*山とらですよ~!
 吉田もさとよしも絡まない正真正銘の山とらです…自分的に珍しい!!!




 風邪が流行ってるとかインフルエンザに気をつけてとか、この季節になると風物詩以上の定型句となっているので、それはもう右から左へと聞き流してしまう。実感を伴えるのは、自分がかかった場合か自分の身近に起きた場合だ。虎之介の今年の場合、その対象は意外な人物だった。
「おい、山中。お前風邪引いてんじゃねーの?」
 朝、出会った時から抱き続けていた疑問と言うか懸念も、昼休みとなって虎之介は山中へとぶつけた。何となく動きにキレは無いし、声もどこか引っ掛かったようないつもとは違う発音に聴こえる。何より、いつもは腹立たしい位に明け透けな表情が、今は全体に薄い膜を貼っているかのようにどこかぼやけた印象だ。これらの違和感は、おそらく相手が不調であるに違いない。昼間で待ったのは、山中が自分の体調にも気付けない愚鈍な人間たとは思ってなかったのだ。山中かという男は、性格は最悪なのだが人を見る目は持っている。
 自分から言って間違えてたら恥ずかしいし、絶対「とらち、俺の心配してくれたの」って山中がまた一層のアホ面を浮かべてにやけるに違いない。心配したのは確かだが、それによって山中を喜ばせるのは癪なので噤んでいたのだが、昼でも平静を取り繕うかのように振る舞う山中に、虎之介がとうとう口にした。一番の決め手は、この昼食の時間にお決まりの「一口頂戴」を山中が発しなかった事であるが。
 虎之介に言われ、山中は一拍の間を置いてからゆるゆると目を見開いた。やはり、動きが鈍い。それから、うーん、と目を綴じて考えるような素振りをして。
「……やっぱ、そう見える?」
「自覚があったのか!?」
 眉を垂れ、言う山中に虎之介が叫び。さっきの、言い出そうか言い出すまいか、と散々悩んだ自分の葛藤の時間を返して貰いたい気持ちだ。
 山中曰く、朝起きた時から自分の異変を感じ取っていたらしい。が、堪え切れないほどでは無かったから登校してきたと。
 この経緯であるなら、間違いなく病院には行っていない。
「熱は? 計ったのか?」
「ううん」
 軽い調子で首を振る山中に、虎之介が軽くキレる。
「計って来いよ!」
「だって、計って熱があったら余計に具合悪くなりそうで」
「実際悪いんだろーが!!」
 変な駄々こねるんじゃねぇ!と叱責すると山中がしょぼんと肩を落とす。いかんいかん、と虎之介は呼吸を落ち着かせた。何せ相手は病人(多分)だ。今は控えて、治ってからこの分をぶつけてやろう。
 虎之介は携帯を取り出して時刻を改めた。食事も終わり、まだ休憩時間も残っている。
「保健室行くぞ」
 ほら立て、と手を掴んで促そうとするが、山中は頑なになったように立とうとはしない。握った手首からじくじくと高い体温が虎之介の手の平へと侵食する。こいつ、思ったより熱があるんじゃないのか。もしかしたら、かなり具合が悪いのかも。色々と懸念が浮かぶ中、山中が言う。
「……教室でとらちんといた方が良い」
 だから、保健室に行くのは嫌だと言う。
「じっとしれてば悪くもならないよ」
 その言い方は、良くもならないと自分で解っている声だった。
 まあ、確かに。
 治す為だとは言え、誰も居ない室内で一人きりになるのを拒みたい気持ちは良く解る。矛盾しているが、病人だからこそ寂寞感に見舞われるのだ。
 その気持ちは、良く解るのだけども――
「薬くらい貰えるかもしれないだろ? とりあえず、行くだけ行こう」
「んー……」
 風邪はひき始めが肝心だというし、ここで手を打たなくて後にずるずる続いた方が辛いだろう。それに1人は嫌だと言ってはいるが、ここはベッドに横になって安静にして貰いたい。そして、早く治って。
 どうしようもないろくでなしとしか言えないのだが、やっぱり普段の山中に戻って貰いたいのだ。


