映画を見に行くにはタイミングが肝心だ、と思う。
 封切られて1,2か月後となれば余程の大作以外は本数がめっきり減ってしまい、自分達の都合の良い時間帯には上映されていないという事態はしばしばだ。なので映画は上映が開始されたらとっとと見に行くに限る、と佐藤は思う。あと出来れば予告編も見たい所だから、開始時刻がギリギリになるなら次に見送りたい。幸い今日のこの日は、次までに時間の余裕があり、かとって持て余す程の時間でも無い。幸先良いな、と佐藤が満足そうにしたり顔を浮かべる。
「なー、佐藤。ポップコーンどれが良い?」
 くるり、と振り返りつつも佐藤を見上げ、吉田が聞いてきた。上映のタイミングが良かったのは、吉田と一緒だからかな、なんて胸中で持ってみる佐藤である。
 特に必須アイテムとも思っていないけど、映画を見る時にはポップコーンが欲しい。というか、映画を見る時くらいしか率先してポップコーンを食べようとも思わないから余計に欲するのかもしれない。
 ここの映画館のポップコーンは、フレーバーがざっと6種類あった。甘いのはキャラメルといちごミルク。他はまずシンプルなに塩バター。そしてバーベキュー味、照り焼き味。期間限定の柚子こしょう、そして何と――
「七味味はダメだからな!」
 尋ねた後、そのフレーバーに気付いた吉田が慌てて言った。
「えー、美味しそうなのに~」
「絶対ダメ!!」
 台詞だけはさも残念がってみせる佐藤だが、当然ながら別段食べたいと思っている訳でもない。ただ、佐藤が食べたいと言えば、吉田が噛み付いてくるから、そこが面白いのだ。
 ポップコーンのメニューにはSMLのサイズ違いの外にハーフ&ハーフとして1つのカップで2種類選べるものがある。それとMサイズのドリンクが2つついたペアセットを選ぶに辺り、吉田はそれぞれの好きなものを頼もう、という事で佐藤にも声を掛けたのだった。佐藤はさして食に拘りも強い思いも無いから(ネガティブな方には思う所があるかもしれないが)いつも普通に塩を頼んでいる。あるいは、吉田が迷っている素振りを見せたら、その片方をさりげなくチョイスするとか。
 吉田が選んだのは照り焼き味だった。カップに詰めたものを手渡される時、醤油の香りが鼻を擽る。
 そしてポップコーンを受け取った時、自分達が見る映画の入場開始のアナウンスが流れる。佐藤はつくづく今日はタイミングが良い、とますます顔を緩めたのだった。


 と、佐藤にはとても順調な滑り出しなのだが、吉田にとってはそうではなかったようだ。席に着き、ジュースとポップコーンを座席に装着した後、吉田が周囲を軽く見渡しながら言う。
「ちょっと、この中冷えるな?」
「ああ、冷房入ってるかもなぁ」
 佐藤もさりげなく周囲を伺いながら言った。感じるひやりとした空気は、ただの外気という分けではないみたいだ。
 今は季節の合間の、気温が落ち着かない時期だ。朝は長袖が丁度良くても、日中は半袖でなけれ務まらないくらい気温が上がる事もある。今日なんかがそのパターンで、施設側としては気を効かせて冷房にしたのかもしれないが、半袖で来てしまった吉田には少し肌寒いようだ。剥き出しの腕を軽く摩っている。これなら長袖で来たら良かった、と吉田は後悔した。暑いのが気になるのが嫌だから、と半袖にしてきたのだが、まんまと裏目に出てしまった。映画が始まれば気にならなくなるかなぁ、と仄かな期待も抱いてみるが、現時点でこれだけ気になっているのだから、忘れるという事も難しそうだ。
 せめてもの気休めにと腕を摩り続ける吉田に、何か大きな布がばさりとかかる。ぬぁっ!と吉田がその中でジタバタする。
 ようやっと顔を出せて、降って来た物の正体をつかめれば、それは薄手のジャケットだった。誰の、なんて考えるのも馬鹿らしい。
「寒いならそれ着とけよ。俺はどうせ脱ぐつもりだったし」
 佐藤も最近の変動する気温を気にして、ある程度は調節可能な服装で来ていた。今日行く予定は空調設備も整った所だから、冷房をかけられるかもと思って上着を着て来たのだ。脱いだ所で持ち運びに困る物でもないし、こうして薄手で来た吉田に貸す事も出来るし。実は後者の思惑の方が濃厚でもあった。先週半ばから気温がぐっと上がり、「もう半袖で来るべきだった」と合い服の長袖のシャツを腕まくりしている所を見て、暑さを嫌って夏の格好で来る可能性は大いにあった。その選択が空調と反比例する事も。そして実際は佐藤の予想がドンピシャリ。もしかして今日の運勢は抜群だったのかなぁ、と普段は占いなんて微塵も気にしない癖に佐藤は思った。
