
「えっ、何時の間に?」
確かにあの飲み会の場、居合わせた全員は各々の番号を交換し合っていた。吉田も、洋子と度々美味しいお菓子の店の情報を教え合ったりしている。吉田が訊きたいのは、いつそんな約束をしたかと言う事だ。
「牧村から相談受けた日の間にな。フラれたこいつの後始末は、秋本が一番慣れてるだろうし」
「……その時からもうフラれる事考えてたんだ」
「吉田だって、上手く行くって思って無かっただろ」
「………。うん」
嘘の言えない吉田は頷いた。まあ、本人は聴こえてないだろうし、聴いていても気にしないだろうし。
「でもさ、秋本とそういうの決めてたなら、一言言ってくれても良かったじゃん」
さっきのヤキモキしていた自分の胸中は何なんだ、と薄っすら怒りめいた感情が湧き起こる吉田である。
佐藤としては、酔い潰れた時の対処なんて敢えて言う事もないだろうと思っていたのだが、唇を尖らし、不満を露わにする吉田に、佐藤がにやりと一言。
「何、秋本に嫉妬?」
「っっっ!バカ――――ッッ!!!!」
吉田の渾身の叫び声を近くで聴いても、牧村は今は楽しい夢の中だった。
それから程なくして、相変わらず人の良い顔を引っ提げて秋本が店に訪れた。
「うわっ!凄いな~本当にお店なんだ!」
約束をすっぽかされて酔い潰れた友人はさておき、秋本はまず店内に感心した。牧村も、初めて顔をのぞかせた時同じような反応を見せていた。
「言っとくけど、吉田の頼みじゃないと開けないからな」
「さ、佐藤っ!!!」
ある意味独占欲剥き出しの佐藤の言葉に、吉田が焦る。しかし、秋本は気を悪くした様子も無く、むしろその様子を仲睦まじいと見ていた。
秋本は牧村より背は低いが、重量はある。牧村を肩に担いでも、揺らぐ事は無かった。
さすがに今日はゆっくり話してはいられない。来たばかりだけども、牧村を担いだ秋本はドアを開けた。そして、振り向いて。
「じゃあね、2人とも」
「うん、バイバイ」
と、手を振る吉田。そして、このやり取りに既視感を覚える。
何の事は無い、高校の時の下校時に交わした挨拶だ。秋本も同じ事を思ったか、ちょっと笑顔を浮かべる。
秋本が完全に出てしまう前、その傍に佐藤が赴き、紙袋を手渡した。
「これ、ミートローフ。あと、オレンジのパウンドケーキ。彼女と一緒に食べろよ」
ミートローフは前菜として出そうと思っていた所だ。相手が来なくなって、前菜もメインもへったくれもなく食べたので、それだけが余ってしまったのだ。
秋本はそれを殊更嬉しそうに受け取り、「ありがとうね!」と最後の言葉にして店を出た。
パタン、とドアが閉まり、店内は佐藤と吉田の2人きりになった。
2人きり、である。
皿洗いや後片付けはすでに終わっている。だから、後は……
「どうする?もっと飲む?」
牧村は酔い潰れたが、2人は普段のペースを保っていたので、まだ余裕はある。
吉田はちょっと考えるように俯き、再び佐藤に顔を合わせた時はほんのりと頬を染めていた。
それは、アルコールの為では無く。
「……佐藤の部屋に行きたいな」
飲むにしてもそこが良い、と言う。佐藤はこの提案に反対する要素は何も無い。むしろ、言ってくれて嬉しい気持ちばかりだ。
吉田がさっき抱いた懸念を、佐藤も相談された時から思った。だから秋本に連絡を入れたし、牧村を回収し、吉田との時間を確保させてくれた秋本に、お礼のつもりでパウンドケーキを拵えたのだ。
「また、牧村頼んで来るかな~」
自分たちも店から出る時、不意に吉田は口を開いた。確かに今回、デートの彼女に食事を振舞うという約束は果たせないで終わった。その辺りをついて、牧村が別の機会に同じ事を強請らないとも言えない。
しかし、そう言う吉田の口調に不安や危機感は無い。ただ何となく、中々恋愛の実らない友人を思っての呟きだった。
「頼んで来ても断るよ。義理は果たしたし」
牧村には悪いが、今夜の献立を考える時、全く楽しくなかった。辛うじて吉田も一緒に食べるから、何とか組み立てられたけども。
やはり、自分は料理人には向いていない。初めから解った事だが、こうして実感したのは初めてかもしれない。
「……やっぱり俺には吉田だけだなぁ」
「え、何?」
言うつもりは無かったが、思わず口から零れてしまっていたらしい。
何でも無いよ、と佐藤は良い、吉田の小さい手をそっと握る。
もう何度も身体を重ねているのに、こうした些細なスキンシップにも吉田は頬を染めて見せる。全く、可愛い。
吉田以外に料理を作るつもりはないけど、吉田に美味しいものを作るのは常に自分でありたい。
披露宴をやるなら、自分が調理を担当しようかな。
そんな事を考え、佐藤はちょっと、笑ったのだった。
<END>
*同棲話と同じく20代半ばくらいの年齢のつもりですが、それとこれとは別シリーズなのでこの2人はまだ一緒に暮らしてないと思ってやってくださいな^^