吉田は良く、山中みたいなクズと付き合っている虎之介を指し、やれ甘いやらお人好しやら、そんな事を言っているが、佐藤からしてみれば吉田も同類だと言える。その最たる例のような事例に、今、直面していた。
「ご、ごめん………」
「………………」
「で、でも、ほっとけなくて」
 吉田がいかにも申し訳なく言う。その原因と言うか理由は、少し後ろから着いてくる東である。佐藤からしてみれば、全くの招かれざる客であった。というか邪魔以外の何者でも無い。
 普段は部屋で過ごす2人だが、この時はたまにはと、外に出掛ける事を選んだ。これなら、自宅まで迎えに行けば良かったと佐藤が悔やんでももう遅い。駅で待ち合わせをした所、吉田の後ろにはその図体に似つかわしく無い、覇気の欠ける表情の東が居た。察しの良い佐藤は、それだけでここに至るまでの経緯で何があったか、大体を把握出来た。実際、東に届かない小声で吉田が説明してくれた分と大筋は合っていた。
 駅に向かう最中、駅前の繁華街を歩く西田と東に吉田は遭遇した。幸いなのは、向こうに気付かれなかった事である。その様子から、自分と同じく駅に向かう訳ではないと判断した吉田は、距離が取れるまで後ろでこっそりと様子を伺っていた。
 そして、見てしまったのである。いつものように、正義イヤーで感知した声の元へと駆け出してしまう西田を。そして、取り残されてしまった東を。
 大きな体躯が、なまじ余計に侘しく見えた。生憎吉田は、西田のように駆け付ける程ではないが、目の前で起きた事をほっとけるような非情では無かった。
 ああして人助けに走ってしまった西田が中々戻らない事は、吉田も知っている。なので、東の元へとためらいなく足を運んだのであった。
 そして、2人一緒で佐藤の前へと現れた、という訳だ。
「……………」
 自分の前に現れた所で話が終わっても、佐藤の表情は変わらない。傍目見れば、佐藤は微かに眉を潜ませているだけだが、吉田にはそれがかなりの激昂なのだと感じた。
「ご、ごめん、」
 周囲や東に届かないよう、小さな声ではあるが、本当は声を大きくして謝りたい。
 吉田の謝罪に、佐藤は目を向けた。
「せ、折角出掛けるっていうのに、東連れて来て……でもあいつ、水族館好きそうだったから、」
 吉田だって、何も無理に東を引っ張ってきた訳では無い。その体格差を思えば、無理やりになんて出来る筈も無いのだが。
 一応声を掛けた目的として、誘ってはみるが東が芳しい顔を見せなければ、吉田もそれ以上は踏み込まなかった。けれど、東は水族館という言葉を聞いた時、確かに興味を引いたような顔を吉田に見せたのだ。そうして、もう2,3度誘ってみれば、東は頷いたのである。
「だから……う~、一言相談できれば良かったんだけど……」
「本当だよ」
 ほとほと困り果てたような吉田の声に、佐藤の台詞が被さる。知らず俯いていた吉田は、視線を上げて佐藤の顔を見る。そこには、多少は拗ねてはいるものの、不機嫌さや怒気は孕んでいない佐藤の様子だった。
「ちゃんと事情があれば怒らないんだからさ。ただ、いきなり何の前降りも無く東も一緒で、そこはさすがに俺も驚いたよ」
 とびきりの笑顔で出迎えようと思った所、一瞬で引っ込んだものだ。
 佐藤の台詞は、結局勝手な判断で動いた吉田を寛容するようなものだった。今日一日どころか、この後しばらく延々と責められるのも覚悟していた吉田には、呆気ないというか、拍子抜けなくらいだ。安心しすぎて呆けた顔の吉田に、佐藤は含み笑いのような笑みを零す。
「まー、穴埋めは当然して貰うけどな♪」
