学期末にして学年末のゆったりとした時期、3月。学生としてはのんびり出来る頃だろうけど、恋人としての佐藤は浮き足立っていた。
 それの原因は遡って一か月前、バレンタインから始まっている。
 佐藤にはそれはもう、可愛くて恋しくて愛しくて堪らない、恋人の吉田が居て、そのバレンタインになんとチョコを手作りしてくれたのだ。チョコをくれるだけでも十分嬉しいというのに、その上さらに手作りだという。その手間暇を惜しまず、自分の事を考えながら作業に勤しんでいたのかと思うと、チョコが一層より甘く感じられた。確かに見た目はあまり良くなかったけれど、食べてしまえば関係ないしな、と現実主義な所を発動させる。
 相手が手作りしてくれたのだから、こちらとしても手作りで返したい所だ。
 ホワイトデーのお返しと言えば、クッキー、キャンディ、マシュマロといった所か。確かそれぞれに意味があったような気がするけども、告白に対しての返事というのならその必要のない自分達にとってはどれを贈っても構わないだろう。
 クッキーならば作るのは簡単だが、出来れば何かサプライズを仕掛けたい。普通に贈るのより、もっと驚いて、もっと喜んで欲しい。自分がチョコを受け取った時の喜びを、吉田にも味わえてくれたら。しかし、どれだけ凝った事をしても、クッキーではたかが知れている……というのもクッキーに対して失礼(?)だろうけども。
 キャンディは手作りするには大変そうだ。
 そして候補は1つになり、早速佐藤は作り方を調べ始めた。


 2月と3月は日にちと曜日が同じになる。勿論、うるう年は別として。
 先月のバレンタインは土曜日だった。なので今月のホワイトデーも土曜日である。最も、チョコを貰ったのはバレンタイン当日ではなかったけれども。
 おじゃましまーす、と一声上げて吉田は廊下を上がった。ちょこちょことした足取りで進む背中を見送り、佐藤は準備をし始める。
「はい、ホワイトデーのお返し」
 その声と一緒に吉田に出されたのはコーヒーだった。しかし、それが佐藤の言う「お返し」ではないのは次にテーブルに出された物で解る。
「あ、マシュマロだ」
 ガラスの器に盛られたのは、まるで雪を固めたようにふんわりとしたマシュマロの小さな山。見た目からして柔らかそうなそれをそっと摘まめば、見た目を裏切らない感触を指先へと伝える。
 いただきまーす、と吉田が口の中に放り込む。その様子を、佐藤はブラックコーヒーを口にしながら眺めていた。
「うん、美味しい! これ、美味しいな~」
 むぎゅむぎゅ、とまだ口の中でマシュマロを堪能しつつ、いち早い感想を佐藤へと教える。良かった、と佐藤は安堵の微笑を浮かべた。
「甘さとかも丁度いい?」
「うん、……って、もしかして、これ、佐藤が作ったの??」
 市販品とは違うような食感に、さっきから食べる自分を気にするような佐藤の素振り。これだけ揃えば、さすがの吉田も感づく。先月自分が手作りしたのだから、同じように返すのでは、と思わなかった訳でもない。が、出された物がマシュマロだったのでそれは違うかと思ったのだが。
 手作りかという問いかけに、佐藤は素直に頷く。その相槌に、吉田が釣り目を丸くし、「すっげー!」と声を上げた。
「佐藤凄いな!マシュマロなんてどーやって作るんだよ!?」
「いや、そんなに難しくも無かったんだ。ようはメレンゲをゼラチンで固めたものだから」
 キラキラと眩しい視線を受けながら、佐藤がどこか照れ臭そうに答える。結局佐藤だって、恋する男子学生にしか過ぎないのだった。
 照れ隠しの反動で、つい簡単だなんて言ってしまったが、実は結構苦労した。材料は佐藤が言ったように単純なものばかりなのだが、マシュマロというのは食感が命のお菓子である。固すぎても柔らかすぎてもいけない。その程よさを見極める為に作った試作品はどれだけだっただろうか。失敗作という以上に誰か押し付ける相手の居ない佐藤は、それを逐一自分で処理するしかなかった。この先、当分のマシュマロを食べたというくらいに。
 何とか満足のいくものが出来たのは、本当についこの前だった。時間に余裕があったら、シロップを加えたりともっと味のバリエーションを作れたのに。別の材料が加われば、また配分も違ってくるだろう。
