*MBB11月号のネタバレありです!
*未読の方はご注意!!!










 吉田は手元にある答案用紙を見つける。2。名前の横に赤文字で書かれた数字は2だった。おそらくは間違いなく、これはこの答案用紙の点数を表している。即ち、吉田の英語の点数は2点である。
「……………」
 じっと見ても2点。
 薄めで見ても2点。
 至近距離て見ても2点。
 上から見ても下から見ても、何から何をしてもどうあがいても完膚比類なきまでの2点である。いい加減諦めろ吉田!現実を直視しろ吉田!!
(あ~~~~もう、どうしようかなぁ……!!)
 がっくり項垂れる吉田。しかし、どうするも何も、吉田の取る道はこの先補習をきちんと受けて追試で合格点を取る以外は無い。
 とは言え、そこが解らない程吉田も愚鈍では無い。こんなにも頭を悩ませる問題は別の所にあるのだ。
(クリスマス、絶対補習だよな)
 いくら恋人達の大事なイベントだろうが、日本の暦の上ではその日はただの平日である。その前の23日は天皇誕生日で国の定める祝日ではあるのだが。
 平日となれば当然補習は行われる。ただの偶然なのか果たして奇跡なのか、佐藤の家族旅行は取りやめになり、実家に戻る事は無くなったというのに。
(佐藤、怒ってるよな……)
 もう顔を見るのも恐ろしく、帰りの号令がかかると同時に教室を飛び出してしまった。背後で佐藤が自分を呼んだような気もするが、それを振り切るように立ち去ってしまった。この点についても後が恐ろしい。
 そして吉田の抱える問題は循環するように再びテスト用紙に直帰した。佐藤の手を借りずに追試を受かる自信が無い。いや、やらなくてはならないのだが。
 校舎の隅でうんうんと吉田が唸っていると、そこに人影が現れた。
「……吉田? やっぱり、吉田か」
「え、あ、西田??」
 お互いに「何故こんな所に?」という顔を浮かべて対面した。
 西田の方の事情を言えば、帰ろうと昇降口に向かう最中、吉田に良く似た人影を視界の隅に捕えて追って見たのだ。帰るにしては全く見当違いの方向に首を捻りながら辿ってみると、やはりそこには吉田が居た訳で。
 西田がその辺を軽く説明して吉田の警戒を解く。とは言え、自分を追い駆けて来た事実は変わりようもないので、間合いを取る事は怠らない吉田だった。東という一途に想ってくえる相手が居るのだから、その辺の情熱を彼へ向ければ良いのに。まあ、想われる人が自分の相手では無い事は、吉田は西田を例にとってよーく、身に沁みて解っているのだが。
「こんな所でどうしたんだ? 佐藤は?」
 体の方は勝手に吉田に迫る西田だが、頭ではちゃんと二人が好き同士で付き合っていると解っている。そして感情が納得していないのである。
 普段の吉田なら下手な誤魔化しなりに西田を煙に巻いただろうが、今の吉田は普段の吉田では無い。赤点確実の答案用紙を抱えて途方に暮れている最中なのである。まさに、藁をもつかみたい気分なのだ。そして、藁では無く、西田へと縋ってみた。ここでは佐藤の件は伏せて、あくまで絶望的な点数の事だけを相談した。
「そっか、吉田は英語が苦手なのか」
「まあ、うん……」
 実は英語が苦手というのが正しい所なのだが、敢えて恥部を晒す事もあるまい。西田は吉田に頼られた事が嬉しいのか、吉田の一桁の答案用紙を馬鹿にするでも無く、にこにこと、ちょっとだけ「しょうがないなぁ」という柔らかな苦笑を交えている。佐藤とは、大違いだと吉田は思った。佐藤だったら、多種多彩な言葉使いと巧みな表現により、色んな意味で吉田を小馬鹿にしてくるに違いない。
(でも、見捨てないんだよなー)
 もし吉田が佐藤の立場にあれば、自分みたいな飲込みの悪い相手なんて、早々に愛想を尽かして見捨ててるだろうに。
 解らないと吉田が言えば、何度でも教えてくれる(意地悪をオプションにしながら)。吉田は吉田なりに頑張っている事を、佐藤はちゃんと汲み取ってくれている。
「なあ、吉田」
「ん?」
 西田に呼ばれ、吉田はそっちを振り向いた。
「英語、教えてやろうか?」
「え?」
「そんなに得意って程じゃないけど、追試で受かれるくらいは教えられると思う」
 西田は得意では無いというが、どうも謙遜に聴こえる。吉田が掴んだ藁は結構太かったようだ。
 本来、すぐさま飛びつきたい所を、吉田はちょっと考える。西田に勉強を教わる事で、佐藤はどう思うだろうか。いや、快く無いと思うに決まってるだろうけど。
 けれど、吉田はもはや留年の危機にも瀕している。ここはもう、逆に身の安全とか考えている場合では無いんじゃないだろうか!?
