「え、え、……え、」
 この菓子を前にこんなに狼狽えたのは初めてだ、というくらいに吉田は困惑した。何を言った。目の前のこの綺麗過ぎるほど綺麗な男は何と言った?
「じゃ、ポッキーゲームしようか♪」
 ……聴き間違えじゃなかった、とこれ見よがしに同じ台詞を口にした佐藤を前に、吉田は頭を抱えた。

 ポッキーゲームって何だっただろう。
 そうだ、テーブルの上に簡単な図式や数式を書いて、1本足したり抜いたりして別の式に代えよ、っていう、そんな訳あるか!!!!!!
 口出さなかった脳内展開に吉田は胸中で突っ込みを入れた。その間にも、ポッキーの箱を持った佐藤がにこにこと身構えている。一見普通に座っているだけだが、吉田がいつのタイミングでも、その方向からでも動こうとすれば瞬時にその逃走経路を阻む事が出来るだろう。そんな佐藤は大したものだが、その佐藤が最近逃げるのに手間取っているクラスの女子もまた恐ろしかった。いかん、思考がそれた。ここは、いかにしてこんな馬鹿げたゲームを回避するかのみに頭脳を使わねば!
「ほら、冬限定のやつにしたからさ。吉田、これ好きだろ?」
 佐藤はパッケージを吉田に見せるようにして言った。確かに、佐藤が手にしているのは普段のポッキーよりもちょっとお高い奴だった。定価では買わない吉田だが、佐藤はあっさり買ってしまうのである。格差社会だ、と吉田は思った。
 それにしても一体全体、どこの誰がこんな傍迷惑なゲームを思いついたものなんだか。棒状の菓子を両端から食べて行くだなんて普通に暮らしていたら起こらない発想に違いないとさえ吉田は思う。今だからこそ思う。
 しかもゲームと銘打ったものの、佐藤相手に関しては遊びでは無くガチである。気構えからして違う。だからこそ吉田は素直に応じきれない。対面に座り、まるで貰いたての猫のように警戒を解かない吉田を前に、佐藤もちょっと考えた。
「うーん、部屋に誘って着いて来てくれたもんだから、てっきり吉田もそのつもりかと思ったのに」
「そんな訳あるか! っていうかどんなつもりなんだよ!!」
「だって、この日とくればポッキーゲームするだろ?」
 あたかもそれが常識だと言わんばかりの物言いに、吉田はどう反論していいものか迷ってしまう。別に自分だって間違っちゃいないのに!
 う~、と軽く唸った後、吉田は佐藤にぽそっと零す様に言う。
「……楽しいか? そんなんして」
「楽しい」
 速答と呼ぶに相応しいレスポンスだった。うう、とさっきよりも吉田の呻きが重くなる。
「……佐藤ってさ……」
 徐々に熱くなる頬を持て余しつつ、吉田は言う。
「そういうベタな事って、好きだよなぁ~……」
 半ばしみじみと呟く吉田に、佐藤はむしろ可笑しそうに返す。
「うん、好きだよ。大好き」
 その”好き”は自分に向けられたものでは無いとは言え、その言葉の響き事態に吉田の胸はドキっと跳ねる。その2文字を言えてしまう佐藤を憎たらしく思うと同時に、言えない自分に不甲斐なさを感じてやまない。
「ベタな事を強請って吉田が困ったような所を見るのがとても楽しい」
「……おーい、」
「勿論、純粋に楽しいからしたいんだけどさ」
 脱力して半目で突っ込む吉田に、佐藤は人懐こそうな笑みを向ける。こんな優しげな顔が出来る事に、驚く事に佐藤本人は気付いていないみたいだ。女子の前でも見せないのだから、吉田だけが知っている、という事になるのだろうか。そう思うと、背中の方がむず痒くなる。
「これでも一応考えてやってるんだぞ? 本当は学校でしたかったんだけど、吉田絶対嫌がるだろうし」
「当たり前だろ! 嫌だ! ヤだ! 絶対ヤダ!!!!!」
「だからしてないじゃん」
 そこだけは譲る事の出来ない吉田は猛然と叫んだ。人前でしたくないのはバレるバレない以前に恥ずかしいからだ。それだというのに、佐藤は人前でキスがしたいとか言うし。単純な揶揄だったら良いのだけど、どうも本気の色が潜んでいるようで、吉田は穏やかではいられない。そんな事をしても悲劇と惨劇しか生まれないというのに、やる気を見せる佐藤が理解出来ない。仮に理解出来たとしてもやっぱり絶対したくはないけども。
 大体そういうのは二人きりでするものだ、という持論を展開した所で吉田は真っ赤になった。TPOが問題なだけで、相手が佐藤である事に関しては全く構わないと、自分で自分に突きつけられた感から。
