これまでとこれからの人生全てを引き換えすのではないかというくらいの大々的なカミングアウトであったが、自分たちの関係を公的に打ち明けた(打ち明けられた)後も毎度の日常が待っていて、あの時の死を覚悟した決意は何だったんだ!と不条理さも感じるが、それでもまぁ、隠し事が無くなった面では身軽になったし、それに佐藤が嘘ではなく、ちゃんと自分の本音で女子の誘いを断るようになったのは吉田としても結構、それなりに、大分、嬉しい事だ。
 今日だって、女子のグループが帰りに佐藤をお茶に誘おうとしたが、きっぱりと吉田と帰りたいからゴメンね、と断っていた。それを見て、吉田はやはり、結構、それなりに、大分、嬉しくなった。
「――ていうか、最初から嘘言わないで、普通に断ってれば良かったのに!」
 嬉しい反面、そう突っ込まずにもいられない吉田だった。どっちにしろ、結局は女子の矛先は自分に向くのだから、せめて事実を言って貰いたい。ただえさえ敵意のような視線を向けられているのに、それが嘘が元だとなればいよいよ納得が出来ない。
 吉田に下から軽く睨まれた佐藤は、むしろ余裕すらある表情で答える。
「へー、じゃあ最初から吉田と付き合ってます、って皆に言っても良かったんだ?」
「バッ……!そーじゃなくて、もう俺と約束してるとか、変な嘘つくなって事!あれ、すっごい迷惑してたんだからな!!」
「その後どうせ一緒に帰るんだから、同じ事だろ?」
「同じじゃなーい!!それに一緒に帰らなかった時もあるだろ!!」
「何だ、一緒に帰りたかったの?」
「だからそうじゃないッ……て、馬鹿離せ離せ離せ!!」
 相好崩すや否や、佐藤はそのリーチの長い腕をもって吉田の肩を抱きこんだ。すぐに密着した佐藤の体躯に、吉田がばたばだとさっきとは違う赤みを持った顔で抵抗する。あー可愛い、と一層抱きしめてやれば、ここ道路ー!と吉田の喚く声がする。
 これくらい、友達のスキンシップの内なのになぁ、とここは退いてやれば、吉田がバッと距離を開けた。さすがにこれには佐藤もムっとなる。そんなリアクションは西田にだけ向けていればいい。
「ちょっと、それ傷つくけど?」
「自業自得ー!」
 非難を交えて佐藤が言うと、イーッ、と歯を見せて吉田が悪態をつく。四文字熟語まで使って、勉強の成果が垣間見せた。こんな所で見せるものでもないだろうけど。
 と、不自然に開いた二人の間を、小学生らしき一団が駆けていく。バタバタと足音もやかましく通り過ぎて行った彼らは、学校帰りではあるだろうが授業を終えたという訳でもなさそうだった。何故ならランドセルがある筈の背中に、リュックを背負っていたのだから。
「遠足かな」
 子供達が走り過ぎ去った後、吉田がひょこひょこと歩いて佐藤の元へと寄る。あれだけ警戒していたくせに、と思うものの、こうして吉田から近寄ってきてくれた事が堪らなく嬉しい佐藤であった。西田が相手なら一度開いた距離は決して縮めない。
「まぁ、時期的に見てそうかもな。社会見学ってのもあるかもしれないけど」
 けれどあのテンションの高さは遠足帰りの方が濃厚だろう。どこへ行ったか知らないが、満喫してきたようだ。
 見た所、あの子供たちは小学の3,4年といった感じだろうか。
「なー、あの頃の遠足ってどこだっけ?」
「え、……どこだっただろ」
 一応は同窓だった自分達である。思い出の内容はだいぶ違うが、受けたカリキュラムは同じ筈だ。
 佐藤としては中学の時に渡ったイギリスでの出来事が濃厚で濃密で、無味乾燥に過ごした小学の行事なんてほぼ記憶にも無いが、一方吉田も思い出すのに苦労している。佐藤とは違い、楽しかったという感覚はあるのだが、どこへ行って何をしたかという詳細まではすぐには思い出せなかった。
「何か……高学年だと資料館みたいなテーマパークだったような気がするなー」
 辛うじて思い出せる所から掘り出していく。
「その前だと、山って程じゃないけど、何か自然がいっぱいな所で弁当食べた記憶ある」
「あー……うん」
 言われてみればそうかも、という佐藤の返事だ。何があったかはまだ思い出せていないが、どうせいじめられていたに違いない。屋外なら、歩くのが遅いだの何だのと。
 小学生の頃の記憶は、佐藤にとってもとても複雑だった。思い出しなくないイジメの記憶の中で、吉田と出会った思い出がある。
 それでも最近、前よりは思い返すのが苦ではなくなったように思う。そんな事もあったなぁ、と苦くは感じるが、目を背くなる程では無くなった。それはきっと、考えるまでもなく吉田のおかげなのだろう。
 あ、そうだ、と佐藤は過去を思い出すを早々に切り上げ、吉田に声を掛けた。
