八百万も神様が居るからか、元を辿れば宗教に基づく習わしだろうと、上手くカスタマイズして市場を盛り上げるイベントに仕立てあげてしまう。バレンタインもそうだが、ホワイトデーもその最たるものだ。お返しの精神は、日本人ならではの発想だろう。
「はい、吉田。バレンタインのお返し」
「…………」
 にこ、と微かに口元に灯した極上の笑みで、手にした小箱を吉田に差し出す。それは今日の朝っぱらから。教室内で。
 じろり、とした視線を吉田はその小さな体中で感じていた。
「ちょ、ちょ、ちょいちょい!!」
 相変わらず仲が良いなぁ~、なんて無責任な牧村の冷やかしをスルーし、吉田は教室の隅へと佐藤を誘導する。カーテンの裏に隠れば、とりあえずは人目を避けて話が出来る。
「何っっで今渡すんだよ! てか、バレンタインお互いにあげたんだから、ホワイトデーは無しで良いって事になったんじゃなかったっけ!?」
 さすがに一か月前を忘れる程耄碌はしていないが、暗記力に乏しい頭脳ではしっかりとした断言も難しい。けれど、佐藤に関する事は絶対に忘れない自信はある。だって、場合によっては後が怖いし。
「んー、まあ、そうなんだけど」
 ちょっとすっとぼけて見せる佐藤。そんなポーズすら、格好よく見れるのだから詐欺みたいに思える。
 けれど、この返事ならば、1か月前のやり取りは吉田の記憶する所と事実は合致しているようだ。だとしたら尚の事不可解な行動である。
「でもやっぱり、あげたくなっちゃって♪ 思い立って作っちゃった」
「え! これ、手作り!?」
 言ってしまった後、慌てて口を押えた。カーテンの外で、聴こえてなければ良いけど。冷や汗がたらりと伝う。
「まあ、ホワイトデーってのはこじつけでさ。たまには良いもんだろ?」
 手作りのお菓子渡したりとか。腰を折り曲げ、吉田の耳に吹き込むように佐藤が言った。
「~~~っっ!」
 耳を押さえ、狭い場所ながら佐藤から距離を取る。南の島に行ってからこっち、どうも耳が敏感というか、意識してしまって困る。これでは内緒話も出来ない……まあ、する機会も滅多に無いだろうけど。
 そうこうしている内に始業のチャイムが鳴った為、席に着く。
 佐藤からの贈り物は、決して潰さない様、鞄の一番上に入れた。


 その後、女子達の「佐藤君から何を貰ったの!!」攻撃をどうにか逃れ、昼休みにはオチケンの部室へと辿り着く事が出来た。最近、この部室は佐藤と2人きりが多い。以前は秋本や、そして主に牧村が度々乱入してきたのだが、関係が公然とされた今となっては気を遣って2人きりにさせてくれる。いらないお世話だ、と言いたい吉田と、もっと早く配慮しろよ、という佐藤の意見は真反対である。
 食べ物、というかお菓子である事は解っている。ならば、この時間に食べてしまおうと吉田は決めた。ちょっとは勿体ない気持ちもあるけれど、やはり食べ物は食べてなんぼだろう。
 箱の蓋を開けてみれば、ハートの形をした焼き菓子が4つ。プレーンの物と、何を混ぜたかはまだ解らないが、可愛らしい濃いピンク色のものが2つ。
 まずは何も混ざっていないプレーンを1口。うん、美味しい。香ばしくて甘い風味が口いっぱい広がる。
「美味しいよ、このマドレーヌ」
 もぐもぐ、と口を動かして言うと違うよ、と佐藤からの訂正。
「それはマドレーヌじゃなくて、フィナンシェ」
「え、どう違うの?」
「マドレーヌは卵黄、フィナンシェは卵白を使うんだ。まあ、他の肯定は殆ど一緒だから、似てると言えば似てるな」
 その材料の違い故、フィナンシェの方がさっぱりしていると佐藤は付け加えた。そして、色味が薄い分、着色が綺麗に着くと。マドレーヌはプレーンの状態でも若干色がついている。
 1つを食べ終わった吉田は、今度はピンク色の方に手を伸ばす。一口齧り、その色の正体を知った。
「あ、イチゴ味だ」
 果実味独特の甘みの中、ちょっとだけ感じる酸味。ふわりと花のような芳香も漂わす、そろそろ旬になろうかという果物だ。
「美味しい?」
「うん」
 プレーンの方も勿論美味しかったが、吉田はイチゴ味の方が気に入った。心もち、さっきよりも早く平らげてしまうと、もう1つあるピンク色のフィナンシェを摘まみとる。今さらだけど、可愛い形をしている。ハート型。佐藤は澄ました顔をしてベタな事がとても好きだ。クリスマスやバレンタイン、恋人のイベントを実はかなり重要視している。
