相変わらずもう1人の住人である佐藤の姉が不在の中、お邪魔しますと上がった吉田は、すでにその位置を覚えた佐藤の部屋へと向かう。当の佐藤は飲み物を用意してから来る。
 平日ならまだしも、こんな休日で未だ佐藤の姉に会えないのはもはやタイミングの問題でもないかもしれないが、いくら佐藤でも実の姉に対して何かしている訳ではないと思う。……思いたい。
 佐藤からは何となく姉に会わせたくないみたいなオーラを軽く感じるが、それでもやっぱりちょっと見てみたいという好奇心は無くせない。あと、まだ佐藤の話でしか聞いた事がないが、弟もいるらしく、その弟も是非拝んでみたいと思う吉田だった。
 そういった込み入った話も、近い内にするかもしれないし、しないかもしれない。5泊6日の修学旅行。往々にして、修学旅行の、特に夜というのは皆の口が軽くなってカミングアウト大会が始まるものだ。
(まあ、でも一番の秘密は打ち明けられたけどなー)
 今は一応、なんだか落ち着くところに落ち着いているような感じにはなっているものの、佐藤の口から自分たちの関係が明かされた衝撃は未だ褪せない。夢に見て飛び起きるくらいだ。しかもその飛び起きるような夢が現実なのだから、世知辛いというか何と言うか。
 思い起こせばこれまでも、学校内のイベントが平和で終わった試しがない。女子のせいと言えば女子のせいだが、佐藤が原因といえば原因だ。
 修学旅行は5泊6日。ある意味、逃げ場はない。
(ん?)
 楽しみである修学旅行は若干物憂げででもやっぱり楽しみで、複雑な葛藤の中で吉田は目に何かを見つける。それとほぼ同時に、佐藤がやって来た。
「おまたせ。――あ、」
 両手にマグカップを持ったまま、佐藤が小さく声を上げる。それはセリフにもなってない音だったが、「しまった」という胸中の呟きが拾えた。
「また読んでたの?」
 吉田の見る先、そこには修学旅行のしおりがある。貰った当日から、佐藤はそれを熟読していた。
「いいだろ、読んでても」
「別に悪いとか言って無いけど……」
 恥ずかしさの為か、まるでふて腐れたように言う佐藤にフォローをいれつつ、吉田は手の届く範囲にあったしおりを手に取る。あるいは読むなとか言われると思ったが、佐藤は特に何も言わないから、中身を改めるようにぱらぱらと捲ってみる。
 吉田ももちろん同じものを持っている訳だが、佐藤のしおりにはまるで年季の入った物のように読み込まれた感に溢れていた。実際、読み込まれているのだろうし。表紙の紙は手に馴染むようだし、角も少し取れている。
 中に書き込みでもあるかと思ったが、そういう物は無くて綺麗なものだ。牧村辺りなんか、やたら書き込みをしていそうだが。
「5泊6日か……長いよなー」
 さっきも思った事を、今は佐藤も居るから口に出してみる。
「中学の頃は違ったのか?」
「うん、中学の時は2泊3日だった」
 素朴な疑問として佐藤は尋ねる。吉田の返答を聞いた後、「そういうものなんだ」と納得する。
 小学は欠席、中学はイギリスの施設に居た佐藤にとって、今回が初めての、そして最後の修学旅行になる。そう思うと、何やら灌漑深くなる吉田だ。当の佐藤を置いて自分が感傷に浸ってもしょうがないとは思うが。
「……6日間、吉田と一緒だな」
 今はテーブルに置かれたしおりを見て、佐藤は呟く。
「……秋本とか牧村も居るけど……」
 ここでこういうつまらないツッコミを入れるから、自分はダメなのだろうと吉田自身も思う。おかげで、未だに佐藤に対して「好き」の一言も言えない。
「うん、でも、夜も一緒なのは初めてだろ?」
 朝起きてから夜寝るまで、吉田とずっと一緒。だからとても楽しみ。
 そういう声色は、とても優しい。付き合ってから、吉田は佐藤の色んな顔を見る。女子の前では始終澄ましている(たまに焦る事もあるが)佐藤だが、吉田の前では子供っぽい悪戯をしてみたり、とんでもなく空恐ろしい台詞を言ってみたり、かと思えばしかめっ面のような変な顔もするし、こうやって穏やかに微笑んで見せたりしている。吉田は表情がころころ変わって面白くて可愛い、なんていう佐藤だが、吉田からも同じことを言いたい気持ちだ。
「う、うん、俺も楽しみ……」
 顔に集まる熱のせいでやや口ごもったものの、吉田は素直に佐藤に頷いて見せる。女子も気になるし中学の時と同じ行先だが、佐藤と一緒という事で吉田も当日を心待ちにしているのだ。
