世界でたった一人の愛しい恋人から、佐藤はベタな事が好き、と言われる。そこは女性に言い寄られる数に反して佐藤には恋愛経験が皆無で、恋人達のするイベントの情報を、フィクションの本の中からしか得ていないからが理由というか、原因かもしれない。だから、バレンタインにはチョコが欲しいし、クリスマスを一緒に過ごしたいと思う。
 思うのだが、生憎現実というのはままならないのが定石だ。
 はぁ~あ、と佐藤は当てもなく街中を歩いている。本当に、当てもなく、ただそれでも部屋の中で閉じこもってるのも気が治まらなくて、こうして冬の寒空の中を徘徊していた。
 明日にイブを控えていながら、佐藤はこの冬の曇り空よりもよほど憂鬱だった。さっきのやり取りが今でも脳裏に鮮やかに蘇る。

 ――ごめんな、佐藤、ホンットごめんな――

 そう言う吉田の声は鼻声でしかも枯れていて、電話越しながらも一発で風邪だと判る程だった。しかもその酷さたるや、今日明日で治るかも怪しい、というくらいの。
 実際に風邪を引いているのは吉田だというのに、佐藤にも頭痛が起こったかという眩暈を感じた。明日は、イブなのに。吉田と、過ごす筈なのに。
 クリスマス当日には家族から帰って来いと言われている。両親はともかく、待ち焦がれてくれているらしい小さい弟を無下にするのも躊躇われる。だから、一緒に過ごすにはイブと決めたのだが――
 これじゃあ、とても無理だな。佐藤は冷静に、あくまで冷静に判断した。本当なら恨み言でもぶつけたり、八つ当たりをしたい気持ちが無い訳でもない。本来の自分は結構過激だと、幼い頃抱いた夢で佐藤には自覚がある。
 けれど、何度もごめんごめんと掠れた声で必死に告げる吉田に、そんな気持ちは浄化されるように失せていった。鼻が詰まっているのかと思った声が、もしかしたら涙声なのかもしれないと思ったら、そこまで気にしなくていい、と諭してやりたくなる。他者に対し、こんな風に労われるとは、つくづく愛というのは偉大なものだ。
 怒りが失せた後にはただただ寂寞感が佐藤を襲う。人は本当に一人の時は孤独を感じないというが、全くである。佐藤の中にはすっかり吉田という存在が住み着いていた。それは一人の時だと孤独を生み出すが、一緒に居る時にはこれ以上ない幸福を齎すのだ。
(大体、人にはあれだけ風邪引くな引くな言っといて、自分で引いてるって)
 愚痴というよりはツッコミに近い事を佐藤は胸中で呟く。以前、自分がドカンと高熱を出した時、佐藤自身には記憶が無いのだが、結構な事をしでかしたのだ。吉田は余程それが懲りたらしく(ついでにクラスの男子も)よくよく「帰ったら手ぇ洗えよ!「うがいもしろよ!」と年齢が年齢なら「ドリフか」という返しを貰いそうなセリフを吉田は連呼していた。 
 あ、そういえばマスクを忘れたな、と佐藤は自分の現状にはた、と気づく。外に出る時はマスク必須!とまで言われていた。けどもういいかな、と多少投げやりな気持ちになった。どうせ今から風邪になったって、不都合は何もないのだし。
 そう言えば、12月に入ってからその小言(と、言っておこうか)はより頻繁になったのだけども、思えばあれはイブに風邪を引かれては堪らん、という事だったのかもしれない。それだったら、むしろ小言の数々も嬉しくなる。吉田も吉田だが、佐藤は佐藤で結構単純な所があった。
 そしてその吉田が現在寝込んでしまい、はたして運が無いのは吉田なのか自分なのか。きっとどっちもだな、とそんな結論に陥った。
 今日の晩飯どうしよう、と佐藤が日常に密着した悩みで頭を使い始めた。と、その時。
「ああ~~、どうしよう、どうしたもんかの~~~」
「………………」