 一方の吉田は、あまりそういう事にこだわりは無い……というか。そういう特別な日よりも、日々の中、一緒に帰ったりというそういう他愛無い事を尊重するタイプである。嗜好が真逆で反りが合わない所もあるが、逆に自分には無い物を持っているので補完してくれる所もある。お似合い……と言って良いやらどうやら。
 そんな事を考えていた吉田は、普段働く注意や警戒を疎かにしてしまった。それに気付いたのは、ピンク色のフィナンシェを口に含んだ後。そうなってしまっては、全ては後の祭りだった。
「………、………ッ!―――――!―――――――――ッッ!!!」
「それ、良い色だろ? タバスコ入れてみた♪」
 佐藤はベタな性格で、恋人っぽいイベントが好きで。
 けれどそれ以上に、吉田に悪戯を仕掛けるのがとてもとても大好きなのだった。


 やられた! 久っ々にやられた!!!と涙目でごくごくとスポーツ飲料水を飲み下す吉田。口の中が辛い。そして痛い。呼吸する度に通り抜ける空気すら、もはや刺激である。
(佐藤の、バカヤロ~~~~~~~!!!!)
 口が効けたならそう叫んでいた所だ。
 あの後、口を押させてオチケン部室を猛烈な勢いで飛び出た吉田を、佐藤はとても満足そうに眺めていた。思い出すだけでむかっ腹が立つ。
 と、そこへ。
「吉田……か?」
 声の方を振り向けば、そこには東が居た。
「何をしてるんだ、こんな所で」
 確かに人気の無い水飲み場にぽつんと立っていたのでは、その意味を尋ねたくもなるだろう。
「……えーと、なんて言ったらよいやら……」
 まさかホワイトデーの贈り物にやられたとも言えず、吉田はただただ言葉を濁すのみだった。
 あ、そういえば、と丁度良い話題を思いついた事もあり、それを口に出す。
「なあ、東は西田にホワイトデー、貰ったんか?」
「、」
 吉田がそう尋ねると、東の顔に朱が走る。解りやすい奴だなぁ、と見上げる顔を見て吉田が思った。何せ吉田は、東が西田へと贈る為のチョコを一緒に買いに行ったのである。しかも、一緒に並んだりもして。事の顛末くらいは知る権利はあると思うのだ。
 東の反応を見て、結果は上々だったんだな、と吉田も安堵する。東の想いは本当に一途で健気だから、出来れば報われて欲しい。
「……ハンカチ、今朝貰った」
「へぇー! 良かったじゃん!」
「うん……」
 勝手に聞かされた西田のモノローグによれば、二人は幼馴染で家も結構近いらしい。だから、登校前に渡したのだろう。
 佐藤もそうすりゃ良かったのに、と思うけど、うっかり母親に目撃されたらクラスの女子を相手にするより面倒な事になりそうだから、この形で良かったのだろう。……多分。
「持ち歩いていたいけど、勿体なくて使えなくて」
 少し照れ臭そうに、そしてにこにこと話す東に、吉田もタバスコ入りフィナンシェで荒んでいた気持ちが和んで行く。
 聞く限りでは、西田の一方的で勝手な都合でフラれた(?)関係みたいだが、こうしてお返しをくれる辺り、まだ脈ありと思って良いかもしれない。とりあえず、意識するという所はクリアしていると思われる。
「東?」
 2人が上手く行くと良いな~、と吉田が思っていると、その西田が現れた。さっきまで、2人は一緒だったんだろうか。
「あ。じゃあ俺……」
 もう行くね、と気を効かせて立ち去ろうとしたのだが。
「あ! 吉田、吉田! ちょ、ちょっと待ってくれ……!!」
 吉田を見るなり、西田は急に慌ててポケットに手を突っ込む。そして取り出したのは小さな袋である。一部が透明で中身が確認でき、どうやらマシュマロのようだった。
 ……マシュマロ……
 他の時ならどうって事も無いが、今日のこの日となると、その菓子は意味を持つ。こんな不穏な気持ちでマシュマロを見たのなんてゴーストバスターズくらいなもんだろうて。
「これ! ホワイトデーだから、貰ってくれ!」
 やっぱりかぁぁぁぁ!!という胸中の絶叫が収まらない内、西田が吉田の手にぎゅっとそれを握らせる。ピキ、とかパキン、とかいう音が聴こえたような気がした。気のせいでないとすれば、きっと、東から。
「ええええ、俺、バレンタインに渡してないだろ!?」
「ああ、でも、バレンタインのチョコ、吉田も買うのに付き合ってくれたそうじゃないか」
 言っちゃったのか東!! 何で言っちゃったんだ東!!!
