ここの高校の中庭は一種のデッドスポットだった。滅多に人が通らない為、かつて吉田が佐藤の本命を聞き出す為に選んだ場所でもあるが、虎之介も山中もそんな事は知らないでここで普通に昼食を取っていた。そう、昼食までは普通だったのだが。
「と~らちん♪」
 食べ終わった後片付けを、山中の分まで虎之介がしていると、隣で寛いでいた山中が何やら呼んできた。応えてやらないと後でうっとうしいからなぁ、と思いつつ山中の方を向けば、思っても無い様子が待ち受けていて虎之介は思わず目を点にさせた。何故かそこには、ポッキーを咥えたまま山中が居る。
「……………」
 そこから食べ進めるでもなさそうな山中を見て、咥えその先端が自分に向けられている事を鑑み、少しだけ考えた虎之介はポッキーをぽきんと折った。幸い、チョコの着いていない持ち手の部分の方が虎之介の方へと向いていたから、手は汚れずに済んだ。
 ぽりぽり、と先の欠けたポッキーを咀嚼する。まあ、普通に美味しい。山中が咥えていたのはイチゴ味だった。普段からあまりこの手の菓子は買わないし、例えば吉田に付きあって買った所で普通にチョコレートなので、イチゴ味なんて凄く久しぶりだった。たまに食べる分には悪く無いな、という虎之介の感想である。
「って、とらちん、違―――――う!!! そうじゃないでしょ!!!!!」
 普通に食べ始めた虎之介に、山中がずびしぃ、と突っ込みを入れる。
「そうじゃないって、ならどうなんだよ」
 何故に菓子を食べて文句を言われないとならないのか。怪訝そうに眉を潜める虎之介に、山中はとても不満そうな表情を浮かべている。
「とらちん、今日が何の日か知らないの?」
 言われ、虎之介はますます眉を潜めた。首も傾げてしまう。何かヒントを貰ったらしいようなのだが、虎之介からしてみれば余計に迷路に彷徨いこんでしまった感だ。
「今日って……11月11日だよな?」
 確認の為に口に出して見るものの、やはり虎之介には心当たりがない。特に、山中に関係する事なんて。
 山中とこんな間柄になってから、まだそんなに月日も経って居ないのだ。そんな2人だけの記念日とかも無い筈である。仮にあったとしてもそんなものはスルーしようと虎之介は決めた。
 虎之介の言った日付に謝りは無い。その辺の認識は山中も違わず、その発言には「そうだよ」と肯定して頷く。
「今日はほら、ポッキーの日じゃん」
 山中にそう言われた虎之介は、へえ、そうだったのか、と軽い感嘆をした。真っ直ぐな線が立ち並ぶ所を見てその日に擬えたんだろうという事は解る。どうりで最近、CMでポッキーポッキー煩かった訳だ、と虎之介はいっそ晴れ晴れとした気分になる。が、ちっとも晴れないのは山中で。
「だからー、しようよ、ポッキーゲーム!!」
「…………………あ?」
「ポッキーゲームだよ。とらちん、知ってるよね?」
 わざわざ確認して貰わなくても知っているに決まっている。常識以前の拙い知識である。けれどそれは、何かの罰ゲームとか悪ノリした時にするものじゃなかっただろうか。そんな風にきょとんとする虎之介をまじまじと見て、山中は不意に満面の笑みを浮かべた。
「そっかぁ~、とらちんてば、まだなんだ♪」
「おいコラ、何勝手な事ぬかしてやがる! やった事あるっつーの!!!」
 ただえさえの強面を一層物騒にし、言い募る虎之介を山中はそうじゃないよ、と軽くあしらう。
「罰ゲームとかそんなんじゃなくてさ~、好きな人とのじゃれいあい? 的な意味でって事v」
 は?と虎之介の眼が再び点になる。引き締まった凛々しい顔も好きだが、こんな風に呆けた顔もいいものだ、と山中は鼻先が付きそうな距離で愛しい人を観賞した。まあ、一番見たいのはベッドの上で乱れた所であるが、それは今後のお楽しみと言う事で。
「……そういう時にするもんなのか?」
「うん、そうだよ」
 力強く頷く山中程、怪しい物は無い。虎之介は疑った。思いっきり疑った。山中は口が上手いから、直情型の自分としては気を付けなければと虎之介は自戒している。とはいえ、雰囲気に流されてしまった事は1度や2度では効かないのだが。