「なぁ、遠足しよっか」
「へ??」
 当然の物言いに、これでもかというくらい頭上に沢山のハテナマークを浮かべた吉田が佐藤の顔を見上げる。
「遠足ごっこっていうかさ……弁当持って、おやつ300円にして」
「ふーん、良いんじゃない。面白そう」
 遠足ごっこという響きが気に入ったのか、吉田も乗り気だった。じゃ、決まり、と吉田のその気が変わらない内に佐藤はさくさくと話を進めていく。
「言っとくけど、2人だけだからな、2人だけ」
「……うん、判ってるって」
 夏休み、艶子の誘いで南の島に行く時になった時、その場に居合わせていた秋本と牧村も一緒についていく事になったのだが、佐藤としては吉田と二人きりが良かったみたいだ。吉田は後で知った事である。
 けれど、2人と同行して良かったのでは、と思っている。だってあの空間の中で二人きりだったら、絶対……確実に……最後まで……
 いやいや、そんなもしもの話は止めよう、と吉田は思考を切り替えた。
「弁当どうしよう。コンビニでいいかな」
 さすがに何でもない日に母親には頼めない。が、自分で作るのはもっとない。絶対母親にあれこれ言われるだろうし、見栄えのいい弁当を作れる腕も無い。だったら多少味気なくても市販の物でも、と吉田が考えていると、その横で佐藤が口を開く。
「それなら、俺が作ろうか?」
「えっ、いいのか?」
「うん、手作りの方が遠足の雰囲気出るし。一人分とか逆に手間だしな」
 負担にはならないかと吉田が訊く前に佐藤が言う。
「だったら頼もうかな~。……あ、辛いの入れるなよ!辛いのは!」
「はいはい、入れないから。……そんなには」
「最後何かぼそっと言った!何か付け加えた!!!!」
 一抹の不安を吉田に覚えさせながら、それでも次の休みに遠足に行く計画は立てられた。


 そして、当日――の、前日。幸い天候には恵まれるようで、テルテル坊主の手番は無さそうだ。まぁ、あの牧村の顔をしたテルテル坊主はどうも豪雨を呼ぶみたいだが。
 明日を控えての佐藤の行動は、弁当作りの為の材料を仕入れる為に大型スーパーへと足を運んでいた。
 そして、佐藤の前には沢山の駄菓子類が並んでいる。弁当の材料はすでにカゴに入っている。ここへ来たのはおやつを買いに来たのだ。そう、300円分の。
 たかだか300円だが、20円、30円の物もあるので、それなりの量は買えそうだ。吉田も今頃、こうなってどの菓子を買うか、吟味しているだろうか。頭の中で必死に計算しながら。
 遠足ごっこ、なんて言っておいて、実の所小学生の時分だった時に作れなかった思い出を、今作ってしまおうという魂胆だ。自分の都合に付き合わせたという自負が多少あるから、弁当作りも買って出た。
 もしあの頃の自分が吉田への気持ちに気づいていたら、もう少し必死になって吉田に近づこうとしただろうか。
 いやそれはないな、と佐藤は浮かんだ事を即座に否定する。あの時の自分に、そんな勇気はない。
 再会して、付き合う事になってからだって、離れて行く吉田を追いかける事なんて出来なかっただろう。
 でも今は、いかないでとしがみつくくらいは出来る。
 だから教室内で吉田との事を明かすことも出来た。たとえ吉田がそのせいでドン引いてしまったとしても、追いかけて、捕まえて、一緒に居てと強請る事が出来る。実際の吉田と言えば、文句は言ったが佐藤から離れて行こうともしなかったけど。
 それにしても、あの時の吉田の顔と言ったら無かったな、と思い出すだけで佐藤の顔から笑みが零れる。
 さて、どれにしようか、と佐藤は子供に合わせた低い駄菓子の棚の前にしゃがみ込んだ。


 待ち合わせは駅前だ。そこから電車に乗って目的地へと向かう。
「おっ、佐藤、早いな~!」
 ナップサックを背負った吉田が、大きめの街路樹の側に立つ佐藤を見つけ、軽く駆け寄る。
「そうでもないけど。さっき来たばかりだし」
 それは本当。佐藤の方が先に着いたが、待ったのなんてものの数分だった。嘘ではないのだが、吉田は「本当か~?」と疑うような眼差しを向けている。別にこんな所で嘘ついたりしないのにな、と思うが、疑うような吉田の顔が面白いからほっといた。
 向かう先は私鉄で30分ほど行った所にある自然公園だ。ハイキングではないので、特に早起きもせず、いつも遊ぶような時間に出掛けている。
「佐藤って乗り物酔いするっけ?」
 乗り込んだ電車にはあまり人が居なかった。4人掛けのボックス席を、2人で真向かいに向かって独占する。横には荷物を置いた。
「しないけど」
「じゃ、はい」