 そりゃ、自分にとって佐藤は好きな人であり、付き合っていて、つまりは恋人だ。それくらいの認識、吉田にだってちゃんとある。佐藤が自分を恋人として強請る事ならば、勿論応えてあげたい。
 好きになってから知ったのではない。知った上で好きになったのだ。
 自分が好きな相手は、ドSで意地悪で子供っぽくて、ベタな事を強請る傍迷惑な人。
 でも、そんな所が可愛い。
 はあ、と一つ息を吐く。佐藤にはそれが承諾の意味だと受け取った。
「……一本だけだぞ」
「うーん、仕方ないな」
 そう言うが、佐藤の顔は緩みっぱなしだ。とはいえ、端整なのは変わらずだが。
 基本的にお人好しの吉田は、押せばまかり通るのはこれまでの経験ですでに試された事だ。それにこうして自室に招いて2人きりだと、かなりラインが甘くなる。
 これが自分だけだったら良いんだけどなぁ、と短所と紙一重の吉田の長所は佐藤にとっても悩み所でもあった。
 まあ、それはともかく、吉田の気の変わらない内に、とテーブルに置いた箱からポッキーを抜き取ろうとしたのだが。
 それより先に。
「ふぉい、」
 ほい、だったのかはい、だったのか。やれよ、という意味合いには違いないがその正確な発音は不明である。
 何せ吉田は、ポッキーを咥えたままで。
「……………」
「ん~?」
 動こうとしない佐藤に、吉田は咥えたまま怪訝そうに眉を潜め、首を傾げる。
 ポッキーを取ろうとしたままの手で、佐藤はちょっと固まった。まさか吉田の方が待ち構える側になってくれるとは。
 さっきまではあんなに警戒していたくせに、と佐藤は何やら不安にもなって来た。本当に、くれぐれも自分の前でだけで披露して貰いたいものだが。こんな無防備な真似。
 佐藤を待っている為、少し上向いていた顔をちょっと下げ、吉田はむしゃむしゃとポッキーを食べ始めた。いかん、さすがに待たせすぎたか。
 ポッキーの3分の1くらいを越えた所で、佐藤は吉田の顔に手を添え、再び上向くように動かした。力加減よりもいきなりだった事に吉田は目を驚きで瞬かせた。
「いただきます」
 ポッキーの長さ分、近寄れない距離。けれど、顔と顔を付き合わせた姿勢でまともに目を合わせた吉田は真っ赤になった。
 一句一句を丁寧に言って、佐藤ははくり、とポッキーの先を咥える。さくさくさく、とゆっくり食べ進めて行く。その間、吉田はまるで石化したように動かなかった。吉田の方からも食べ進めてくれないと困るんだけどな、なんて苦笑しながら佐藤は吉田の前髪を感じられるくらいに近づいた。そして。
 ちゅ、と、軽くであるが、触れた事はしっかりと伝わるように唇を触れた。軽く、吉田の身体が強張る。おそらく食べていた佐藤のが移ったのだろう、吉田の唇に僅かばかりココアの粉がついているのを見つけ、悪戯心を発揮した佐藤はぺろり、と舌先でそれを拭った。堪らず吉田が「うぎゃっっ!!」と声を上げる。
 他の者ならムードが無い、と突っ込むか怒るかする所だろうけども。
「ははは、面白い顔~♪」
 好きな人の慌てふためく所を見るのが好き、という佐藤には堪らない御馳走だった。そんな佐藤から逃れようと、吉田も必死になるのだが、いかんせん顔をがっしり掴まれたままでは難しい。というより、暴れた分だけ自分のダメージになってしまって阻まれる。
「もー、何だよ! 放せよ!! やっただろ!?」
「うん、だから俺の番」
「………はっ??」
 しれっと告げられた台詞の意味をちゃんと把握するより早く、素早くポッキーを咥えた佐藤が目の前に迫っていた。ポッキーを取る為に一度は顔の拘束は外された筈なのだが、気づけば再びがっしりと顔は両手で掴まれている。逃げられない!!!!
 吉田はさっき一回だけ、と言った。それは即ち、吉田から1回、佐藤から1回という……意味では無い!断じて!決して!!!!
「わ―――! バカバカバカ!! もうやだ! しない! 止めろって――――!!!」
「食べないと放してあげない~♪」
「そんなっ! って、ポッキー咥えたまま器用に喋るな!?」
 自分とは違って明瞭な発音の佐藤に、思わずそう突っ込んだ吉田だった。


 とりあえず本懐を果たした佐藤は、残りのポッキーを気前よく吉田に譲ってやった。騙されたと言ってしばらくはプンスカと怒っていた吉田だが、ポッキーを食べて徐々に御機嫌そうな顔つきに変わっている。簡単だなぁ、といっそほれぼれする佐藤である。
 そうして、目の前の吉田で和むと同時に、さて来年はどんな手で迫ろうかと、今から余念も欠かさない佐藤であった。




<END>