主人佐藤×メイド吉田パロですv






 吉田はきっと、手際が良いとか悪いとか、器用とか不器用とか言う前にちょっと物ぐさな所がいけないのだと思う。
 今だって、洗う為のシーツの山を2回に分けて運べばいいのに、1度で運ぼうとするから結局最後まで持ちきれないで廊下にぶちまけてしまうのだ。
(いーもん、どうせ今から洗うんだから!)
 ふん!と負け惜しみを誰にするでもなく胸の内で唸り、吉田は通路を雪面のように白に変えているシーツを一枚一枚拾い上げる。このシーツは普通サイズのベッドのものだが、吉田には大きくてまさに手に余る。しかも最初、絶妙なバランスにて保っていたものだから、その復元に大分手古摺っていた。これからまだ仕事は残っているのに!
(これだからパーティーの後は嫌だよ!)
 宿泊客の準備からその後片付けまで、ざっとそれは吉田の――メイドの仕事だからだ。しかもここの主、結構な割合でパーティーを開く。外出は少ないけど、あれでいて社交的なのだろうか。外交的というか。
 そう言えば、招くのは多いけど赴く事はあんま無いかも、と思いながら吉田はシーツを拾い上げていた。
「あーあ、またこんなにぶちまけちゃって」
 いっそ見事だな、と嫌みな一言を付け加えて登場したのが、吉田の主である佐藤隆彦だった。吉田と同年代にしてこの館の当主である。と、言っても佐藤は跡取りではなかった。彼の家が持つ権力は、佐藤の姉が引き継ぐ事になっている――らしい。それはまだ確定ではないけれど、暗黙の了解みたいな感じにはなっている。
 それでも一応、佐藤は長男だからだろうか。家にずっと置いておくよりはと、それなりの体裁を持たせたい為、こうして屋敷を構えていた。立場的に、相応しい規模のものを。
「どうせまた、一度に運ぼうとして失敗したんだろ」
 う、と吉田は言葉に詰まった。ここは見透かされたというより、そんな言葉がすぐ出る程失敗を重ねている事実が恥ずかしい。
「う、煩いなー。今拾ってるんだから、ほっといて……あ、」
 吉田の視線の先、指先まで綺麗な佐藤の手がシーツを拾い上げるている。感謝よりも先に、吉田は慌てた。
「ちょっ、ダメ!佐藤にそんな事させたら、怒られちゃう!」
「そんな大げさな……通りかかった所に困った人が居るなら、助けるのが普通だろ?」
「そ、そうだけど……」
 いつもは横柄で傲慢で理不尽な癖に、何でこんな時ばっかり正論を出して来るのか。ずるい、と思うよりも対応に困る。吉田がそんな風に困っている間に、佐藤はすっかりシーツを元の籠に仕舞いこんでしまった。小さい吉田はシーツを拾うのに四苦八苦していた訳だが、吉田より40センチは高いだろうか、という佐藤にはどうって事のない作業なのだ。
 最初より、余程しっかり詰められた籠を、吉田に手渡して言う。
「ほら、次はもう転ぶなよ」
「うぅ………」
 立場的に、逆に素直に礼が言えず、吉田は唸る。そんな吉田を、佐藤は面白そうに眺めて――そして。手を伸ばし、ほっぺたを軽く抓った。むにぃ、と吉田の顔が伸びる。
「ひへへへへへっ!!!」
「これで手伝わせたペナルティでいいだろ?」
 朗らかに笑う佐藤が憎い。そんな所すら格好良くて。
「いくないっ!そこまでの失敗じゃないしっ!」
「じゃあ、次ドジ踏んだら何も無しで手伝ってやるよ」
「いらない!っていうかドジするの前提にすんな――――っ!!」
 佐藤のバカ――!と自分の立場を叫んでしまった吉田だった。



 メイドにバカ呼ばわりされた佐藤だが、全く気を悪くする事も無く、むしろ楽しそうに笑って、もう一度さっきとは逆の頬を抓ってから自室へと戻った。パーティーを開く際には、事前は勿論その後にも何か手紙を出すみたいだから、その作業に移るのだろうと吉田は踏んだ。
 さて。
 本日の一番の仕事であったゲストルームの掃除も終わり、後は夕食までの短い間は使用人達の休憩時間に当てられた。
 名目として佐藤だけが住むこの屋敷は、使用人は少ない。コックの秋山と執事の牧村。そして、メイドの吉田だ。現在人が多いのは、昨夜の後始末の為である。パーティー前後の2,3日は、使用人が5倍以上にもなる。と、いうか普段が少なすぎるのだ。この規模の屋敷なら、メイドも執事もあとそれぞれ2人は増えてもいいと思うのだが。何せ、いきなり人の増えるこの空間が落ちつかない。
 いつもは素晴らしく空っぽの使用人室は、今は満員御礼、というくらい人が詰まっている。これだけ入ってくれたら、部屋も本望だろう。
 パーティーが開かれる時、大体、2:3の割合でメイドのヘルプが多くやって来る。このメイドはただのメイドではないのだ。膨大な数の希望者の中から、選ばれし者達なのだ!!
