東は混迷を期していた。激しく狼狽しているし、動悸はサンバのリズムでも刻むようにけたたましい。
 ポッキーの箱を手に、東はこれ以上ない緊張を抱いていた。原因はポッキーであるが、理由はそこには留まらない。
(……今日は、ポッキーの日だから……)
 ぐるぐる、ぐるぐるとその台詞が東の脳裏をメリーゴーラウンドのように回り巡る。
 今日、11月11日はポッキーの日である。言うまでも無く菓子会社の戦略であるが、それにかこつけて今日と言う日を楽しむ分には何の罪もない。
 今日はポッキーの日だから、ポッキーゲームをやりたい。誰と?勿論、西田と――
(って無理だ!無理無理無理!!無理に決まってる!!!!!)
 ぶんぶん、と東は激しく首を振った。脳震盪でも起きるのではというくらいの激しさだ。実際多少くらりと眩暈を引き起こしたが、それくらい何でもないと言えば何でもない。
 はあはあ、と動揺の為に荒くなった息をし、東は手に握るポッキーを見つめる。そのチョコレート菓子をそんな血走った目で見つめる者はそう居ないだろう。いても困るだけだ。主に周りが。
 東は西田が好きだ。西田もそれは知っている。けれど、西田が好きなのは、吉田。それを思って、東にじわりと涙が滲む。好きな人が自分以外の誰かを好いているというのは、それだけで訳もなく悲しくなるものだ。あまつさえ、かつては自分に好きだと言ってくれた相手なら尚更。
 けれど、決して忘れてはならないのは、吉田にはすでに付き合っている相手が居るのである。東からしてみれば不思議であるが関係は良好であるらしいし(佐藤:談)この先西田の入り込む隙は絶対にありえない(佐藤:談)。
 そして東は、昨日の内に佐藤からポッキーの箱を手渡された。一瞬きょとんとした東に、佐藤は言った。
 ――いいか、明日はポッキーの日だ。この日に浮かれた恋人達はポッキーゲームをして仲を深めるもんだ。だから逆にしようと強請るっていうのはそういう意図を持って居ると、相手にアピールする事に繋がるんだ。お前が本気でガチの真剣に西田の事が好きなんだってしきりに伝えておかないと、振り返るものも振り返らないぞ。とにかく押せ。押して押して押しまくって、自分と言う存在を否応なしに刻み込むんだ、いっそ夢に出て相手が飛び起きるまでな!!
 かなり佐藤個人の独断と偏見に満ちたアドバイスであるが、その分迫力だけは十分だった。腕に覚えのある東とて気圧される。
 確かに、佐藤に言われた通り、東は気持ちをずっと抱き続けていたがそれを伝える努力をしていたかと言われたら、否定しなければならない。西田と匹敵するくらいに成長してしまい、小さくて可愛いのが好きという相手の好みから外れてしまった時に半分くらい諦め、そして好きな人が出来たという報告を聞いてもう半分も失せた。
 けれど、この前西田と向き合えた時、全くのハプニングであるが西田の頬に触れてしまった。掴んだようなチャンスに、西田も奮起する。そんな東へ、佐藤はアドバイスを授けたのだった。正直佐藤は他人の恋なんてどうでも良いが、他に相手を見つけてくれない限り西田は吉田へのちょっかいを止めないので、東が西田とくっ付くのを手助けするのはやぶさかでは無い。というか全力で歓迎する。
 遊びに誘う手だてに映画のチケットを出し出すベタな西田だ。思いっきりベタベタの方が意思は伝わり易いと踏んでいる。
 ポッキーゲームというものは、体育会系の学校に通っていた東でも知っている。その両端から食べ進めて行き、最後には唇同士が触れるか触れないか、という様を楽しむ遊びである。
 それと、西田と。
 西田、と。
(無理だぁ――――――!!!!!)
