女子に佐藤の魅力を語らせたら、外面への称賛を覗けばまず出てくるのは「優しい」なのだと思う。
 確かに佐藤は女子には優しい。けれどその優しさは素の自分を曝け出さないという一種の非情でもあった。実際、吉田の前だと佐藤は割と横暴、というか我儘で頑固でもある。現に今だって、吉田の前でむっつりとした表情を浮かべて対峙している。
「何で、ダメなんだ?」
 言葉の一句一句の発音がやけに明瞭だ。これはかなり苛立っている証拠だろう。
「な、何でって……だって、言う必要とかないし……」
 佐藤の迫力に圧され、吉田が引き気味になりつつも答える。それに対し、佐藤は。
「あのな、俺は何も自分から「吉田と暮らしてる」って言いふらしたいって訳じゃないんだぞ? したいけど
 それに同棲――付き合ってるってのも言う訳でもない。言いたいけど」
 逐一台詞の最後に何やら物騒な一言が加わる。
「住んでる場所聞かれた時、吉田と暮らしてるって答えるくらい、別に構わないだろ?」
 最初は何気ない始まりだった。どうも佐藤の方で住居に関する話題が上ったらしい。ただ、そこでは寮住まいか否かくらいの軽い質問だったから、佐藤もそのまま寮生じゃない、と聞かれた分だけを答えた。余計な情報までは渡さないのが佐藤だ。
 けれど、今度近いうちにもっとダイレクトに「どこに住んでるか」くらいの事は聞かれるだろう。佐藤の場合、その住所は同時に吉田のものでもある。一緒に住んでる事をその答えの中で言っても良いか、と吉田に言ってみた所、これでもかというくらい首を振られたのだった。
 佐藤としてはうん、いいよ、という軽い返事を予想していのだが。
「ダメ! 構う!!!」
 吉田は両腕をバツ印にして佐藤に拒否の念を示した。
 佐藤の眉間の皺はますます深くなり、吉田の冷や汗もいよいよ量も増したのだった。
「……お、怒ってる?」
 元が端整な顔立ちの為、喜怒哀楽は顕著に浮かぶ。恐る恐る、吉田は声を掛けた。ただ、なんて言って良いか解らず、そんな事しか言えなかった。
「別に、」
 返事とは真反対の表情を浮かべる佐藤。
「吉田が嫌なら、俺も言わない」
 それだけを告げて、佐藤は自室へと籠ってしまった。
 佐藤の他愛ない姦計のおかげで、吉田は佐藤と一緒のベッドにて寝ているのだが、今夜は無理だろう。まあ、吉田の部屋に寝具が無い訳でもないから、その辺は然程不都合でも無いのだが。
 ただ、佐藤の怒りは結構後に引くのである。それが本音に近ければ近い程。
 どうしようかな、と吉田も気にしながら、ソファベッドの機能を初めて利用した。


 吉田が大学に通うようになって驚いたのはまずその広さだった。これまで通った小中高の校舎なんて、全く問題にならない。むしろ、それらが全て1つの敷地に集まった様な感じだ。
 そんなにも広いというのに、吉田の耳にも早速佐藤の名前が他者の口から発せられているのを耳にした。名前も知らない女子で、とても綺麗な子だった。彼女がいるのか気にしていた所を見ると、自分がそのポジションになりたいと思っているのかもしれない。高校3年間の中で、佐藤は一層格好良くなった。青年として成熟した分、所謂男の魅力というか、色気というのもが出て来たからかもしれない。
 吉田の一世一代とも呼べる猛勉強の元、佐藤と同じ大学に通う事は叶ったが、さすがに同じ学部学科という訳にも行かない。それぞれ分かれた時にすら聞くのだから、佐藤の人気の程が解るというものだ。
 そんな中、そんな佐藤と自分が同居してるだなんてとても言えなくて。
 高校の二の舞どころか、それ以上の騒ぎになるのは目に見えているし。