「えっ、ちょ……あんまり羽目を外し過ぎるなよ?」
 今回は自分に非があると吉田も自負している為、あまり強くは出れない顔を強張らせて、それだけ言うのに精いっぱいだ。
 吉田にしても佐藤にしても、そして東にしてもちょっと波乱の幕開けにて休日は始まった。


 吉田は別に佐藤とのデートを軽んじている訳では無い。けれど、部屋で過ごしている時の方がより2人の時間と思える。そこさえ守られたらという感覚で、それは佐藤にも似た部分があり、だから今日も東が着いて来た事に、早々目くじらを立てる事は無い。勿論、吉田と二人きりの方が100倍以上も良かったんだけども。
 ともあれ、3人は水族館に到着した。佐藤と吉田はこれまで何度か来た事があるのだが、東は初めてだったようだ。
「中学は受験勉強に勤しんでたからな」
 その理由を、東はぽつりと語った。西田の引っ越しの為、該当区域から外れて東と一緒の中学にはならなかった。だからこそ、高校で一緒に通えるようにと奮起しだ東だったが、受験当日の西田の不測の事態(?)により、その夢は雪よりも淡く散ってしまったのだった。
 そういった軌跡を、不本意な形ではあるが吉田も聞いて知っている。東には彼が来た初日から散々な目にあったが、今一恨む気にはならないのがこの不遇さであった。どこまでも一途なのに、それが実らないというか。それに同じく西田から迷惑を被った仲間意識みたいなものもあるかもしれない。
「イルカショーまであと30分くらいあるけど……吉田、どうする?」
 早速館内に入り、素早く公演時間をチェックして、佐藤が吉田に呼びかける。
 吉田は少し首を傾け、言った。
「前の方で見たいから、もう行って席取っておこう」
 吉田の意見に、佐藤は快諾して頷く。その時浮かべていた佐藤の笑みに、少しくすぐったい気持ちのなりながら、吉田は反対を振り返った。
「東もそれで良い? あ、まあ他を見たいなら……」
「いや、俺も見に行く」
 何となく、あの場で放置しておくのは忍びなく、つい連れて来てしまったが、行動まで一緒にする必要はない。けれど、東は案外乗り気で吉田の提案に乗っていた。いやむしろ、すでに吉田と同じ意見を持って居たのかもしれない。吉田が東の元へと赴いた当初は、西田に置いて行かれた寂寞感と悲壮感しかなかったが、今は心なしか目に光が灯っている。
 吉田の知る誰より、それこそ佐藤より立派な体躯の持ち主で、その先入観でただ見て回るだけの水族館なんてつまらないのかも、と心配にも思ったが、この分だとそれは杞憂に終わりそうだ。そして、イルカショーをむしろ楽しみにしているような東の様子に、意外な一面を見つける。
 吉田の中で東に向ける印象はあまり良くは無いのだが、それを抜きにして東という人間を判断するにはむしろ好感が持てるとも思っている。何せ西田とのゴタゴタがあった後日、佐藤にきちんと礼を言いに来たのだから。体育会系という所は、もと空手少年であった吉田にはプラスに働く。
 別に皆で和気藹々……とまではいかなくても、西田関連で東から恨まれないようにしたいなぁ、とは切に思う吉田なのだ。ずっと一途に想っていた東に、西田も思う所が出来たような節はあるが、吉田を好きだという気持ちも健在なのだ。スイッチを切り替えるようにいきなり変わる物でも無いし、むしろ変わった方が余程問題だ。出来ればこのまま、西田が東の方に気持ちが傾いてくれたのなら丸く収まるような気がするのだが。そういえば、今頃西田も何をしているんだか。
 そうこう思い悩んでいる間に、イルカショーの開催される会場に着いた。球戯場のようなすり鉢状の座席の、なるべく前の方を吉田は選びたい。近い方が良いが、あまり近いと全体を見渡せなくなるからその見極めは大事だ。