 佐藤は他の催しに参加する事は少ないから、メイドのような身分の者がその端正な容姿をひと目見るには、この手伝いの時くらいしか主なチャンスは無い。なので、文字通り皆血眼で争っている……らしい。他の屋敷に勤める井上から聞いた話だ。
 そうなると、実質専属メイドになっている吉田なんかメイド達の羨望の的か嫉妬の標的……に、なりそうだが、吉田の見た目が世間一般としてアレなので、むしろ浴びせられるのは苦笑というか嘲笑というか。どっちにしろ嬉しくない。
 ただそれでも、佐藤に近しい人物であるのは事実。佐藤に関する情報は本人からはとても聞けないから、その矛先は必然的に吉田に向けられる。
「ねえ、吉田。隆彦様は今何してるの?」
 隆彦様と来たか、と吉田は引き攣った顔で胸中で呟いた。
「んーと、多分自分の部屋で出席してくれた人に、お礼状っていうの?そんなみたいなの書いてる」
 多分ね、と最後に吉田は付け加えた。
「へー、そうなの!!」
 たったこれだけなのに、彼女達は色めき立った。そんなに色っぽい事言ってないよな?と吉田はマグカップのミルクティーを飲みながら自問自答する。
「いいな〜隆彦さまの手紙、私も欲しい!」
「隆彦様、書く字も凄く綺麗なのかしら。ねえ、吉田、そこん所どうなの?」
「き、綺麗なんじゃないかなー。見た事ないけど」
 気迫に尻込みつつ、吉田が言うと「やっぱり―――vvv」と異口同音にはしゃぐ彼女達。……ついていけない。色々と。見た事無いって言ってるのに……
 さて、そろそろ時間だ。吉田はこそこそと隠れるように移動するが、佐藤の貴重な情報源である吉田を逃がす気はさらさら無かったようだ。
「ちょっと、何処行くの?」
 気付かれたー!と、ぎくーん!と全身が強張ったが、何とか持ち直す。
「さ……隆彦様にお茶持って行かなきゃと思って」
 いつものノリでうっかり「佐藤」と言いそうになるのを、慌てて直した。こんな気苦労もするから、人が増えると疲れるのだ。
「隆彦様に、お茶!?私行きたい!」
 近づくチャンスを逃してなるものか、と1人が挙手をする。それを皮切りに、次次と声が上がる。
「私も、私も―――!」
「私、ウエイトレスの経験もあるのよ!お茶運びは得意中の得意よ!」
「ねえ、お願い、吉田!代わってぇー!カメオのブローチ、あげるから!!」
「だったら、あたしは真珠のブローチあげる!!」
 いや、いらないし、と縋るような相手に声に出さずに突っ込む。別に買収に辞さない高尚な精神という訳でもなく、単に装飾品に対する興味が薄いだけだ。綺麗だな、と思うが自分で着けようとは思わない。これが角のパティスリー限定ホワイトチョコのムースなんかだったらちょっと怪しいが。
 盛んに代行を申し出る彼女達の勢いに圧されそうな吉田だが、まずはそっと深呼吸。こんな目に遭うのは今日が初めてじゃない。対処もバッチリだ!考えてくれたのは佐藤だけど。
 あのね、と吉田は切り出した。
「お茶を運ぶのは通常の仕事で、皆はあくまでパーティーのお手伝いに来て貰ってる訳だから、それをしちゃうとルール違反になんの」
「でも!!」
「黙ってれば解らないでしょ!?」
「お給料もお手伝いの分だけなんだし、タダ働きなんかさせたら誇りを持って仕事に挑んでいる人に悪いって、さ……隆彦さまは言うんだよ」
 すかさず吉田がそう続けると、皆が一旦停止ボタンを押した画面のように、ぴたりと止まる。そして。
 ヒートアップしていた空気は一気にピンク色に染まりきった。何か良く解らない浮遊物体も見えそうな気がする……点描ぽいヤツが。