「……………」
 大体の場合、佐藤の部屋で2人は対角では無く横に並んで座っている。今日も例外では無くて、その近い距離をいいことに、佐藤はす、と伸ばした手で吉田に軽くデコピンを食らわせた。
「って!?」
 痛いというより衝撃だが、突然の事に軽く仰け反る。体制を整え終えた後、吉田の目に映ったのは頬を紅潮させ、吉田曰くの「変な顔」を浮かべている佐藤だった。
「何すんだよ!?」
 今の流れでどこにデコピンを食らう要素があったのか。それを問うように吉田が吠えると。
「……いきなり可愛い事言うなよ」
 それが理由であったらしい。けれど、それはあんまりにも吉田には理不尽な言い分だった。
「何だよ! 佐藤の方が先に可愛い事言ったくせに!」
 吉田のブーイングに、佐藤は目を剥いた。まさか自分に「可愛い」という形容が向けられるとは思ってもみなかったと言わんばかりに。
「はぁ? お前、何言ってんだ?」
「佐藤の方が可愛いっつーの! 何度もしおり読み返したり、でも初めてだから全く慣れて無さそうな所とか、凄い楽しみってはしゃいでる所とか、全部可愛いっつーの! 皆もそうだって言ってるし!!」
 途中までは吉田の言い分を微妙な顔で聞いていた佐藤だが、最後の一言に仰天したか、さっきよりもさらに裏返った「はぁあ!?!?」という声を上げた。
「み、皆って誰だ!」
「え、クラスの男子とか……」
「!?!??」
 何か衝撃を受けたように、佐藤が押し黙る。確かにクラスメイトは佐藤を指して可愛いとは言ったが、好きな女子が佐藤の言ったような台詞を言ったら凄く可愛いと思う、みたいなニュアンスで佐藤自体が可愛いというのはまた別の話なのだが。
「お、お前……男子と何を話してんだ!!」
 うわー、佐藤が本気で焦ってらー、と赤面して喚く佐藤に、吉田がそんな感想を抱く。
「い、いや、佐藤が修学旅行すごく楽しみにしてるのが可愛いよなーってだけで……そんなに嫌なら、今度からしないけど……」
 いつになく狼狽してる佐藤に、吉田が宥めるように言う。
 今の吉田の台詞で、佐藤のその会話の正確な意味のやり取りを把握出来た。普段の自分ならすぐに察する事が出来ただろうが、吉田の口から自分の向けられたの「可愛い」にペースを乱されてしまった。相変わらず、吉田は自分の心をかき乱す。それでいて、それを嫌と思わないのが不思議だが、相手が吉田だから、で済む問題でもある。
「いや……吉田が話したいならすればいいと思う」
「うーん、そんなしたいってもんでもないけど……」
 むしろ自分の恋愛事情を表に出すのは抵抗がある方だ。
「すればいいのに」
 さっきとはまるで逆の佐藤の言い分に、吉田が「ん?」と首を捻る。
「俺も女子に吉田が可愛いんだけど、って相談してみようかな」
「は!?え!?何言ってんの!?!?」
 いっそ幻聴であって欲しいような、空恐ろしい台詞に吉田は戦慄した。佐藤がにこにこ笑っているのが、語った台詞の真実味を増していて恐ろしい。
「俺だって誰かに相談したい時だってあるんだけど」
「だったらまず俺に言えよ! いや俺じゃなくても良いけど、女子には言うな!!」
 後で殺されるー!と今から怯える吉田はまるで携帯のマナーモードのようにバイブレーションを起こしている。ちょっとからかい過ぎたか、とその震える体を佐藤は抱き寄せた。
「まぁ、誰かに自慢もしたいけど、吉田の可愛い所知ってるのは俺だけで良いかな」
 本当に自分だけなら良いのに、吉田を可愛いと思うのは西田もであり、あと野沢弟も怪しいと睨んでいる佐藤である。幸いにも、クラスが違う西田とは修学旅行中、あまり顔を合わすことも無さそうだ。ザマーミロ!と心の中で西田を嘲る佐藤であった。
「だから、佐藤も可愛い……」
 佐藤の腕で抱きとめられた中でも、吉田はもごもごとそう言う。
 まだ言うか、と佐藤は吉田のとびきり可愛い顔を拝むため、緩めた腕の中ですかさず唇を重ねたのだった。


 そーいえば、修学旅行は夜も一緒に入れるけど、キスとかあれこれ出来ないんだろうなぁ、やっぱり南の島の時にようにはいかないんだろうなぁ、とキスの後、テーブルの対面に避難してしまった吉田を見てそんな事を憂いる佐藤であった。



<END>