「限定品で、かなり並んだんだろ? そのお礼っていうのも変だけど……」
 ありがとうな、という爽やかな笑みを浮かべる西田である。おいおいおい、おいおいおいおい、と冷や汗しか浮かべなくなった吉田に声が掛かった。
「……受け取れば、良いじゃないか……」
 東だ。
 さっきの、春の陽気みたいな空気を吹っ飛ばし、極寒の崖っぷちに佇んでいるかのような声でそう言う。
「……………」
 ここはもう、断っても受け取っても、結果は同じなんだろうか。
 菓子に罪は無いのだと、吉田は西田からのマシュマロを受け取る事になった。
 なってしまった。


「じゃあな、バイバイ」
「うん、また明日……」
 分かれ道、力無い声で佐藤に帰した吉田は、これまた力無い足取りで帰路を行く。無事に何事も無く家まで行けると良いなぁ、なんてそこはかとない心配までしてしまう。
 実は、タバスコ入りのフィナンシェを食べた後の、水飲み場で東と西田を交えたやり取りの事を、佐藤はちゃっかり知っていた。吉田の事なら大体把握出来る。
 それでも敢えて知らないふりを決め込んだのは、あの時点で吉田が相当参っている事と、今日はすでに一発悪戯が成功して満足していたからだ。
 東の不機嫌が明日にも持ち越すようだったら、そこはフォローしてやろうと思う。それにしても西田め、全くあれだけ渾身を込めて「空気読め!!!」と思った事は無いぞ。今となっては、手を出した山中よりも余程厄介な……いややっぱり、山中もまだ許しはせんが。許しはせんぞ。
 マンションの前まで着いた佐藤は、普段の習慣として郵便受けを覗く。姉と、とくにどちらとも決めてないが、佐藤の方が帰宅が早いから何となく担っている。
 中には、ダイレクトメールが2,3通。
 そしてその中、真っ白な封筒を見つける。良くよく見れば、凹凸で装飾が施されていた。よく見れば、それは花の形である。
 その差出人を見て、佐藤は軽く目を見張る。
 そこには、佐藤が最も心を砕き思いを寄せる相手の名が記されていたからだ。
(吉田……?)
 半ば駆けるように自室へと向かい、ペーパーナイフで丁寧に切り空ける。
 中には二つ折りされたカードが入っていて、開けるとメロディを奏でた。オルゴールの素朴な音が室内に響く。
 この曲は、エーデルワイスだ。佐藤にはすぐに解った。表面の凹凸も、きっとこの花がモチーフにされている。
 文面は素っ気無く「バレンタインとか、他にも色々ありがとう」と綴られている。他でも無く、吉田の文字で。
 ありがとうなんて。
 吉田の方が、ずっと自分に分け与えているというのに。お人好しというか……そういう所が好きなんだけど、と佐藤は誰に惚気るでも無く胸中で呟く。
 きっと、吉田はさしたる知識も無く、単に良い曲だと思ってこの曲を選んだのだろう。花の色も白いし、今日のこの日にぴったりだと。
 タイトルになるエーデルワイスの花言葉は、「尊い思い出」「大切な思い出」。何とも、自分には相応しい。
 さて、この件に関して、吉田になんて言おう。やらないと言った癖に、自分だってやってるじゃないかとか。
 これはメールじゃなくて電話だな。佐藤は携帯を取り出し、吉田のアドレスを引き出した。



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