 目の前に一匹、もとい一人のジジイ、ではなく爺さんがいる。何か袋を落としてしまったようで路上に何かがぶちまけられていた。このまま進めば、直面は避けられない。
 面倒事は避けたいが、引き返すのも何か癪だ。などと思っていたら、老人にしては目敏く、相手は佐藤に気づいたらしかった。
「お~、そこの若いの。助けてくれんか~~~」
「………………………………」
 嫌だ。絶対、嫌だ。
 けれど、こういう時、吉田だった助けてしまうんだろうな、と思った佐藤は手を貸す事にした。
「これ、全部か。爺さん」
 やや不機嫌に佐藤が言う。それに気づいていないのか気にしていないのか、老人は「おお~~~」と頷いた。多分、頷いたんだと思う。
 黙々と拾い上げるのは魚肉ソーセージだった。こんなものを何故こんなに……と果てしない疑問を抱きながら、その傍らでふと気づいた。この老人、前にも見ていないか?今はダウンジャケットに身を包ませているが、以前佐藤が見た時には思わず二度見するような恰好だった。
「あんた……サンタか?」
「おぉ?おぅおぅ、よく判ったの~~」
 老人は鷹揚に頷いているが、もちろん本物のサンタである筈がない。嘘つけ、と言い出した側ながらに、佐藤は即座に突っ込んでしまった。
 以前、サンタの衣装のまま学校に堂々侵入してきたあの老人だ。不審者と言えば不審者だが、危険かどうかと問えば全くNOであるので、学校側もつい入れてしまったのかもしれない。
 何やら吉田と顔見知りだったようだが、というか吉田に用があったみたいだが。あの時の事でも訪ねてみようかと思ったが、とてもこのボケたというかとぼけた様子では、こっちが求める回答をしてくれないだろな、と佐藤は早々に諦めた。
 自分の腕を機械のように素早く動かし、佐藤は全部をビニール袋に入れて老人に手渡した。ありがとうよ~~と節くれだった手で受け取る。
「親切な若者よ。礼に願い事をかなえてやろう~~~~」
 こいつ、まだサンタ気取りなのか、と佐藤は呆れと関心を同時に感じる。
 ここで「別にいい」とか言ってもしつこく食い下がるのだろう。そう感じた佐藤は「願い事」を言ってやった。
「じゃあ、恋人の風邪を治してくれないかな」
「なんと、」
 佐藤が言うと、老人はさも驚いたように目を真ん丸にした。
「おまえさん、決まった恋人がおるんか!」
「いたら悪いか」
 あまり公言は出来ないが(校内では思いっきりしたものの)それはそれはとっても可愛い天使のような恋人がいるのだ。
「いや、てっきり何人もの女を転がしてると思ったんだがの~~~」
「………………」
 お前をここで物理的に転がしてやろうか。吉田と付き合う以前のささくれ立った佐藤なら言った挙句に実行したかもしれないが、吉田と付き合っているのでしないでおく。
「う~~~ん、だがしかし、自分じゃなくて人の為に使おうというその精神見上げたもんじゃ。よし、いっちょ気張ろうかの」
 やれるもんならやってろよ。親指突き出してグッと宣言する老人に鼻白んだ眼差しを来る。
 その老人の後ろから「何やってんだよじいちゃん!」と呼ぶ孫であろう青年が現れ、彼に全てを任せて佐藤は当てのない放浪を続けた。


 そしていよいよ訪れた24日。クリスマス・イブ。今日はもうただの平日と思おう、と佐藤は決めていた。しかし惰性のようにつけたテレビではのっけからクリスマスの文字が躍り狂っていて、佐藤は早々に電源を落とした。音の無い部屋で、佐藤はトーストとコーヒーだけの朝食を済ます。
 一緒には過ごせれないけれど、何とかしてプレゼントだけは渡したい。そう思ってはみるものの、中々画期的なアイデアが浮かんで来ない。これはかなり、気落ちしているようだ。佐藤は敢えて他人事のように分析した。
 時間つぶしの為に課題を消化したら、またも手持無沙汰になった。ふと時間を見れば、1時をやや過ぎたころ。昼食をとっていない事を今頃になって気づいた。
