2時限目の授業が終わり、少し長めの休み時間に入るというのに、女子のテンションは少し低い。勿論、理由があっての事だ。
「はぁ~あ」
 と、これみよがしに溜息を吐いた後、その女子は近くに居る吉田へと愚痴り始めた。むしろ、吉田が傍に居たから愚痴ったという方が正しい。
「良いよね~、吉田は……これからずっと佐藤君と一緒だもの」
「何だその言い方!別にフツーに授業だろ!!」
 ある意味佐藤が聞いたら喜びそうな台詞に、吉田が注釈を求める。つまり、彼女が言いたい事はこの先3,4時限目の実習で女子と男子のカリキュラムは分かれるという事だ。女子は調理実習、男子は工作の作業に入る。
 確かに、佐藤と一緒であるが、その他の男子生徒だって一緒なのだ。何も自分だけが居られるみたいな言い方は止めて貰いたい。特にここは校内なのだし!
 ああこの場に佐藤が居なくて良かった……と妙な安堵をする吉田だった。佐藤はこういう発言に目敏いというか、地獄耳というか。
「そりゃあね、佐藤君は何もしなくても魅力的よ。でもね、だからこそ普段しない作業に取り掛かる所が一層素敵に見えるんじゃない………工作する佐藤君……鋸引く佐藤君……ああ、見たい!見たかった……!!!」
「……………」
 見たいかな、そんな場面。と焦がれるあまりに震えている女子に向けてそう思った。彼女たちが佐藤に向ける情熱というか情念は、まるで野沢双子が絵画に向けるそれと似ている者があると思う。こんな時は、特に。
「出来れば写メとかとって貰いたいんだけど……」
「し、しないからなッ!? そんな事!!!」
 ちら、と横目で見られた事を感知し、吉田が言う。さほど本気では無かったようで、相手は「解ってるわよ」とちょっと残念そうであったが、そう言う。
「そんな事頼んだら、吉田の携帯に佐藤君の画像があるって事になるじゃない。嫌よ! っていうか、許せない!!!」
「……俺、もう行くね」
 妙な所で湧きあがった怒りの火の粉が自分の方へと振りかからない内に、吉田はそっと教室を移動した。


 工作室は、他の教室とはちょっと違う。まず、匂いが違う。今回はべニア板を使う工作だから、木の香りがそこはかとなく漂うのだ。
「えっ、吉田、もう鋸で切るんだ~早いね」
 秋本に言われ、吉田はちょっとだけ照れる。
「図案がスムーズに書けたからな。秋本はまだなんだ?」
「うん、最低でも今日中に終わらせたいんだけど」
 今回の課題はべニア板を使って作る小物である。大体の生徒はペンケースを題材に選んでいた。吉田もその例に含まれる。秋本は小さな引き出しの着いた小箱を作りたいようだ。なので、他より少し複雑な図面を強いられる。それを選んだ理由、というか作りたい理由を吉田は何となく察したので、上手く出来ると良いな、とそっと祈った。
「俺もまだ出来てね~よ~! 額縁って案外難しいだな……」
 落書き顔から悲痛な声を出し、牧村が言う。これまた、製作物からその動機が良く解る代物だった。大方、片想い中である生徒会長の写真でも入れたいのだろう。それを解った吉田は「まあ頑張れ」とおざなりな激励を飛ばしておいた。
「そういや、佐藤も写真立て選んでたよな!」
 机の上でばったりと倒れていた牧村が、ふいにがばりと起き上がる。名指しされた佐藤は、ちょっとどころかあからさまに嫌そうな顔を浮かべる。
「手助けなんてしないからな。自分で頑張れ」
「まだ何も言ってねぇだろ!?」
「問答の手間を省いたんだ」
 組んだ腕を解しもしないでしれっと応える佐藤だった。べニア板への図面引きまですっかり終わってるんだから、ちょっとは手伝ってやれば良いのになぁ、と吉田は少し思ったが、少し過ぎたので言うには及ばなかった。やっぱり、こういう事は自力でやり遂げてこそ意義がある。