 蓋を開けたプリッツの箱を差し出す。一本どうぞ、という事らしい。
「ありがと」
 差し出されるまま、佐藤も一本つまむ。吉田も一本口に咥え、ポリポリと音を立てている。
 佐藤も、同じ音を立ててプリッツを食べた。


 駅に着き、そこから歩く事約5分。後ろを見れば家屋の並ぶ住宅街なのだが、目の前には小高い丘を中心とした緑の大地が広がっている。遠く、今はおもちゃのような大きさでアスレチックの遊具も見えた。
「どうする? 弁当今から食べる?」
 時刻は昼にはちょっと早いが、これから動き回る事を思うと先に腹を満たした方がいいのかもしれない。佐藤が聞いてみれば、吉田はすぐに食べる!と返事をした。あまりに早い返事に、佐藤の中に1つの疑惑が膨らむ。
「吉田……まさか、朝ご飯食べてきてないとか?」
 それまではランチタイムにうきうきとレジャーシートを広げていた吉田だが、佐藤のその一言にぎくり、と体ごと強張らせた。
「い、いや、その、えっと……」
 その点のような目を泳がせまくった後、佐藤の追究からは逃げられないと存分に思い知ってる吉田は、きまり悪そうにぼそぼそと告げる。
「だ、だって……なんだかんだで昨日すげー楽しみで……」
 歯切れの悪い吉田に、佐藤は自分の中で先に結論を導いた。
 朝食を抜いたという事は、つまり寝坊したという事だ。それは昨日寝るのが遅かった、という事であり、吉田は「楽しみで」と言っている。となれば、要するに。
「今日が楽しみで寝れなかったとか?」
「…………」
 図星か、とすっかり動きの止まった吉田に代わり、佐藤がテキパキと準備を進めて行く。
「いいじゃん、凄く遠足ぽくて♪」
「う、うるさいなー!」
 と、吉田が喚いた所で弁当の蓋を開ける。2人分を大きなタッパーに詰めてきたので、中々の見栄えと迫力があった。吉田も、思わず「おぉっ」と声を上げる。紙袋と割り箸を差し出し、好きなおかずを取って行ってもらう。タッパーは2つあって、もう1つはおにぎりを詰めてある。
「何ていうかさ、」
 もぐもぐ、と唐揚げを咀嚼して吉田が言う。
「佐藤と小学の頃、遠足くらいは行った筈なのに、ちっとも思い出せなくて、」
 その件はまぁ、お互い様だと佐藤は思う。左目下の傷に関しては、忘れられてやや寂しい思いもするが。
「そんなんだけど、明日は佐藤と遠足に行くんだなーって思ったら、何かこう、ぐわーって色々来ちゃって、」
「……………」
 だから中々寝付けなかった。そう言った吉田は、今呟いたばかりの言葉すら飲み込んでしまおうかというくらい、大きな一口でおにぎりの半分を一気に無くした。さすがに大きすぎたらしく、まるでハムスターのように頬が膨らみ、飲み込むのに苦労している。
 そんな吉田の様子を見て、佐藤は。
「……………、プッ、」
「何だよ! 笑うなよ!」
 噴出した後に本格的に笑い始めた佐藤に、どうにか口の中を空にして吉田が照れ隠しに大きめの声で言う。食べながら喋らない所に母親の躾の行き届きの良さを感じる。
「いや別に……馬鹿にしてる訳じゃないから……」
「とてもそうには見えないんだけど!?」
 手を付き、震える腹を庇うような姿勢で言われても全く説得力が無かった。
 でも本当に馬鹿にしている訳じゃなくて。
 自分の身勝手でやってる事に、吉田も同じ事を思ってくれたのが嬉しくて。
 嬉しいのなら、そう、笑うべきだろうと。
 けれど佐藤の内情なんて知らない吉田はやっぱり馬鹿にされてると思い、もう弁当全部食べてやる!とささやかな復讐に出る。実際食べつくしてしまえそうなくらい、佐藤の弁当は美味しかった。
 顔も良いし頭も良い。そして料理の腕も良いなんて、性格の悪さはさておき、こんなイケメンがどうして自分と付き合ってるのだろうと今更に思う。
 思ってはみるが、疑問には感じない。
 だって、どう見たって佐藤は自分を好きだし、そして自分も佐藤の事が好きなのだから。
 好きだから、付き合っている。
 吉田でも判るシンプルな事実だ。
「よーしだ、弁当ついてる」
 やや間延びした声で吉田を呼び、佐藤は自分の頬をとんとん、と指さした。佐藤が言った「弁当」とは米粒の事だ。
 え、どこどこ!?と佐藤がそこを指しているのだろう指の位置を見て、吉田も同じと思われる箇所に手を当てる。が、すぐにそれらしい感触は無くて。
 結局は佐藤が取ってやり、けれどそれを自分の口へと運ぶものだから、「コラ!」と夏より高く感じられる青空の下、吉田の怒声が響いた。



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