「吉田……お前に折り入って頼みがある」
「え、ヤだよ」
 いつもの落書き顔をそれでもシリアスな雰囲気で纏いながら、そう問いかけて来た牧村の台詞を吉田は即座に却下した。
「何だよ!せめて聞いてから断れよ!」
「……いやー……」
 牧村からの頼みなんて、これまでも、そしてこれからもロクな事が無いに決まっている。どうせ断るのだし、話を聞くのも一層億劫なくらいだ。この場からすぐに立ち去らないだけ、温情というものである。
「あのな、吉田! 俺は是非にでも、お前を師として教えを乞いたい!」
「はぁ? 教えってなんの??」
 ぐぐっといよいよ力を込めて言い募る牧村だが、生憎吉田自身にはそうされる心当たりが全くなかった。すぐに浮かんだのは勉学であるが、全てが英語ほど壊滅的ではないにせよ、誰かに教えられる程の学力は持ち合わせていない。むしろ、十分教わる立場である。
 心底きょとんとする吉田に、牧村は決まってるだろー!?とさらに迫る。
「恋っつーか恋愛っつーか、恋人のゲットの仕方だよ!」
 どうやらこれこそ牧村の本題らしいが、吉田は相変わらずついて行けない。色んな意味で。ある種、脳が拒否してるのかもしれない。
「佐藤は言ってみりゃ、女性に例えりゃそれこそまち子さんレベルな訳だ。そんな相手と、どうやって付きあうまで持って行ったのか、そこんトコを俺は深く知りたいんだ!!!」
 怒涛の如く紡がれた台詞に、吉田もようやく事態を把握出来た。
 そして思えば牧村に他のみがあると呼びかけられた時、さっさと帰っていれば良かったという事だ。よりによって、そんな事を聞いてくるだなんて!!
「し、知らないよそんなん! 佐藤に聞けよ!!」
 苦し紛れの発言として、つい佐藤を持ち出してしまったが、佐藤に聞かれたらそれはそれで思いっきり困る。が、幸いにも(?)牧村は佐藤に聞くつもりは無さそうだ。と、いうのも。
「俺が知りたいのは美形がブサイクを好きになる過程じゃなくて、ブザイクが美形に好かれる手腕なんだよ! より己の位置に近い意見が聞きたいんだ――――!」
「……ブサイクってお前、」
 自分自身にもそして何より吉田に失礼な発言である。帰りたい。あーもう、帰りたい。
 恥も外見も無い明け透けな言いようは、牧村の本気が窺い知れるが、かと言って吉田は答えてやる事も、教えてやる事も出来ない。牧村の中ではどうやら吉田が働きかけたようになっているが、実際は吉田は告白された立場だ。これから想いを打ち明けようという牧村と対極に位置する。
 そして、吉田は思い出す。これまでの自分と佐藤の事を。
 小池から好きな人を聞いて来いと言われ、尋ねたその場でいきなりキスされて。
 屋上で女子につるし上げにあった時は助けて貰ったけど、その後取り付けた約束で佐藤の自室に招かれてみればとんでもない事に――
「……………」
 何一つとして牧村が役立てる事例は無いな。吉田は自分の軌跡を思ってちょっと遠い目をしたのだった。
「なっ、なっ! 頼むぜ吉田! 俺を助けると思って……!!」
 へのじ顔の眼を潤ませて牧村は嘆願する。牧村の顔は真剣だ。落書き顔であるのが惜しい、というか台無しなくらいに。
 吉田は以前、まだ自分達の関係が秘匿である最中に牧村から遊園地のチケットを貰った事がある。誘うべき相手がふられたから流通されたものでそこまでの恩は感じていないが、その時相手が不明のままでも牧村は吉田の恋をそれとなく応援してくれた。それに応えたい気持ちがあるのだが、無理なものは無理なのだ。
「……だから、教えるもなにも、そんな事無いって」
 困ったように吉田が言うと、牧村は激昂した。落書き顔ながら喜怒哀楽が激しいのが牧村である。
「ンな訳あるか! 俺らみたいなのが何もしないで付き合える筈があるか!」
「そ、そんな事言われても」
 全ては語っていないが、偽りも無い。しかし、牧村は許しては……というか、逃がしてはくれないようで。鬼気迫った顔(でも落書き)で吉田に詰め寄る。
「吐けよ吉田! 自分だけ幸せになろうなんで――ぐへっ!」
「吉田ここに居たのかー。さあ、帰ろう」
 牧村の首裏に華麗に手刀を決めた佐藤は、しゃあしゃあと言い放った後、当然のように吉田を引き寄せてその場から連れ出す。
 当てられた牧村は、その場でうつ伏せになって横たわっていた。まあ、そんなに人の通らない場所だけど、最後には教師が見回りに来て発見してくれるだろう。……多分。
 そろそろ凍死も洒落にならない季節だからな~、と明日の一面が牧村の凍死事件にならないのを祈る吉田である。
「教室に居ないと思ったら、牧村と居たのか」
 まるで独り言のように佐藤が言った。付きあっていると公言してから、佐藤はもはや堂々と吉田と帰る事を女子に告げている。嘘もごまかしも無く、好きで一緒に居たいからと、そのままの理由を言って。
