「――何か、すまんな。特に差し迫っているという事でもないというのに……」
 すっかりそこが相談の定位置と化してしまった図書室の一室。決して周りの邪魔にならない音量で持って、東は心底申し訳なさそうに佐藤に言う。
 好きな人と一緒に居られない辛さや寂しさは、東は心底思い知っている。こうして相談に借り出している間、当然ながらに佐藤は吉田とは居られない。その原因が自分かと思うと、東としてはかなり心苦しいものがあった。
「ああ……別に、そこは大丈夫だけど」
 説明の少ない台詞から東の心中を察し、佐藤は実際何でもない様に言う。その様子に、東は少し首を傾げたくなる。廊下なんかで、たまに見かける2人は、そのたまにながらもほぼ確実一緒に居る。それも、どちらか問えば佐藤が吉田に引っ付いているような感じに見えた。女子は決して認めないかもしれないが、どう見たって矢印は佐藤から吉田の方に強く出ているように東は思えてならない。
 そんな佐藤に、吉田との時間を割いて相談に乗ってくれと言うのである。断られて仕方ないくらいの心持でいつも声を掛ける東なのだが、それが断られた事も反故された事も無かった。
 さっきの東に台詞にだって「じゃあ声掛けてくんな」という無慈悲な正論の1つや2つくらい食らうだろうと思っていたのだが、実際はこうして、怒気も無ければ嫌味も無い、無味乾燥な相槌だった。
 まさか喧嘩でもしたか。いや、佐藤の性格上、吉田と喧嘩したとあったら自分と呑気に話しに付き合ってくれている筈もない。
 それに何より、佐藤と吉田の中が拗れるのは東としても非常にまずい。佐藤と喧嘩した吉田の状態が傷心してるか激昂してるかは知らないが、そんな所を西田に優しくされたら惚れてしまうではないか!それはまずい!非常に困る!!
 あわあわ、と自分の想像で顔を青くしている東を余所に、佐藤は取りこぼすように呟いた。
「まあなんていうか……お前の事見てると、まんざら他人事にも思えないというか、」
「…………?」
 佐藤の発言に、東は今度こそ実際に首を傾けた。だって、どうあっても頷けるものでは無かったから。
「……付き合ってるんだよな? 吉田と?」
 想いが通じている筈の佐藤が、どうして一方通行極まりない自分と同一視のようなものを抱いているのか。喧嘩ではないものの、まさか本当に何かあったのか、と再び顔を青ざめる。
「うん、付き合ってる」
 そこはすんなりと言う佐藤に、東も少しだけ胸を撫で下ろす。
 けれど、その後すぐに続いて「でも、」と佐藤は口を開く。
「もし付き合えていなくても、俺はきっと、それでもずっと吉田の事好きだろうから」
 お前みたいにな、と佐藤はそれだけを付け加えた。
「……………」
 自分から気持ちが離れているのが解っていても、別の誰かを追い駆けていても。
 それでも好きという気持ちを抑えきれない。
 どうしようもない、やりきれないこの思い。
 それをどうして、その好きな人と付き合っている筈の佐藤が抱えているのか。
 とても気になる所だが、東が佐藤に訊けなかったのは、最終下校時刻を報せるアナウンスが流れたからでは無かった。


 それでもその後日、廊下でちらと見かけた2人は普段通りで、この前の寂寞を携えた佐藤は何だったのかと、いっそ自分の記憶を疑いたい東だ。とは言え、記憶違いや気のせいではとても済まされない空気が、あの時の佐藤にはあったように思う。
 くどいようだが、東は佐藤が吉田と別れる事になってはとても困る。それとはまた別に、純粋に気遣う気持ちもあった。何だかんだで自分の相談に乗ってくれる佐藤に、何か出来る事があるのならと。
「おい、吉田義男」
「――うぇぇッ!!?? あ、何だ東か……」
 急に後ろから声がするからびっくりしたじゃん、と軽く咎めるように言うのは、思わず変な声を出してしまった気恥ずかしさからだろう。
 そしてちょっと警戒の色を見せている。まあ、これまでがこれまでだったし、そこは仕方ないだろう。
 東はズバリと本題を切り出した。
「お前、佐藤と上手く行ってるのか?」
「はぁ? なんだいきなり??」
 怪訝そうに顔を歪め、尋ねて来た相手に吉田は逆に聞き返した。
 確かに出会い頭に尋ねるには唐突過ぎるかもしれない。けれど、もし実際に拗れていたらここまできょとんとした顔で尋ね返さないだろう。吉田にそこまでの縁起が出来るとは思えないし。
「……佐藤には、度々相談に乗って貰ってるんだが、」
 何の相談までかは言わなかったが、そこは吉田も解ったのだろう。何とも言えない顔を浮かべている。東は続けた。
「そこで、何やら俺の事を他人事じゃないとか言い始めて……俺と違って片想いでもなんでもないんだから、その言い方がちょっと気になっただけだ」
 巧みな話術とは無縁な東は、自分の感じたままを口にした。それはさすがに吉田も捨て置けない内容で、軽く目を見張る。
「え、それって……あ、」
 疑問符だらけだった吉田が、不意に色を変えた声を上げた。
「何だ、思い当たる節があるのか」
 吉田の前だから、つい尊大ぶっているが、内心東も冷や冷やだった。頼むから軋轢なんて作らないでくれ、なんてどこに向ければ良いか解らない願いを持つ。