 この辺、と吉田は当たりを決めて腰を下ろす。そのまま、歩いていた順に佐藤、吉田、東の順となった。背の高い2人の間に挟まれ、吉田の胸中は割と複雑である。座っても尚、2人の方が高い。座高が高いのではなく、全体的に吉田より大きいのである。
 いやでも、この2人が大きすぎるだけ!俺はそんなに小さくは無い!と必死に自分に言い聞かせる吉田だった。
 30分前に3人が来た時点では、空席の方が目立っていた――どころか、ほぼ空席であったが、10分前くらいになると人が集まって来た。ついには、一番後ろの座席まで埋まる。
「もうすぐだな~」
 どちらに言うでも無く、吉田が言う。待つ間の30分、東ともちらほらと話をした。その内容は、主に東が前に通っていた学校の事だ。こうした転校が無ければ、一か所しか通えない高校である。余所の学校の興味は断然あった。
 西田が居ないからか、東は吉田に結構普通に受け答えしてくれた。愛想は無いが、突き放すような返事もしない。体育会系の学校で、東も何か運動部みたいな所に所属していたのかと、そこを聞こうとする前にショーの開始を予告する音楽が鳴り響いた。わぁっと会場から波紋のような歓声が上がる。
 ふと辺りを見れば、子供……というか、子供連れが多い。家族旅行と言った所か。勿論、吉田達のような、若いグル―プもちらほらと見かける。
 最後に派手な音を立て、音楽が鳴りやんだ。それに入れ替わる用に、女性のドルフィントレーナーが現れた。子供向け番組もかくやと思われるハキハキとした明瞭な声でショーを進行していく。
 ホイッスルと手ぶりに合わせ、イルカが大水槽を泳ぎ、頭上高いボールを突き飛ばしたり、フラフープを潜ったりしてみせる。その度に大きな拍手と歓声が上がるのだが、そこには吉田のもしっかりと組み込まれている。わー、うわー!と身を乗り出さんばかりに声を上げる吉田の方が、佐藤にはイルカより余程見応えがあって可愛いものだった。
 30分くらいのショーの終わり、初めからマイクを握る進行係の女性が言う。
『それではこの中で、イルカさんと握手したい人は居るかなー?』
 イルカと握手というイベントに吉田の中でやってみたいな、という声が上がる。けれど、きっと子供の参加者が多いだろう中、これでも高校生である自分が手を上げるのも恥ずかしい……
 吉田のみならず、その子供達も手を上げるのを恥ずかしがっているような素振りだった。誰も挙手しない光景に、トレーナーは手を翳して大降りに探す仕草をしてみせている。
『――じゃあそこの、青いパーカーの人!』
 やっといたという喜びの滲む声、指で突きつけるのは失礼にあたるからか、手を差し伸べるようにして該当者を指していた。それは、丁度吉田の座っている席に向かっていた。っていうか、吉田の事だった。吉田は手を上げていた。
「…………。っはぁ―――――――――!!?!?!?」
 気付けば、吉田は大声で喚いた東がそれに迷惑そうに顔をしかめるが、この際そんな事はどうでも良い。
 挙げられている手は吉田の意思によるものではなかった。隣に座る吉田が、何やらすごく良い笑みを浮かべて吉田の手を上げさせていた。
 気付かなかった吉田もどうかと思うが、あまりに堂々としていたからか、吉田も何をされているかの認識が遅れてしまった。
「ちょっ、ちょちょちょ、お前、何!!」
「いや、吉田行きたさそうな感じだったし」
 そうだけど、そこは否定しないけど何故に本人の承諾をしないで勝手に挙手させるか!