「……私達にそんな気を使ってくださるなんて、さすが隆彦様vvv」
「主人の鏡よね〜vv あーあ、私も出来ればここに雇われたかったわ」
「ねえ、吉田はどーやってここに……あれ」
 佐藤の気づかいに皆が一様の目をハートにし、ぽ〜となっている間に、吉田はそそくさととっくに退散していた。ややあって、吉田何処行ったー!?という咆哮を背中に受けながら、吉田はキッチンへと向かったのだった。


 紅茶は吉田が佐藤の部屋で淹れるとして、付随するティーフードを作るのはコックの秋本の役目である。実力は確かなのに、若さのせいと優し過ぎる為の引っ込み思案な性格のせいで、催しの時に助っ人の方に命令されている姿は見ていて哀れで悲しい。
「ローストビーフのサンドにサラダ……これで夕食にしちゃうつもりなのかな、佐藤」
 出されたティーフードを見て、吉田がそんな感想を抱く。
 時間的にはアフターヌーンを過ぎてハイティーの時間だ。本来のハイティーは、出掛ける前や後にちょっと腹に詰めておく、という感じのラインナップで整えられる。しかし佐藤に外出の予定もないし、ちょっと詰めるにしてもボリュームがある。とは言え、健康体の青年の夕飯の代わりには、やや乏しい気もする。
「うん、多分ね。後は手伝いに来てくれた人に出すメニューだけ言ってたから」
 秋本が頷く。その背後にある大きな寸胴が、彼女達に出されるものなのだろう。吉田の位置からでも、とても良い匂いがした。
 あ、そうだ、と言って秋本はトレイを持って移動しようとする吉田を引きとめた。
「後でデザートあるから、また来てね。昨日残ったブリオッシュで作ったサバランがあるんだ」
「えっ、ホント?嬉しいー!」
 秋本はこうして、余ったパンや食材を使って吉田達に振舞ってくれる。あるいは余所だと厳罰的な振る舞いかもしれないが、ここの主――佐藤は、そういう事には寛大だった。大して問題視もしていない。
 吉田は秋本にサンキュ、と礼を言うついでに、もう1つ。
「でもさ、わざわざ味見させなくても十分美味しいんだから、そのまま洋子ちゃんにあげてもいいと思うよ」
 たまに裏口から会いに来る可愛い幼馴染と、その時の秋本の対応に、いくら鈍感な吉田でもその気持ちには気付いているのだった。早くくっつけばいいのに、という気持ちからそんな揶揄を言う。
「えっ、ちょっ、なっ、よ、吉田!!」
 顔全部を真っ赤にして挙動が不審になる秋本。そんな様子を見て、吉田は楽しく笑う。
「あー、でも、秋本の作るお菓子やっぱり食べたいし。だからまた味見させてねー」
 楽しみにしてるよー、と手をひらひら振って、改めて佐藤の部屋に赴いた。


 多分この屋敷は他と比べてシンプルな造りだと思う。最も、ここの他で勤めた事の無い吉田には、想像だけで何とも言えないが。
 それでもさすがに、当主の部屋のドアは他と比べて豪奢な作りになっている。質の良い木材は鉄より硬い事もあると聞くが、このドアに使われている資材はまさにそんな感じだ。叩くと、いつも小気味いいコンコン、という音を立てる。
 今日もその音を聞き、吉田はドアを開く。そして「失礼しまーす」という言葉と共に室内へ足を踏み入れた。
 本棚が目立つ佐藤の部屋。重厚な机はドアの真正面ではなく、寝室に繋がる壁際に置かれている。大きな机の端には、実用と観賞を兼ねたアンティークの地球儀がある。絵画や彫刻の類は置かれていない。
「ねえ、お茶だけどー」
 自分が入って来た事に、気付かないくらい集中をしている佐藤に、声をかけた。
