折角の休日だというのに、吉田の心は何となく晴れない。今週末、佐藤は実家に戻っているからだ。
 それが解っている週の初めから佐藤は物憂げな溜息を吐き、沈痛な面持ちで遠くを眺め、そんな現実に打ちひしがられるのは当日で良いのだと悟って放課後吉田と遊んだりしていた。吉田と会えない事も苦痛であれば、実家にも良い印象を持って居ないと、佐藤にとっては避けようのないWパンチなのであった。
 そんな表情を見せられて、吉田も何とかしたい気持ちもあるが、それ以上に何ともならない現状に気付けないでもない。だとしたら、せめて佐藤の心情的負担を減らす事くらいだが、何だかあまりうまく行ってないみたいだし。
 金曜日の帰りとか、自分の方からキスしたら良かったのかなぁ~と思った傍から、そんな自分を想像して吉田は自室で悶えた。
 これではいけない、こんな休日ではいけないと、吉田は思い立って外出する事にした。外に出れば、色々関心を引くものもあるだろうから。
 このままだと、佐藤の事を考えてばっかりだ。


 いつもなら、何となく家でゴロゴロしていても詰まらない時なんかは、駅前の商店街にでも行けばその欲求は満たされるが、今日はもっと足を伸ばして地下鉄直通の大きなデパートにまで足を伸ばした。少し遠出をしようと思ったのは、外に出てあまり寒く感じられなかったからだ。ついこの前まで、寒波が到来してきて、息をするだけで凍えそうな目に遭っていた。
 この時はさすがにオチケン部室には行けず、昼休みも教室で過ごしたのだが、その為に佐藤の近くには居られなかった。自分達が付きあっていると公表しても、その事実と自分達の恋心は別なのだと、ある種勇ましい信念によって佐藤への対応は未だ変わらずである。激化する事を恐れた吉田には最良の結果とも呼べそうだが、何となく詰まらないのは佐藤と同じく、これでいつでも二人きりだと思っていたのだろうか。いやそんな。ああ、また佐藤の事考えているし!
 ああもう、と吉田は自分自身に憤りながら、地下鉄から繋がっている通路を経てデパートの1階へと上がった。丁度正面玄関に面したその場所は、吹き抜けのホールのようなスペースに、何とも大きなツリーが置かれていた。さっきまでの鬱屈した気分も吹き飛ばし、吉田はその圧巻的なツリーを見上げる。
 単に家庭用のツリーを巨大化したには留まらず、凝った装飾が天辺に至るまで及んでいる。普通のツリーとなるとオーナメントを付けたりもするが、ここまで大きいと上の方は例え付けていたとしても見えないだろうという意図か、ツリー自体にリボンやイルミネーションを付け、明るい照明の下で尚、煌びやかに光を放っている。
 佐藤にも見せたい、と思った吉田はすぐに携帯を取り出した。撮影モードに切り替えて携帯を構えてみるが、中々思い通りの構図が入ってくれない。実際に見るのと画面として見るのではその感覚が違うというが、それと同じ事なのだろうか。
 それでも、一番上の星まで撮ろうと、吉田が携帯を構えてうろうろとしていると。
「――ん、ヨシヨシか?」
 特徴ある呼び方に、何よりその声。振り向く前にその人物が解った。
「あっ、とらちん!?」
 全く示し合せた訳でもないのに、こんな所で遭遇するとは。結構な偶然に、吉田は驚く。
「何、このデパートで何かやってんの?」
「いや、今日はそんな寒くねーし、ちょっと出かけてみっかて」
 吉田は行き当たりばったりで出かけたので、どこかで何かがやるかなんて全くデータが無い。虎之介には目当てがあったのだろうかと聞いてみれば、自分と同じだった。それを打ち明けて、二人は笑い合う。
「じゃ、どっか行く?」
 口に出した訳でもないが、吉田の方は虎之介と一緒に行動するつもりだ。虎之介の方に用事があるのなら勿論大人しく引き下がるけども、さっきの良いようだと予定も特には無さそうだ。虎之介は返事として、快く頷く。そしてその後、何か思い出したように「あっ、」と声を上げた。
「そういや、分度器欲しかったんだ」
 その一言で、まずはこのデパートの文具用品売り場へと向かった。近くにあった案内図によれば、目指す所は10階らしい。
 エレベーターで上がってみれば、着いた先はかなりの人込みだった。単に休日だからでは済まない混みようである。
