彼女が歩けば誰もが振り向き、彼女が笑えば誰もが倒れる。
大和撫子のような艶やかで長い黒髪と、パリコレのモデルのような抜群の体形を持っている。佐藤は、そんな絶世の美少女だった。
その美貌で虜にしているのは、何も男子には限った事では無いのかもししれない。
吉田もそんな佐藤と同性だけども、初めてその顔を真正面から見た時、思わず見惚れてしまったくらいなのだから。
「吉田!一緒に帰ろう」
机の間を華麗に縫うように佐藤は吉田の元まで赴いた。足の運びが綺麗なのはとっとも乱れないスカートで推し量れる。
「う、うん」
吉田が頷いた途端、彼女に向かってねっとりというか、ねっちりしたような視線が集まる。見れば、クラス中の男子の目がこちらへと向いていた。そして、佐藤と帰れる吉田へと、羨望の眼差しを向けているのだった。いいな〜いいな〜吉田、いいなぁ〜という怨念のような声が聴こえるのが幻聴だと思いたい。
「……佐藤のせいで、彼氏が出来ないかも」
ねとつくような男子の視線に辟易とした吉田は、そんな言葉を零す。あれには悪意こそ無いものの、決して好意的でもない。憧れの女性に始終くっ付いている(正確にはくっ付かれているだが)女子に懸想するもの好きなんて、とてもじゃないが居ないと思う。
その吉田のセリフを聞いた佐藤は正面の席で、目を軽く瞬かせた。まるで天使の羽のような睫毛が揺れる。
「吉田って彼氏が欲しいの?」
綺麗な声だ。さらさらとした小川のせせらぎを連想させる。顔の綺麗な人は声まで綺麗なんだ、と吉田は世の真理を見つける。
「そりゃぁ……何が何でも欲しいって程じゃないけど、居たら楽しいかな〜って思うもの」
「今は楽しくないの?」
「そ、そーゆーんじゃなくてさ。ほら、友達相手には出来ないドキドキとかさ。感じてみたいじゃん」
佐藤がまるで自分と一緒が楽しくないのか、みたいに言うものだから、吉田も慌ててセリフを改めた。
「授業中とかさ〜。皆に解らないように微笑みあったりとか、放課後はこっそり手を繋いでみたりとか。
……そんで、帰り際にはさ……。……………。……………………」
「キスする?」
「!!!!」
なんで言っちゃうの!とばかりに吉田は顔を真っ赤にした。
「ふふふ、吉田って可愛い事思ってるんだな〜。やっぱり大好き」
佐藤は楽しそうにころころと笑う。
佐藤に可愛いとか大好きとか言われても……と吉田は思うのだが、何故だか胸がドキドキする。まあ、これだけ綺麗な人から言われたのなら仕方ない反応だとも思うけど。
「佐藤は?そういうのしたいとか思わないの?」
これだけの美人の佐藤だ。告白される事は決して珍しくは無い。
しかし、佐藤はそれらを全て断っている。曰く、「今は友達と遊ぶのが楽しいから」。
友達……つまり吉田の事で、男子達の中で吉田の株が下がる一方の主な原因だった。
んー、と佐藤は考える様な素振りを見せる。
「そうだなぁ……今まではそんなでもなかったけど、吉田の話し聞いたら興味出て来た」
「ふーん。単純だなー」
「吉田に言われたくないけど」
あんまりな言い草に「何それ!」と吉田は頬を膨らませた。それを笑って受け流す佐藤。
まあ、それはそうとして。
佐藤にも、一応付き合いたいという気持ちはあるらしい。だったら、佐藤に恋人が出来る日も、近いかもしれない。
そうなったら、もう男子から粘つく視線を貰う事は無いし、吉田にも彼氏が出来るチャンスが来るかもしれない。
そして、こうして2人で帰る事も無くなるだろう。たまにケーキ屋に入って、2人して別々のケーキを注文して互いのを味見させて貰う事も無くなる。
それは。
(ちょっと寂しいなぁ……)
吉田は胸中で呟いた。
と、その時。
きゅ、と吉田の手が握られる。佐藤の手によって。
「ん? へ?」
「手、繋ぐんでしょ?」
戸惑うように見上げる吉田の視線を受け、しかし佐藤は当然のように言った。
それは将来彼氏が出来たらの話しなんだけど……と吉田は突っ込もうと思ったけど、もしかしたら佐藤なりに気を遣っているのかもしれない。佐藤のせいとか言ったけど、それほど真剣に悩んでいる訳でも無かったのだが。
(ま、いっか)
こんな風に手をつないで帰るのは、どれくらいぶりだろうか。久々に繋いだ手は、なんだか擽ったい。
でも、悪いものでも無い。
手から感じる佐藤の体温に、吉田はへにゃりと顔を綻ばせる。
そんな吉田を、佐藤は目を細め愛しそうに眺めた。
そのまま、手を繋ぎながら残りの帰路を歩く。手を繋いでいるからか、吉田はいつもよりよく喋った。佐藤のような優等生には歯牙にもかけないような、テレビや漫画や、お菓子の話ばかりだが、佐藤はどれも楽しそうに聞いてくれている。自分を出しに男子の告白を断るような佐藤だが、悪いヤツではないのだと吉田は思う。あと、学校に居る時やたら自分にちょっかい出すのをもうちょっと控えてくれたら何よりなんだけど、とも思うけども。
2人の帰路の分岐点に差し掛かった。さて、それじゃ手を離そうか……という吉田の動きに反して、遠のきそうな吉田の手を佐藤はぎゅう、と握った。離したくないというように。
繋がれた時と同じく、吉田は困惑して佐藤を見上げた。佐藤はただただ静かに自分を見ているだけだけど、何故だか目を逸らす事が出来ない妙な迫力があった。
何?何?といよいよ混乱する吉田の脳裏に、さっき交わした会話の一部が再生される。
――授業中とかさ〜。皆に解らないように微笑みあったりとか、放課後はこっそり手を繋いでみたりとか。
……そんで、帰り際にはさ……
――キスする?
