「スカイツリーか~」
 と、吉田が呟いたのは、単に目の前のテレビで放送されていた為に過ぎない。
 日曜の昼下がり。幸いにも吉田にとって苦難である英語の課題は無く、何となくテレビを付けてだらっと過ごしていた。男子高校生にしては怠惰な過ごし方だが、街に出れば否応なしに佐藤が視線を集めてしまうし、何より刺激は学校生活で十分すぎる程間に合っていた。休日には、文字通りじっくり休みたいものだ。
 そうして体力を温存するかのように、だらっと過ごす中で、惰性のように見ていたテレビにて、スカイツリーの特集が組まれていた、という流れだ。出来上がって数年、単なる新名所というだけではなく、シンボルとしての地位も確立し始めて来た。
「佐藤、行った事ある?」
 くるり、と首を回して隣に座る佐藤に呼びかける。佐藤は、思い出すまでも無くいや、と首を振った。それを見て、吉田は質問を変える。
「行ってみたい?」
「吉田がそう言うなら」
 受け流し、そのまま返すような返事に吉田はちょっと剥れた。
「何で、そう適当なんだよ」
「適当って訳でもないけど」
 佐藤は苦笑する。佐藤の行きたい所は、そのまま吉田の行きたい所なのだから。むしろ、吉田が行きたいと興味を持った所に、佐藤も興味を持つのである。吉田と一緒ならどこでも良い。だからこそ、どこかに行かなくても良い。逆もまた真なりという訳だ。
 佐藤としてはまとまった思考に基づかれているものの、吉田は納得には程遠い顔で憤りすら浮かべていた。
「俺は、佐藤が行きたいっていう所に行きたい……つーか、2人とも行きたいって思う所に行きたいんだって」
 だって、そうじゃなきゃ……と呟いた所で、吉田は不意に口を閉ざして顔を赤くした。その反応で、ああなるほど、と佐藤は理解する。
「そうだな。デートするならそう言う場所だよな」
「デッ……」
 と、軽く絶句の吉田。
「デートって……別に……いや、あれ、どうなんだろう……??」
「何で悩むんだよ」
 そこでお前が困っててどうする、と佐藤は軽く吉田の頬を摘まんだ。かなり手加減したので、痛みはあまりないが、いつまでも頬を指で摘ままれている訳にも行かない。吉田はこのっ!と力を入れて佐藤の指を引き離した。けれどそうして勢いをつけて挟まれていた指を外すと、その瞬間に頬に痛みが走った。言うなら罰ゲームで洗濯バサミを挟んだ箇所を勢いよく外すアレである。まあ、佐藤の指だったからそこまでの痛みは無いけども。それでも頬を気にして摩る吉田。
「で、行く? スカツリー」
 多少横道にそれたが、本題に戻す。戻したのは話を振った吉田は無く、振られた佐藤。
 そう言えば、今まで出かけるにしても近場の街くらいで、そういう観光名所は無かったな、と佐藤は思った。その傍らの吉田は、また軽く考えている。あるいは吉田自身、興味はあるけど実際に行くには今一で、その辺の背中を押してもらいたくて佐藤に言ってみたのかもしれない。
 それなら、自分が行きたいと言ってやればよいんだろうか、と肝心な所でコミュニケーションスキルが覚束ない佐藤だった。女子には基本笑顔で受け答えているだけで、交流とはあまり呼べるようなものではない。施設の時はぼちぼち出来ていたと思うが、何せその頃の佐藤はほぼ、無愛想で相手にしてもそこが前提とされていたし。
 改めて考えると、つくづく自分は人として欠けているものが多いな、と軽い自己嫌悪に陥った。吉田はこんな欠陥だらけの自分の、どこが好きなんだろう、と何気なく視線を落とした先、その線がぶつかるかのように吉田も佐藤の方を見上げていた。不意に見抜かれたようで、ちょっと身構えた佐藤。それは些細な反応だったから、吉田は気付けてはいない。
「スカイツリーって、高さどのくらいだっけ」
 単純な質問だったようだ。動揺してしまった自分がアホみたいだと思いながら、佐藤は答える。
「ムサシ……だから、634メートルだな」
「へー、そんなにあるんだ!」
