本誌ネタバレありです!!!!





 別にいい、と吉田は再三くらいかそれ以上に言ったのだが、そんな力いっぱいの意見は佐藤の「まあいいじゃん」という軽い一言により一蹴されてしまった。ここでの敗因は吉田も本当は嫌がっていないという所だろう。
「それじゃ、良いお年を」
「ん、」
 何だか改めて言うのが恥ずかしく、吉田は返事にもならない声ひとつを零し、小さく手を振った。佐藤もまた、スマートな仕草で手を振りかえす。
 そうして踵を返し、自分の家へと向かう佐藤の背中を、吉田はこの寒い中ずっと見届けていた。
 あと1週間弱を残しながらも、これが今年最後の佐藤の姿だ。


 初めてクリスマスを恋人と過ごした。所謂リア充という状態だったのだろうけど、今はぽっかりと胸に穴が開いたみたいな虚無感にも見舞われている。前から解っていた事だ。冬休みには、佐藤は実家に帰ってしまう。自分もまた、祖母の家へと里帰りの予定がある。佐藤はともあれ、吉田にとって里帰りは毎度の事なので、年末年始を一緒に過ごせられないのはある意味付き合った直後からも解っていた事であるが。
(あーあ……)
 湯船に浸かり、身も心も解していると、思いの外佐藤との別離が自分にとってダメージなのが解った。学校がある時なら、殆ど毎日会っていたのだ。その落差は激しい。
 そんな今の吉田の支えは、今日貰ったプレゼントと、「毎日電話するからね」という佐藤との約束だ。佐藤が海外旅行であった場合、時差の関係で難しい通話でのコミュニケーションも、離れてはいても同じ国内である事でずっと容易くなった。サンタの御利益は当日以降にも齎されたようだ。いや、サンタは関係ないかもしれないが(特にあの老人は)。
 今年は色々あったなー、と佐藤とのこれまでを思い返す延長線上、今年までも振り返る吉田だ。高校生活にようやっと慣れて来たかという頃、佐藤からちょっかいを出されたので、何だかずっと慌ただしい印象が強いけども。
 でも、それ以上にやっぱり。
「……………」
 風呂に入っている吉田の身体がふにゃりと蕩けたのは、湯船のせいか、はたまたそれ以外のせいか。
 それは本人のみぞ知る所だ。