 吉田は決めた。色々と、覚悟を。
「……うん、それじゃお願―――!?」
 台詞を最後まで言う前に、吉田は突如後ろへと引っ張られた。完全に重心を失った吉田だが、地面に倒れる事は無かった。その代りに吉田の背中にぶつかったのは、堅いけど温かくて、それでいてちょっと柔らかい様な。
「吉田は俺が教えるんだから、お前なんかの出る幕は無いんだよ。さっさと帰れ」
 しっし、と野良犬でも追い払うような仕草を西田に向けるのは――
「さっ、佐藤、んぎゅっ!!」
 口を開いた吉田だが、抱き抱えられた圧によって喋れなくなった。吉田は片腕ですっかり佐藤に背後から抱き締められている。
「吉田……そうなのか?」
 そんな確認よりも潰されそうなこの腕から解放されたいのであるが。西田からの問いかけに、吉田は自分の意見というより背後からの猛烈な冷気を感じ、首を盾に振っていた。
 吉田と、そして佐藤の様子を眺めていた西田は、ふ、と息を吐いた。そして、あからさまでは無いが、残念に感じているとは解る表情を浮かべている。
「追試、頑張れよ」
 佐藤さえいなければ、吉田の頭を撫でたような、そんな優しげな顔だった。
 西田立ち去れ早く立ち去れ、と睨んだ佐藤の念やら呪が通じたか、西田は心なしか力無い足取りで二人の横を過ぎて行った。
「全く……油断も隙もない」
 ふん、と鼻息も荒い佐藤。一方、吉田と言えば。
「ん~~!んん~~~ッッ!! ぶはっっ!!!!」
 まるでマフラーのように巻き付く佐藤の腕を外すべく、奮闘していた。そして念願叶い、佐藤の腕を引き離す事に成功した。解放感と同時に新鮮な空気を目一杯堪能する。
「もーっ! 苦しいっての!!!」
 殺す気か、とぼかすか佐藤の腕をど突く吉田。そんな程度じゃ、佐藤には蚊に刺されたよりも堪えない。蚊に刺された方がむしろ厄介だ。だって痒いし。
 ぜえ、はあ、と口を塞がれていた事より、佐藤への攻撃で気を荒くしたような吉田を、佐藤は軽く一瞥する。冷たい様な視線に、吉田は一度はきょとんとしたが、すぐに現状を思い出し、血の気を引かされた。
「ごっ……、ごめん!佐藤!俺、補習受ける事になった……!!」
「まあ、この点数じゃあなー」
「ぎゃあああああ!!!何で持ってんだよ!?」
 殊勝に腰を曲げてまで頭を下げる吉田の前、佐藤は目線までつまみ上げた英語の答案用紙を眺めて呟く。さっき吉田を抱き留めるどさくさで、しっかりテスト用紙を掠め取っていた佐藤であった。吉田が必死になって取り戻そうとするが、身長差がそれを許してくれない。
「全く、こりゃ酷いな。逆に取る方が難しくないかこんな点数」
「うぅ……」
 返す言葉もないとはまさにこの事だ。そしてやっぱり西田とは大違いだ。
 居た堪れなさに首を竦める吉田に、佐藤はその頭にポン、と手を乗せた。
「早速、俺の部屋で対策だな。この後、用なんて無いよな?」
「……………」
「ん? どうした?」
 呆けたように自分を見る吉田に、佐藤が尋ねる。
「その……お、怒ってないの?」
「怒ってるけど?」
「いや、何か予想したのとは全然……」
 それこそクリスマスに対し無頓着だった自分を部室に置いて行ったように、それ以上の憤怒を持って口もきいて貰えないかとすら思ったのだが。実際、そうされて仕方ないとも思っている。吉田の疑問を感じたのか、佐藤はあー、と言葉にならない声を上げ、気まずそうに頬を掻いた。いや、気まずいのではなくて、照れ臭いのだろう。