 自分の雇い主である佐藤に対し、割と横柄というか普通の口調の吉田だった。来た当初は一応丁寧語を使っていたのだが、慣れない言い回しにやたら舌を噛むし、何より佐藤が止めてくれというので、止めたのだ。いいのかな、と思う事もあったけど、舌の痛みが慢性化しそうだったので、相手が言ってるのを良い事にすっかり吉田は砕けた口調だ。最も、来客のある場合は、さすがにかしこまった口調を使うけども。
「ん?……ああ、もうそんな時間か」
 てっきり礼状でも書いているかと思えば、佐藤は本を読んでいた。と、言ってもサボっていた訳でもなく、すっかり封蝋までされている手紙が傍らに置かれていた。もう、終わった後だったのだ。
 佐藤は何をするにしても、やる事が早く、的確で、完璧だった。それこそ誰の世話も必要無い程に。それでも身体は1つしかないので、身の回りを世話する吉田達――使用人が必要なのだろう。最低限しか居ない理由は、ここにあるのかもしれない。
「その手紙、今から出して来る?」
「いや、明日のお使いのついででいいよ」
 そんなやり取りをしている間に、蒸らし時間を定めた砂時計の砂が落ち切ったので、コップに紅茶を注ぐ。赤色のかかった琥珀の液体から、芳醇な香りが湯気と共に立ち上る。最後の一滴が肝心なので、そこまで全てを注ぎきる。
 佐藤は専らストレートティーだ。吉田は砂糖もミルクも入れたい所だけど。ただ、ちょっと疲れ気味の時はレモンティーを佐藤はよく頼む。
「なー、夕飯はこれだけなの?」
 トレイの上に積んでいたものを、机へと移す前、吉田が言う。勿論、少ないんじゃないか、という意味を込めて。
「そのつもりだけど。……何、一緒に食べれなくてさみしい?」
「なっ……!!」
 吉田は顔を赤らめた。何せ少人数の屋敷なので、普段の夕食は専ら皆と一緒なのだ。その方が手間が無くて良い、と言いだしたのは勿論佐藤。
 おかげでメニューも似たり寄ったりな感じだが、やっぱり主である佐藤にはいい肉や魚が使われれる。……まあ、「吉田、半分あげようかv」となって秋本の気づかいが無駄になる事もあるのだが。そんなに物欲しそうな顔してるのかな、と己を省みる吉田である。
「そーじゃなくて!サンドイッチで足りる?て聞きたいの!お腹空かない?」
「大丈夫だよ。秋本もその辺り考えて作ってくれてるし。栄養的にもね」
 確かに、皿の上にあるサンドイッチ達は、ローストビーフがメインだけども、少しずつ中身が変えてある。サラダにしても、サンドイッチで摂れなかった栄養を全て補おうかという充実したものだったし、それにかけるドレッシングも手が込んでいる。佐藤が適当で大ざっぱな注文をするのは、秋本の腕を信頼しているからだろう。……単に食事に興味が無いとも取れるが。
 佐藤が夕食をこの部屋で済ませたい理由は、吉田も解っている。まだ残る彼女達となるべく顔を合わせない様にしているのだ。
 最近の女子と来たら進んでいるから、身分違いをむしろ燃料にして佐藤に熱烈に迫って来るのだから。それを穏便にかわす佐藤もまた、凄いが。
「でも、もーちょっと食べた方が良くない?あ。さっき、秋本がサバラン作ったって言ってたから、それ持って来ようか?」
 例え佐藤が跡取りで無くても、身分と資産のある家に生まれた為に、吉田と同じ年でありながら圧し掛かる責務は多い。それを誰より間近で見ている吉田だから、そんな心配をしてしまう。
「いや………。………ああ、そうだな、持って来て貰おうか」