 吉田にとってあのカミングアウトはテロやゲリラに近いのだが、女子にそう言っている佐藤を見ると、嬉しくてつい顔が緩んで参る。
 今日は佐藤が日直で、日誌や諸々の提出物を職員室へと届けた帰り、要る筈の吉田が居なくてちょっとばかり焦った。すぐさま容疑に上げたのは元彼(という事に佐藤の中ではなっている)の東が現れたというのに、完全に吉田の事を諦めきれていない西田だった。すぐさま西田のクラスに駆け込んだが、そこに吉田の姿は無く。
 例え相手がどんなにいけ好かない相手でも、困った人は見逃さないセンサーを保持する西田にどうした、と聞かれたが、それには答えず校内探索に切り替えた。下手に受け答えして、今吉田が単身でうろついていると西田に知られようものなら、いよいよややこしくなる。実際は吉田は単身ではなく、牧村の相談に乗っていたのだが。いや、一方的にアドバイスを求められたが正しいか。
 無駄な時間を過ごした、とさっきの牧村とのやり取りを思い返して吉田は結論付ける。が、牧村と関わって有意義で終わった時があっただろうか。
「で、何話してたの?」
 佐藤は尋ねる。けれど、相手が牧村という事で、何となしに察しているようにも見える。あーうー、と吉田は言葉を濁したが、自分でも確かめたい事があるから敢えて口にした。
「その、佐藤とどうして付き合うようになったのかとか……」
「生徒会長か」
 ズバリ真相を言いたてる佐藤だった。とはいえ、牧村の思考を読むのはそう難しい事では無い。吉田にだって出来る。
「まだ諦めてなかったんだなぁ、アイツ」
 しみじみ、というか苦々しいように佐藤が言う。自分の情報が牧村を通じてまち子へ伝わっている事くらい、佐藤はお見通しだ。牧村が知っている情報程度なら、流れても痛くもかゆくもないからほっといているが。
「……ま、まあ、フられたらフられたでまた煩いし……」
 牧村に心も無いフォローを入れながら、吉田はさっきした言うと決めた決意がまた削られていた。
 若干変則的な流れであるが、いわば自分達の馴れ初めを尋ねられたようなものだ。
 その時、どう言えば良いんだろう。どこまで言っていいんだろう。
 高校に入った時からの事なら、まあ言える内容ではあるが(それでもあまり言いたくないが)問題は、さらにその過去。そもそもの自分達の起点。小学校の時、同じクラスだった事。佐藤が肥満児で、苛められていた事。軽く語れる思い出とは言えない。以前、佐藤がからかうように、あの頃の事を言いふらさない吉田が好き、なんて言われた事はあったけども。
 佐藤が隠したいなら吉田もそれに倣うだけだ。今の所、全てを打ち明けなければならないという事態にも遭遇していない。
 ただ、吉田が不安なのは、今はまだ虚脱が抜け切れていない女子たちが復活し、吉田にさっきの牧村のように、どうやって付きあうようになったのかと詰問、はたまた尋問された時だ。嘘が下手な自分が上手に隠し通せる事は出来るものだろうか。緑色のマドレーヌの奪還も失敗してしまったというのに!
 吉田が危惧する所はただ一つ。佐藤が傷つてしまわないか。
 それだけの要素を抱えていると知りながら、どうにも出来ない自分に少し、自己嫌悪を覚える。
「吉田、」
「えぇっ!な、何ッ!?」
 何か話し掛けられていたかと、慌てた返事をする吉田に、佐藤が言う。
「帰り、どこか寄ってお茶して行こう」
「あ、うん」
 この前、小遣い日が来たばかりで吉田の財布には潤いがある。最も、何だかんだで佐藤に奢られてしまうのだけども。
 じゃあどこに寄る、と他愛ない会話をしてると、ふと佐藤が微笑を深くする。なんだよ、と熱くなった頬を持て余して吉田が言う。
「いや、やっぱりいいなぁって……吉田と堂々と一緒に帰れて」
 確かに、女子の人気は相変わらずな中、最も大きな変化はそれだろうか。前述した通り、佐藤は今となってははっきりと断る。
「っていうか、前から変な嘘つくなっつーの!」
 忘れた訳じゃないからな!と吉田は釘をさす様に言った。解ってる、と佐藤は軽く流す。
「まー、俺としては最初から本当の事言っても良かったんだけど?」
「……それはちょっと……」
 やりかねなかった雰囲気を思い出し、吉田は言葉に詰まる。そんな吉田を見て、また佐藤がふわりと微笑む。素を出すのを嫌う佐藤だが、そんな時の彼は、吉田の眼にすごく優しく映る。さっきまで吉田が感じていた葛藤も解く解す様に。
 ――ま、なんとかなるか
 もし、うっかり昔の事を女子の前で口で滑らせたとして、佐藤を傷つけたとして。
 そこで終わる自分達じゃないから。
「そういや、秋本が新作のハンバーガーが美味しかったって言ってた」
「じゃ、そこにしよう」
 前途多難にして前途洋々。
 とりあえずは、前に向かっている事は確かな二人だった。



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