「……俺も、もっと怒らなくちゃなーとか思うんだけど……クリスマス吉田と一緒に過ごせるのが嬉し過ぎて、なんか、あまり怒れる気になれないっていうか」
「……………」
 今さら、本当に今更なのだが、佐藤が自分とクリスマスを過ごす事を本当に楽しみにしていたみたいだ。一体いつから、と聞いてみたいような、聞いたら自分の方こそ恥ずかしい目に遭いそうな。
「それに、俺もちょっと責任感じてるしさ。旅行が無くなるんだと解ってれば、あの時必死に教えていれば良かった」
 まさに後悔先に立たずとばかりに佐藤が息を吐く。
 あの時、とは件の佐藤が吉田に腹を立てた時の事だ。今思えば、1,2を争う程に根の深い佐藤の怒りだったと思う。
 丁度試験前だったのが不味かったか。それとも、サンタと出会うタイミングが遅かったか。
 いや、あれはただの魚肉ソーセージが好きなちょっとボケたただのジイさんだ。吉田は思い改める。
 殆ど一夜漬けで挑んだテストの結果はある意味期待を裏切らなかった。実はというか、吉田もちょっと浮かれていた節もある。いつもならしない凡ミスを、バツの多い答案用紙を見て気付いたくらいなのだ。
「う、うん! 追試は絶対一発で合格するから!!」
 そうすれば、過ごす時間は少しでも長くなると思う。年末年始はやはり家族との行事が多く、そっちに取られてしまうだろう。
 一緒に居たいという願いは佐藤にも通じたか、これまでと打って変わって優しい微笑を見せる。西田だって優しく笑いかけてくれるが、それとは全く違う。佐藤の微笑みは何と言うか、吉田の心を直接揺さぶるのだ。呼応するとでも言えば良いのか。
 綺麗な顔をした佐藤の顔が近づき、その唇がこめかみに触れて吉田は軽く飛び上がった。
「ここ!校内!!」
「うん、知ってる」
 ぎゃーぎゃーと真っ赤な顔をして怒鳴る吉田を、佐藤は手を引いて連れて歩いた。


「それで、吉田。クリスマスなんだけど」
「え、え、その日補習――」
「補習って言っても、丸一日やる訳じゃないだろ? その日、姉ちゃん居ないからさ。ウチに来いよ」
 な?と最後に笑いかける。その誘いはとても嬉しいのだが、すぐには頷けない。
「でも、赤点とって補習なのに、母ちゃんが外出許してくれるかな~」
 吉田の母親はそんなに教育熱心でも無いが、宿題はちゃんとやったのくらいは口を出してくる。赤点とって遊びに出るのを許してくれるほどの放任でも無い。
 吉田がすっかり意気消沈しているを、それを眺めてた佐藤が小さく笑う。
「大丈夫だって。手は考えてあるよ」
 ぐしゃぐしゃ、と吉田の頭をかき混ぜて佐藤は頼もしそうに言った。


 そして、その日、吉田は母親に向けて言う。
「――て事で、クリスマスは友達の家で勉強してくるから」
 佐藤は吉田が補習を受ける身であるという事を逆手に取り、だからこその必要性を外出の理由としたのである。
「クリスマスにぃ? ちゃんとホントに勉強してくるの? 相手は誰よ?」
 とは言え、そこですぐに承諾が取れるととは吉田も佐藤も思っていない。ここで重要なのは最初からダメと決めつけさせずに問答を展開をさせる事である。
 かなり怪しんでいる母親に、吉田は言う。
「ホントだってばー。相手はほら、この前ウチ遊びに来た佐藤で、」
「あら! あの佐藤くんなの!?」