 そうして次の日、佐藤から早速メールが入る。午前中に入ったメールは「これから実家」というものだった。実家とは言うが、佐藤の場合はそんなに離れてはいない。何せその実家に佐藤が暮らしていた時でも、吉田と小学校の範囲は被ったのだから。
 だから、戻る事事態は然程手間では無い。距離的にも物理的にも。服も向こうに置いてあるだろ?という何気ない吉田の質問に、佐藤は盛大に顰めた。そして詰まら無さそうに服は無い、と呟く。そんな馬鹿なと一瞬思った吉田だが、しかしよく考えてみれば佐藤は帰国の前とは別人のように体格が変ってしまっている。3年の歳月とそれとは別の体質革命により。それまで置いてあった小学生の頃の服なんて、何一つ着れる筈がないのだ。
 俺なら小学の頃の服でも着れるけどね、と吉田は思わず自嘲した笑みを浮かべたのだった。そして佐藤が何を若干不機嫌になったかと言えば、新たに買う必要のある佐藤の私服選びに母親と姉が口を出してくることである。佐藤はもう、奇抜なファッションにならなければ良いとすら思っているのだが女性群がそれを許してくれない。それがシーズンを変える毎にあるのだ。これまでと、そしてこれからを思って佐藤は眉間に皺を作ったのである。
 一方吉田の里帰りは佐藤程手軽では無い。着替えを持って行かなければならないし、筆記具と課題も持って行かねばならないのだ。余程置いて行きたいのだが、そうも行かない。普段通学に使っている鞄に筆記具、リュックに衣服を詰める。これで準備は良いだろう。後は、明日を待つのみだ。
 毎日メールと電話を頂戴、と佐藤は強請るように吉田に告げた。その甘い響きに、吉田は気付けばこくりと頷いていた。けれど、何を送ったり話せば良いのか。学校で話すような感じで良いんだろうか。そう思いながら、メールで明日の準備出来た、と送信してみる。
 すると、すぐに電話の方での着信メロディーが鳴る。俺変な事送った!?と少し狼狽えながらも、吉田は電話に出た。
「もも、もしもし!!」
『吉田? そんなに慌ててどうした』
 早速からかうような佐藤の声色だった。誰のせいで慌てたんだ!と吉田は軽く憤慨する。
『今、時間ある?』
「まあ、あるけど」
 夕食は済んだし、風呂にも入った後だ。吉田に後すべき事があるとすれば、ベッドに入って眠るだけだ。時間帯から見れば、おそらく佐藤も似たような状況ではないだろうか。
『じゃ、ちょっと話そう』
 目の前には居ない電話の相手ながら、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。いいよ、と吉田は短く返事をした後はベッドに腰掛けた。
『吉田は明日から里帰りなんだな』
 ついさっき送られたメールの返事でもあった。うん、と吉田は頷く。
「2日まで向こうにいるよ」
『そっか。……俺も早く帰りたいよ』
 昨日帰ったばかりだというのに、佐藤のその台詞には本気の色が滲んでいた。佐藤があまり快く感じていない事は解るが、かと言って吉田にはどうする事も出来ない。頑張れ、と励ましてもどうかと思うし。
「晩御飯何食べた?」
『クリームシチュー』
「えっ、いいなぁ!美味しそう!」
『だったら、今度家に来た時作ろうか?』
「……辛くしないなら、」
 ものがクリームシチューなら、こしょうをたっぷり入れられそうだ。用心深い吉田に対し、「入れないよー」と佐藤は可笑しそうに言う。
『…………』
「ん? どうした佐藤?」
 不意に通信が途絶えた事を不審に思い、佐藤へと呼びかける。さっきの通話の具合から、電波の不具合とは考えにくいが。
『……何か電話で話してたら余計に吉田に会いたくなったなーって』
「……………」
 今度は吉田が押し黙る番だった。なんて恥ずかしい事を!!と言われた吉田の方が余程恥ずかしそうに顔を赤らめている。
『電話越しだと何も出来やしない』
「……………」
 嘆息混じりにそう呟いた佐藤に、さっきとは別の意味で沈黙する吉田だった。
『じゃ、今日はおやすみ』
 まるで帰り際に告げるのと同じような調子で、佐藤は電話を切った。吉田も携帯を傍らに置き、そのままぱたり、とベッドの上に仰向けに寝転がる。
 会いたくなったって、そんなの。
(俺もだっつーの)
 まるで自分ばかりが寂しいとでも言いたげな佐藤に、むすり、と吉田は口をへの字にして顔を赤らめた。


