西田の耳、正義イヤーは迷える子羊、この場合は単純に困った人達のその呟きを拾うのである。しかし、多数いるその対象に対し、西田と言う人物はたった一人な訳で。
「すまん東! あとは頼んだ!!」
 授業の資料を戻しに行く最中、助けを呼ぶ声を拾い取った西田は、荷物を全て東に託し、どこへともなく駆け出して行った。
 そして後には。
「………………………」
 両手に抱える程の荷物を持った、東だけが残された。


 随分な量であるが、東は自分以上の体躯を探すのが困難なくらい体格の良い男子だ。見た目は重そうでも、東本人の負担はそれほどでも無いのがせめてもの救いだ。さすがの西田だって、運びきれない荷物を平然と押し付けて行ったりはしないだろうから、その辺はちゃんと考えてくれているのだろうけど。
 それでもちょっと、本当にちょっとでも良いから、自分の事も気遣って欲しかっただなんて。
 報われないのを上等で転校して来たものの、改めて置かれた境遇に少しだけ涙ぐむ東であった。さっさとこの荷物、資料室へと戻してしまおう。
 そう思い、明日を進めたのだが――
(……不味いな)
 東は地道に窮地に立たされていた。転校して間もない東は、まだ足も踏み入れていない場所も多い。指定された資料室がまさにそんな場所であり、西田で口頭での説明で受けただけで実際に行った事は無い。そして西田はきっと丁寧に教えてくれたのだろうが、生憎その時の東に入った情報は近くに来た西田の顔のドアップだけだった。速い話が殆ど聞き逃していたも同然なのである。どうせ一緒に行くのだからと思ったのがかなり仇になった。はやり人の話はきちんと聞くべきなのである。
 辛うじて解る範囲で足を運んでいたのだが、ここに来て本格的に解らなくなってしまった。このまま行き当たりばったりでしらみつぶし出探すか、通りすがりの生徒を捕まえて案内して貰うか。二者択一の選択に葛藤の表情を浮かべる東。と、そこに誰かが通りかかる。
「あれ、東じゃん」
「……………」
 よりによってこいつか、と東は自分の表情筋が歪むのを感じる。そして目の前に来た吉田が顔を引き攣らせたので、また壮絶な顔になっているのだろうな、と鏡の無い今ではその確認までは出来ない。
 吉田は何も悪くない。ただ、西田から好意を寄せられているだけで。……まあ、その一点がものすごく許し難いというか、受け入れがたいというか。その複雑な思いがどうしても表情に現れてしまう。
 吉田も、東のそんな事情をよく知っているから率先して会いに来る事はまずないが、それでも通りすがりに会えば挨拶くらいは交わしてくれる。今だって、東が両腕に抱える大荷物を見て声を掛けてくれたのだろうし。
「何だこれ?どこに運ぶんだ?」
 おそらくは校内一背の高い男子と背の低い男子との取り合わせだ。吉田は腕に抱える荷物を見る為、ちょっと背伸びをして覗き込んだ。東は、後半の問いにだけ答えてやった。
「……社会科資料室だ」
「そんなら、まだちょっと距離あるな。一緒に行こう」
 そう言って吉田は東の脇に抱えられていた世界地図を取り出し、抱える。当然のような吉田の行動に、東がちょっと慌てた。
「いや待て。場所だけ教えて貰えれば良い」
「へ? ……ああ、場所解らないのか」
 転校してきたばかりだもんなー、と吉田。そして、んー、と首を傾けて。
「説明するより実際に行った方が手っ取り早いや」
 何番目の角をどっちに曲がるとか、そこから何番目の教室だとか。資料室は図書室やら理科室等、戸から目に見えてそれと解る特別教室では無く、一見すれば普通の教室とは変わらない。今は急ぎの様も無いし、時間もある。今言った通り、口で説明するよりも実際に赴いた方が手っ取り早いし簡単だ。じゃあ行こう、と吉田は促すが、
「いいから、解る範囲でだけでも教えろ! 後は勘で行く!」
「……勘、ってなぁ」
 そんな不確かなものに任せず、自分に頼れば良いのに。西田を追い駆けて来たという東の原動力は解りやすいのだか、逆にそこに固執するあまり他が面倒な事になっている。
「自分よりも大分小さい奴の手を借りたとなっては、俺の名折れだ」
「……名折れ、って」
 たかが荷物を運ぶのを手伝うだけで大袈裟な。まあ、この場合問題なのは、相手が吉田だから、という側面が強いからだろうけども。
 はー、と吉田は深い溜息を吐いた。そして。
「もー、いいから、ほら、早く行くぞ!もうすぐ授業始まっちゃうし」
「おい! 今までの俺の台詞を聞いてなかったのか! 荷物は返せ……」
 そう言って吉田は、東の反論を取り合わず、すたすたと歩きだした。東はそれでも少しの間何か叫んでいたけども、吉田の言う通り時間も差し迫っていた為、大人しく吉田の後をついて行く事にした。
 それでも、不本意だとう表情は隠しはしないで。