 名前を出しただけで表情を輝かせた母親に、吉田はちょっと慄いた。自分と同年代の女子を即座に魅了するのはすでに校内で確認済みだが、母親の世代にも有効だったとは。あるいは、自分の母親だから好みが同じなのか。
「……………」
 何だか突き詰めると良くない結論に達しそうで、吉田はその考えは切り離した。
「そっかぁー、顔の良い子は頭も良いのね♪ 義男、佐藤くんに迷惑かけちゃ駄目よ」
 顔の良さと賢さが正比例するというのなら、2点しか得られなかった吉田の立場はどうなるのか。まあ、吉田は勉強が出来てもどうしようもないクズが居るのを知っている。生憎、親友の相手なのだが。
 ともあれ、外出の許可は貰えたようだ。やれやれ、と一仕事終えた気分になる。
「補習終わったらそのまま佐藤の部屋に行くから。あと、夕食もそっちで食べる」
 変に動揺を見せないよう、なるべく淡々と言ってみた。
「まあ、丁度良いわ。その日はどうせお父さんとホテルのディナーだったしv」
「……えぇっ!? 何時の間にそんな事に!?」
 ついこの前まで、そんな話は上がって無かった筈だ。だって、もし入ってたらずっと言ってたに違いないから!
「ついさっき、お父さんからメールで来たのよね~。ビックリさせたいからってギリギリまで黙ってたみたいv」
 俺もビックリしたよ俺も!とここに居ない父親に突っ込みを飛ばす吉田だった。全くこの両親は高校生になる息子が居ながら未だに新婚を通り越して恋人気分が抜け切らない。ある意味これが理想の夫婦なんだろうか……と思う吉田の脳裏に鋭いスピードと重量の乗った母親からのパンチを食らっている父親の姿が過ぎる。
 あれ、待てよ?と吉田は思った。
「あのさ、母ちゃん。だったら、俺の予定が何も無かったら、クリスマスはどうなってたの?」
「その時は、一人でお留守番」
 あんまりな処遇に、吉田はえ―――っ!と叫んだ。
「何だよそれ!酷ぇじゃんか!!!」
「当然よ。そんな身分だと思ってるの?」
 と、母親はじろりと睨むように吉田を見やる。母親の身分と言うのは赤点を取ってしまった事を指すのだろう。
 いかん、このままだと折角まとまった佐藤の家に行く話が撤回されるかもしれない。危険なにおいを感じ取った吉田は、そそくさと自分の部屋へと引っ込んだ。


 さてクリスマス当日。
 いってきます、と吉田は母親に一声かけて玄関を潜った。それに対し、母親は「いってらっしゃーい♪」と実に上機嫌だ。後何時間したら最愛の夫と夜景の綺麗なホテルの上層レストランでディナーなのだから、無理もないだろう。思えば、2点という悲惨な結果のテストを見せても、その怒りは吉田の予想を下回っていた。あの時にはもう、父親からのメールが来ていたのだろう。
 しかしメールが送られたタイミングは絶妙だったな、、と吉田は思う。父親のタイミングが答案用紙を見せた前過ぎても後でも、母親はその結果にガミガミと怒っただろう。下手をすれば、冬休み中自由な外出が禁じられたかもしれない。吉田がテストを見せた時が幸せの絶頂だったからこそ、今日佐藤の家に行く事も承諾を得られたのだ。
 もしかして、わざとだったのかな。
 いやまさか、と思い直したが、吉田の頭には「クリスマスプレゼント☆」と言って笑う父親の顔が浮かんだ。
 補習の後、商店街にあるコーヒーショップで待ち合わせだ。そこから、そのまま佐藤の家に行く。