(まままま、まさか!!!!)
こうして手を繋いでいるのが、この会話からの派生だというのなら。
帰り道の分かれ目に差し掛かった今、佐藤がしようとしているのは――
(だ、だ、だ、だって!だってそんな!!!!)
顔の熱がどんどん上がって行くのが解る。ふ、と佐藤が意地悪そうに笑った。吉田が真っ赤なのと、その理由が佐藤にも解ったみたいだ。恥ずかしい……と消え入りたい気持ちに陥る。佐藤はからかっているだけなのに、一々反応してしまう自分が憎い。
「吉田」
佐藤が名前を呼ぶ。
その後の事は、まるであらかじめ決められていた事のようにスムーズだった。
佐藤の華奢でたおやかな指が吉田の頬にかかる。そっと上向けられた吉田の唇に、佐藤はそっと自分のを重ねたのだった。
「………。………………。!!!!?!?!????!!!?????」
最初。吉田の思考は完全に止まっていたから正確な時間は把握できない。
それでも、佐藤にキスされた。キスされている。キスしているという自覚はたっぷり出来た。
(ひ、ひ、ひえぇぇぇぇえええ!!口!口が―――――!!!!)
驚き過ぎて逆に身体が動かない。カチコチに身体が強張っている。そんな吉田を解そうとしたのか、佐藤はそっと抱き寄せる。触れあった佐藤は、柔らかくて温かくて、良い匂いがする。同じ身体の筈なのに何もかもが自分と違う。
不思議だなぁ、と稼働中の洗濯機みたいにぐるぐるする頭の中、吉田はそんな事を思った。
「……吉田。吉田」
軽く頬を叩かれる感触で、吉田ははっ、と我に返った。目の前には、綺麗な綺麗な佐藤の顔。
はわわわわわわ!!と焦るものの、何をどうしたらいいか解らない。何を言えば適切なのかも。
パニックになっている吉田を落ちつかせる為か、佐藤はそっと頭を撫でる。
「じゃ。また明日ね」
「……あ……ぅ……」
ぽん、と佐藤の背中を叩かれ、ようやっと吉田もぎごちなく動き出した。よく見れば、手と足が同じ方が出ている。帰るまでに転ばないといいなぁ、と佐藤は思った。
帰宅し、部屋に戻っても佐藤の甘美な時間は終わって居なかった。
(ふふ……可愛いかったなぁ、吉田vv)
まさか帰国してそうそう、王子様みたいに自分を苛めっ子から助けてくれていた吉田と再会するなんて夢にも思って無かった。あの頃はとても凛々しかったけど、今はなんだかちょこんとしていて小動物みたいでとても可愛い。佐藤は勿論、どっちの吉田も大好きだ。
白豚だと言われていた小学の頃とは大分体つきが変わったから、吉田はまだ気付いてないみたいだ。まあ、親ですら最初は解らなかった程だから、無理も無いと整理出来る。
あの頃から、佐藤の心は決まっている。どれだけ男子が告白して来ても揺らぐ事は無い。
でも吉田の方は、体躯とは裏腹に(←失礼)年相応の恋愛観……というよりもただの理想ではあるが、をそれなりに持っていて、今日は少しひやっとしたものだ。
吉田に決めた人がいるなら諦めないととは思っているが、今の所は恋に恋しているような状態のようだ。見ていて可愛いが、じれったくもあり危機感も覚える。今、もし、誰かでも告白されたら、吉田はほいほいそれを受けてしまいそうだ。
そうなる前に。
せめてこんな自分の懸想も吹き飛ばす相手じゃないと、大事な吉田は渡せない。
これから当分、吉田は自分とのキスで頭が一杯の筈だ。何をしていても今日の事が過ぎるだろう。
そんな吉田を想像して、佐藤はその美麗な顔を綻ばせる。
吉田と居ると、楽しい。
そしてふと佐藤は思い出す。
そうだ、吉田も言っていた。恋人が出来ると楽しいと。
今、自分はとても楽しい。
それはきっと、吉田に恋しているからに違いないのだ。
*おしまい*