「んじゃ、借りるな」
 少し、上着と佐藤の間を吉田の視線が往復したが、佐藤が必要としていないのが解ったか、吉田は有り難く借りる事にした。どう使うかがちょっと気になり、この時ではすでに灯りが落とされていたが、佐藤の目には吉田の一挙一動が見て取れた。施設で培った技術や技能は何気に今も役立っている。最も、その矛先が広義を含めて全て吉田の為、というのが佐藤らしいが。
 吉田にとっては軽い屈辱だろうが、サイズが違い過ぎるので、ひざ掛けとしても使えるだろう。けれど、吉田は上着としての機能を果たさせる為袖を通した。案の定、手の先も出ない様子だったが、袖をたくし上げて手を出していた。手が出なければポップコーンも食べれない。
 袖をたくし上げるのに、上着に皺が出来ないように気を付けている様子が可愛らしい。とっくに予告編も始まっている今、吉田も含めて皆の意識はそっちへと向かっているから、佐藤は遠慮なく眺めていた。勿論、予告している映画のチェックも抜かりない。
 あまりにサイズの違う上着に、着るのも苦労していたみたいだが、ようやくある程度は落ち着けたみたいだ。よいしょ、と軽く座り直してスクリーンへと集中する。
 ふと吉田は腕を上げ、そして、その袖を顔の方へと持って行く。軽く顔、というか鼻に押し付けるようにし、その後、何やらふにゃらと顔を緩ませた。ちょっと、嬉しそうに。
「…………………」
 多分、おそらく。
 その顔から察するに「佐藤の匂いがする」みたいな一連の動作だったのだろうか。今は。
 吉田の方とは反対の隣が空いているのを良い事に、佐藤はそっちの方へ肘をおいて頬杖を着いた。
 手に触れた頬が熱いような気がしたが、気のせいにしておいた。


 およそ2時間強の映画が終わった。気の早い人達の中にはエンドロール途中で抜け出すのも多かったけど、2人は最後まで、館内に再び灯りが着くまで座っていた。軽く伸びをして、座りっぱなしだった体を軽く解す。
「面白かったな!」
 通路を歩く吉田は、とても満足そうだ。続編があったら良いよな、とも言っていて、かなり気に入ったらしい。それは佐藤も同じ事だ。ただ余計なことまで知ってる佐藤としては、今回の動員と使った予算次第だろうな、と夢も希望も無い計算をしていたが。
 さてこれからどうしよう。出口が見えて佐藤は考える。このシネコンにはフードコートもあるから、そこで帰るまでだらだらしていても良いかもしれない。佐藤がそれとなくこの後の予定を立てていると、背後からよく知った声が掛かった。
「おい佐藤! それと吉田かぁ~?」
 この落書き顔を連想させる声の主は、やはり落書き顔の牧村だった。佐藤と吉田は、同時に振り向く。
 そこには牧村と、あと秋本も一緒に居た。彼らも同じスクリーンで見ていたようだ。示し合せた訳でもないのに、これはちょっとした偶然である。
 牧村はともあれ、秋本には好意を持ってくれている可愛い幼馴染がいるのだから、彼女と来れば良いのにと吉田は思ったが、ジャンルがアクションものだったのを思い出し、いかにもラブストーリーものが好きそうな洋子には合わないだろう、と判断する。秋本もそう思って牧村と来ているのかもしれない。
 それでも、多少趣味が合わなくても好きな人と一緒に映画は見たいと思うけどな、とも吉田は少し思う。一番良いのは、お互いが楽しめる事だけども。
 幸いにも、同性という所もあってか作品を面白いと思えるベクトルは吉田と佐藤に大きな差は無かった。
「お前らはやっぱりデートか?」
「えっ、なっっ!」
 呑気な口調で告げられた内容に、吉田が声を張り上げて赤面する。
「そうだよ。良いだろー♪」
「ちょっと!?!??」
 牧村以上に呑気に、横に立つ佐藤はにこにこして今の台詞を肯定した。
「別に構わないだろ? もうバレてんだし」
「バラしたんだろーが、佐藤が!!!」
 俺の一言の相談も無く!とあの時の衝動と戦慄を今も忘れられない吉田が吠える。たまに軽く悪夢として見るくらいだ。
「じゃあ、邪魔しても悪いから、俺らもう行くなー」
「吉田、佐藤、また学校でね」
「う、うん……」
 恋に生きる牧村は他人の恋にも優しかった。学校に居る時でも2人きりの時間を作ってやろうとしている。おかげで最近、佐藤の中で何気に牧村の株が急上昇中である。その代りと言っては何だが、西田の暴落ぶりは凄まじい。最初から快くは思っていなかったが。