 それでも高校の時は、佐藤から打ち明けられた自分達の関係を受け入れてくれた。まあ、女子の方に関しては好意的とは言えなかったけど、その事実を事実として認めてくれた。そんな奇跡が、ここでも起きるなんて吉田にはあまり思えない。
 佐藤だって、それくらい解ってるだろうに。
 それとも、自分が気にし過ぎなんだろうか。けれども慎重になってしまう。
 万一にも、離れる事にも分かれる事にもなって欲しくない。そんな可能性の欠片すら、排除したい。高校という限られた空間では無く、大学に進学し社会という世界が近づいて来て、吉田はその世界の広さと厳しさに慄いている。
 俺、臆病になったのかな。
 眠りの淵で揺れながら、吉田は思う。
 もうすぐ成人、むしろ来年がそうだというのに、むしろ逆行してるような自分がちょっと情けなくなった。


「……ん?」
 ふと、顔に何かが触れたような気がして、吉田は意識が浮上した。虫?と口にしながら頬を擦ると、鼻がむぎゅっと潰れた。いや、摘ままれた。
「ふが、」
 寝起きたての所にそんな事をされ、吉田は叫ぶ事すらままならない。変な声、とからかうような声がすぐ近くからした。犯人は佐藤だった。佐藤以外だったら困るけども。
「何~?」
 中途半端な覚醒はむしろ眠気を誘っている。枕の傍らのスマホの時計表示を見れば、お日様だってまだ寝てるという時間帯だった。起きてるのはパン屋か豆腐屋くらいだろうか。あと朝刊の新聞配達。
「さとう?」
 相変わらず綺麗な顔してるなぁ、と吉田は目の前の顔をぼけーっと眺めた。どうして自分達が別々の場所で寝ているのか、そんな経緯も忘れて。
 佐藤は、寝ぼけまくっている吉田の顔を、そんな顔が見れる喜びを噛み締めた後、ふ、と表情に影を落とした。
「俺、きっとずっと臆病のままなんだろうな」
 吉田に再会した後でも。佐藤はそんな風に呟く。
 その台詞に、吉田は既視感を覚えた。どこだろう、と記憶を掘り返せば、なんて事ない、寝る直前で自分が思ってた事だ。臆病だ、と。
「吉田と一緒に暮らしてるって、吉田の一番傍に居るのは俺なんだって、周りに教えたくて堪らないんだよ。吉田、すぐ誰かと仲良くなれちゃうし」
「えー? そうかー??」
 確かに人見知りでは無いものの、コミュニケーションに長けてるとも思えない。少なくとも牧村のような攻めの姿勢は無い。
「うん、何か、気付いたら一緒に話ししてるって感じ」
 まるで自分にはそんな事とても出来ない、とでも言いたげに話しているが、佐藤の方がよっぽど話が上手いと思うのだが。
 でも、それは作り上げた仮面かもしれない。「話が上手で親切な佐藤君」を求められるままに作り上げた偶像。吉田は逆にそんな物を作れる器用さなんて皆無だから、そのままで受け答えをしているのだけども。
 かなりぼんやりした頭で、吉田は思う。今夜、自分達は別室で寝ていた。なのに、こうして同じ部屋に居るという事は、佐藤が移動して来たからだろう。ここが吉田の部屋であるのは間違いなかった。
 と、言う事は。
「佐藤、寝てない?」
 自分のように、途中で起きたという事もあっただろう。けれどその時の吉田は、そう思ったのだ。そしてそれが正解だった。
「んー、吉田の寝顔見たくなって」
 じゃないと、一日が終わったって感じしないんだよな。ソファベッドの傍らに座り、肘を上に乗せた姿勢で佐藤が言う。
「……あんな言い方になったけど、一緒に暮らしてる事は言わないよ」
 言いたいけど。やっぱりその一言は付け加えた。
 高校の時は、西田と言うとんでもない障害が現れた為に佐藤も非常手段に訴えたのだが、大学ではそんな必要は無さそうだし。今のところは、だが。