「何だぁ、一体?」
「あっ、あれみたいだ」
 怪訝そうに言う虎之介に、吉田は指して示した。10階には文具売り場の外に特別催事場があるのだが、今の期間、そのスペースを使って今年5周年を迎えるキャラクターのイベント会場になっているらしい。それは吉田にも見覚えのあるファンシー系のキャラクターだった。マスコットと呼んだ方が良いだろうか。クラスの女子の何人かは、このマスコットのグッズをチャームとして鞄に付けているのを見かけた事がある。吉田が買ったペットボトルにも、オマケとしてストラップが付いていたくらいだ。
 前々から見かけていたけど、そうか5周年なのか~、と吉田は何やら感慨深くなった。別に特に好きという訳でも無いのだが。
 その一角だけ、まるで遊園地を切り取って来たような賑わいと華やかさだった。入口には大きく作られたマスコットがいかにも「ようこそ!」というポーズで立っている。そこで写メを撮って行く人も居る。
 今立っている場所からちょっと中を伺うと、入口にあるのと同じく大きく作られた展示用のぬいぐるみやら、限定グッズやらの即売会になっているみたいだ。何か食べ物も出しているような気配も伺える。ちょっと楽しそうではあるが、そこまでこのマスコットに傾倒している訳でも無いし、と本来の自分達の目的を思い出して虎之介を見ると、何だかいかにも面白くなさそうな顔を浮かべていた。
「と、とらちん? どしたの?」
 何もしなくても強面の虎之介は、何か表情を上げるとすぐに物騒な顔つきになってしまう。そして、本人にその自覚は薄い。顔が怖い事は解っているのだが、どんな顔つきになっているかまでは正確に把握出来ない。
「あ、いや、」
 慌てた吉田の様子に、きっとまた女子が逃げ出すような顔になってたんだろうな、と虎之介は表情を引き締める。それでも柔和とは程遠いのが悲しいのだが。
 虎之介はちょっと罰が悪そうに頬を掻きながら言う。
「……ああいう女だらけの所とか見ると、山中が居るんじゃねぇかってつい思っちまって」
「とらちん……」
 ある意味、すっかり山中に染まってしまっている親友に、吉田は投げかける言葉を持ち合わせていなかった。強いてあげるならば、山中死ね。山中に向かって。
「今日、山中は?」
 あまり聞きたくない事だが、話の流れ的に気になってしまった。
「学校で補習。あいつ、提出物サボるから」
 虎之介はため息を吐きたいような素振りを取った。山中は成績は良いのだが、日頃の行いはあまり褒められたものじゃなかった。隙あらば自分と遊び呆けていて、出された課題はどうしてるんだとふと山中に向けて虎之介が問いかけれみれば、やってないという返事。と、いうか今までもやってなかったのだ。代わりに女子達がやっていたという事実を吐かせた虎之介は、改めでボコボコにした後絶対に課題には手を貸さないと告げた。ここにはさすがに鬼になった。山中が泣いて懇願しても手伝わなかった。
 それでも山中はやらなくて、結果休日での補習である。この日を迎える山中の最後の台詞は半泣きで「とらちんが手伝ってくれなかったからなんだからね!?」だったのでコイツはもうダメだと虎之介は思うしかなかった。それでも見限らないのが、虎之介なのだが。
 さすがの山中も補習には出てるだろうと思いたいのだが、何となし不安に駆られた吉田は周囲を軽く見渡した。山中は特別人の目を引く奇抜な格好や容姿では無いが、それでも見れば解ると思う。そう思って、辺りに目を配ってみた。
 すると、思わぬ人物を見つけてしまった。それは、虎之介も同じだったようだ。
「なあ、アイツって、」
「うん。東だ」
 吉田達の高校に来るまでは、体育会系の学校に通っていたというからその髪型は長くも無く、山中のように変に癖をつける言ってしまえば平凡な髪型である。が、東の体育は平均を遥かに上回る体格なので、どちらかと言えば目立つ方だ。今だって、二人がすぐに見つけられた。
 東はその会場から少し離れた所、けれど確実に視界に入る場所で、敢えて例えるなら憧れの先輩に恋文を持って待ち構えている女学生のような、一方的な思慕を抱いて自宅の前で佇んでいるストーカーのような、つまりはただならぬ興味を抱いてその場に立っているように思えた。