 再びその結論を叩き出した東は、ポッキーを手にしたまま頭を抱える。別に東にはポッキーゲームをしろという佐藤からの指令(?)に従ってみせる義理は全く持ってないのだが、変に生真面目な所が災いしている。校舎裏に居た東は背中を校舎に預けてずるずると座り込む。熱くなった頬に11月の風が心地よかった。
 混乱が頂点に来て、逆に冷静になれた東は手にあるポッキーを改めて見つめた。なんて事ない、変哲もないポッキーである。どうせなら、西田とするのなら、アーモンドとかでトッピングしてあった方が……って、そうじゃないか。
 明後日に逸れようとする自分の思考に東は嘆息した。と、その時。
「――東? どうしたんだ、こんな所で?」
「!!!!!!!!!」
 その大きな体躯が飛び上がるくらい、東は驚いた。焦がれ過ぎた幻聴かと一瞬思ったくらいだが、見上げた先には西田が居る。確かに、西田だ。
「しゃがみこんで……具合でも悪いのか?」
「えっ! いやっ! そうじゃないけど……」
 慌てふためきながらも、何とか西田との会話を繋げていると手元から妙な物音がした。手に力が入り、危うくポッキーを握りつぶしそうになった。食べ物を粗末にしてはいけないと、東は力を緩める。
「ポッキー……? 今から食べるのか?」
 何も知らない西田からしてみれば、東は誰も来ないような校舎裏にわざわざ来てポッキーを食べようとしている。全く不可解と言っていいシチュエーションに、西田も怪訝そうに首を傾げた。
「ぅ、え、えっと……!!!」
 不思議そうに見つめる西田に気付いてか気付かないでか、東は手元のポッキーを凝視しながら、必死に言葉を探した。そして。
「い、い、い、……一緒に、食べないか!?!??」
 一度は外した視線を戻し、西田に言い募る。軽く目を見張る西田。
「……………、まあ、いいけど」
 色々と突っ込みたい所が多いのだが、東は何やら一生懸命らしいし、食べるくらいは付き合っても良いと思った。西田が隣に腰を下ろすと、さっきのように飛び上がるくらいでは無いが、東の身体が戦く。
 西田としては、東が持ち出してまで食べようとするほど菓子が好きだとは思って無かったが、まあ、少し離れている間に好みも変わったのかもしれないし。それに案外、女子の前で甘いものを食べる事を気にかけたかもしれないし。
 吉田は甘いものが好きだよなぁ、と西田はふくふくした気持ちで思う。チョコレートが特に好きなのか、口に食んで嬉しそうに目を細めている様なんてとても堪らなかった。吉田も今日はポッキーを食べているのだろうか。何せ今日は、
「そういや、今日ってポッキーの日なんだぜ」
 知ってるか?という軽い気持ちで西田は言ったのだが、東の反応はある意味それを裏切るものだった。
「~~~~~~~~ッッ!!!」
 声も出ない程うろたえ、顔中を真っ赤に染め上げる。急激な顔色の変化にちょっとぎょっとした西田だったが、決して察するのが悪くない西田は東の赤面の理由を知る事となる。
(……あ~~~……)
 おそらく、東は自分とポッキーゲームを強請りたいのだろうな、と西田は軽く頬を掻いて思った。
 繰り返す言うが、西田は愚鈍では無い。表面上は転入生として接していた時でも、東が自分に向ける感情ついては解っていたし、その上で応えられないとも言っている。だって、今自分の意中にあるのは吉田なのだから。叶わない恋ではあるが、だからと言って簡単に割り切れるものでは無い。だからこそ、東の気持ちも良く解った。
 少なくとも現時点では、東がポッキーゲームをしようと言い出せば、西田は首を振るしかない。東は柔い心の持ち主だから、折角奮ったのに傷つくだけになってしまう。
 それは、西田としても頂けない。恋愛対象では無くても、幼稚園からの幼馴染である事は変わらない。だから。
「ポッキー、俺も食べていいか?」
「えっ? あ、ああ……」
 急な申し出だったが、好きな人からの言葉に逆らえずに東は頷いていた。
「よし、じゃあ食べようか」
 やや強引に、東の手からポッキーを奪って西田はぽりぽりと食べて行った。ゲームを強請られる前に不可欠なアイテムを無くしてしまおうという算段である。そんな西田の意図に気付けない東は、急にポッキーを食べ始めた西田に軽く固まってしまっている。
「ほら、お前も食えって」
 ぽかんとと呆けたままの東の口元に、西田はポッキーを運んでやる。半ば反射的に、東はぱくりと加えた。と、顔を赤らめて俯く。自分だけがパクついているのも気が引けたから東にも、と思ったのだが、この行動は裏目に出ただろうか。けれど東はそれ以上西田に何か強請るでも無く、咥えたポッキーをぽりぽりと口の中へと咀嚼していった。何となく、安堵する西田。
 男子高校生2人の手に掛かり、ポッキーは程なくして全部無くなった。
「ごちそうさま」
 東の持ち物であったのだから、西田は礼の気持ちも込めて言った。貰いものだったから、と東は朱色の引かない顔で応える。
「じゃあ、行こうか。もうここ、大分寒くなってる」
 何せ校舎裏なのだから、その環境、主に日当たりは決して良いとは言えない。西田が言うと、東は素直にうん、と言う。
 立ち上がり、思い詰めたように東はじっと西田を見つめた。身体の横に沿えた手が、軽く握り締められている。
 ――昔は、本当に昔は、その手を取って二人で歩いていたのだけど。
 今はこんなにも関係が変わってしまった。この先また変わる事があっても、戻る事はもう無いだろう。東も、それを解っている。
 さっき食べたポッキーのチョコレートが、少し苦く感じる西田だった。



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