 そんな雑談をしていたら開始のチャイムが鳴った。工作室での席順なんてあって無きが如しだ。教師側も出欠席が取れれば後はどうなってくれても構わない。大体が4人掛けの四角いテーブルなので、普段よくつるむメンバーで集まっていた。こうしてるとオチケン部室みたいだな、なんてちょっと思ったりして。
「佐藤は電動糸鋸使うんだな」
「ああ、角を丸くしたくて。ヤスリかけるより切った方が早いかなって」
 事も無げに言う佐藤は、きっと何てことないようにべニア板を切ってくるのだろう。これは授業であるので、出来上がりの品の仕上がり如何で評価が決まり内心も決まる。5教科学年一位の佐藤は、実習の方も抜かりなくトップをキープするみたいだ。
 普通であれば、こんな人物を恋人に据え置こうものならコンプレックスで押し潰されそうになろうものだが、吉田は至ってそんな要素の欠片も無かった。むしろ、隙あらば仕掛ける容赦ない悪戯の方が堪えるくらいで。
 それは佐藤の過去を知っているからという事もあるが、一番は吉田本来の気質からだろう。そんな吉田の傍だから、佐藤も素を曝け出す事が出来る。そして、そのありのままの佐藤を見て、吉田はドキリとする訳だ。世の中、美味い具合に回っている。
 教室内に、佐藤が起動させた電動糸鋸の音が響く。決して小さいものでは無いが、不思議と煩いとも不快には感じられなかった。
 吉田は吉田で自分の作業を進める中、そっと佐藤の様子も伺ってみた。別に、さっきの女子からの作業中の佐藤君もきっと素敵、なんていう台詞を思い出したからでは無い。と聞けば吉田はそう答えるだろう。
 危険な刃物を取り扱っている最中だからか、佐藤の顔は真剣だった。脇目もふらず、腐乱に見続ける先がただのべニア板であるのが勿体ないくらいだ。あの眼差しで射抜かれたら、誰だって心臓を撃ち抜かれてしまうだろう。
「……………」
 まあ別に自分は女子じゃない、どうって事無いけど!と吉田は鋸を引き始めた。


 あまり正常では無い精神状態だったからか、最初は板に引いた線から外れて切り進めてしまったが、どうにか帳尻を合わせる事が出来た。吉田の図面は直線ばかりなので佐藤のように電動糸鋸の出番はない。
 秋本も4時限目の途中には板を切り分ける工程に入れたようだ。牧村はまだ図面でうんうん唸っていて、今日の宿題となりそうだ。あんまり自分のレベルを考えずに凝った物を考えるのが牧村の遅れる原因である。拘りがある事自体は、決して悪いものでは無いのだと思うが。
 一方の女子たちが調理実習であわや佐藤の危機かと思われたが、今日はお菓子では無くチンジャオロースーを作ったので贈られる心配は無かった。吉田も巻き込まれず、何よりである。
「あのさ、吉田」
「ん、何?」
 今日は真っ直ぐに佐藤の部屋にはいかず、途中の駅前で適当なカフェへと入った。別に今日は行く日と決めている訳ではないが、何となく外でお茶していこうか、という気分になる時もある。今日がそういう日だったというだけだ。
 佐藤のトレイにはブラックコーヒーだけだが、吉田にはホットドックとジンジャーエールとフライドポテトが乗っている。ホットドックのドリンクセットだ。ホットドックにはノーマルとチリソースの2タイプがあったが、勿論吉田はノーマルの方をオーダーした。
 もぐもぐとホットドックを口に運びながら、佐藤への返事も滞りない。器用だなぁ、と密かに佐藤は感心しつつ、吉田に言う。
「あのペンケースさ、最後はどうやってまとめるつもりなんだ?」
 吉田の製作予定であるペン立ては、高さがまちまちの細身のペン立てを集合させたような形だ。ちょっと作る手間が増えるが、技術的には難しく無いからと選んだのである。
「んー、ボンドとかにしようと思ってるけど」
 ただくっつけるだけと吉田の中では展開されている。それを受けて、佐藤はふむ、と少し考えた素振りで言った。