 一旦は断ろうとしたらしい佐藤だが、その後すぐに吉田にそう告げた。
 吉田はちょっとほっとしたような笑みを浮かべ、解った!と元気よく告げて部屋を出ようとする。その前に、もう一度佐藤が声をかける。
「ついでだから、お前の分も持って来てここで食べろよ。な?」


 1人の食事が味気ないのは、吉田でも経験がある事だ。
 使用人達への食事はまだ出来て無いが、吉田越しに佐藤の事付けを受けた秋本は頷いて、ぱぱっと手早くスモークサーモンのオープンサンドと、まだ煮込みが足りないんだけど、と言いながらシチューをよそってくれた。そして、さっき言っていたサバランを乗せて。
 秋本も一緒に誘って食べたい所だが、彼は今仕事の真っ最中だ。牧村は手伝いのメイド達に片っ端からデートの誘いをかけ、片っ端からビンタを食らって別の意味で忙しそうなので、ほっといた。屍になっていたら後で拾おう。
 他の屋敷ではどうなっているか知らないが、佐藤の私室は完全なプライベート空間で、いかなる客人も通さない。来客を相手にする場合は別にある応接室で全てを済ましている。
 しかし便宜上というか、設計か何かのオプションにでもなっているのか、ソファとローテーブル一式は置かれていた。そこで今夜の食事が開かれる。
「いただきまーす」
「ます」
 吉田の声を後追いするように佐藤が呟き、食事に手を着け始める。
「んん〜、美味しい〜vv」
 まずオープンサンドに齧り付いた吉田は、幸せそうに感想を漏らした。輪切りのレモンを乗せたスモークサーモンの下にはタマネギ。その下にはスライスチーズが敷かれていて、タマネギの水分でパンがふやけないようになっている。
 続いて、シチュー。煮込みが足りないと秋本も言っていたが、その分個々の味が浮き彫りになって、これはこれでとても美味しい。
「吉田。俺のサンドも食べる?」
 そう言って、食欲旺盛な姿を見せる吉田に佐藤は言った。
「だめ。自分の分はちゃんと食べて!」
 秋本が一生懸命作ったんだから!と吉田は突っぱねる。……ホントはちょっとだけ、食べたい気持ちもあったけど。
「俺は、吉田が美味しそうに食べてるの見るのが好きなんだけどなー」
「! バババ、バカ言ってないでさっさと食べろよ!」
 はいはい、と佐藤は呟いて、手にしていたサンドイッチに口をつける。程良い一口分を食み、良く噛んで飲み込んで、食べ方としてはいいのだろうが、いかんせん表情がぱっとしない。
「あーあ、また皺が寄ってるー。そのうち皺になるな」
 この辺に、と自分の眉間を指して笑う吉田。ほっとけよ、とちょっと不貞腐れて言う佐藤が吉田のお気に入りでもあった。
 簡単な食事は程なく終わった。デザートであるサバランを、吉田は佐藤に差し出し――
「半分こしようよ。元は吉田のだったんだし」
「え、でも……」
 それでも、佐藤の物として吉田はここに運んで来たのだ。
「はい、吉田の分」
 しかし上手く相手を納得させる器用な言い回しを持っていない吉田は、次のセリフを考える時間で佐藤に行動を許してしまっていた。こうなると、撤回させるのも野暮……なのだろう。ちょっと決まり悪そうに、ありがと、と呟いて半分になったサバランを受け取る。
 サバランは洋酒に浸して作る菓子であるが、どうやら酒に弱いらしい洋子の為、秋本が柑橘系の果汁を代用にして作り上げている。数種類がブレンドされた果汁の味を、ブリオッシュがしっかり受け止めている。
 美味しいな〜vvとまたも幸せに浸る吉田である。それを見て、笑みを浮かべる佐藤。
