世の高校生がどれくらい正確に親の仕事内容を把握しているかは知らないが、吉田はとりあえず出張の多い職種なんだな、という事は掴んでいる。家を空けているのだから、誰に教えられるでもなく勝手に判断が付く事だ。週当然ながらその分、父親の事を見送る事も出迎える事も少ない。
「義男、ただいま~」
 そんな数少ない機会の内、父親の帰宅のタイミングよく玄関付近を通りかかった吉田だが、素直に「おかえり」という言葉が出てこなかった。それよりも、父親が手にしてある物の方がかなり気になって。
「え、どうして花束??」
 この両親が仲が良くて、結婚記念日やお互いの誕生日はもとより、クリスマスもバレンタインも、あまつさえ初デートの日すらもこうして贈物をしているのは重々知っているのだが、今日はそのどの日にも当てはまらないはずだ。伊達に16年も彼らの息子をやってはいない。
 ちらりと玄関脇にある、新聞社から貰った日めくりカレンダーを見て見れば、日付は6月の1日を表記している。カレンダーには日付の他に、本日が記念日となっている行事や、この日に生まれた有名人が記載されていた。ちなみにこの日に生まれたのはマリリン・モンローでさらに鮎の解禁日だ。だがしかし、どちらも花束を持って来るような出来事とは思えない。
「いや、会社の子達から聞いたんだけどね。今日は告白の日らしいよ」
 靴を脱ぎ、靴箱の中へときちんと入れる。その間、花束は吉田が預かっていた。廊下に上がると同時に、再び花束を受け取る。母親には自分で手渡したいようだ。
「へえ、そうなんだ。でも、なんで?」
 つい10日くらい前にも、「キスの日」なんていう日があった。それは、その日が映画でキスシーンが公開されたからという由来がある。それを吉田に教えてくれたのは佐藤なのだが、丁度その日くらいに虎之介からキスに関しての話題が持ち上がったので、多分は虎之介は山中に吹きこまれたのだろうと吉田は思っている。そしてだからキスして!とか強請ったんだろうと思っている。テストのヤマ勘に回せれないのが惜しいくらいのドンピシャリ感だった。
「うーん、何でかな?」
 息子の質問に、むしろ首を傾げたのは父親である。オイ、と吉田は控えめながらに父親に突っ込みを入れた。
「まあ、でも、告白の日って言ってるからさ。だったら母さんに花束でも贈らないとだろ?」
 いやその発想、俺にはちっとも解らないよ父ちゃん。
 そんな口を挟む暇もなく、花束はリビングへ居た母親へと渡り、彼女も最初はきょとんとしていたが今日は告白の日らしいから、とさっき吉田も聞かされた台詞を父親が口にした途端、満面の喜色を浮かべて花束を持ったまま愛する夫へと抱きついた。こんな時の彼女は、母親よりも妻としての、いやむしろ恋人の顔が出ているのだろう。
 邪魔をするのは野暮だな、と吉田はそそくさと自室へと籠った。
 前は非難するように逃げていたのだが、最近は気を効かして退場している。
 それは何故って吉田にも、付き合う相手が居るのだから。


「――いや、俺の知る限りでは繋がるエピソードらしいエピソードは無いな」
「ふぅん」
 昼休み、2人きりのオチケン部室で昼食を取っている時、吉田は昨夜の事を佐藤に話してみた。昨日が告白の日になったのかが地味に気になったので。
 前まではこうして2人でまったりしていても、牧村があの落書き顔引っさげてドーンと登場してきたりして、(吉田だけが)気まずい思いをしていたものだが、打ち明けた今となっては逆に牧村はここへは来ようとしない。これもつまり、気を効かせてやっての事なのだろう。丁度、夫婦がいちゃつくリビングから吉田が撤退したように。
「………………」
 ふと、吉田は今の自分達はあの両親と同じ立場なのだろうか、と思ったのだが軽く頭を振ってそんな考えは払拭させた。自分はあそこまで外聞も無くベタベタしたりはしない!きっとしない!!
