束縛なんて冗談じゃないし、全てを知っていないと不安になるという性質でも無い。
 でも、たまに教室にその姿が無い事に気付く。
 知ってるんだよ、こっちは。ちゃんと。


「んでさー……うぇぇぇえええっ!?」
 教室で、牧村と秋本を相手に雑談をしていたら、急に身体が浮いた。爪先と地面が離れているのが見て取れる。
 身長が小学生の時でほぼ止まってしまった吉田には、憧れた視界ではあるが、勿論感激に浸っている筈も無く。
「ちょっと佐藤! 何なんだよ!?」
 自分を宙に浮かせている張本人、背後から急に抱き上げて来た佐藤を、首を捻って睨みつける。前々からこういう悪戯というか、揶揄混じりのスキンシップの多かった佐藤だが、カミングアウト以後、特に増えたような気がする。
 いや、増えたというのは語弊があるように思う。正しくともしっくりは来ない。回数は同じだとしても、含む意味合いが違うのだ。どう、と問われて吉田には理論整然とした証明なんて出来ようもないが、教室内と佐藤の自室とでは、明らかな線引きがそこにはあった。けれど、最近はそのラインが薄くなっているように感じる。
「捕まえたー♪」
 仮にも男子高校生の体躯を軽々と持ち上げ、佐藤は実に楽しげだった。時に子供のように無邪気にもなって見せる。まあ、表情が無邪気でも、行動には邪気が含まれる場合なんてそれこそ多々あるが。
「答えになってないけど!?」
 文字通り腕の中へと納まっている吉田を見て、満足そうに言う佐藤。その顔を見て、会話での説得を早々に放棄し、地についていない足をばたつかせて吉田は降ろさせようと懸命だ。何せ、ここは教室。現在教室内の視線を吉田(と、佐藤)がほぼ独占の状態。女子からの棘のある視線もだが、今は男子からの生ぬるい眼差しももれなく貰ってしまう。どっちかと言えば、慣れた前者よりも後者の方が精神的にクるような。いや、決して険しい女子達の方が良いという訳でも無い。断じて。
 降ろせ降ろせと喚く声を無視し、佐藤は抱きかかえたまま教室を出てしまった。「コラ―――!?」と吉田が怒鳴るが、全く意に介さず、である。しかもその持ち方は、かつてお化け屋敷へ強制連行された時の様に、小脇に抱えられていた。腹の身で支えられ、どこもかしこもが宙ぶらりんな心地である。
 廊下に出て、教室に居た時よりもうんと大勢の視線を感じ、吉田の顔が熱くなる。周りの人達は自分達を見た後、傍にいた友人と小声で喚き合ったりしていたり、あまつさえどこかでパシャッと携帯で画像を取った音が聞こえてくる始末であった。
「ていうか、何だよこの持ち方はッ!?」
 まるで荷物じゃないか、と吉田が憤る。悲しい事に、自分達の関係は打ち明けてすぐ学校中に轟く事に相成ってしまった。それはそのまま、佐藤という人物の人気と比例した事なのだろう。女性のように色恋沙汰を含めて夢中になる者は元より、同性だとてその容姿や運動能力の高さには感心するし、一目も二目も置く。吉田はそれの、どちらにも当て嵌まっているような、逆に居ないような。
「だって吉田、おんぶも横抱きも嫌だって言うからさ」
 ちゃんと覚えてくれているのは有り難い(?)のだが、だったら抱き抱えないという手段を消去してくれないかと思う。自分にはこれでも両足があって、歩く事が出来るのだから。
 にこーっとした笑顔で言われ、毒気を抜かれたというより、言うだけ疲れると判断した吉田は口を噤んだ。知れ渡る心配なんて、もうホントに今更だし。
 それに、佐藤が何だか楽しそうだし。
 佐藤に横脇で抱き抱えられ、宙ぶらりんのままに楽しそうな佐藤の表情を見た吉田は、溜息を吐いた。