 2人が去った後、フードコートに行くか?と軽く声を掛けてみたのだが、今のやり取りでここに留まる事へ対する気が削がれたのか、吉田はちょっと疲れた顔でもう帰る、と言い出した。時間はまだ早いから、帰りの道中で適当に部屋に誘ってやろうと佐藤が密かに決める。
「やっぱり、皆に打ち明けて良かったな~」
 シネコンから出て歩く道中、鼻歌でもしそうな様子の佐藤。やはり、今日と言う日は佐藤にとって吉日みたいだ。
「ええ、何が?」
「誰かにデートしてるんだ、って思われてるの、何か良いなって」
 にこにこと嬉しそうな佐藤に、吉田は何で?と言わんばかりに怪訝そうな顔を浮かべる。吉田にとって、デートとは自慢の材料ではないのだろう。
 これまでは当然ながら、誰かに目撃されてもデート中だなんて思われなかった。せいぜい仲が良いんだな、と思われるだけで。
 それでも良いと思ってた。吉田は関係がバレるのをあまりよく思ってないようだから。自分達がマイノリティだからという負い目や引け目では無く、ただ単純に恥ずかしいという理由だから、佐藤も付き合っていた。それだったけど、実際の恋人である時分を差し置いて、西田が吉田を好きなのだと観衆の面前で言い切った物だから、佐藤もさすがにキレた。マイノリティへの懸念はいじめの経験がある佐藤の方が強い。何だかんだで差別の対象だし、隠していた方が良いのだとは解っていたが、どうにも我慢できなかった。
 これでもし、学校中から自分と吉田が疎外されたとしても、その時は自分が吉田を守れば良い。傍に居てやれば良い。そんな気概すら持っていたのだが、実際に打ち明けた後、周りは思いのほか好意的だった。主に男子の方が。そこには打算がふんだんに込められていたとしても、嫌悪されるよりはよほどましである。女子にしたって、自分の恋心を否定したりはしなかった。むしろ、それを受け入れて吉田に受けて立つと宣言した時は天晴とすら思ったものだ。このクラスメイト達なら、かつて佐藤が体験したような陰湿ないじめに遭う事は無いだろう。
 ――昔は、一人が良いと思っていた。
 そして少し前は、吉田さえ居れば良いと思った。
 でも、今は。
「俺が吉田の事好きだって、誰かが知ってて認めて貰えてるのって、凄く良い」
 そこまでダイレクトに言ってやって、ようやく吉田は理解が出来たようだ。ぱっと顔を赤くし、目を逸らしてしまう。可愛いなぁ、と初々しさが抜け切れない所を、佐藤は愛しく思う。
 あー、とかうー、とか。今の佐藤の発言に対し、何かを返したいらしい吉田だが、それが上手く言葉となって出て来る事は無かった。吉田は想いを言葉にするのが苦手らしい。いや、これもただ恥ずかしいだけか。吉田は言葉の重みをきっと知っている。だから大事なことほど言いよどむのだろう。好き、というたった2つの音の響きを。
 人には言語の外にボディランゲージというものがある。歩くリズムと吉田と合わせ、佐藤はさりげなく体の横で軽く前後している手を取った。
 さすがに反応する吉田だが、ちょっと驚いた顔で佐藤を見上げた後は何も言わないで顔を前に向けた。勿論、紅潮させたままで。
「吉田、」
 と、軽くつないだ手を引いて注意をこちらへ向けさせる。
「部屋に来る?」
 佐藤としては意識したつもりはないが、その顔も声も吉田にとっては大分甘いものになってしまっていたらしい。より一層増した顔の赤みで察する。どうも、吉田の前だとコントロールが効かない。こういう時ならまだ良いが、隠したい本心を悟られるのは勘弁したい所だ。吉田の事を、みっともないくらい好きだなんて事は。
「で、どうする?」
 このままなし崩しに連れ込んでも良いが、やはり佐藤としては吉田からの明確な意思が欲しい。言葉が欲しい。本当に欲しい言葉がまだなのだから、せめてこれくらいは言って欲しい。ちょっと意地が悪いなと(ちょっと?)佐藤も思うが、それにちゃんと応えてやるのが吉田である。うぅ、と軽く呻いた後、言う。
「……うん、行く」
 そうして佐藤は破顔し、コンビニに寄る事を提案した。カップ溢れんばかりにあったポップコーンだけど、あれくらいじゃとても男子高校生の腹を満たせないし、あれだけの近くに居て触れても居ないなんてこっちの欲求も満たされない。
 部屋に行ったら、もうずっと吉田にひっついていよう。そんな決意を佐藤が胸に込めているとも知らないで、今の吉田は商品の並ぶ棚で自分の好きな歌詞を選んでいた。




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