 が、その笑みを一旦引っ込め、やおら立ち上がると窓のカーテンをきっちりしめた。すでに夜の時間となっている今、その理由が日差し避けである筈が無かった。が、佐藤の行動の真意はすぐに解った。外から、微かにだか女性の声がする。それも、多数に。手伝いに来たメイド達が帰る為に屋敷を出たのだ。そして、周囲から佐藤の自室を――つまりここだが――を探ろうとしているのだろう。
 その声は遥か遠く、セリフというよりは声の抑揚しか解らないが、やっぱり「どこなの!?」みたいな声が引っ切り無しに上がっているのだろう。なんだか、落ちつかない。彼女達がまさに必死になって探している場所で、吉田は食事なんかしているのだから。
 佐藤の守秘ぶりは徹底している。自室の位置は誰にも教えていない。まあ確かに、必ずしも客人に教えなければならないようでもないから、言い逃れなんていくらでも出来るのだろうけど。
 だから、この部屋の位置を知っているのはこの屋敷の正式な使用人のみで――さらに部屋に入った事があるのは、吉田に限る。他の2人は特に入らなければならない仕事でも無い。吉田は、ベッドメイキングの仕事があるからで――それと、佐藤が来いと言うから。今のように。
「……行ったかな」
 誰とも無く、佐藤が呟く。しかしカーテンはそのままに、再び吉田の座るソファに戻る。そして、サバランを食べ始めた。
「……お、美味いな」
 ノン・アルコールに仕立てた工夫に、佐藤も舌鼓を打った。相変わらず顔は顰めてるけど。
「だろーv これなら洋子ちゃんも喜ぶよなー」
 こうしてちょいちょい作られる甘いものが、試作であり本番は可愛い幼馴染にあげる時だというのは、すでに佐藤も牧村も周知済みだ。
「アイツらもう付き合ってるの?」
「まだっぽい。すればいいのにね」
 牧村もそう言ってる、と言って吉田は呑気な笑顔で言う。
 大してその顔を、やけに真摯でじっと見つめている佐藤。なんだろ?と吉田は微かに首を捻る。
「……まあ、結婚とかそこまで進みそうだったら、ちょっと俺にも教えておいて。お祝いとかしないとな」
 最後の一口をフォークに指しながら、佐藤が言う。
「え、ぁ………う、うん」
 吉田がすぐに頷けなかったのは、まだ付き合っても無いのに気が早い、という前に佐藤から「結婚」という言葉を聞き、何だか自分の中のどこかが強張ったように動かなかったからだ。そこが何処なのか、追求するには冷静さが足りない。
(結婚……か)
 今は、まだ佐藤も吉田も出来ない。
 でも、もうすぐ出来るようになる。きっとその「もうすぐ」は「あっという間」くらいの感覚だろう。今からでも、何となくそう思う。。
「佐藤……も、するなら、早めに言っておけよー」
 普通のパーティーでも大変なんだからさー、と吉田は笑顔を作って言った。苦労して作った笑顔のつもりのような顔だった。
「吉田」
 無理をしたその笑いは、佐藤の一言で霧散してしまう。おそらく、隠そうとしていた強張った顔が露わになっているのだろう。
「俺の結婚相手……気になる?」
「……そっ、そりゃ……そりゃそうだよ」
 間接的な主人になる訳だから、と吉田は言う。そんな吉田を、佐藤は真正面からじっと見据えている。まるで観察するように。目の動きすら分析するように。そんな風に見られている事に、吉田も気付いた。居た堪れなくて、俯いてしまう。
「ごちそうさま」
 自分の膝しか見えない視界の中、そんな佐藤の声がして食器が鳴る音がした。それにぱっと顔を上げる。
「あっ、じゃあ持ってくから!それじゃおやすみ!!」
