いつもより入念に焼いたつもりのパウンドケーキなのに、やっぱり出来あがりは膨らみが少し足りない。
 なんでだろう?と首を捻りながらも、今日の味見は一切れだけだ。
 それ以外は明日、佐藤と一緒に食べるのだ。


「へえ、これが噂の」
「……どこで噂なんだよ」
「俺の中限定でv」
「…………」
 決して出来あがりが美しいとは言えないケーキを前に、佐藤はとても嬉しそうだ。言動からしてはしゃいでいる。
 こんなケーキでこんなに喜ぶなんて、佐藤って実は甘い物好き……なんてさすがの吉田も頓狂な勘違いはせず、好きな人からの贈り物だからこその態度、というのは解ってしまう。いっそ知らないでいれたら、と思ってしまうくらい、佐藤の態度はあからさまで、吉田は真っ赤になってしまう。
 吉田は朝から強請られる事も想定したのだが、そこは意外なくらい佐藤は昼休みまでじっと待っていた。多分、ショートケーキのイチゴは最後まで取っておくタイプだ。佐藤は。
 昼食を終えた所で、吉田はデザートのつもりでパウンドケーキを取り出した。そして、佐藤に渡した。
 受け取り、嬉々とした佐藤のオーラが吉田には眩い程だった。