 来年にリベンジだな、と佐藤は密かに心に誓った。そんな佐藤の前、吉田の口の中にマシュマロがぱくぱくと消えていく。良い食べっぷりに、これまでの苦労も報われた思いだ。
「マシュマロ、コーヒーに浮かべても美味しいよ」
「あ、そっか」
 つい、手作りだという事で夢中になってしまったが、傍らにあるコーヒーの存在を思い出す。吉田の分もブラックなのは、マシュマロを入れるのを想定しての事なのだろう。これだけ豊潤な香りを漂わせているというのに、うっかり忘れるなんて。だって、凄く驚いたし凄く嬉しかったんだもの、と吉田は誰に言うでもなく言い訳をした。
 ぽちゃんぽちゃん、とまずは1つ入れてみる。一口味を見て、もう1つ入れてみた。うん、美味しい。甘味と一緒にとろみがついて、じんわりと胃の中から温まる。
「あ~、ホント、美味しいな~」
 佐藤手作りのマシュマロ入りのコーヒーをたっぷり味わい、吉田はとても幸せだった。もうすぐ春休みだという事も、この幸福感の助長させる。
「佐藤、春休みはまた家族旅行の予定とかある?」
「いや、多分無いと思う」
 今の所、そんな話は上がっていない。まぁ、もし声を掛けられたとしても、進級の準備があるから、と言って断ろうと思っている佐藤だ。
「じゃあ、どっか遠出しよっか」
 吉田の提案に、佐藤がぱちくり、と大きく目を瞬かせる。そんなに突飛な事を言ったかな、と吉田が微かに首を傾げると。
「それ、泊まりで?」
「え?………… ――――――ッッ!!」
 きょとんとした顔の後、ワンテンポ置いてからかーっと吉田が真っ赤になった。
「っち、違う! 日帰りで!!!」
「別にいいじゃん。今度こそ2人きりで南の島で……」
「それはもう、いいからッ!!」
 ドSとまでいかないが、意地悪なスイッチが入ったのか、佐藤がニヤニヤした口調で吉田を嬲る。あの夏から半年以上は過ぎたけど、まだ記憶が風化するには早い。まざまざと思い出してしまった吉田は首まで真っ赤だった。
 全くもう、と少しだけ温くなったコーヒーを啜る。
「桜が咲いているようだったら、花見とかでも良いな」
 吉田を甚振るには気が済んだのか、佐藤が建設的な台詞を口にする。桜かぁ、と吉田は言われて気づいた。いつ雪が降っても可笑しくない寒さで震えていたのはつい先日もだ。もう、そんな時期になったのか。
 佐藤と迎える2度目の桜だ。小学の同窓でもあるけれど、吉田としてはやっぱり佐藤とのスタートは高校からだった。小学生のころから、ずっと想っていたという佐藤にはなんだか申し訳ないのだけど。
 おそらく、その次の桜も佐藤と一緒に見れるのだと思う。けれど、その次は。
 高校を出たあとの事は、まだ全くの白紙だった。少なくとも、吉田はそうだった。
 出来る事なら、これからの桜は佐藤と一緒に眺めたい。
 春の桜も、夏の花火も。秋の満月も冬の雪も、その光景には佐藤が居て欲しい。
 クリスマスにはケーキを食べて、バレンタインにはチョコを贈りたい。今年の出来は酷かったから、来年はもっと良いのを上げたいと思うし。
 さて、それはひとまず置いといて。
「……高校って、春休みでも宿題出るんだな……」
「まぁ、他の休みよりずっと少ないんだからさ。ぱっぱと仕上げちゃおう」
 はーあ、と課題として出されたプリントを取り出しながら、吉田はため息をついた。
 この課題を出す時には、もう自分は高校2年になる訳だ。少し不思議な気持ちになる。クラス替えはしないらしいから、秋本達ともそのまま繰り上がりで同じクラスになるのだろうけど。
 次の1年はどんなものになるんだろう。この1年は大変というより、劇的だった。他人事であったら、何かの冗談じゃないかと思うくらいには。
 吉田が予測できる限りなく現実に出来ない想像としては、4月に入学した新入生の女子達が、佐藤を見て卒倒する光景だった。
 ちょっと苦い気持ちになった吉田は、まだ器に残るマシュマロを1つ、頬張る。
 弾力を与えた後、しゅわり、と溶けて甘さが口中に広がっていく。
 これを佐藤が自分の為に作ったのだという事実も踏まえ、吉田の表情は綻んだ。



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