 食器をトレイの上に集めてから、寸分の間をおかずに部屋を出ようとする吉田。翻るスカートに、あからさまに早く此処から出たい、という態度が見えて、佐藤は逆に笑えてしまう。
「吉田。……おやすみ」
 名前を呼んだ途端、ギクッと固まった吉田に夜の挨拶を告げる。
 こんな状態でも吉田は、うん、おやすみ、と佐藤に返す。そんな吉田を、まるで眩しそうに佐藤は目を細めて眺めた。



 何だか今日は疲れてしまって、風呂に入る気もしない。シャワーだけ済ませて、吉田はベッドに潜り込んだ。
 佐藤の部屋から出たあの後。
 食器をキッチンに持って行き、皆の分の後片付けを秋本と済まし、廊下で屍化していた牧村を彼の自室まで引きずって、ベッドの上に放り投げた。
 可愛い女の子を見るとすぐにデートに誘うのは悪い所だと思うが、その引き換えとして佐藤の自室を尋ねられてもそれは頑として答えない態度はとても立派だと思う。まあ、だから余計に蔑まれるのだろうけど。
 牧村は見た目すごくちゃらんぽらんで、中身もそれを裏切らない性格だが、それでもたまに良い事を言うし、人を傷つける事は絶対にしない。牧村よりはるかに能力の高い執事なんていくらでも居るのに、佐藤が何故彼を自分の屋敷に置くのか、ちょっと解る気がする。
 ふかふかの枕に頭を埋めても、吉田にはちっとも眠気が襲ってこなかった。疲れていると言うのに。
 何か――胸のあたりが落ちつかない。ざわつく。結婚、というあの単語を佐藤の口から聞いた時から。
(別に……大した事じゃないっていうか、解りきった事じゃないか……)
 佐藤がいつか結婚するだなんて、そんな事は。
 それでもそれがまだまだ遠くに思っていたのは、自分の中の印象の為だ。
 吉田がこの家に仕えるようになって、約半年。しかし佐藤との出会いはそこからではなく、少し遡る。
 そもそも始まりは、吉田の父が佐藤の家――佐藤の父が当主を務める館に仕えていた事からだ。そしてその当時、佐藤は今の美麗な姿の影も無いくらい、やたら肥えていた子供だった。吉田はその時会っていて、しかし父親に言われるまでさっぱり忘れていた。言われた後も、そーいやそんなヤツ居たなぁ、という感じで。
 そしてその佐藤が今年晴れて屋敷を持ったという事で、その世話の為に吉田がてこてことやって来た訳だ。
 が、吉田が訪れ、ドアを開いて現れたのは現在の女子にモテてモテて堪らない姿の佐藤で。
 太った姿が頭にあった吉田は、すぐさま「すいません家を間違えました」と言って引き返そうとした所を、耳を掴まれて引き留められた。どうせなら腕を掴め、腕を!!(by吉田)
 それから秋本が来て、牧村が増え、現在に至る。
 初めてここの門を潜ったのが、まるで昨日のような、しかし実際以上に昔の事のようにも思える。
 自分は、いつまでこの家に居るんだろう。
 吉田は今日、初めて、そんな事を思った。



 例えば、佐藤が誰かと結婚して、その子供が成人して伴侶を持って――
(って、メイドってどこまで仕えるもんなんだろ……)
 吉田は何処かの教会に所属したり、他での修行の経験も無いので変な言い方だがモグリと言えなくもない。
 ここは、正式(?)なメイドの、井上に聞いてみよう。
「そうねー。大体、子供が出来たら辞めて行く人が多いような気がするかな」
 自分の子供が産まれたら他人の世話してる場合じゃないもんね、と井上は言った。さすがに本物(?)のメイドなだけあり、スカートの裾までぴっしり決まっているような佇まいだ。見習わなければ!と心に決めた所で、井上から貰ったシナモンロールのパンくずを頬に着けている時点でダメだろう。