 ここが資料室、と軽く説明して戸を開く。中には机も無く、棚で囲まれた左右に大小さまざまな箱が置かれてある。
「空いている所に適当に入れておけば良いから」
 東に告げた後、吉田も世界地図を空いた所へと横に置く。東は黙々と腕に抱える荷物を空いた場所へと置いて行った。その口元はむっつりと真一文字に結ばれている。やれやれ、これくらいの事素直に頼れば良いのに。しかし、さすがの吉田も言えばまだややこしい事になると解っているので、胸の内にだけ留めおくが。
「……吉田義男」
「うん?」
 資料室から出る時、不遜な態度で東が声を掛ける。
「――この借りは、返す」
 一言そう言った後、踵を返す様に身体を反し、東はその後は一切吉田を振り返る事無く、決して走らずけれどそれに匹敵する速度で歩き出した。吉田は何か、置いてけぼりを食らったような。っていうか、
「……俺、手助けした筈だよな……?」
 どう振り返ってもお礼参りの宣言にしか聞こえなかった東の口調を思い、吉田はげんなりとした声で呟いた。


 そしてその「借り」は次の日返される事になった。佐藤がジュースを持って現れた時は、また何か辛いのでも仕込んで来たか!と警戒したのだが、佐藤が言うには東からの差し入れだという。
「昨日、荷物運ぶの手伝ったんだって?」
 ジュースを佐藤に手渡す時、軽い説明くらいはしたそうだ。自ら持って来なかったのは、避けたのか、他に用事があったのか。はたまた、佐藤が渡した方が良いだろうという配慮からか。どれか1つという訳でも無く、全ての要素が詰まっていそうだ。
「お前もとんだお人好しだよなぁ。自分に恨みを持ってる相手に親切してやるとか……」
 オレンジジュースだ、と銘柄を確認してると佐藤がため息交じりのように言う。
「まあ、そりゃそうだけど、東だって悪い奴じゃないし」
 最初こそ、存分に甚振ってくれたが、今となっては吉田を快く思っていない自分に自己嫌悪をしているような素振りすら見える。
「……別に同情してるとかじゃないよな?」
 佐藤としても本気で疑っている訳で無さそうだが、その一言は吉田の矜持を揺さぶった。きりりと眦をきつく吊り上げる。
「ンな訳ないじゃん! それだったら俺、すげー嫌なヤツだろ!!」
「ああ、うんうん。解ってる解ってる」
 だからそんなに怒るな、と佐藤はあやす様に吉田の頭を撫でた。ただそこで、ちょっと悪戯心が起きて撫でる程度の手つきでは無く、思い切り髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜてみ。何するんだよ!と吉田はボサボサ頭のまま怒鳴る。
 吉田は「良い奴」だ。多少頑固であるが、決して察しの悪くない東にもそれは十分解っている事だろう。今は胸いっぱいに詰まっている蟠りが解消された時、東は吉田に対してどうでるか。今までの非礼を詫びて、吉田もそれを甘受してすっかり打ち解けて仲良くなってしまったら。
「……………」
 かねてより、佐藤は西田には良い印象を持って居なかったが、東の一件も絡んでますますいけ好かない人物へとなり替わった。困った人をほっとけないいい人だとは皆は言うが、最も報いなければならない東を殆ど放置している辺り、佐藤の中では山中にも負けず劣らずの下種として認定されている。このまますんなり東ととっととくっ付いて欲しい反面、けれどそれだと西田もただ幸せなだけだから、奴には痛い目も見て貰いたい。
 例えばそう、東と吉田が仲良くなり、吉田が東につれない西田を激しく非難しようものなら、これはかなり効果的と言って良いだろう。
 けれどこの方法には、大いなる欠点がある。
 それは。
(俺より仲良くなられても困るしな~)
 東と吉田、両者からそんな訳あるか!と渾身の突込みを貰いそうな杞憂であるが、佐藤は割と本気で危惧していたりもする。恋をすれば誰だって身勝手で思い込みが激しくなるものだ。それこそ、西田や東のように。
 まさかそんなとでもない心配をされているとは知らない吉田は、全くいつもの通り、佐藤を諌めようとしては逆にからかわれ。
 ダメだと言っている校内でキスをされてしまっては、顔を真っ赤にしてまた怒鳴るのだった。



<END>