暦の上では冬はもう終わりだとか告げているけども、実際気温はまだまだ低いし寒いというより他は無い。
 その日も吉田は寒い寒い、と顔の埋まるマフラーの中で「おじゃまします~」と言いながら佐藤宅へと上がった。
 この時期だとカリキュラムも終盤になり、社会科関係の科目で「ここからここまでまとめてきて」なんていう大雑把な課題が出される。苦手な英語程頭は使わないけれど、要点を上手く絞らないと時間とページ数ばかり嵩んでしまう。それに、この手の課題は話しながらでも進ませる事が出来て良い。普段は教わる一方の吉田だから、たとえ拙い意見になろうとも「こことか重要なんじゃないか?」と佐藤に語る事が出来るのは嬉しい。
 家主である佐藤は手際よく暖房器具のスイッチを入れ、体の中から温める為に一度キッチンへ向かう。その間、吉田は課題に使う一式をテーブルに出した。教科書にノート、そして筆記具。
 やる事を済ませてしまえば、後はぼんやり佐藤を待つだけだ。先に教科書くらい軽く目を通しておけば良いと思うのだが、そこまで考えが至らない吉田だからいつでも赤点の危機に怯える。
 もうこの部屋は何度も訪れていて、目を引くような物は無い……筈なのだが。
(ん?)
 視界の端に何やら無視できない物を捉え、吉田は立ち上がる。佐藤の机の上にあったそれは―――
「!!!!!」
 んぎゃぁ、とか、喉で潰れたような悲鳴を上げる吉田。
 と、そのタイミングで佐藤が戻ってきた。
「吉田、ココア入れたよ……って、どうした?」
 かなり瞠目している様子が一目見てとれた。吉田の奇行(?)にすでにある程度免疫がついている佐藤は、騒がず慌てず、これから課題をやろうというローテーブルの方にカップを並べる。自分の分はブラックコーヒーである。
「さ、佐藤――――! 何だよ、コレ!!!」
「コレって……随分な言い方だなぁ。
 吉田のくれたチョコじゃん」
 まるで犯罪の証拠品でも見つけたかのような吉田の態度だ。
「だから!なんでまだあるんだよ!さっさと食えよ!!」
 最後の最後まで、あげるかどうかを迷いに迷って、なけなしの勇気を振り絞ってようやく手渡せた吉田のお手製のチョコが未だに佐藤の机に鎮座していたのだ。佐藤にあげたのは数日前の事である。確かにあの場で、全部は食べていなかったけれども!というか食べさせていなかったけれども!!!
 さっさと食え、という吉田の意見に佐藤は反抗的な態度を取った。
「嫌だよ、勿体ない。もう少し眺めてから食べる」
「手作りなんだから!早く食わないと!賞味期限!!」
「チョコレートなんだから、まだ日持ちするって」
 あまり放置するのは2重の意味でまずいというのは佐藤だってよく判っているのだから。しかし、それでは吉田は到底「あ、それなら」なんて引き下がれない。
 これが、ちゃんと出来たチョコレートだったら、吉田もここまで狼狽しなかっただろうけど。
 実際に上げた佐藤のチョコレートと来たら、見た目がそれはもう酷いものなのだ。レシピ通りの手順だから味は一応良いのだけど、見た目がとにかく壊滅だ。ぱっと見チョコに見えない。RPGに出てくるモンスターのフィギアと説明した方がピンとくるような出来栄えなのだ。そんな物がいつまでも佐藤の部屋にあるなんて、耐えられない!