(何にしよう)
 こんな時はパスタに限る。適当に麺を湯で、そしてまた適当にレトルトのソースを温めてかける。吉田とならソースも作ってサラダも出すんだけどなぁ、ともげもげとパスタを啜る。
 一人で食事をすると、実際に食べている時間よりも準備や後片付けの方に時間がかかるのがやや空しい。水切り籠の中に皿を入れた後、手を拭いてから自室へ戻った。
 と、テーブルの上の携帯電話のランプが点滅しているのが目についた。これは着信があった事の合図である。携帯電話の会社からの製品案内か、はたまたこの日に合わせたキャンペーンか、大方そんなメールでも来たのだろう。確認するほどでもないが、メールを開てやらないとランプの点滅も止まない。やれやれ、と嘆息しながら携帯を開くと、表示されていた内容に仰天した。
 それはメールでは無く着信を知らせるもの。しかも、吉田からだった。
 吉田からの電話!?と驚く傍らで着信時刻を見てみれば僅か3分前。丁度食べ終わった食器を洗っている最中だった。
 今も吉田と繋がるだろうか。逸る気持ちで携帯を操作し、吉田の携帯へとかけた。
『あっ、佐藤!!』
2コールくらいで吉田はすぐに出た。吉田の声だ、と確認するのも馬鹿馬鹿しいのだが、たったそれだけで気持ちが天にまで上昇する。
「ごめん、昼飯食べてたんだ。で、どうした?」
『うん、あのな、俺、熱下がったんだよ!!』
 風邪が治った!とはしゃぐ吉田の声は、確かに昨日の絶不調のものとは違っていた。
『それでな、今からでも会えるかなって……あ、でも、もしかして他の予定とか入ってる?』
「―――入ってない! でも、病み上がりなのに良いのか?」
 しばし現実を受け入れきれず、放心していた佐藤だったが、そこは否定しなければと声が出ていた。
 本音を言えば、今すぐ駆け出して会いに行きたい。が、それで吉田に無理をさせたらそれはそれで佐藤にとって本末転倒なのだ。
 佐藤の気遣うような声に吉田は「大丈夫だってば!」とあっけらかんとした返事。
『本当に、もう熱も無くて、頭も喉も痛くねぇの! 一日でこんなにあっさり治るもんだな~』
 感心しながら吉田呟くのは、飲んだ薬に対してかあるいは己自身の身体だろうか。
 一方の佐藤はそんな、まさか、馬鹿な、という単語が頭の周りでメリーゴーラウンドのように回転していた。どうしても思い出してしまうのは、昨日の老人であるが、本当に願い事を叶えられる筈がないだろう。自称サンタはややボケた老人の筈だ。
 いや、もう、今はそんなどうだっていいだろう。
 電話から聴こえる吉田の声や口調には、無理をしているような印象は受けられない。だったら、佐藤の取る行動は決まっていた。
「じゃあ、これから吉田の家に行く」
『えっ、俺ん家?』
「ダメか?」
 すっかり回復したのは間違いないだろうが、けれどそれでも佐藤は病み上がりの吉田をあちこち引き連れるような真似は出来ればしたくなかった。でも、家には両親、というか母親は居るだろうし、それでダメだというならまた別に考えなければならないだろう。しかし、そんな佐藤の予想に反し、吉田の返事は軽かった。
『うん、いいよ。っていうか丁度いいかもな』
「丁度いい?」
 承諾して貰えて嬉しいのだが、気になる表現も放っておけない。
『今日はさー、父ちゃんが休みとって母ちゃんとデートなんだ。でも、俺が風邪引いて寝込んじゃって、やめとこうかってなりかけてたから、治ってホントに良かったよ。父ちゃんはともかく、後から母ちゃんに絶対あれこれ言われるだろうし』
 うんうん、と吉田がしみじみ頷く。
「……て事は、今吉田だけ家で一人?」
『そうだけど?』
「いつまでデートに?
