まるで拉致られた連れて来られた南の島で、初日こそ明日の不安を抱いた物だが、1週間も経てばすっかり順応してしまった。人とは慣れる生き物なのだ。最も、牧村は未だに悲観にくれているが。最初はそんな牧村に気遣っていた吉田だが、いい加減島生活を楽しめば良いのに、と放置している。こんな経験、人生に何度と無いだろう。……何度と合って嬉しいものでもないが。
 消沈している様子の牧村だが、食べる物はしっかり食べているのでそんな深刻でも無いだろう。食欲がある限り、人は大丈夫だ。特に根拠は無いけど吉田はそう思う。
「吉田~」
 と、声を掛けたのは秋本だった。この島に一番馴染んでるのはある意味秋本かも知れない。太い枝の先端を鉛筆のように尖らせた手製の銛で、浅瀬を泳ぐ魚を突いて獲ってくる。日陰で不貞腐れている牧村と違い、海に良く出るからか秋本はすっかり色黒になっていた。それは吉田も同じ事であるが。テレビもゲームも無いこの島では、食糧確保が一種のイベントのようなものだ。それしかする事が無いのだが、飽きが来ないから大変さはあっても苦痛に感じる事は無い。
「あのね、俺ちょっと島のあちこち行ってくるから。夜には戻るけど、お昼はちょっと戻らないかもしれないから」
「え、何かあった?」
 危険は無い島ではあるが、別行動となると不安は出てくる。吉田が思わず問いかけたが、そんな真摯な思いとは別に、秋本の方はやおら相好を崩した。それこそ、でへへと言わんばかりに。
「あのさ、佐藤からドライフラワーの作り方教えて貰って~。それで洋子ちゃんに作って持って行こうかなって」
「……あー、そう」
 そういう事ならば、ついて行くのは野暮であろう。というか、むしろ一緒に来てくれと言われた所で快く頷ける自身も無かった。
 ここには自然しかないが、それだからこそ得られる物もある。秋本の幼馴染の洋子はふんわりした女の子だから、この島独特の綺麗な花とか、絶対に喜ぶだろう。
 その笑顔を今から思っているのか、秋本はその体躯に似合わず(失礼)軽い足取りでどこへともなく向かって行った。
 本当~に、秋本はこの島の生活を堪能してるなぁ、とその背中を見て吉田はつくづく思った。牧村も見習えば良いのに。今もどこかの日陰で膝を抱えているだけの牧村を思う吉田だった。
 と、そこへ。
「行ったか」
 そんな呑気な声を共に、佐藤が吉田の背後から現れた。あまりにいきなりだったものだから、「わぎゃっ!」と妙な声が吉田から漏れる。声と同時に佐藤の腕が肩から掛けられたので、その感触にも驚いた。
「いきなり出てくんな! ……って、行ったかって??」
 その対象はきっと今し方出掛けた秋本の事なのだろうけど、その口ぶりだと佐藤がまるで追いやったようである。
 いや待てそういえば、と吉田はさっき交わした秋本との会話を思い出す。洋子にあげるのだと言っていたドライフラワーの作り方、誰に教えて貰ったと言っていた?
 吉田が疑いの眼差しで背後の佐藤を顔だけで振り返ると、佐藤はふぅ、と軽い息を吐いた。
「案外二人きりになるのも難しいもんだな~」
 しみじみと、佐藤は呟いた。色々突っ込みたい台詞だが、内容自体は吉田も異を唱えない。
 この島はスコールに見舞われる事も無く、気候も安定していて屋根のある家屋を拵える必要が無い。夜になればそのまま地面に寝そべって眠る。牧村は枕が無くちゃ!と喚いていたが、そんな声をくみ取ってくれたのか、程なく木の上から枕が見つかった。一体いつの間に、誰が仕込んでいるんだろうか。その枕は綺麗なもので、少なくとも数日も外に置かれたものとは思えなかった。
「だからってさ~、あんな追い出すようなやり方……」
 そんなに自分と二人きりになりたかったのか、という思いを押し込め、吉田はもごもごと言う。
「別に追い出した訳でもないけど」
 と、佐藤。そもそもドライフラワー云々の話は秋本の方から佐藤に尋ねてきたのだ。まあ、本来の質問は押し花の作り方だったが、押し花に作る為の紙が今後入手できるかも怪しいし、ちゃんとやり方さえ掴めばドライフラワーの方が上手く出来る。そう言って、秋本をけしかけたのだった。
「やっぱり、けしかけたんじゃないか―――!」
 秋本にヘンな事吹き込むな!と激昂する吉田を、佐藤はまあまあ、と抱き寄せて宥めた。と、今度は別の事で吉田が暴れる。
「や、や、やめろって! 牧村が居るだろ!!」