 そう怒鳴ろうと思った吉田だが、そもそも相手の確認を取らずに勝手な事をしたという点では東を連れて来た自分と同等である。吉田は言ってやりたい気持ちをぐっと堪えた。ここで言い返したら東を連れて来た判断が間違っていると認めるような気がしたからだ。いや、別にこれで正しいともあまり思って無いが、それ以上に間違いだったと思いたくも無いのである。
「ほらほら、早く行った行った♪」
 こんにゃろう、と楽しげな佐藤をせめて睨む。吉田が(本人の意思ではないのだが)挙手した事で、周りの膠着状態も解けたのか、募集人員以上の手が上がったようだ。けれど、一番早くに手を上げた吉田はその争奪戦から除外される。別に誰かに権利を譲渡しても良いのだが、もうステージ上にまで上がるとおいそれと譲る気も薄まって来た。
(うわー……)
 吉田は胸中で感激したような声を上げた。水族館はここに限らず、それこそ周りの家族連れのように小さい頃は父親と母親と行ったものだが、その時だってこんな水槽の間際に来たことは無かった。何やら遠い昔、良く似た場面で母親が「だったら手を上げなさいよ」とか言われた記憶もあるが、それ以上に続いていない所を見ると、結局自分は手を上げなかったようである。
 客席からステージ上が見えるように、ステージ上から客席も見える。さっきまで自分の座っていた場所に視線を巡らすと、途端に佐藤と目が合った。佐藤は悪戯が成功したような、吉田の望みを叶えてやったような、とにかく満足そうな顔で居た。何やら、毒気が抜ける。
 そして東を見れば、何故か軽く睨まれていた。なんでこの場面で!?と吉田は少し狼狽える。少なくとも、西田が関連する事は無いだろが、けれどそうでなければ睨まれる謂れも無い。まさか東もイルカと握手がしたかったんだろうか。いやまさか、とその考えを打ち払う。
 そうして、イルカとの握手の瞬間がやってきた。ショーの最中はさほどでもなかったは、間近で見るとイルカもかなり大きい。少し畏縮はしたが、ここまで来たのだしと腹を括って吉田は指示の通りに手を伸ばした。すると、イルカが立ち泳ぎの要領で体を起こし、手に該当させた大きなひれを吉田に向ける。それをおっかなびっくり掴んでみる吉田。
 他、同じく檀上に上がっていた子供達も握手を済ませていく。全員が終わった後、何やら観客から拍手を貰ってしまい、吉田は気恥ずかしさで顔を赤らめながら座席に戻る。どうでも良いが、主に小学高学年が集まった中で、吉田もそれと同じくらいの子供だと思われているような節がトレーナーの口調から度々取れた。まあ、説明するのもなんだし、とそのままにしておいたが、プライドはいささか傷ついた。確かに、吉田の成長は小学高学年で止まっているようなものだけども。
 けれども、イルカと握手したなんて滅多に無い体験だった。その点については、文句は無い。あくまでその点については、だ。
「吉田、どうだった?」
 いけしゃあしゃあと聞いてくる佐藤である。無視はしない吉田は、ふん、と一回鼻息を荒くした。
「結構割としっかりしてた」
 そして当然ながら水にぬれていて、その分は冷たかった。初めての感触と言えよう。
 佐藤に説明している時、何やら後ろ頭に視線を感じる。佐藤に顔を向けている状態で、後ろに位置しているのは逆隣に座る東である。何だろう、と振り返ると、東はまるで熱心に聞き耳を立てていた姿勢から慌てて目を逸らす。何なんだ?と訝しむ吉田に、さっきちらりと浮かんだ、東もイルカと握手したかったのではないかという考えが再び過ぎったのだった。


 ショーを見終わった後は館内を自由に見て回る。ある程度は順路は決められているが、その場その場で目に入って興味を引くものの所へと赴いた。水族館というくらいで、海水魚だけではなく淡水魚の水槽もある。各種のメダカが入っている水槽を見た時、吉田は妙に懐かしい気持ちになった。小学の頃、後ろのロッカーの上に同じくメダカを飼っていた水槽があったのを思い出す。
 そしてこの施設の目玉の1つであろう、水中トンネルを潜った。まさに、水中を歩いているような心地に捕われる。空のように青い水を頭上に、大きな魚類が過ぎるとまるで雲のように床に影を落として行った。吉田が上を見上げていると、同じように上に視線を上げている佐藤がぽつりと零す。
「エイって、下から見ると人間の顔みたいだな」
「……止めろよ、そういう事言うの」
「あれ、怖かった?」
 ごめんごめん、とは言ってくれるが、その言葉とは裏腹に楽しそうな佐藤だった。
 別にそれくらいは怖くない。怖くないけど……気になるじゃないか!心霊写真みたいで!!