「居ないね」
 軽く見渡した後、山中が主語を抜かして言う。けれど、虎之介には通じた。
 保険医というのは、どうしていて欲しい時に居ないものなのか。不在の立札を見て、虎之介は舌打ちしない気分になった。それを見て、山中は引き返す事を訴えるかと思ったが、特に反応も無く自分の袖を掴んでぼうっと立っているだけだ。いよいよ熱が上がっているのかもしれない。
 保険医は居なくても、保健室自体は解放されている。軽い怪我の治療が出来る程度の医薬品や道具はちゃんと記録を残せば自由に使えるのだが、さすがに風邪薬の部類は勝手には使わさせて貰えないみたいだ。風邪の流行っている今だから、クラスに一人くらいは市販の風邪薬を持っていたかもしれない。先に尋ねておくべきだった、と虎之介は己の失態を悔やむ。今から引き換えせば、まだ間に合うだろうか。2つあるベッドは両方が空いている。ドアより遠くの方へと山中を連れて行った。まあ、寝とけ、と促すと、さっき一旦は保健室に行くのを拒んだのは何だったのかというくらい、素直に山中は応じた。上履きを脱ぎ、ベッドの布団の中へと潜る。その仕草1つ1つが、酷く億劫そうに見えた。
 自分で自分に布団を掛けるのにも労してそうな山中を見兼ね、虎之介が毛布を引っ張って掛けてやる。より温まるようにと、口元まで引っ張った。そのついでにと、癖のついた髪をかき上げ、額に触れた。やはり、熱い。これだけはっきりと熱いと感じているのだから、38度近いかもしれない。
 と、ふふ、と山中が相好を崩す。可笑しくなるほどの熱じゃないけど、とその様子を眺めていると。
「とらちんの手、冷たくて気持ち良いなぁ」
「……おめーが熱いんだよ」
「そっか」
 呆れ混じれの虎之介の呟きに、何やら得心したように山中が呟く。熱で思考が覚束なくて、何だかいちもより幼く見えるような山中に、ふと口元に笑みが零れた。
「ちょっと待ってろよ。誰かが風邪薬持ってないか、聞いてみっから」
 そうして離れようとした虎之介の手首を、山中がしっかりと握る。最初、ここれ連れて来ようとした時のように、またも山中が虎之介の動きを阻める。
「薬なんていらないから、とらちん、居てよ」
 場所が変わっただけで、その主張する所は全く同じだった。その生まれ持った強面で虎之介は、困ったように眉を下げる。
「つったって、お前……」
「お願い……」
 ベッドに横になった時から、眠たさが襲っていたのか訴えながらゆるゆると山中の瞼が落ちて行く。そして、その返事を聞く事すら叶わず、山中は眠りの淵へと誘われてしまった。
「……………」
 手首には未だ山中の手があるが、意識を無くした相手ではもはや篭められた力も無い。外せようとすれば、容易く外せられる。
「……………」
 目を綴じて余計に際立つ端整な顔立ちを前に、虎之介はふ、と息を吐いた。そして、片手でなるべく音を立てないよう、近くに置いてあった背凭れの無い椅子を手繰り寄せる。そして、そこへ腰を下ろした。
 山中の寝息は規則正しい。寝顔も、歪んだりはしていない。ただ、表情は心許無そうに見える。
 ここで立ち去ろうと思えば、それはとても簡単な事だ。けれど、後々目覚めた山中が虎之介の不在には、それはそれはしつこいくらいに話に持ち出すだろう。 それが嫌だからだ、と昼休みの終わりを告げるチャイムを聴きながら虎之介は思った。