「両端から食べ進めて行ってさ~。触れちゃうかな、どうかな? ってのが楽しいんじゃん」
 さっぱり解らん。
 そんな言葉を背景に、虎之介は生ぬるい目で山中を眺めた。
「――さ、早く教室戻んぞ。 次は移動すっし……のわッ!!!」
 これまでの一連をすっかり無かった事にする虎之介を、そうはさせまいと山中は腕を引いて一度は浮いた腰を長椅子に戻す。
「やだ―――! やろうよ、とらちん!! 折角ポッキーも買ったのに!!!!」
 確かに、珍しく自分で食べ物(ポッキー)を買って取り出したかと思ったら、まさかこんな使い道だったとは。はーあ、と溜息をつく虎之介。体格差云々より、喧嘩の経験の違いによって、山中を振り解くのはとても簡単な事だ。それこそ、赤子の手を捻るよりも容易いだろう。けれどそうしないのは、山中を無碍に出来ない虎之介の気持ちの問題だった。
「……一度だけだからな」
 吉田と井上ら旧友が聞いたらまた甘すぎるだのと怒鳴られるかもしれない。虎之介はそう思ったが、少なくとも吉田から怒られる事は無いだろう。何故ならば、同じ穴の貉だからである。
 呆れたようなつぶやきではあったが、その内容は紛れもなく承諾である。山中はやった!と快哉を上げた。こういう表情は可愛いんだけどな、と虎之介はこっそりと思った。
「じゃ、とらちん♪」
 改めまして、と山中はポッキーを咥えてその切っ先を虎之介へと向ける。じっと待ち構えているその姿は、ある意味餌を待ち焦がれている犬を連想させた。山中と犬を連想させたら犬が失礼かもしれないが。
 やれやれ、ともう一度嘆息して、虎之介は先端をぱくり、と口付た。そのままさく、さく、と食べ進めて行く。
 ――虎之介が山中とキスしたのは、されたのはもはや両手には収まりきれない。ゼロ距離になった山中の顔と感触はすでに知っている。
 けれども。
 こうして、ポッキーの咀嚼を媒介にし、自分の方からも働きかけて山中の顔が近くなるというのは、何だか……何か……
「~~~~~~~ッッ!!!!!」
 堪らくなった虎之介は、そこで顔を振った。まだ長さのあったポッキーが、ポキッと音を立てて折れる。
「ん、とらちんの負け~」
 山中が愉快そうに言うが、その台詞は自分の鼓動音が煩く感じている虎之介に届く事は無かった。
「ほら、もう良いだろ! 行くぞ!!!」
 冬の色を濃く感じる中でも熱いと思う程虎之介は紅潮していた。今さらではあるが、山中の顔は端整だ。それがどんどん迫ってきて、しかも近づいているのは自分の方で(山中の方からも寄っていたが)さすがに堪らくなった虎之介だった。次からは強請られても、殴ってでも拒否しよう。
 全くこんなくだらない事、と羞恥を怒りへと変えながら、教室に戻るべく立ち上がろうとした虎之介を、山中がまだも腕を引いて席に着かせる。
 何なんだよ、と不機嫌さを隠しもしない剣呑な表情で山中を睨む。並大抵な不良ならビビりあがらせる威力を持って居る筈なのだが、何故か山中には効かない。それどろこか、可愛いとさえ言われてしまうくらいだ。
「俺が勝ったんだから、俺の言う事聞いて貰わなくちゃな~」
「……………」
 今日は度々ぽかんとさせられる日だったが、今のが最大級のぽかんである。
「ふ―――ふざけんなッ! ンな事聞いた事ねーぞ!!!!」
「だってとらちん。これってつまりゲームなんだからさ。勝者と敗者が居れば、敗者は勝者に従わないとならない。って事で―――――」
 早速とばかりに、長椅子の上に押し倒す山中。これまでの経験故か、押し倒すのに良いとは言えない長椅子の上でも、器用に虎之介を横たわらした。
 が、虎之介はそれまでの山中が相手にしてきた者達とは何もかもが違った。普通ならば、ここまですれば後はもうそのまま、であるが――
「……いい加減に……しろ――――――――!!!!!」
 がつんと蹴り上げた虎之介の足は、山中というか男性全ての急所へとヒットした。
 危機は脱した。
 それでも虎之介がお人好しなのは、痛みが引くまで山中の傍に付きあってやっていた事と、ポッキーゲームはもうしないでも、手であーん、と山中に残りのポッキーを食べさせていた事だった。



<END>