 佐藤としては学校で待ち合わせ――いや、迎えに行っても良いと思ったのだが、吉田がそれを頑として受け付けなかった。クラス内で佐藤が暴露した自分達の関係は、瞬く間に校内中へと広まってしまった。そんな中で、佐藤が学校までわざわざ自分を迎えに来たとなると、その後……と誰もが思うだろう。
 実際にそうなのだし、クリスマスを共に過ごす事自体も知れ渡っている。今さらじゃないかと佐藤は思うのだが、吉田は決して譲らない。
 バレているから良いというものでは無い。そんな風に見られているのが嫌なのだ。
 だって、折角の2人の時間なのに。
 とても、特別な。


 指定のコーヒーショップの2階に駆け足で昇る。2階のスペースは然程広くは無く、佐藤を見つけるのはあっという間だった。奥の方の一人掛けの席で、コーヒーカップの乗ったトレイを前に文庫本を手にしている。少し伏せられた事で強調される睫毛や、読書に集中して引き締まった口元等、店柄、客は男性が殆どだったが、女性が見れば釘づけにされそうな光景だ。
 階段の出入口から佐藤の居る席へと向かう最中、佐藤は吉田に気付き文庫本を仕舞った。
「佐藤、待った?」
 他の客を気にして少し声を抑えて吉田は言う。
「ううん、そんなには。じゃ、行こうか」
 にこりと佐藤は吉田に笑い掛け、立ち上がる。ここは基本セルフサービスで、空にしたカップの乗ったトレイを所定の位置まで持って行く。
 やや急な階段は足元をちゃんと見ていないと、降りる時は特に危ない。けれど吉田は、先を降りる佐藤を見て、さっきのやり取りが何だかデートの待ち合わせみたいだったなんて事を思ってしまい、一人で顔を赤らめていた。


 道中、補習の事などを尋ねられながら佐藤の家へと向かう、室内に入れば冷たい外気を浴びた体を労わる様に、暖かい空間が出迎えてくれた。佐藤がタイマーでエアコンを作動させるようにセットしておいたのだ。この中だとコートはむしろ暑いと、吉田は早速脱いだ。学校での補習を受ける為、上着は勿論制服だがその下には私服と遜色変わらない物を着こんでいる。ズボンはさすがに制服のままだが、吉田はその辺をあまり気にする性質では無かった。
 吉田を自分の部屋に通した後、佐藤は紅茶を淹れて来ると告げて一旦出る。鞄を置いたり上着やコートを掛けたりしていると、程なく佐藤が戻ってきた。内側からも温まり、ほぅ、と吉田が息を吐いた。
「それじゃ、吉田」
 向かいでは無く隣に座った佐藤が声を発する。心なしか、外で聞いたのとは声の質が違う……ような気がする。
 そう思うのはむしろ自分の心情のせいだろうか。立った姿勢では両者の身長差のまま離れる顔は、座ればすぐそこまで近くなる。
 さっきも思ったけど、佐藤は睫毛が長くて、でも変な風にはならなくて。眉毛だって凛々しくて鼻筋もきちんと通っている。そして、その唇が案外柔らかいのを吉田はよく知っているのだ。色々と思い出し、鼓動の早くなる吉田に、佐藤が言った。
「補習でやったプリント見せて」
「………へっ?」
「プリントとか、渡されてないか?」
 自分は補習を受けた事が無いから正確な所は解らないんだけど、と首を傾げる佐藤。補習で出されたプリントは回収される物もあるが、基本問題用紙のようなものは追試の対策の為に持ち帰られるようにはなっている。なってはいるのだけど!