 折角楽しんでいるんだから、詰まらない水を差すなと佐藤を軽く小突いたり、そんな佐藤が髪をくしゃりと撫でたり。いつものやり取りの中、吉田は勿論東の事も忘れてはいない。
 海洋類以外にも施設そのものも見せようと、水をろ過する装置の一部がガラスで見られる。けれど表立った展示では無いからか、通路のかなり奥まった場所にそこはあった。そこに、吉田と東は並んで立っている。正確には、トイレに行った佐藤を待っている訳だが。
 何を話せば良いのかな、と吉田が若干気まずさを覚えていると、東の方から声を掛けて来た。
「……休みの日は、いつもこんな風に二人で出かけているのか?」
 ろ過装置の動く音が始終響いているが、会話には支障を来たさないレベルである。
「あ、いや、たまには出掛ける時もあるけど、大体は部屋でごろごろしてるかな」
 そうか、と東は声を返す。
「じゃあ、着いて来て悪かったな。久々の外出だったんだろう?」
 まさか東に謝られるとは、と吉田は一瞬変な声が出そうになった。とは言え東も、恋に狂っている節はあるがそうでなければ比較的常識人だ。女子の素行を見て訝しむくらいには。
「そ、そこまでじゃないし、そうだったら俺も誘って無いって!」
 まあ、佐藤の機嫌は多少は悪くはなるが。
 そうか、と返す東の声には力があまり無い。
「……お前らが付きあってるって、そんな感じはしてたけどどこか半信半疑な部分もあって、」
 何やら東は唐突に語りだした。しかも、多分吉田にとって割と失礼な事を。
 なんだいきなり、と色んな面で思った吉田だが、とりあえず話が終わるのを待つ。
「でも、改めて校内とか、ここでの様子を見て、やっぱり付き合ってるんだなって。お互い、凄く大事に思いやってるのが見てて解る」
 今度は打って変わって肯定的な意見になった。またも何だいきなりと思った吉田だが、照れ臭いやらちょっと嬉しいやらで顔を赤らめて頭を掻く。
 そして東は、一言羨ましい、と零した。
「西田の中で俺はあまり上位じゃないからな……今日だって、すぐにどこかへ行ってしまった」
 思い出してしまったか、東の顔は物憂げだ。そうしたのが西田なら、それを晴らしてやるのも西田しか出来ないのだろう。
 でも、ちょっとくらい上向かせるくらいなら、自分にも出来る筈だと、東と向き直った。
「うん、まぁ……確かに、西田が最優先しちゃうのは東じゃないかもしれないけど……」
「……………」
 吉田が西田の名を口にした事で、ちょっと険のある視線を感じたが、ここはスルーしておく。
「でも、東が居なくなって西田が平気で居られるとは、それは思わないんだけど」
 聞けば2人の居住地は近く、高校こそ別であったが会えない距離でも無いらしい。西田も、あるいはそこで安心しているというか、甘えている部分もあるのではないだろうか。これが例えば、おいそれとは会えない遠距離――それこそ、東が海外へと行ってしまったのなら。
 その時、西田はきっと狼狽するのではないか、と吉田は思うのだ。
 実際にそんな辛い思いをする前に、自発的に自覚出来たら何よりなのだが、ここはもう2人の、というか西田の問題である。
 東は、吉田の台詞に少しだけ目を揺らし――向き合っていた顔を前に向けてろ過装置を見つめる。その時、微かに口がありがとうと言ったような気がしたが、あまりに微か過ぎてろ過装置の稼働音に消えてしまったか、吉田の耳にははっきり届かない。
 けれど、東の横顔はさっきよりも大分穏やかなものになっていた。それを見て、吉田もふっと口元を緩めた。


 ここの水族館には土産屋、ミュージアムショップは2つある。館の外と中にそれぞれ1つ。
 置いてある品揃えは大体同じらしいが、外で欲しい物が見つからなかった時を思えば、館内のショップで買っておくのが良いだろう。