「東? 何かあった?」
 とことこ、と普通に歩いて吉田は東に近づき、当然のように声を掛けた。だというのに、東の方はまるで闇討ちにでもあったかのように、全身を戦慄かせた。
「なっ……!なんだ、吉田か……驚かすなよ」
「オメーが勝手に驚いてんじゃねーか」
 失態が気まずいのか、非難がましく言った東にすかさず言い返たのは虎之介だった。東と西田が吉田を巻き込んだ修羅場の一件は虎之介の耳にまで届いているので、虎之介はあまり東に対して良い印象を抱いていない。その構図なら、いちゃもんをつける相手は吉田ではなく西田だろうに。
 東も虎之介のそんな態度を解っていて、それに応じた態度を取っている。攻撃的ではないが、友好的とは程遠い。
 それでも一触即発に似た空気に、吉田は慌てて口を開く。
「な、なあ、東って! さっきから見てるみたいだけど、ここ入りたいの?」
 本人はさりげなさを保っていたつもりだろうが、ここに東の関心が向けられていたのは吉田でも解ったくらいだ。単純にそうなのだろるかと、吉田としてはあまり本気としては言っていなかったのだが、東の反応は凄かった。
 さっき、声を掛けた時とは比較にもならないくらい、明らかな動揺を見せていた。目は泳ぐし、顔は赤い。
「なっ、何を馬鹿なっ!!俺がこんな、こんなものっ……!!」
 そう言ってちらちらと視線をイベント会場に向けるが、その視線は気になって仕方ないと物語っている。
「何だ、入りたきゃさっさと入ればいいじゃねぇか」
 虎之介があっさり言うと、東は赤い顔をさらに赤くして言い募った。
「だから! 俺は別に、入りたいとか……!」
「一人じゃ入り辛いっていうなら、一緒に行く?」
 佐藤よりも尚高い東を見上げ、吉田が言う。東は、余程行かないと突っぱたそうな顔をしていたが、最終的には己の欲望には敵わなかったらしい。
「まあ……お前らが行きたいというなら、ついでに行ってやらない事もないが……」
「あのな、入りたいのはお前なんだろって」
「そ、そっちが勝手に声を掛けて来たくせに……!」
「あーもう、行こう!入ろう、なっ!?」
 これじゃ永遠に堂々巡りだと、2人の背中をぐいぐい押して吉田は会場内へと入っていった。


 頑丈では無いが、そこそこ衝立で仕切られていた中は、やはりと言うか女性や子供が多い。男性が皆無という訳ではないが、おそらくは誰かの付き添いという形なのだろう。はたまた、誰かに頼まれて限定品を買うように言いつけられたお使いとか。まあ、中に東のように純粋に本当にこのマスコットが好きで訪れているという人物が居るという可能性も、無きにしも非ずであるが。
 ただ、間違いなく、この中で吉田達は浮いていた。男性3人のグループは間違いなく吉田達であるし、東は注目せざるを得ないくらい背が高いし、それに男前であるし。虎之介は虎之介で悪い意味で人目を付く顔である。自分達に集まる視線は、まず東に向いた後に虎之介に気付いて逸らされるというパターンが多い。
(へえ、何だか面白いな)
 半ば成り行きで入った様なものだが、こういうイベントブースは中々目新しかった。世界観が違う空間に紛れたようだ。敢えて言うなら、絵本の中のような。
「なー、東、どこ見……」
 後ろに居るだろう東を振り返って、吉田は途中で絶句した。振り向いた先の東と言えば、さっきまで険のある表情とは違い、如何にも夢の中というようなどこか陶酔したような、けれど目は子供のようにキラキラと輝いていた。横に居る虎之介も、対応というか反応に困っているみたいだ。
 とりあえず、適当にうろついてみるか。自分で率先して歩き出そうとしない東に代わり、吉田が先頭を切って広くは無い会場内を歩き出した。


「――って事があって……うわっ佐藤酷い顔してるぞ!?」
「……酷い顔にもなるだろ……」
 地獄の底から湧いてきたような声で佐藤は吉田に言った。週が明けて、登校するなり佐藤は吉田に抱きついた。もはや公言したのだから、二人を阻むものは何も無い。その筈なのに、吉田はまだ悪あがきのように抵抗をしてみせる。学校はダメ!と言う度に学校外ではしていると公表しているのと同然だと、果たしていつ気付くのか。