「え、何、マジで勉強すんの!?」
 今日、佐藤の部屋へ行く口実に、追試を確実に受かる為の勉強会と言えば良いと言ったのは佐藤である。吉田はそのまま、母親を説得させるための本当に口実とばかり思っていたのだが。
「いや……だって、冗談抜きで今本気でヤバいんだぞ?」
 佐藤が苦い顔で言う。勿論、吉田だって留年の文字を忘れた訳じゃない。いっそ忘れたいと思うけども。
「旅行は無しになったけどさ、実家には戻らないとならないし」
 さも不服そうに言う佐藤だった。冬休みの家族旅行が突如キャンセルになった原因の夫婦喧嘩だが、収束するのは案外早かった。さすがにキャンセルした旅行には行けないが、母親は弟を連れて戻って来たらしい。さて一体バカみたいに高い鞄や宝石ををいくつ買わされたんだろうな、と佐藤は同情ではなくてただ呆れていた。
 どうせなら冬休み中喧嘩してれば良いのに、というのが佐藤の本音である。
「だから、今のうちに教えられるところはきっちり教えておく。だから、ちゃんと受かれよ」
 俺を先輩って呼ぶ羽目にならないようになー、とちょっと吉田の肝を冷やしてから2人はプリントに向き合った。


 自分が回答を書いたルーズリーフを覗き込む佐藤の顔を、吉田は恋愛方面とは無関係にドキドキしてして眺めていた。
 佐藤の視線が最後まで下がり、ルーズリーフをそっとテーブルに置く。
「……うん、正解。とりあえず、今やった所を押さえておけば追試はいけると思う」
「ホントか? やったー!」
 まだ実際に受かった訳では無いというのに、吉田は両手を上げて喝采する。単純な奴、と思いながらその単純さもまた愛しい佐藤だった。
「夕食には、スモークサーモンのサラダと、フライドチキンとフライドポテト、あとケーキもちゃんとあるからな」
「おお~、すげークリスマスっぽい!」
 ラインナップに吉田がはしゃぐ。ツリーが用意出来ないのは佐藤にとって生憎だった。まあ、ついこの前まで、クリスマスの日には家族旅行の予定だったから、準備が万全とは言えなかった。
 どんなケーキかな~、とワクワクしている吉田の顔がざっと血の気が引いた。何かあったのか?と佐藤がその顔を伺うと。
「さっ、さっ、佐藤!!」
「うん?」
「どうしよう、俺、プレゼント何も用意してなかった―――!!」
 それに今の今まで気付かなかった!!と吉田は頭を抱えて嘆いた。佐藤から家族旅行がキャンセルになったと聞いた時には、プレゼントどうしようとは考えていたのだが、そのご英語のテストで2点と言う悲惨な現実にすっかり打ちのめされてしまっていた。
 どうしようどうしよう、とまるで終末予知でも聴いてしまったようにうろたえる吉田に、佐藤はまあ落ち着け、と少し宥める。
「プレゼントっていうなら、こうして2人で居られる時間が何よりなんだから」
 佐藤は言う。実際、こうして自分の部屋に吉田が居るというのが、どれほどの奇跡なのか。しかも、ただの知人友人ではなく、恋人として。今生どころか来世の運まで使い切ってしまったのではないかとすら思う佐藤だった。そして、もしそうだったとしても、佐藤には何の悔いも無い。
 佐藤は別に吉田を気遣った訳でも無く、純粋に思った事を言ったのだが、吉田は納得できていないみたいだ。
「でもさー、俺ばっかり貰ってばっかりだし……うーん、何か出来る事って無いか?」
 もう物では渡せそうにはないから、せめて行動で何か叶える事が出来たら、と吉田が言う。それを聞いて、佐藤は。
「……いいの?」
 尋ね直した佐藤に、何が?ときょとんとした吉田だが、すぐにさっして顔を真っ赤にした。そして、軽くざっと距離を取る。
「へっ、へへへ、変な事とかじゃなくて! 俺が出来る事で!!」
「吉田、色々出来るじゃん♪」
「何が――――!??」