 吉田の祖母の家は田舎ではあるが電波が届かない程の辺鄙な場所では無い。佐藤との電話も何も支障は無かったし、他の友達からのメールも勿論入る。そして、牧村から送られたメールを見て、吉田は思わず目を見張った。2,3度見なおしたくらいだ。この日の佐藤との電話は必然的にこの話題になった。確認した訳ではないが、牧村はきっと佐藤にも送っただろうし。
「佐藤、見た?」
『ああ、見た』
 声が平坦に感じられるのは、佐藤も若干戸惑っているからだろうか。吉田は、先ほど送られたメールを思い出しながら言う。
「一体なんで、生徒会主催で書初めなんかな~……」
 牧村から送られたメールには、4日に生徒会が書初め大会を開くから出るように、との事だった。会場は学校の体育館だそうで。
 正月なのだから書初めをするのはある意味当然かもしれないが、かと言って学校上げてで行う意味が解らない。
 吉田はしきりに首を捻っているようだが、生徒会主催、即ちあの生徒会長が関わっているとなると、どうせマラソン大会のリベンジというか、同じ轍を踏むのだろうと佐藤は思っている。実際、それは正しい。
「佐藤、行く?」
『吉田は?』
 佐藤の返事は、吉田が行くなら行くし、行かないなら行かないというものだ。それに気付いてか気付かないか、吉田はんー、と考えるような声を漏らす。
「あんま行きたくないけど、行かなかったら牧村が煩いだろうしなー」
『ああ、それは言えてるな』
 牧村の恋はまだ破れてはいない。打ち明けないからこそ続いているようなものだが、とりあえずはまだ失恋していない牧村である。その恋を応援したい気持ちは……あると言ったら嘘になるが、無いと言ってもしっくりこない。さすがに失恋してしまえば良いとまでは思わない。佐藤は思ってそうだが。
『じゃあ、吉田に会えるのはその日になるな』
「あー、うん。そっか」
 頭に手をやりながら、吉田は事実を確認する。吉田は自分の家に帰るところだが、佐藤はまだ実家に滞在中だ。けれど、学校行事が入ったのをこれ幸いと、佐藤は帰宅する口実に決め込んだ。学校を出せば親も納得するしかないだろう。また賞品にでもされるだろうが、この点はいっそ評価してやっても良いとすら思う佐藤だった。夏休みもだったが、吉田に会えない期間が辛い。それでも夏休みは南の島での強烈な思い出があったからな~、とあの島のひと時を思い出す佐藤だった。あんなに長く滞在するのであれば、映像記録資材をもっと整えておけば良かった。実に勿体ない。
「筆とかそういうのは向こうで用意してくれるみたいだってさ」
 そこは有り難いと吉田は感謝した習字道具のセットは部屋のどこかにある筈だが、そのどこかが解らない。年末だからと大掃除をしたのだが、そうやって整理整頓したばかりに普段の置き場が変ってしまい、現在少しややこしい事になってしまっていた。普段使うものなら問題ないが、滅多に使わないものはその場所がいよいよ解らない。使わないから、とより一層奥へと仕舞いこんだに違いないが。
『まだ寒さが続くから、ちゃんと温かくして行けよ。それと、………、…………まあ、いいか』
「おいっ!? 凄く気になる間があったけど!?」
 意味ありげに黙した後、ころっと態度を変える佐藤に、吉田は突っ込みを入れた。吉田の本能がこれを逃してはいけないと警告を発している。
『いや、いいんだ。気のせいっていうか気にし過ぎだと思うし』
 そりゃあ吉田も、書初め大会で何のトラブルが出るのかとすら思うが。しかし、平穏とは決して呼べなかったマラソン大会を思うとあまり楽観視も出来ない。そういや、あれも生徒会が主催だったな、とうっすら真相に肉薄した吉田だった。けれど、それ以上掘り下げないのが吉田の甘い所である。
 今回は屋内だし、天候に左右される事は無いだろう。吉田は自分に言い聞かせた。新年の幕開け早々トラブルに見舞われるのはご免である。いや、いつだって歓迎しないけども。
 それより、ようやっと佐藤に会えるのだ。その方が余程重要だ。明日は、会ったら何を話そう。さっきまで話していたばかりだというのに。
 書初め大会とは言え、そう何時間もかかる訳じゃないだろうから、その後どこかに遊びに行っても良いかも。
 何だかんだでその日を楽しみにしながら、吉田は閉じた携帯を枕元に置いて横になる。
 自分の手の平に収まるくらいの小さな機械だが、それが今は自分と佐藤を繋いでいる。携帯が無いとしてすぐに断たれる関係じゃないにしても、きっと、今より凄く寂しくなるだろう。いや、なまじ連絡がついてしまう方が焦がれる気持ちが強いだろうか。
 そう言えば、両親の時代には携帯なんて普及していなかっただろう。
 それを思えば、今もベタベタにいちゃついても許せる……何て事は無く。
 まるで佐藤と会えない自分の当て付けのように、始終くっ付いている両親を見ては、吉田は去年までは感じなかったストレスに悩まされるのだった。



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