 吉田はしばし、あー、うー、と言葉にならない声を上げていたが、説明しろと言わんばかりの東の雰囲気に押され、言う。
「まあ、何ていうか……その、」
「…………」
 声は出ていても進まない内容に、じれったい気持ちを抑え、東はここは大人しく待った。言い難い事を言わせようとしているのだから、そこは譲歩してやるべきだ。
 あのさ、と吉田は切り出した。
「俺、佐藤にまだ「好き」って言えてないんだよな……」
 だからかもしれない、と吉田は言う。
 それを聞いて東は。
「………… は?」
 まず、呆けた。そして、それから。
「……お前ら、付き合ってるんだよな?」
「う、うん」
「それで、どうしてまだ「好き」の1つも言ってやれていないんだ!!!!」
「そ、そんな事言われても―――!!」
 やっぱりこうなったー!と大きな体躯に詰め寄れられ、胸中で叫ぶ吉田。
「ならさっさと言ってやれ!それで万事解決だろうが!!」
 むしろ吉田の口ぶりだと、それが原因で前にも何かがあったようにも取れる。むしろ、過去の経験無くして吉田がそう思える筈がないとすら感じる。自分も大概だが、吉田だって恋愛沙汰に敏感なんてとても思えない。
 しかし、気づいているというのなら、すぐにでも解消してやれば良いのに。見つけた問題は即座に片づけておくべきだ。
「む、無理! 言えない!!」
 けれど吉田は顔を赤らめて、腕をクロスさせて体でバツ印まで作る始末だった。東が何故だ!と問いつめる前、吉田はぽつりぽつりと言う。
「だ、だって大事な事だし、間違えたくないし。何が間違いで正しいのかも解らないけど、だから余計に今はまだ言えないっていうか……」
「……………」
「訊かれたら答えられるんだけど、佐藤最近聞いてこないし……」
 前は沢山聞いて来たくせに。そう、顔を真っ赤にして言う吉田には、佐藤に対する真摯な気持ちが見て取れる。
 さっきまでは、さっさと言ってやらない吉田に腹を立てたものだが、こうした姿を見てしまうと、言って貰えていないという事実にばかり気を取られている佐藤にも問題があるように思う。まあ、きっと、それだけでもないとは思うが。
「さ、佐藤、もしかして怒ってた?」
 首をほぼ真上に上げ、吉田は東へと尋ねる。
「……いや」
 東は首を振った。
「ただ、寂しそうだった」
「……そっか」
 東の発言を聞き、吉田が肩を落とす。ますます小さくなったような吉田に、こんな所を西田に見られなくて良かった、なんて思う自分に自己嫌悪をちょっと抱く東だった。吉田は本気でしょげているというのに。
「……やっぱ、言わなきゃダメだよなー……」
 そんな風に声を落とす吉田を見て、東は既視感に見舞われた。これとよく似た光景を、前にも見たような――
(――ああ、)
 他でもない、それは佐藤の顔だ。東の事を他人事じゃないから、と言った時の。
 吉田が言えない事を気にしているように、佐藤も言って貰っていない事に固執している自分を良くは思っていないのだろう。でもやはり単純に、好きな人、まして付き合っている相手に「好き」という言葉を貰えていないというのは心許無くて。
 吉田もそこをちゃんと解っている。そして、だからこそ、おいそれと言ってやることは出来ないのだ。佐藤もそれを解っていて、だから気にしてしまう自分が嫌で……
 何だか果てしない追いかけっこのように東は思えた。自分の尻尾を追い駆ける犬のような滑稽さすら感じて。
 ふぅ、と東は軽く息を吐いた。そして吉田に向けて言う。
「ダメだとか、そんな義務みたいに言うものでもないだろう」
「…………」
「まあ、それでもとっとと言ってやれとは思うけどな」
「う、」
 チクリと釘をさす様に言われ、吉田は軽く呻く。その顔を見て、東はちょっとはスっとした。好きと言えないくらい好きな相手と付き合っているなんて、どれだけの贅沢だと思っているのか。しかも挙句に、自分の好きな人に懸想まで抱かれている始末。吉田に非は無いと解っている。解っているがこのやり切れなさはどうだろう。東が気を鎮める為に、軽く精神統一をしていると。
「東、」
 と、吉田。
「何か、ありがとな」
「……別に、」
 礼なんて言われる謂れはない。そっぽ向いて言った東だが、その視界の隅にちょっと口元を緩めている吉田の姿を認め、何だか居た堪れなくて東の方から立ち去った。じゃあな、バイバイ、なんて吉田はその背中に声を掛ける。呑気なヤツ。でも、口の端がむず痒い。
 そして歩きながら思った。
 付き合っている相手に、まるで片想いのような感傷を抱いたり、好きだの一言が言えなかったり。
 色んな感情の形があるものだ。好きと言う気持ちが綺麗な円をしていないのは、東は自分でよく知っている。
 綺麗な形になれないのは、互いにその歪を埋める為だろうか。
 自分と西田はどうなるんだろう。まあ、一緒に寄り添えるかどうかも解らないのだけども。
 でも出来るなら佐藤や吉田みたいに、傍から見て馬鹿みたいに思えるくらい相手の事を想ってみたい。
 佐藤が聞いていたら「お前もとっくにそうじゃないか」と言われるだろう台詞を、東は胸の中でひっそりと思っていた。



<END>