 勿論、南の島での事を言っている佐藤である。さて、苛めるのはこれくらいにして。
「そうだな……ちょっと、一緒に行きたい所があるんだけど」
「ふーん? どこ?」
 まさ寒い外に出る事になるのだが、吉田の様子を見る分には抵抗があったり反対しているという訳では無さそうだ。佐藤の願い事を叶えたいという吉田の言い分には嘘は無い。
「まあ、所というか……今、駅の北口でイルミネーションが点いてるそうだから、見てみないか?」
「へー、そうなんだ。佐藤よく知ってるな~」
「いや、丁度吉田が居ない時に牧村がそう騒いでたから」
 まち子会長を誘うのだのなんだのと。その時の様子を思い出したのか、佐藤はちょっと遠い目だ。勿論、その牧村の計画は見事に破たんしたに違いないが。感心した傍から白けた吉田だった。
「んで佐藤もそのイルミネーション見たいんか?」
「……”も”って言われると微妙だけど……まあ、やっぱり恋人と一緒に見たいもんだろ?」
 顔を覗きこんで言うと、吉田の頬が灯りが灯ったようにぽっと赤くなる。そこに軽いキスをして、外出の準備を始めた。いくらか赤みの収まった吉田がコートを着込んでいると。
「これも巻いて行けよ」
 佐藤の声がすると同時に、首元が温かいもので包まれる。マフラーだ。
 決してずりおちないように、丁寧に巻いている吉田に、行こう、と佐藤は軽くその手を引っ張った。


 そして佐藤の案内の通り、駅の北口に来て見れば、案外人で賑わっていた。皆、飾られたイルミネーション目当てだろう。確かに、街路樹一本一本をLEDで飾りたてた通りの様子は中々見事だ。駅前広場ではアトラクションのような稼働するイルミネーションもある。この駅を通勤・通学で使う人達から口コミで広がったみたいだ、と佐藤が説明する。そして今日は、駅を利用する人達よりも、イルミネーションを見学しに来た方が多そうだ。
「へぇ~、凄いなー!」
 きょろきょろして吉田が言う。すでに鼻先が赤いが、寒さを特には気にしていない様子だ。
「あっ、あれ、ツリー?」
 小柄な体躯ながら、遠くを見渡した吉田が声を上げる。大体30メートル先だろうか。緑色の電灯が円錐状に見え、その天頂には星の明かりが点いている。
 あんなに大きな木はなかったと記憶するから、何かの電柱でも飾り付けているのだろうか。と、佐藤がそのツリーの方に向かって足を進める。
「佐藤、そっち人が混んでる」
「だから良いんじゃん」
 軽く吉田を振り向き、佐藤がにっとした笑みで言う。どういう事?ときょとんとする吉田に、佐藤が肩を回す。
「密着出来るし」
 そっと耳に顔を寄せ、告げる。吉田が声も出ないように慌てふためいていると、いよいよ可笑しそうに笑う。
 からかわれる、と眉を吊り上げた吉田だが、佐藤から離れようとはしない。勿論、人が多いからという理由では無く。
「佐藤……」
「ん?」
 自分を呼ぶ吉田の声に佐藤が眼下を向く。
「来年は、赤点取らないから。だからもっと、ちゃんとしたクリスマスしような」
 吉田も見上げ、佐藤を見て言う。
 クリスマスをするとかしないとか、ちゃんとするとかしないとかあるのかとか、色々突っ込み所は多いけども。
「そうだな~、次の試験で平均点取れたら信じようかな」
 しれっと言う佐藤に、吉田がうぐっと呻く。
「へ、平均はちょっと……50点、い、いや30点くらいなら……」
 ぼそぼそと点数を下げて行く吉田の声も、こんな雑踏の中でも佐藤はちゃんと聞き分けられるのだった。この調子だと次のテストも危うそうだ。まあ、自分が教えるから構わないが。
 こんな人込みなのだから、クラスメイトの1人や2人に遭遇しないかな、という佐藤の仄かな願望は、生憎だが叶わなかった。
 さてはサンタも吉田贔屓かな、なんて思いながら、光で彩られた道を、もう少しだけ歩いた。




<END>