「ん〜……なんかやっぱ固い………」
 んぐんぐ、と隣で同じくケーキを頬張ってる吉田が、甘い物を食べているというのに、苦い表情を作る。さほど大きくないケーキを、両手で掴んで食べてる様子はリスみたいな小動物みたいで可愛い。
(固い……って事は、混ぜ過ぎなのかな……?)
 佐藤は考える。しかし、自分一人の力で作り上げる!と妙な決意を吉田がしてしまった為、佐藤はケーキ作りに対し口を出せない。別に言ってもいいじゃないか、と思われるだろうが、恋人の健気さを邪魔したくないし、何より吉田に強行なダイエットをさせない為の切り札にもなっている。
 もし隠れて絶食のような無茶なダイエットをしてると佐藤が察知したら、その場で事細やかなコツや手順を揃えたレシピを送りつけてやる、と言って阻止しているのだ。脅しとしては妙な材料だが、それで成り立ってしまう辺り、好きな人に美味しいケーキを焼く、というのがいかに吉田の中で重要視されているのかが解る。最終的に向けられている矛先の佐藤として、決して悪気のするものではなかった。むしろ有頂天になれるくらい嬉しい。
「そりゃまあ……ふっくらとは言えないかもしれないけど、膨らめばいいってもんじゃないだろ? 俺はあんまりふわふわしてるのより、食べ応えがあった方が好きだなー」
 フォローのつもりで本音を言うと、吉田は顔を赤らめて「そ、そっかな」と俯く。なんて可愛い仕草だろう、と佐藤の顔が綻ぶ。
 吉田は残りの分も、うーん、と唸りながら咀嚼した。彼女なりに、予習と復習を頭の中で展開しているのかもしれない。
「まあ、何でもいいから佐藤も早く食べちゃってよ」
 自分の分を食べ終わった後、今更に佐藤の視線が注がれていた事に気づき、照れ臭さに耐えながら、吉田は放つように言った。
 しかし、吉田のセリフに、佐藤は大きく目を見張った。それは一瞬だが、佐藤の異変には吉田は目敏い。
「佐藤?」
 何か変な事言った?というニュアンスを込めて訊いてみるが、佐藤はその問いかけを受け付けない。
「え、いや……帰ってから食べるよ」
 にこっ、と笑って言うものの、それが作り物である事は吉田には火を見るより明らかだった。全てを見抜けるとは言わないが、嘘だと解るものには騙されない。
「何で? ここで食べてよ。んで、感想聞かせて?」
 吉田が窺うように下から見上げると、その分佐藤が身を引いた。――動揺している。
 いつもとは逆転したような立場に、吉田の悪戯心が擽られた。と、いうもの、その原因に心当たりがあるからだ。吉田には。
「さ・と・うv ほらほら、早く食べろってv」
「お前……面白がってるな」
 相手が気付いている事に気付いた佐藤が、顔を顰めて言う。その表情は決して秀麗とは言えないが、吉田はこういう感情溢れる顔の方が好きだった。自分に余裕がある時は可愛いとすら思える。今がその時だった。
 けらけらと明るく笑い転げながら、吉田は佐藤を言い聞かすように言う。
「癖だって解ってるんだからさ。不機嫌そうに食べるの。別に怒ったりしないよ」
「いつもからかう癖に」
 不貞腐れたように言う佐藤が、子供っぽくて可愛い。
「それとこれとは別だってば。いいから、ほら食べて」
 別じゃない、と言いたげな佐藤に、渡した分を奪い取り、パウンドケーキを付きつけるように差し出す。今日は持ってくる為、ちゃんと4等分に切って持って来たのだ。その一切れを差し出す。
「ほら、アーン」
「……………」
 さすがの佐藤も、可愛い恋人の可愛いおねだりは断れない。
 小首を傾げる仕草に白旗を上げた佐藤は、観念してケーキを齧った。後で後悔するんだろうな、と思いながらも、目の前で嬉しそうに笑う吉田を見ると、食べて良かったかもと思ってしまうのだからどうしようもない。これはもう、惚れたものが負けなのだ。別の見方をすれば、惚れた方の勝ちなのかもしれないけど。
 もぐ、もぐ、と顎を動かすと、確かに吉田が言った通り市販にはない固さがある。とは言え、佐藤もさっき言ったように、ふんわりしていればいいと言うものでもない。特にパウンドケーキなんかは、どっしりしていた方が良いとすら思う。
「………ぷっ、」
 佐藤が物思いに更けていると、噴き出すような音がした。
「…………」
「本当に、何食べても同じ顔なんだなー。お前、眉間に皹出来るかもよ」
 ははは、あははは、と笑い転げる吉田。その様子なら、折角作ったものを不味そうに食べられ、気分を害するという佐藤が最も危惧した事はあり得ないだろうが、しかし。
 佐藤はそのまま勢いに乗ったように、2切れ目も平らげた。全部食べた事に、吉田は嬉しそうに佐藤を見やる。
「で、どう?」
 そうやって尋ねる時、吉田の目は少しだけ不安そうに揺れた。佐藤は思った事を素直に言う。
「想像してたより美味かったよ」
「……想像て」
 吉田は物言いたげにぼそりと言った。覚悟はしていただろうが、実際に言われるとなるとまた別なのだろう。
「言っとくけど、味なら自信あるんだから。ちゃーんと、きっちり計ってるもん」
「うん、そうみたいだな」
 そうなると、やはり混ぜ方が問題なのだろうか。
 思うに、吉田はケーキ作りに気合を入れ過ぎて、生地を混ぜる段階で余分な力が入ってしまっているのかもしれない。そんな光景が、佐藤の脳内に過ぎる。
「ま、もっと気楽に作れよ」
 もし佐藤の仮説が正しいのなら、それでかなり出来が違うと思う。アドバイスは禁止されているが、向こうが助言だと気付かなければいいのだ。
 悪戦苦闘してる中、気楽に、なんてそれこそ難しい話かもしれないが、頷いてくれたからには今後心がけてくれる事だろう。佐藤も、自分の思いが通じた事に、満足そうに微笑む。
 ――さて。
 佐藤が一瞬にドス黒い瘴気のようなオーラを立ち上らせたのに気付かず、確実にその犠牲者となる吉田は食べて出たゴミを袋の中に詰めて行く。
 吉田の体躯は小さく、反対に佐藤は大きかった。自身が坐ったまま、横に居る彼女をひょいと持ち上げ膝の上に乗せるのは、佐藤にはとても容易い事だった。
「? 何?」
 きょとんとする吉田。佐藤は、この日一番の輝く笑顔で応える。
「さあ、吉田。食べた分は、きっちり動かないとなv」
 それが正しいダイエットだともっともらしく言い、張りがあり、肌触りがとても良い太股を意味ありげに撫でる。ぞわわわ〜っ、と吉田の背中に悪寒と熱が同時に駆け抜けた。
「さ、さ、さ、佐藤ぉ?」
 上擦った声で名前を呼ぶ。
 もしかして、からかい過ぎただろうか。佐藤の様子を、そっと窺うと――
 にこっ☆
 とても良い笑顔だった。
 その笑い方で、解ってしまうから不思議だ。佐藤、怒ってる!!!
 いや、怒ってるというよりは、意趣返しを企んでいる顔だろうか。どっしにしろ吉田の身に降りかかる事にそう大差は無い。
「ちょ、次まだ授業あるんだぞ!」
「うん、だからちゃんと加減するから」
「そーじゃなくて止まれって……いや――――!!どこ触ってんの――――!!!!」
 吉田の悲鳴は屋上中に轟いたが、2人の他には昼食の名残りしかなかったという。


 事が終わった時、もしかしてパウンドケーキ2切れ以上のカロリーを消費したのでは、と思う吉田だった。



<END>