『んー、帰るのは9時くらいって言ってたかな』
 グ、と電話と握る力に手が篭る。至って呑気に話す吉田は、まだ判っていないようだが。
「……大胆、だな」
 あまり表に出すつもりは無かった台詞がぽろりと零れた。最近の電話の性能は良く、そんな独り言のような呟きですら相手に届けてしまう。「へぇ?」という間抜けな声の後、不自然な沈黙が流れる。
『えっ、いやそういうつもりじゃ……えっ!そういう事になんの!?佐藤そういうつもりで来んの!?!??』
 顔中を真っ赤にして焦る吉田の様子がまるで目の前で展開されてるみたいだ。ふふっと佐藤は口角を釣り上げて笑う。
「しないよ。病み上がりだしな」
 病み上がりじゃなかったらどうなんだよぉぉ……と力ない吉田の呟きを、やっぱり電話は拾って佐藤にまで届けた。
「じゃあ、これから行くからな。待ってて」
 そう告げると、うん、と吉田の頷く声がする。それが心なしか嬉しそうに弾んでいると、そう思ってしまうのは自分の勝手な錯覚だろうか。


 いくら冬でも走れば汗をかくものだ。佐藤はついにコートを脱いでしまった。
 インターフォンを鳴らすと、ややあってから室内から足音が近づく。開けられたドアから覗くのは、当然ながら吉田である。
「佐藤! ―――むぎゃっ!」
「吉田!!」
 玄関に踏み入ると同時に佐藤がぎゅうと抱きすくめた為、吉田から潰れたような声が漏れた。苦しい苦しい、と抱擁の度合いを緩めるようにタップしてきたので、少しだけ緩めてやる。密着するのも好きだけど、そうなると顔が見れないのが難点だ。お互いの顔が見れるようになる姿勢に整える。
「メリークリスマス」
 まずは、佐藤はそう言ってみた。すると吉田のメリークリスマス!と笑顔で答えて佐藤の背中に腕を回す。思っても無かった吉田の行動に、佐藤はやや驚く。
「……どうした、やけに素直だけど。まさか本当に魔法にでもかかってるのか?」
「そんな訳あるかよ。……って、まさか佐藤何かしたのか!?」
「いや、俺は別に、何も」
 どうやら以前、「呪う!」と脅したのが未だ効いてるみたいだ。
「ただ、いつもだったら『こんな所で止めろ!』とか言うと思って」
 何せまだ玄関口であるる。ああ、と吉田も佐藤の言いたい事を理解したようだった。
「でも、ドア閉まってるし。別にいいんじゃないかなって」
 あ、でも、と吉田はやや眉間に眉を寄せて佐藤に言った。
「これ以上はしないからな」
「これ以上って?」
 本当は判ってる佐藤だが、あえて吉田に言わせたい。ぐ、と吉田は喉に何かを詰まらせた
「だ、だからなー……その、キ、キス、とか?」
「何で疑問形になんの」
 ホントに慣れないんだからな、と吉田の初心さが相変わらず可愛らしい。
 吉田も一応自分が病み上がりである自覚は持っているようで、だから佐藤に伝染る事を懸念しているのだ。だったら、口じゃなければいい、と額や頬や、耳とか、いろんな場所にしてやろう、と佐藤は今からワクワクした。
 玄関からようやっと廊下に上がる通りかかった居間のタンスの上には、小さなツリーが飾ってあった。
「本当に飛び出してきたら、何も持って来なかったな」
 今更のように佐藤は悔いた。途中、いくつかコンビニはあったのだが、それよりも一刻も早く吉田に会いたくて、入る事無くここまで来てしまった。店内にはケーキくらいあっただろうに。
 佐藤の呟きに、吉田は何故か得意げな顔で振り返る。
「ケーキならあるんだ!父ちゃんが昨日買ってきたんだー。今日、母ちゃんとのデートが中止になるかもって思って」
 なるほど、デートが決行されたとあってはケーキだけが残る訳か。
「全部食っちゃって良いって言われたから、全部食べちゃおう。切り株のケーキなんだ」
 美味そうだった、とすでに確認済であるらしい吉田が言う。切り株のケーキというか、ビュッシュドノエルというのだが……まあ、切り株を模してある事も間違っていない。
「今から食べる?」
「んー……もう少し後で」
「そっか、昼飯食ったばかりなんだっけ」
 吉田はそう解釈したが、それは全くの見当外れだ。佐藤には、ケーキよりもまず味わいたいものがある。
 とりあえずは、と吉田の部屋へと向かう。それまで暖の入っていた部屋は、外から来た佐藤には熱いくらいだった。
「あ、吉田。これクリスマスプレゼント」
 コートのポケットから小さな箱を取り出し、吉田へと差し出した。
「えっ、何だろう」
 喜色を浮かべ、それを大事そうに受け取る吉田。すっかり意識がプレゼントの方へ向けられている隙に、佐藤は吉田の額に素早くキスを落とした。


 佐藤から吉田へのプレゼントが何だったのか、それからの時間をどう過ごしたかは2人だけが知る所だ。
 絶望の淵から一転、至福のひと時を満喫した佐藤だったが、思い返すその度に例の老人まで付随してきてしまうのが、多少悩み所であった。



<END>