「吉田が良かったらで良いんだけど、単にくっ付けてしまうんじゃなくて磁石でくっ付けたらどうかなって」
 そうしたら、テーブルに合わせてペン立ての形を変える事が出来るし、他の所にくっ付ける事も出来る。佐藤の説明を聞いて、吉田はおお!と目を輝かせた。
「そっか、なるほど! それ良いな~!」
 吉田が惜しみなく賛同すると、佐藤は自分の意見が受け入れられて、嬉しいと同時に安堵を感じているような顔を浮かべている。対面で座っている為、吉田は真正面からそんな柔らかい微笑を受けてしまった。誤魔化す様に、がぶりとホットドックを口にする。
「ああ、口に端に着いた」
「じ、自分で取れる!」
 すかさず手を伸ばす佐藤から逃れるように、吉田は座ったまま身を引いた。それを見た佐藤は、今度は可笑しそうに笑う。吉田を指して、ころころ顔が変わって可愛いという佐藤だが、佐藤にしてもなかなかどうして、感情が豊かである。そうさせたのは勿論吉田であるが。
 手近にあったペーパーナプキンでぐいぐいと口の端を拭う吉田。結局今日もからかわれてしまった。まあ、さっきのアイデアは良かったから、ありがたく頂戴するけども。
(佐藤は写真立て作るんだよな~)
 お返しにと、自分も何か気の利いた事でも言えたら良いのだが、試しに考えを巡らせてみてもぱっとしたのは浮かんでこない。ううん、と思わず唸ってしまう。
「なあ、吉田」
 考え込んでしまった吉田に、佐藤は再度呼びかける。そして、吉田の胸中で見たかのように、こんな事を言い出した。
「吉田のペン立て、出来上がったら俺に頂戴」
「え、……えぇ!?」
「ダメなら良いけど」
 強請った後でちょっと引いてしまう所が、佐藤の心の中で未だ拭いきれない弱さの部分だった。
「だ、ダメっていうか……そんなの貰ってどーすんの?」
「どうって、ペン立てにするんだけど」
 そりゃそうだけどさぁ、と何だか今のやり取りが凄く愚かに思えた。ペン立てを欲しがっているのだから、その使い道何て1つきりだろうけど、ペン立てが欲しいのならその辺りの店で余程良い物が買えるだろうに。
 ぼそぼそと吉田がそう反論すると、何だそんな事、とばかりに佐藤が軽く息を吐く。
「良いって。吉田の作るものだから欲しい」
「だ、だから、そんな立派なもんじゃ無いし、……」
「だったら俺にくれても良い様に作れば良いんじゃないか?」
 にぃ、と今度は意地悪そうな笑みを浮かべて佐藤が言う。吉田が最初にはっきり嫌だと拒まないのを見て、佐藤はすっかり貰う算段で決めてしまったようだ。佐藤は自分でやると決めたら強い。本当に実行してしまうまで止めない。
 ここで下手な物を作ってしまえば、それがそのまま佐藤の部屋に置かれてしまうという事だ。そしてそれは、佐藤に行くたびに揶揄される事を意味する。
 これは何が何でもちゃんと作らないといけないぞ……!ファーストフード店の一角、吉田はそんな決意を新たにする。
 そうして作り上げられたペン立ては、佐藤のアドバイスと軽い脅し(?)の為、平素で作り上げるよりも余程良い物になり、担当の講師から中々の好成績を貰う事が出来た。テストよりも実技の方が重く見られる科目だから、吉田の工作の成績もきっと良い物になるだろう。そこまで見越して佐藤が欲しいなんて無理難題引っ掛けたのかは、佐藤本人のみが知る所だ。
 ちなみに、その代わりとして吉田は佐藤が作った写真立てを貰った。こちらは下手な市販品よりもかなり良い出来である。100円均一で売られている物よりかは絶対に物が良い。
 その写真立てはまだ何も入っていない状態で吉田の部屋に置かれているが、その空の写真立てを見る度、真摯な表情で作業に向かっていた佐藤の表情を、吉田は思い出すのだった。



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