「だって……本当に嬉しかったからさ。まさか手作りくれるなんて」
「うぅ………」
 ちょっと頬を染めて、佐藤がすねるように言う。
 少し前まで、佐藤がそんな顔をするなんて、想像でだって夢でだって思わなかった事だ。その表情を見るだけでも、佐藤がとても喜んでいるのは吉田にだって解る。
 あ~、なんであの時もっと上手に作れなかったんだ!と数日の差を置いて吉田は自分の手際を悔いた。
 本当は、持ち帰った初日に存分に写メを撮り捲ったから、例え実物が無くなっても眺める事自体は十分に出来るんだけどね。
 佐藤に強く言えなくなってあうあうと唸る吉田を見て、佐藤は内心舌を出す。
 そしてその後、「吉田が食べさせてくれるなら」という条件で残りを完食したのは、定型に則った流れであった。



 人は言う。失敗は成功の元であると。
「はい、佐藤。チョコレート」
 パッケージ自体は素っ気ない。あまり飾りに凝らないのが吉田らしくてむしろ好ましい。
 茶色のリボンを解いて白い箱を開けると、そこには6つのチョコレートが。
 ガナッシュをくーべるチョコレートでコーティングした物を、トリュフチョコレートと呼ぶのだろけども、佐藤が目にしているものはきっちり俵型に成形しており、とてもトリュフには見えなかった。
 こういう形のチョコレートとなった原因というか、理由は明白である。一番最初の手作りチョコは、吉田にとってトラウマになってしまったのだろう。
「中身はな、一応全部違う酒が入ってんだ」
 どれにどれを入れたか判らなくなったけど、食べればわかると思う。製作者である吉田からの大雑把な説明だった。
 吉田の両親は両方とも酒飲みだから、家にはそこそこ種類が揃っているのだと佐藤は推測出来た。
 早速1つを食べてみる。
「ん……これ、日本酒か?」
「うん、日本酒も入れてみた!どう?」
「あまり悪くない……っていうか、結構好きかも」
 佐藤が感想を口にすれば、吉田はそっかぁ、と嬉しそうに笑う。もしかすると、来年は日本酒の銘柄で揃えたチョコレートの詰め合わせかもしれないな、と佐藤はなんとなしに思う。
「それにしても……」
 と呟きながら、佐藤は手にしたチョコレートを眺める。
「吉田、チョコレートの腕だけはすっかりプロ級だなぁ」
 しみじみと呟くと、吉田がうっと喉に詰まったような声を発した。
「べ、別に……」
 顔を赤らめた吉田は「別にチョコだけが上手いんじゃない」と言いたいようだが、その他の菓子類、および食事での腕前を思うと、それらも決して下手ではないのだがチョコレートに関しては抜群に抜きんでている。むしろ製菓で難しい部類に入るチョコレート菓子をほぼ完ぺきに仕上げる事が出来て、何故その他がそこそこの腕前なのか、いっそ謎である。
(我が家の7不思議だな)
 自分で准えたその表現が気に入って、佐藤はクスクスとした笑みを零す。
 来年はもっと上手に作る。初めての手作りチョコを貰った時、そう吉田から宣言された内容は反故される事無く、前の年よりは確かに進歩したチョコレートが佐藤へと贈られた。
 それは毎年毎年積み重なり、今ではこんなにも、プロが作ったのだと言っても誰にも疑われないような物を作れるようになった。
 継続は力なりって本当なんだなぁ、と佐藤は今更にその言葉の意味を知る。
「大体、佐藤だって上手に作るじゃん」
 佐藤があれこれ思っている間に、吉田はようやっと言い返す為の言葉を見つけたらしい。
「そうかな」
「そうだよ」
 すかさず言い返す吉田が可笑しかった。ふふ、と佐藤の口元が緩む。
 吉田はチョコレート菓子だけ突出して上手で、そういう意味である種目立っているが、佐藤は調理全般をそつなく、かつ完璧に熟す。バレンタインのチョコレートだってそれに然り、である。
 けれど、佐藤の作るものはレシピの再現に過ぎないのだ。毎年毎年、練習や失敗を積み重ねて完成された吉田のチョコレートとは、天と地、雲泥の差があるだろう。勿論、地と泥に相応するのは自分の方だと佐藤は思っている。一応、愛情はたっぷりこめて作っているつもりだが。
「他は何が入ってるの?」
 佐藤の質問に、吉田は記憶を掘り返した。
「えーっと、ラム酒に、ワインに、ブランデーに、泡盛もあったかな?」
「へぇー」
 想像以上に多種多彩だった。まぁ、見て目では作った本人も区別がつかないみたいだから、食べなければどれがどの味かは不明だが。
「ま、食べてみてよ」
 そして吉田当人がその事をよく判っているから、佐藤に勧める。
「ん、」
 と、佐藤は返事をするが、手を動かさない。
 手を動かさなかったが、口は動いた。というか開いた。
「………………」
 その様子を、甘いチョコレートとは裏腹に渋い面持ちで眺める吉田。
 変わるものもあるが、一方で変わらないものもある。
 佐藤にチョコを食べさせるのは、相変わらず吉田の役目だった。




<END>