 これまでもどこかで耳に入れたことくらいあるだろうに、それを忘れて今初めて聞いているかのような吉田が可笑しい。そしてこういう性格だからついつい弄りたくなるんだよな~と自分の嗜好を正当化する佐藤であった。
「て言っても、本当にその高さの天辺に行ける訳じゃないし」
 佐藤が付け加えると、それもそうだ、と吉田は軽く頷いた。その高さは本当に頂上の、とても人が行ける場所では無い地点も含めた上での事だ。実際に上がれる高さで言うなら、そこは地上から445メートルの所だ。この高さは東京タワーを越す高い場所である。その説明を佐藤から受けて、上空600メートルまではいかないものの、東京タワーを追い越す高さで展望できるのだと理解した吉田。
「……何か、想像もつかないよなぁ」
 そこからどんな世界が広がっているか。学校の屋上でも十分高いくらいなのに、その100倍……は多少言い過ぎだが、50倍はありそうである。
「そりゃぁ、吉田なら尚更に」
「どーゆー意味だよッ!?」
 暗に小さいと言われ、吉田が噛み付く。気にしても仕方ないが、だからこそ余計に気にせずにはいられないのだ。そこを解って言う佐藤が、小憎たらしとでも言うか。
 しかも口を手で押さえて笑い出すものだから、吉田も頭に来る。
「~~~、もー、何だよ佐藤っ………!?」
 特に何を仕掛けるでもなく、佐藤に伸ばしただけの手が引っ張られ、吉田は座っているのに前のめりで倒れた。
 床に横になった形となり、しかし起き上がる前に佐藤が同じ体制をとった事で何やら起きづらくなってしまった。何なんだ、とせめて軽く睨む。
「俺は……あまり、高い場所に行きたいとか思わないかな」
 もっと遠くへ、もっと高くへ。そういう欲求が文明の発展の礎になっているのだとしても、佐藤には関心が薄かった。佐藤の居たい場所は、いつだってどこだって、吉田の隣だけなのだから。
「え、佐藤って高い所ダメだっけ!?」
 感嘆のように言った吉田は、同時に「なら誘って悪かったかな」なんて顔に出ている。どっちも違う、と今度は多少痛みを感じるくらいに頬を抓った。いへへへ、と歪んだ口から悲鳴らしき声が上がる。
「高い所に言って遠くを見るより、俺は吉田が見ているものの方が気になるって事」
 珍しく佐藤にしてはありのままの本心を語って見せたのだが、生憎ちょっと難解で吉田の理解には及んでいないようだった。まあ、佐藤としてもわざとそういう言い回しを選んだ節もある。
 綺麗な心の吉田が見ている世界を見続けていれば、自分もいずれは綺麗になるんじゃないかと。
 そんな事はあり得ないと解っているが、だからこそちょっとは夢想してみたいじゃないか。
「んー……じゃあ、結局行かないの?」
 今度は吉田が話題を戻す。
「だから、俺は吉田が行きたいなら行くって言ってるじゃん」
 堂々巡りにはまってしまっているが、佐藤はむしろ楽しんでいた。
 再び、むーっと顔を顰めた吉田は天井を見上げる。自分の家では無い天井は、まだ見るには珍しい。けれど、最初に比べれば馴染んできた。
「……スカイツリーの近くって、何かお店が一杯入ってる所があるんだったよな」
 吉田が呟くように言う。佐藤はそれに続いた。
「あるなぁ、水族館もあるらしいぞ」
「そうなんだ。うーん……」
 少しくらいのようだが、吉田の気持ちは行きたいという方に傾いているらしい。行くのであれば、展望台のチケットの購入方法を調べておかないとな、と佐藤は計画を立て始める。まあ、まだ行くと決まった訳でも無いし、やっぱりずるずると決め損ねて行かないままになるかもしれない。
 とはいえ、旅行や外出なんてものは、その計画を練る時が一番楽しいものだ。
 その、一番楽しい時に酔いしれるように、ぽつぽつと2人は行くのかも定かでは無い計画を、横になったまま話し合っていた。




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