 そして待ちに待った昼休み。今となっては牧村達も遠慮して部室には近づかないようにしている。これだけでもカミングアウトした甲斐があったというものだ。いや、やはりもう少し周りの変化があっても良かったんじゃないか。特に女子。
 とにかく、相変わらず佐藤の周りを張りつく女子をどうにか撒き、やっと部室で二人きりになれた佐藤は、土日の吉田の様子を尋ねてみた。単に会話の触りとしての話題だったのだが、そこから明らかにされた事実は佐藤にとってあまりにも面白くないもので。
「人が実家で吉田に会いたくて会いたくてたまらなかったっていうのに、お前は3人でそんな楽しそうな所で……」
「……そんなに、楽しいって程でも無かったけど」
 東はそうだったみたいだけど、とそっと補足した吉田だった。
「それに、別に約束して行った訳でもないんだしさー」
 佐藤の口ぶりでは、まるで留守を良い事に遊び呆けていたみたいに受け取れるが、全くそんな事は無いのだから。悔しがる事自体が無意味なのだ。
「そもそも、東を見かけてもそもまま声を掛けないでいれば良かったのに」
 佐藤だって頭は回る。吉田以上に、何倍も。
 けれど、頭では冷静に把握出来たとしても、羨ましがる心は制御できない。計画だろうが偶然だろうが、佐藤にとって重要な点は吉田と一緒に居たという一点のみなのだから。
「それはまぁ~……そうなんだけど……」
 決まり悪そうに吉田が言う。実際、吉田も佐藤の言った事を何度か思わなかった訳でも無い。あのまま、見て見ぬ振りをして立ち去ってしまっていればと。
 けれどやっぱり、似たような場面になったとして、同じように声を掛けてしまうのだろう。あれだけ嫌悪感を露わにしていても、純粋な気持ちには不器用な東と知ってからは、余計に。佐藤に言えば、お人好しと笑われてしまうのだろうけど。
「……じゃあ、これ、要らない?」
 そっと吉田が掲げたのはブックカバーだった。サイズを目測すれば、文庫本サイズだろうか。
 それは、と佐藤が尋ねる前に吉田は言う。
「その会場でさ、お買い上げ金額に合わせてくじが引けんの。東がやりたそうだったし、折角来たし何か買おうかって思って、これにしたんだけど……」
 おずおず、と上目使いて吉田が言う。
 飲食店へ入れば、必ずと言ってしまえるくらい、佐藤に奢られてばかりだから。そのお礼とか言えばまた、佐藤が笑顔で自分の頬を抓り出しそうだからそこは言わないでおくけど。
 陳列された商品の中で、最も佐藤が持っても変じゃないものを選んだつもりだ。ブックカバーのデザインは和風テイストで布も麻で作られている。とはいえ、マスコットキャラクターは勿論健在だし、あくまであの場にあったものだから佐藤の私物としては浮いてしまうかもしれないが……いや、浮くだろう。こうして実物と佐藤を比較した時点で違和感が引っ掛かる。怖気づいた吉田が手を引こうとすると、それより素早く佐藤の手がブックカバーを取り上げた。それはもう俺の物だ、と言わんばかりに。
「――ありがとう、大事にするから」
「う、うん」
 佐藤が浮かべた綺麗な微笑に、吉田は若干どもりながら返事した。
 
 そして、後日。
「わー、佐藤君、そのブックカバー可愛いー!」
「私もそのキャラ好きだよ!」
 吉田の懸念通り、佐藤がキャラものを手にしているという光景はすぐに異変として目に移った。女子が良い話題を見つけたとばかりに、席に座って読書をしている佐藤に群がる。
 そして佐藤は、集まった女子にとびきりの笑顔を向けて言ったのだった。
「ありがとう。俺もこれ、気に入ってるんだよね。吉田からのプレゼントでさー」
 ビキキッ!!!!
 と、何かに亀裂が走った様な音が聴こえたが、強ち幻聴とも呼べない。表情はそのままだが、あきらかに纏う空気が違った。それは目の前の佐藤にでは無く、少し離れた吉田へと。3分後、女子全員を鬼に回した参加者吉田のみの鬼ごっこが始まった。
 あと少ししたら、助けてやるかな。秋本がおろおろと心配する横、佐藤はゆったりと腕組みをする。
 とりあえずは、必死の形相で逃げる吉田の表情を堪能して。




<END>