 見られたらどーすんだ!と言って腕の中で暴れる吉田。その成果は体の向きを向かい合う形に変えただけで離れるまでにはいかなかった。というか、むしろこの姿勢に誘導されたようにすら取れた。
「ああ、牧村なら平気だ。今は眠ってる」
 眠って!?と吉田は瞠目した。
 迎えが来ないだの見捨てられただの、思いつく限り悲観になってみせる牧村だが、だからこそ一人になると過剰に反応する。あのへもじ顔から発する悲痛な声は聞く者に不快な方向で心に訴えかける。
 そんな、思いつく限りの悲劇を常に脳内に浮かべている牧村が、そんな状況で寝ているだと!?とてもそれは普通の睡眠とは思えない。
「……まさか、佐藤……」
 震える指先で佐藤を指す吉田。
 佐藤は言う。
「別に薬は使っちゃいないよ」
「その方が何か怖いわ!!」
「だって、艶子の迎えはいつなんだいつなんだって煩くて」
 若干顔を顰める佐藤だった。佐藤にも、我慢の限界というものがあるのである。艶子の知り合いである佐藤はその質問の集中攻撃に遭っていた。
「……・それは、まぁ………。うん」
 佐藤のあまりな行動に激昂していた筈だが、納得してしまった吉田であった。
 と、佐藤からの視線を感じた。何だ?と首を傾げると佐藤が言う。
「いや……吉田からはそういう質問された事は無いなって」
 最初は秋本も牧村程ではないが聞いてきた。けれど、佐藤の説明……というか返事を数回聞いて、その上で佐藤の態度を見て大丈夫だと思ってからは聞いては来ない。対して吉田は、一度も聞いては来なかった。まあ、確かに吉田にとっても艶子はまるで知らない相手でも無いだろうけど。
 佐藤に言われ吉田は自分の中で整理するように話し出した。
「うーん、艶子さんって、やる事とんでもないけど、やりっぱなしにする事も無いだろうなって思うし」
 そう言う吉田は、以前に会った時の事を思い返しているようだった。家に送ると申し出た艶子は、吉田とちゃんと家まで送り届けた。
 それに、と吉田は付け加える。
「艶子さんは佐藤の友達なんだし、このまま見捨てるなんてある訳ないもんな」
 最後の「な」の所で吉田は佐藤を見た。その視線に、佐藤は何やら落ち着かない。吉田が艶子にささげる信頼や信用は、そのまま佐藤にも掛かっているのだ。むしろ佐藤を起点にしてこその艶子への吉田の印象であろう。
 何と返事をして良いのか。急に対応に不器用になった佐藤の沈黙を、この話題の終結と感じた吉田が別の事を言う。
「佐藤って、日に焼けないよな~」
 見たままの事を言っているようだ。向かい合っているから、半袖から出ている佐藤の腕を見て吉田は言った。牧村と違い、佐藤も日中は食糧確保に奔走している。その割には、普段の肌色と大差無いように思えた。
「そうか? 結構色変わっていると思うけど――ホラ」
 吉田達ほどではないが、日焼け止めなんて塗っていない佐藤だって日に焼けているのだ。そして、その証拠を見せる為に海パンに手を掛け、腰骨が見える程に引き下げる。
「!!!!!!!!! ギャ―――――!! 何してんだお前!!!」
 そして吉田はそれを慌てて引き上げた。その驚きようは、さっき声を掛けられた時の日では無い。それこそ、折角軽く締めて昏倒させた牧村が目を覚ますんじゃないかというくらいだが、今はそんな懸念よりも吉田が顔を赤くしている方が重要である。
「何、昨日だって見た癖に」
 しかも、もっと肌蹴ている所を。そう佐藤が揶揄すると吉田がますます赤くなる。日焼けしていても紅潮ってのは解るものだなぁ、と人体の神秘に触れた佐藤である。
「バババッ! バカッ! 何言って……み、見てない!見てない!!」
「え~、見ないで出来るの?」
「ギャ――――! わ――――――ッ!!!」
 にやにやと吹き込まれる台詞を拒むよう、吉田は佐藤に背を向き耳を塞いで大声を喚いた。
 背後を向いて、耳まで塞いでしまったらこちらが何をしようとしているかも解らなくなるというのに。こういう、ちょっと足りない所も可愛らしい。佐藤も好き放題が出来るし。佐藤はさっき現れた時の様に、吉田を背後から抱き寄せた。しまった、と吉田が思った時はもう手遅れである。
「わ、わ、わ、コラッ!何すんだ!!」
 さっき自分でやったように、佐藤は吉田の海パンに手を掛けている。
「んー、吉田はどれくらい色が違うのかなって、見たくて」
 ぎゃあ、とまた一際大きな声で喚く吉田。