 佐藤はどうやら屋上へと行きたいらしかった。そこへと続く階段の前、吉田は降ろされた。さすがに階段は危ないと思ったのか、あるいは一緒に昇りたいと思ったからか。
 季節の変わり目、気温が落ち着かない頃。先週今週はとても温かで春の様だった。が、しかし予報ではまたもうすぐ冬並みの気温になるらしい。何着て行けば良いのか、困るなホント、と吉田はその予報を見て思ったものだった。
 屋上への階段を一歩一歩上ると、その分校内の喧騒から遠ざかるような気がする。皆の声を足元の位置に感じながら、屋上へと通じるドアの前に立つ。ガチャリ、とドアノブを捻ったのは佐藤だ。
 ドアを開けると、薄暗い踊り場の空間から一気に青い空が広がって見える。ちょっと異世界に通じているようで、何となく心が躍る光景だ。
 屋上とは言え、外に出ると解放感に満たされる。今日は風も強くも無く気温も良くて、ここでずっと過ごせそうなくらいだ。
「吉田、こっちこっち」
 ちょっと空の青さに酔いしれていると、佐藤が軽く声を掛けて誘う。ちょいちょい、と軽く手招きしていて。標準より大きな体躯に似つかわしく無い、幼い動作だが、奇異には映らなかった。
 吉田が近づくと、さらにこっちだよ、と誘導する。どこか、何か見せたいものがあるらしい、というのが解る。
「あそこ」
 と、目の前の広がる街の様子を佐藤が指さす。出来るだけ忠実に、その方向へと視線を向けた吉田は、見える視界の中、ぽつん、と乳白色に近いものを見つけた。あれは――
「――桜??」
「うん」
 殆ど適当、当てずっぽうに近かったのだが、それが正解だったらしい。まだ冬と呼べる景色の中、微かに色づいたその樹はある種、目立っていると言って良い。
「もっと近くで見せたかったんだけど、」
 と、佐藤。
「どうも、あの場所だと人の家の敷地内らしいんだよな」
「へー」
 庭に桜があるなんて、ちょっと豪華で良いな、などと吉田は思う。
「あの桜、春はどうなるんだろ」
 まだ春にもならないこんな時に、蕾を開かせてしまったのなら。何気なく呟いた吉田の声に、佐藤が答える。
「どうもならないよ。今咲いたんだから、咲かないだけ」
 それは至極当然で、だからこそ覆らない残酷な現実だっただろう。佐藤の声が、必要以上に素っ気無く感じられる。
 吉田は携帯を取り出し、あの桜を取ろうとしたが、さすがに望遠レンズでも無い携帯電話の写真機能には限界があった。試しに取ってみても、ただただぼんやりと街並みが写るだけ。その画像は消し、携帯もポケットへ仕舞いこんだ。
 佐藤がいつ、あの桜を見つけたのは、吉田は敢えて聞かないことにした。
 あれだけ、オーラを放つ存在感、言ってしまえばカリスマ感すら醸し出している佐藤だというのに、ふと見た時見つからない時もある。それはそのまま、視界の外へと出てしまったからなのだろうが、それを微塵にも感じさせない。きっと、そういう時は屋上へ行っているのだろう、と吉田は思っている。
 艶子に会った次の日、佐藤は旧友の登場にちょっとだけ過去を話してくれた。それはかつて抱いていたという夢だった。夢と呼ぶには悲観的で、破壊的で、排他的なものであったが、当時の佐藤の心情がそのまま映し出されていると思えば、吉田には無粋な突込みはいれられない。
 佐藤は一人になりたいんじゃなくて、一人に慣れているから、その方が落ち着くんだろう。
 ――でも。
 掌を少し開閉させた後、吉田は左となりにいる佐藤の右手にそっと手を伸ばす。そして出来れば避けないでほしいという思いを込めて、佐藤の男らしく節くれだった、けれど細くて長い指を絡め取る。
 え、という声色を乗せたような顔が自分へと向けられた。吉田は、それに気づかないふり。まあ、でも、顔が熱くなるのは仕方ない。
 ――何て言われるんだろう。どう答えようかな~~
 こういう、触れたりという行動は佐藤側のアクションである事が多い。吉田にその欲が無い訳でもないが、佐藤が上手く先回りしてしまうのだ。それはそれで、嬉しくもあるのだが、やはりそこは吉田も男で、相手をリードしたいという気持ちはある。
 けれど、歩くでも無いのに、ただ手を繋ぐというのか可笑しいかもしれない。とはいえ、キスなんて。校内でやるなと言っているのは他ならぬ自分であるし。
 自分のしでかした事の統合性が掴めず、うんうん、と軽く唸る吉田を見て、佐藤は。
 繋がっている手に微かに力を込めた。本当に微かだが、相手には感じられるだろう。はっとなった顔が自分を見上げる。うん、一人じゃない。大丈夫、解ってるから。
 人はまだ怖いと思う時もあるけれど、怖いだけでもない。それを自分に教えてくれたのは、そしてこの先も教えてくれるのは吉田だろう。あの時、たった1人、自分を庇ってくれた人だから。他の誰がそれを説こうとしても、表面は頷いても、心の奥底では納得しないのだと思う。
 ――と、休憩時間の終わるチャイムの音がする。屋上にはスピーカー何て無い物だから、足の下から響くように聴こえた。
「……どうしよう?」
 予鈴が終わって、吉田が聴く。佐藤は、少々演義のかかった芝居臭い態度で言う。
「どうしよっか?」
「………………」
 吉田が行かないのならお、俺も行かないよ。口ではあやふやな事を言い、動こうとしない態度で本音を語る。
「……秋本に、後でノート見せて貰うか」
 それが吉田の出した答えだった。
 そのまま、また2人して遠くの、たった1つだけの桜を眺める。
 今咲いた桜は1つだけだけども、きっと多くの人の記憶に残るだろう。今だって、確実に2名、こんな所にまで。




<END>