 何買って行こうかな、と棚を流し見していると、佐藤が声を掛ける。
「なあ、これ良いんじゃないか」
 わくわくしたような素振りで手にしているのは、ぬいぐるみである。普通のとは違い、2匹のペンギンが抱擁をしたような形になっている。しかも、この2匹はそれぞれ分離する事が出来る。手にマグネットが仕込まれていて、抱き合った形は簡単には崩れたりはしない。
「これ買って、1匹づつ分けよう」
 佐藤がこういうベタベタな事をしたがるのは、困惑する自分を見たいのか、あるいは本当に佐藤の趣味なのかがいまいち定まらない。
「え~でも……」
「ダメか?」
 乗り気ではなさそうな吉田に、佐藤は尋ねる。
「ダメっていうか、離ればなれにさせたら可哀想じゃん」
 別に何かを狙ったでもなく、吉田は思ったままを口にしたのだが、佐藤はまるで意表をつかれたようにきょとんとした。それに吉田が訝しんでみれば、ぬいぐるみを手にしたまま、小さく吹き出す。
「な、なんだよ!」
 明らかに自分が笑われたと思った吉田は、佐藤に噛み付く。
「いや、別に。そうだな、うん、可哀想だ」
 吉田に睨まれながらも、尚も可笑しそうな佐藤は、ぬいぐるみを元のあった棚に戻した。しかしぬいぐるみも、1つ2つなら可愛いのだが、こうして売る程に大量にあると少し圧巻である。
 自分達がこの日水族館に行くのを、秋本は知っている。隠すべき相手には隠すが(主に女子)それ以外には取り立てて内密にする義理も無い。そこで秋本から……というか、洋子ちゃんへと、ゴマアザラシのぬいぐるみを買うように頼まれたのである。一般的ではない動物だから、こういった場所で購入するのが確実だ。
 探す最中、吉田は面白い物を見つけた。テンガロンハットであるが、頭部がシャチになっているのである。
「なー、佐藤!これ面白いよ」
 近くに居た佐藤に声をかけ、テンガロンハットを掲げて見せる。佐藤も関心を持ったか、さっきとは違う意味で面白そうな顔をして吉田に近づいた。
「これ、とらちんに買って行こうかな」
 値段も手ごろなのを確認し、吉田がにこにこしながら言う。こういうちょっと馬鹿っぽいアイテムは友達に受け狙いで贈りたいものだ。
 このテンガロンハットは他にも種類があり、シャチの外にサメとイルカがある。
「サメが良いんじゃないか、高橋にあげるなら」
「……もしかして、一番物騒なの選んでない?」
「そりゃまぁ、合わせるなら」
 飄々と言う佐藤だった。とらちんはそんなに怖くないやい!と思ったが、すでにサメでイメージが固まってしまい、それを手による吉田。それを、後ろから見ていた佐藤が気付かれないように密かに笑った。
 と、そういえば東はどうしているだろうか。吉田がレジに向かう背中を見てから、佐藤が軽く周囲を見渡す。すると、自分達が去ったぬいぐるみのある棚で、微動だしていない東の姿を見つける。それは動いていないというより、熱心に見つめているといった感じである。玩具を見る子供のように、はたまた甘い物を見る吉田の目のようにキラキラとしている。
 佐藤は軽く迷ったが、未消化のままで済ますには後で悶々とするだろうと東に声を掛ける。
「……買うのか?」
 まさか見られているとは思わなかったのか、佐藤の声に飛び跳ねる程に反応する東。
「ま、ま、まさか!!」
「そうか……?」
「大体……俺が買っても、似合わないだろう……」
「…………」
 まるで諦めたかのように、意気消沈と言う東であるが、それはつまり本当は欲しいのでは、と佐藤の疑いを確立するに十分だった。
 いかつい体格の東は、可愛い物が好き、か。