「なに、ヨシヨシ、結婚の予定でもあるの?」
 にこり、と興味津々な笑みを浮かべ、井上が尋ねる。んぐ!と吉田がシナモンロールを喉に詰まらせた。
「ま、まさか!!!だってまだそんな年齢じゃないし、井上さんみたいに決まってる訳じゃないし!!」
 吉田は真っ赤になって反論する。同年代とは思えない幼い反応に、井上も悪いと思いながら笑ってしまう。ついでに、口元のパンくずを拭ってやりながら。
 井上は現在、婚約中の身だった。しかも、仕えているその家の息子と添い遂げる約束を交わしている。使用人と主人の結婚は、多い訳じゃないが、反面珍しくも無かった。ゼロからの伴侶探しに出るより、信頼出来るメイドに思慕を寄せる方がむしろ賢明な判断と思える。
 とは言え、言っては何だが、井上の相手はそう位の高い家でも無い。聞けば主人の妻がそもそもメイドであったというし、反対の声は無さそうだ。
 でも、佐藤はどうなんだろう。吉田は思う。佐藤の家は、強固に護るべき資産も家柄もある。何より、佐藤は上に姉が居るが長男でもあった。
 そんな彼には、やはり結婚相手は見合うべき相応な……いや、もうすでに決められているのかもしれない。佐藤は色々秘密にするから。
(う〜ん、もしかして、艶子さんかな?)
 吉田の中で、佐藤の知り合いの女性と言えばそれしか浮かばなかった。佐藤と同格に渡り合える相手だし、何より来訪の際には自分にお菓子をくれるので、彼女だったらいいな、と思う。普段のドジっぷりも見られているので、すぐにクビを切られる事も無いだろうし。完全なる父親からの縁故採用の吉田には、一般水準の技術も無かった。
 ベッドメイクも下手だし、今は少し慣れたけど、紅茶を入れる手つきもぎこちない。
 それなのに、何故仕えているかというと――
 何故かというと――
(………あ、あれ?)
 探したい答えが見つからず、吉田は困惑した。小さい頃から大好きな父親の頼みを断るのは忍びないからと、一応向かったのだけど、それだけだと今も続ける動機には少し弱い様な気がする。何より、自分があの屋敷に残れる可能性を探す理由にならない。
 父親への義理でないのなら、あそこに居たいのは自分の意思――?
 だったら、それは、つまり………
「……ヨシヨシ、ヨシヨシ」
 井上に呼ばれ、吉田は我に返った。
「ご、ごめん。ぼーっとしちゃって……な、何か言った?」
「ううん。そうじゃないけど……どうしたの?変な顔して真っ赤になったと思ったら、真っ青になって」
「え、ええと、生理が近いからじゃないかな?」
 えへへ、と言葉を濁して、吉田はそれじゃ!とこれ以上の追求から逃げるように去って行く。最初から小さいのがますます小さくなる後ろ姿を見て、井上がふっ、と息を吐く。
「……ようやく、意識したって所かな?」
 さて、自覚するまであとどれくらいだろう。
 ある時を境に、今まで見せない表情をするようになった吉田に、井上は思う。そのある時とは勿論、佐藤に仕えるようになってからの事だ。そして、多分だけど、佐藤の方も……
(今からドレス、作っておこうかな)
 仮にも時期当主と結婚するのなら、そういう機会も増えるだろうし。何より大事な友達の新しい門出を、うんと祝いたい。
 早速今度、そういう話をしてみようと、井上も自分の場所へと戻ったのだった。



――END――


*やっぱりやりたい身分差パロってやつで(笑)
メイド吉田に奉仕してもらいたいなぁ(何言ってんだ)