「……とらちん、とらちーんてばー」
 その声と、ゆさゆさと軽く揺さぶられる感触に虎之介の意識が浮上した。それは即ち、それまで眠っていた所を意味する。
「!!!!」
 がばぁっと勢いよく顔を上げれば、その仕草に小さく笑うのは山中だ。
「起きたのか」
「うん、まあね」
 寝たら大分すっきりしたようだ。全快とまではいかないが、さっきの青白い顔の悪さは無い。ちょっとほっとする虎之介。
 山中が眠って、掴んだ手を離さなくて。
 そのままここに留まったは良いが、座って山中の様子を見る以外に何もする事の無い空間で、その隙を狙って虎之介にも睡魔が襲ってきたようだ。それと闘った記憶はあるのだが、山中の体にかからないようベッドに凭れ、その不自然な姿勢にも拘わらず眠ってしまったようだ。妙な体の痛さがそれを証明している。一方の山中は、何やら清々しそうに腕を上に伸ばしてた。何だかちょっと釈然としない。
 中途半端な睡眠からの眠気を飛ばす為に、顔を洗いたい気分だ。まだそれが叶わない今は、目を擦ってやり過ごす事にする。
 自分の寝起きだから、さぞかし酷い事になってるだろうな。そう思うのに、それを見ている筈の山中は全くいつもと変わらない。それどころか、へらっとした笑みすら見せて来た。
「とらちん、いてくれたんだね」
 ありがとう、とまでは言わなかったが、感謝の想いの籠った台詞を受け、虎之介はしかし顔を顰める。
「何言ってんだ。お前が行くなっつったんだろ」
 あくまで事実を述べる虎之介に、山中がきょとん、と目を丸くした。
「え、俺が? 嘘ぉ」
「嘘じゃねーよ」
 何やら疑うような山中の眼差しに、虎之介はドスのある声で凄みを効かせる。
 何が悲しくてそんな嘘までついてこんな場所に張り付いていなければならないというのか。そこを疑われて心外も甚だしい。
 知れず憤慨の様なものを抱いていると、その顔を山中が覗きこんでまたも尋ねる。
「それでとらちん、傍に居てくれたの?」
「……まぁな」
 一瞬言葉に詰まったが、そうじゃなければ説明のしようもない状況に、頷かざるを得ない。
 そっか、と言った山中は、
「俺の事、心配してくれたんだ~」
 と、一層のアホ面を浮かべてにやけた。
「…………」
 やっぱりか、やっぱりこうなるのかと、当初に抱えた懸念が現実のものとなり、虎之介は何とも言えない気持ちになった。この台詞を引き出さない為に、結構あれこれ考えつくしていた筈なのに。
「とらちん?」
「……何でもねぇよ」
 頭痛や眩暈にも似た感覚に襲われ、思わず額を抑えて俯いた虎之介を、山中が伺うようにそっと声を掛ける。それをやや乱暴に返し、伏せてしまった顔を上げる。そこにはやはり、山中の顔があるだけで。
 格好良い奴、と手放しに思う。惚れた欲目も無に、客観的に山中は男前だ。それを覆す性格をしていたとしても、容姿は上等だ。知らず、じっと見つめてしまった虎之介は、何?と首を傾げた山中の仕草で我に返った。
 そして、そこでようやく今は何時かと気になった。今さらと言えば今さらだが、丁度視界の中で捉えた壁時計を見て、指針が示す時刻を見てぎょっとする。もう、とっくに下校時刻だ。
「おい!! 保険医とか来なかったか!?!?」
「ああ、来たよ」
 軽くタイムスリップしたかのような感覚に戸惑う虎之介に対し、山中はあっさり答えた。
「カーテン空けて覗いてさ。とらちんを起こそうとしたから、俺がこのままにしておいてって言ったんだ」
 何やら、偉いでしょ、とでも言いたげな顔だ。褒める場面では無いから、褒めない。むしろ起こせと怒鳴りたいくらいだ。けれど、脱力し切ってしまい、それすら叶わない。
 昼休み直後の5時限目は諦めたが、せめて最後の授業くらいは出席したかったのに。テストで挽回できるのか、と今から億劫な気持ちに陥った虎之介だ。
 カーテンをここで開けてみれば、なるほど、洛陽と呼ぶべき太陽光が室内へと侵入している。
 とりあえず――次に出る行動は決まってる。
「帰るぞ」
 虎之介の言葉に、うん、と山中は頷く。


 保健室を出て行くとして、このままで良いのかと軽く悩んでいたら、タイミングよく保険医が戻ってきた。良く寝てたね、なんて言われて虎之介が改めて羞恥する。その時、女性である保険医が思わず、といった感じで1歩2歩後ずさる。どうやら、恐ろしい顔つきになってしまっていたらしい。心中で虎之介はそっと詫びる。けれど、これが真っ当な反応だ。
「あはは、とらちん可愛い~」
 この男こそが異常なのだ。頬を突く指を、鬱陶しく払う。
 誰も居ない廊下を、教室に向かって歩く。窓から入り込む夕焼けが目に眩しい。
「明日、休めよ」
 虎之介が言う。今は睡眠をとってちょっとは回復したかもしれないが、根底から治ったかどうかはかなり怪しい。せめて病院に行くべきだ。それから、様子を見て。
 しかし、そんな虎之介の気遣いを吹き飛ばすよう、山中はやだね、と言った。
「だって、とらちんに会いたいもん」
「……………」
「明日、とらちんが俺の部屋に見舞いに来てくれるなら良いけど♪」
 あまりの台詞で絶句したのを良い事に、畳み掛けて無茶を強請った山中の頭を、さすがに虎之介は叩いた。病人とは言え、やり過ぎだ。
 次に馬鹿じゃねぇの、と叱責しておいて、もう一度休めといおう。ずっと付きっ切りは無理でも、帰り際には寄ってやるから。そう言ってやれば、じゃあアイスお願い、といつものように強請って来た。もしかして本当に治って来たのだろうか。いや大事をとって休ませよう。治り立ての体でまたウイスルを貰ったらいよいよ不味い事になる。
「ハーゲンダッツが良いな」
「スーパーカップにしとけよ」
 さらりと高いカップアイスを強請る山中に、虎之介が返す。
 けれど、明日、実際に持って行くのは山中が言った銘柄の方だろう。
 その時やっぱり、またアホ面浮かべて「ありがとう」と言うだろう山中を浮かべ、虎之介は他に誰も居ない廊下で、隣の山中にも気付かれないくらい、微細な微笑みを浮かべたのだった。



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