「まあ、ツイッターか何かでどっかの誰かが言い始めたんじゃないか。公式な祝日でも無いんだし、こんなのは基本言ったもの勝ちなんだって」
「えー、適当だなぁ」
「そんなものだって」
 明確な答えが得られず、不満そうな吉田に佐藤が可笑しそうに言う。確かに、言った者が勝ちだし、乗ってみた方が楽しいものかもしれない。昨日の父親のように。
「でも、もう結婚してるってのに告白の日で何をするつもりだったのかな、父ちゃん。まさか結婚してくださいとか言った訳じゃないだろうし……」
 いやそれじゃ、告白の日じゃなくて求婚の日になっちゃうかな、と吉田。
 昨夜、両親に本格的に目の前でべたべたされるまえに避難した為、その後の展開は吉田は知らない。ただ、翌朝も母親がご機嫌に鼻歌まで歌っていた所をみると、余程素敵な時間を過ごしたに違いない。ぽろっとした失言で母親を怒らせる事もしばしある父親だが、逆にそれだけ影響する台詞を言えるという事で、良い方に転じればまさに無敵である。そうじゃないのが玉に傷だが。致命傷なくらい。
「別に結婚してたって、告白するのは良い事なんじゃないか?」
 素朴に首を傾げている吉田に、佐藤が進言する。それは吉田の両親についてではなく、自分としての意見で言っているようだった。
「むしろ、付き合っていたら逆に告白し放題って感じじゃないか?」
「えー、どうしてそうなんの??」
 たまに佐藤は吉田にとって謎の展開を広げる。今のように。
「だって、他に人のものだったら気軽には言えないし」
「……そりゃ、まあ」
 むしろ気軽に言えた方が大問題だ……と思った途端、どっかのろくでなし癖っ毛が過ぎって苦い思いを味わう吉田である。
「―――ねえ、吉田」
 脳内に浮かんだ山中をどうぼこぼこにしてやるか、と考えていた吉田はその佐藤の声に我に戻る。
「ん、何?」
 真っ向から佐藤と向き合い、切れ長で流し目の佐藤の双眸と目が合う。吉田の意識がこちらへと注がれた事を確認し、佐藤はふ、と口元を和らげる。
「吉田、好きだよ」
「へっっ!?!??」
「だから俺と付き合って下さい」
「はっっっ!?!????」
 好きだとと言われた衝撃も収まらぬうちに、佐藤はまた大きな爆弾を落としてくれた。えーと今のは、と吉田が把握出来たのはそれから3分後である。その間、処理能力をフル回転させ、目も回しそうな吉田を佐藤は嬉しそうに眺めていた。きっとこんな台詞、他の男だったら「何言ってんの、お前」ってそのままの顔で吉田は返すのだろうから。
「え、えっと! あの! お、俺たち付き合ってる……んだよな!??」
「……………」
 最後の最後で疑問形になった吉田に、その鼻先に軽くデコピンを食らわせてやった。鼻にデコピンとは可笑しな表現だが。
 指先で弾かれただけだが、それだけでも十分な衝撃だった。痛い!と吉田が喚く。
「なんで疑問形になるんだよ」
「だ、だって、付き合おうとか言うし……」
「だから、そこは何度でも言っても良いものだって言ってあったじゃん」
 吉田としては改めて告げられた事で、今までがそこまでに至って無かったのか、とでも焦ったのだろう。 
 さすがに佐藤だって、付き合っていない相手に屋外であれやこれやをする趣味は無い。……多分。
「それに、俺、好きだとは言ったけど、付き合うとは言ってなかったような気がするんだよなー」
 記憶のフィルムを巻き戻し、自分にとって人生最良の日の事を思い出す。今のように吉田と二人きりで昼飯を共にする事に成功して、その場でまだ軽く一言二言しか交わしていなかったのに吉田はすぐに自分が「佐藤隆彦」なのだと気付いてくれた。それがどれだけこの心を揺るがしたか、吉田はちっとも知らないだろう。
 あ、思い出した、と吉田が呟くように口ずさむ。
「そういや佐藤、勝手に付き合ってる相手が居る、って女子に云ったんだっけ……」
 しかも、吉田が佐藤が好きかどうか「まだ解らない」と答えた段階で。最も、あの手の質問で即座に否定できない場合、全ては肯定なのだろうけど。
「うん、事後承諾みたいになったからさ。ここできちんと言っておこうかなーって」
 にこ、と佐藤はさも人のよさそうな笑みを浮かべた。女子にするような笑顔である。
 またおちょくってるな、と肩を落とす吉田に、佐藤はその顔を少しだけ引き締めた。これは、佐藤の素の顔だ。
「吉田、好きだよ。俺と付き合って」
「………………」
 再び告白の言葉を口にする佐藤。つまりこれは、返事を要求している。吉田だって、そのくらいは解る。
「………、――――、~~~~~~~ッ!!」
 肌色だったその顔を、段々と熟れたリンゴのように真っ赤にし、
「う、うん!!!」
 と、やっとの事でそれだけを返した。
 たったそれだけ、頷いただけで佐藤は嬉しそうに笑っている。もっと良い返しが出来たら、もっと良い笑顔を見せてくれたのかなぁ、と何やら惜しい気持ちも湧いてきた。けれど、今の吉田にはこれが精いっぱいだ。
 そして、佐藤はこうしてまた改めて言ってくれたものの、吉田はそもそもそのどちらも言っては居なかった。これでも一応男だし、告白の場面となれば、吉田も言い出す方が自分からだと漠然とは思っていた。まあその傍ら、女子からの告白があってもよいな~くらいも思っていたけど。
 もう付き合ってる相手に、好きだというのは意外とタイミングが掴めなくて、溢れそうな気持ちは告がれる事も無く今も燻っている。今日も言えなかったと落胆するよりは、いつかは言えると前向いていた方が健全的だ。佐藤の言う通り、付き合っているからこそいつでも言える。まあ、そのせいで言いそびれても居るのだけど。
 佐藤が言うにはこの日が告白の日となったのは半ばブームというか、一過性のような性質が強いとの事だけど、もしまた来年までその風潮があったのなら。
 その時には、今日の佐藤みたいに今度は自分が言い出そうかな。
 佐藤はベタな事が意外と好きだから、花束なんて差し出すと良いかも知れない。
 それは昨夜の父親と同じ行動パターンなのだが、まだそれには気付いていない吉田であった。



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