 戯れに佐藤は手を伸ばし、ちょっと寝癖の着いた吉田の髪を梳いた。大学進学に当たり、髪型をイメチェンしようかと吉田はちょっと思ったらしいが、結局はそのまま、というか高校生の時のままだ。佐藤もさして何かをした、という訳でもないが。
 それでも大学には制服というものが無いから、毎日私服の吉田が拝めて佐藤は何よりだ。今はおまけに、パジャマ姿まで見れるというのだから贅沢というものだろう。
「いいよ」
 と、唐突に呟かれた吉田の台詞が一瞬何の事か、佐藤には解らなかった。
「一緒に住んでるって、言っていいよ」
 佐藤が理解してないと判断したのか、単に自分が言おうと思ったのか、続いた吉田の台詞で佐藤がようやく意味を知れた。
「え……何で、いきなり」
 寝ている所に忍び込んだらOKが貰えるというなら、今度どんどん忍び込んでやるんだけど。そんな馬鹿な事を思いながら、佐藤は尋ねる。
「んー、まぁ……佐藤が言いたいなら良いかなって……」
 朝が訪れた言うつもりだった事だ。眠りに落ちる前に吉田はすでに決断していた。
 正直言えば、吉田としては佐藤に言った通り、同居――同棲の事は伏せておきたいと思う。
 でも佐藤にあんな寂しそうな顔をさせるくらいなら、それくらいどうだって良い。きっと佐藤は知らないのだ。あの時、一方的に会話を終わらせて自室へ向かう時、浮かべていた表情なんて。
 吉田だって本気で嫌がった訳じゃない。話を続けていれば、折れた位の程度だった。ただ、いきなりだったから、聞かれるまま、いいよ、とは言えなかっただけで。
 そういえばいつぞやのバレンタインも、佐藤はあっさり引いたよなー、とそんな事をつらつらと思い出す。あの時だって、あげたのに。口では後ろ向きな事ばかりいってたけど、佐藤が本当に欲しいならあげたのに。そうやって返事も出来たのに。
 半身を起こした状態で舟を漕いでる吉田の頭に、佐藤はぽん、と手を置いた。
「……ありがとう」
 でも、と佐藤は続ける。
「でも、やっぱり秘密にしとく」
「……?」
 今度は吉田が「何で?」と問いかける番だったのだが、眠くてもうそれどころではなかった。おまけに佐藤が優しい手つきで横たわらせるものだから、身体が横になるにつれて意識も沈んでいく。
「だって、吉田の様子とか教えたくないし」
 こんなに可愛いとかな。
 そんな事を言う佐藤の声が聴こえたような。
 そして額には、さっき目を覚ました時と同じ感触を覚えた。


 そう言う訳で、ちょっとした悶着はあったものの、当面一緒に暮らしている事は秘密の方向で行くと決めた。各々信頼がおける相手にはその限りでは無いとして。
「でもさー、さすがに同じドアから出る所見られたらバレるよな」
 佐藤がドアの鍵を掛けるのを見て吉田が言う。事実とは案外隠しきれないものなのだ。
「まあ、その時はその時て呼んじゃないか。別に悪い事をしてる訳でもないんだし」
 そりゃあそうだけど、と吉田。秘密にしていた事も、佐藤の人気を思えばむしろ同情すらしてくれそうな気がするし。
「じゃ、行くか」
 鍵を革製のキーケースに仕舞い、佐藤が言う。このキーケースは艶子からの進学祝いで、同い年だというのに進学祝いもどうなんだろう、という引っ掛かりはあるものの、そのキーケースは佐藤も吉田もとても気に入る物だった。2人で揃いの品で、佐藤の方は深いこげ茶、吉田の方は明るい茶色である。
「じゃあな、佐藤」
「うん」
 大学に着き、2人はそれぞれの教室へと向かって行った。
 同じ形の鍵を持ち合わせながら。



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