「見るだけだって」
「ぜ、全然信用できない!!」
「へー、大分違うもんだ……」
「やーめーろー!!海パンが伸びる――――!!!!」
 だったら吉田が引けば?と勝手な言い分で佐藤は好き勝手吉田の肌の色の境目を眺める。吉田は普段から佐藤よりも肌の色が濃いが、この比較でやけに色白いように見えた。痕を付けたらさぞかし映えるだろうな、とそれは夜のお楽しみとして、今は首の後ろにそっと口付けた。途端、はっと体を強張らせた吉田。
「あぁっ! バカ! 痕付けた!?」
「……付けてないよ」
「嘘だッ!!」
「…………」
 最初は何も解って無かった吉田だが、最近は唇が触れるにも意味が複数あると理解してきたようだった。自分との関係で把握できるようになったとなると、それはそれでとても嬉しいし誇らしいような気にもなるのだが、こういった場面にはちょっと厄介だ。
「……日焼けしてるから、そんなに目立たないよ」
 観念したように佐藤が事実を口にすると、やっぱり付けたな―――!?と吉田が怒る。
「ダメだって! 今は水着になるのが多いんだから!!! 俺も魚捕りたいし!!!!!」
 だったら吉田の分も自分が獲ると言いたいが、きっとそういう事じゃないのだろう。
 ああ、本当に二人きりだったら、こんな怒られる事も無かっただろうに。今更ながら、艶子からの電話を注げたタイミングの悪さを呪う。あの時、秋本と牧村が居なくなるのを待ってから吉田に話を切り出していたら。
 そんな事をつらつらと思う視線の先で、佐藤は何かを見つける。そして、妙案――悪戯に近いが、とにかく思いついた。
「なあ、吉田。だったら――」
 そう言って吹き込まれた内容に、吉田は目つきを悪くして佐藤を見る。
「それ……本気で言ってんのか?」
「勿論。冗談だと思った?」
 思ってないからこそ尋ね直したのである。人には無駄だと解ってもやらずにはいられないという事がある。
「……え~~~、勘弁しろよ……秋本たちも居るんだし……」
 解っている。そして、だからこそだ。
「良いだろ? 別に無理な願いでも無いんだし」
「……いや、十分無理めな事の気がする」
 吉田の反応は芳しく無い。牧村がいつまで気を失っているかも解らないので、佐藤は切り札をこのタイミングで出す事にした。
「聞いてくれないと、体中にキスマークつける」
 ひぇっ!?と吉田が声も無く戦く。
「どっちか、選べよ」
「……………」
 選べ、とは言われたものの、吉田の選択肢なんてもはやその時点で1つしかなかった。


 陽が傾いた頃、秋本は戻ってきた。手には、摘んできた花たち。表情を見ると、豊作だったようだ。いや、彼の下の名前では無く。
「佐藤ー、作る時もう一度教えて貰っても良い?」
「ああ。と言っても日掛けに吊るすくらいだけどな」
 吊るす時は間隔を開けるように、と説明を付け足す。洋子ちゃん、受け取ってくれると良いなぁ、と秋本は今から完成を思う。なるべく、ドライフラワーにしやすそうな、それでいて洋子の好きそうな花を選んだのだが。
「じゃあ、晩御飯にしようか。俺、魚も獲って来たんだー……って、吉田?」
「…………」
 何故だか、秋本が戻ってきた時から、吉田は佐藤の後ろに隠れ撥ねた髪の一部しか見えない。どしたの?と尋ねると、むやみな心配をかけさせてもいけないと思ったのか、吉田が現れる。
 あ、と秋本は「それ」を指して声を上げる。
「吉田、その花どうしたの?」
「さ、さ、さ、佐藤が勝手にやった!!!」
 俺は嫌だって言ってるのに!と声を荒げて吉田が自分の身に起きた事を主張する。その頭には、赤い――紅色と呼びそうな色をした花が一輪、差してあった。いかにも南の島らしい、大振りな花弁の花である。
「へー、でも、似合ってるよ」
 その秋本の台詞は社交辞令なのか、ちょっとのからかいなのか、はたまた本気なのか。いずれにせよ自分に救いがない。
「似合うってさ。良かったな」
 秋本の発言を自分の良いように取った佐藤が、吉田にそう言う。
「~~~~~ッ!!!! 嬉しくな――――い!!!!」
 夕焼けに紛れても尚赤い顔をした吉田が叫ぶ。
 この花、早く取ってしまいたい。
 そんな吉田の願いが叶うのは案外早かった。
 その花が落ちるのは、その日の夜。寝床から佐藤と二人でそっと抜け出し、昼より熱い時間を送っている最中の事だった。



<END>