 佐藤は比較的東には好意的であるが、それはあくまで東が西田に意中だからである。東と西田が上手くいけば、というか東がしっかり西田の手綱を握ってくれれば、佐藤にとってこの上ない。しかし、その役割を外れた時、佐藤から東への印象はどうなるか。
 いつ役に立つも知れないカードであるが、とりあえずは取っておこうと思った佐藤であった。


 最初に会った時より、幾分表情を軽くした東は、帰り際「邪魔したな」と軽く言った。それに吉田は羞恥し、佐藤はちょっと浮かれた。誰に認められなくても、お互いが想い合っていれば良いとも思うが、周りからの祝福が要らない訳でも無い。歓迎までにはいかなくとも、頭ごなしに否定せずに受け入れてくれたら。
 現実はそれに近いような、外しているような……まあ、今すぐ別れろという過激な声は無いから、よしとしよう。吉田はまとめた。
 それと、と吉田は佐藤を見上げる。
「あのさ……ありがとな」
「うん?」
「東と、二人にさせてくれたろ?」
 とりあえず連れて来たは良いが、それだけでは東も気を持ち直さないだろう。何かして話しをしたい思ったが、タイミングを掴みあぐねていた時、佐藤が不意にトイレに行くと言ったのだ。そして、あまり人目のつかない所で東と落ち着いて話が出来た。
「まあ、吉田の人の良さは今さらだしな」
 だから協力するのも今さらだと佐藤は嘯く。素直に礼を言っているのだから、素直に受け取れば良いのに。でもそんな所がちょっと可愛かったりするのだ。そう思って頬を緩めていると、佐藤からじろりと睨まれる。普段なら竦みあがるけども、こういう時は不思議と平気だった。佐藤の耳が赤いからかもしれない。
 それに、と苦し紛れにか、佐藤は続ける。
「人の事構っているより、俺達の事の方を考えて貰いたいんだけど」
 確かに一理あるな、と洋子宛てのぬいぐるみの入った包装紙を抱えて思う。虎之介にあげるテンガロンハットは、佐藤がひとまず代わりに持って居る。
 以前、山中と虎之介から、ほぼ当時に相談を持ちかけられた時、話には応じたけどその後で人の相談になんて乗っている場合では無いと思ったものだ。
 けど、今は。
 何だかんだで、自分達の事が公然となり、隠しておかなければという重圧から解放され、何だか余裕があるように思う。少なくとも、東を気にするくらいには。
 自分が佐藤を好きで、佐藤が自分を好きだという事実を知っている。何も変わらないような日常だが、そこが大きく違い、何より大事な所だ。
「折角吉田と付き合ってるって言った後なのに、相変わらず勉強会とかの誘い来るし」
 まさかこうなるとは思って無かったのか、佐藤はさも不服そうだ。まあ、並大抵な事では行かないのは、以前にすでに証明された事だ。佐藤に可愛い彼女が居ると知っても、へこたれなかった彼女達である。その対象が吉田に代わった所で、その気概は変わる事は無かった。
 変わらず佐藤に声を掛ける女子達だが、佐藤がちゃんと吉田と居たいからという自分の理由で断るのは、大きな変化だ。大きな声では言わないが、吉田は女子に断りの返事を述べている佐藤を見て、嬉しく思う。
 だから、声を掛けるくらいならこのままでもよいかも。そう思った吉田の胸中を見越したのか、佐藤が言う。
「こうなったらもう、結婚式でもあげたいくらいだなー」
「え、ちょ……それ、冗談!?冗談だよな!?」
 午前中に出掛けたが、今は影も長く伸びている。長い奇跡の先で重なるくらいの近い距離で、またとんでもない事を言い出した佐藤に、吉田は再三に渡って冗談かを確認するが、佐藤と言えばそんな反応を楽しむばかりだった。
 こんな自分達も相変わらずだ、と言い合いの中、どちらともなく思った。



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