他の学校では知らないが、少なくとも吉田達の通う高校では屋上は人気の無いスポットである。誰かに聞かれたくない話をする時に専ら用いる場所で、そんな場所の為に何故か吉田は度々お世話になっている。
 だから、佐藤がそっと屋上に行こうと吉田にだけ告げたのは、人の居ない場所に行きたいという事だ。そ
 ドアを開け、遮る物の無い視界では、空はどこまでも広がり、風は自由に縦横無尽に駆け抜ける。その心地よさに、吉田はすぐに背伸びをした。その様子を、横から佐藤が猫みたいだと思っていた。
 フェンス間際まで歩き、暑く感じた上着は脱いでそこに掛ける。出来ればネクタイも取りたい所だが、結び直すのも面倒でそのままにしておいた。
 他に誰も居ない空間に、やれやれ、と吉田はようやく一息つけた。それは佐藤も同じ事で。
「ここまで注目されっぱなしだと、さすがに辟易してくるな」
「……俺はうんざりしてるよ。っていうか、それだけの事したって解ってるのか!?」
 自覚があるのかどうか、他人事のようにも聞こえる佐藤の台詞に、吉田は風に負けない音量で言う。切羽詰まっているような吉田に対し、佐藤はそこ辺はむしろ気楽である。
「まあ、でも、半分は祝ってくれてるんだから、良いじゃないか」
「良くな――――い!その半分って男子からだし、女子からは相変わらず睨まれてるんだぞ!」
 吉田は喚く。つい先日、あまりに吉田への好意を包み隠さない西田の態度に、とうとうキレた佐藤が自分達の関係をクラス全員へと打ち明けた。吉田はもうダメだと思った。自分の人生のピリオドはここで打たれるのだと。
 けれど、実際はこうして無事(?)に生きているし、その次に恐れた陰湿なイジメにもあっていない。これまで同様、女子は正々堂々と吉田を敵視して佐藤へのアピールを続けている。そう、今まで通りに。
 あれだけ大きな告白をしておいて、今まで通りというのは最高の結果かもしれないが、逆に何の意味があったのかとちょっと問い質したくもなる。けれど、女子が向ける吉田への剣呑な視線は、佐藤の親友としてでは無く、佐藤の恋人としてものだ。その辺の差異はあるかもしれないが、吉田には解らない。
 女子の態度があまりにいつも通りで、本当にカミングアウトしたのかと疑問にも思ってしまうが、そこを保障してくれるのが男子達の態度だ。佐藤の打ち明け直後、事実茫然と魂を飛ばした女子達とは違い、男子達は自分達を祝った。というか、称えた。佐藤への完全失恋が決まれば、佐藤に夢中の女子達も自分に振り向いてくれるかもしれないという、ほぼ打算的なものではあるが、おめでといと言われて吉田もちょっと悪い気はしない。と、思う。
「本当にやってくれたよな、朝っぱらから。しかも、俺に何の断りも入れずに」
 全くいつもの朝だと思えば、まさか佐藤がそんな決意をして来ていただなんて。いや、昨日から西田に素全開でブチ切れたり、ちょっと妙だなとは思っていたのだが。
 あの時、もっとしっかりフォローを入れていれば、こんな事にはならなかったのだろうか。タイムマシンは無いが、その分想像するのは自由である。
 あの告白が無ければ、きっと今も牧村と秋本を交えて4人でオチケン部室でだらだらしていたのだと思う。けれど、自分達の事を知ってから、秋本は変に気遣うし、牧村はやけにけしかけるし。
 何だかあの日々がすっかり遠い……と吉田は遠い目で屋上からの景色を眺める。自分の住む町並みと空が地平線に向かって収束する様は雄大だ。そんな景色を見ていると、こんな悩みもちっぽけには……思えない。でかい、あまりにもでかい。
 今は校内に留まっているが、外にまで広がったらいよいよどうすれば良いんだか。母親はあれでいて佐藤を気に入っているから、むしろ男子とおなじようにでかした!と喜びそうではあるが。
 フェンスに齧り付きそうに持たれる吉田に、佐藤が言う。
「まあ、確かに何の相談も無しってのはちょっとは悪いと思ったけど――」
 そこまで言った佐藤を、本当か?と半目で見上げる佐藤。と、佐藤は視線を降ろして吉田と向き直った。佐藤の端正な顔を視界一杯にに捕え、吉田の胸がドキンと撥ねる。それくらい、優しげな顔を浮かべていた。
「もう、何があっても、吉田の事を守る気でいたから」
 幸いにもそんな事にはならなかったが、最悪、学校中の誰にも蔑まされても、疎まれても。押し寄せる悪意に、決して吉田を飲み込ませまいと。
 佐藤も、あるいはあんな事後承諾のような不意打ちでは無く、吉田に相談でもすべきあと思ったのだが、何だかんだで惚れた弱みのある佐藤だから、吉田に涙目で嫌だと言われて実行できる自信は無い。泣かすのは好きだが、泣かれるのは困るのである。
「…………」
 守る、なんて言われて、吉田は。
 そんな守らなくちゃならないような状況にするなよとか、それでもやっぱり一言くらい言えとか。
 色々、言い返す為の台詞は思い浮かんだものの、結局は何ひとつとで出てこなかった。嘘でも無いけど、本音ともずれとと解っているからだ。
 バラして良かっただなんて思ってはいないけど、堂々言ってくれて嬉しい気持ちが無いわけじゃない。いや、嬉しかった。
 凄く、嬉しかったのだ。
 ……まあ、そう思えるまで結構時間は要したけども。さすがに直後は頭の中が真っ白になった。
 佐藤に問われた時は、つい恥ずかしさで誤魔化してしまったけど、ありがとうくらいは言おうか。いや、ありがとうではちょっと変かも。嬉しかった、なんて今さら言い辛いし。
 こんな時、どういえば良いんだ?と参考の対象が何も無くて吉田は唸る。
 そんな吉田の態度に気付き、佐藤も口には出さずにどうした、と顔で語る。
 いよいよ困る吉田だが、意外な物がそれを打ち破ってくれた。
 突風が真正面から2人を襲う。一瞬息が止まるくらい強い風で、吉田は思わず目を瞑った。
 そして、視界は真っ暗になったものの、自分の横で何かが動くのが解った。そして、目を開ければ。
「ッあ―――――!」
 さっきまでフェンスに掛けていた上着が、後方上空でまるで凧のように宙に舞っている。
「おー、飛んだなぁ」
 肘をフェンスに乗せて凭れかかっていた佐藤は、軽くそれを見上げて楽しそうに言った。
「んな呑気な! あーあー、どこに行くんだー! 止ーまーれー!!」
 屋上で、吉田は飛んで行く制服を追い駆ける。
 追いかけた所で、捕まえられる訳もないだろうに。
 それでも真剣に上着の行方を追う吉田を、佐藤は愉快そうに笑った。

 幸いにも、飛んだ上着は校内の敷地に落ちてくれた。が、落ちたというか、木の頂上に引っ掛かったという状況で。
 けれど、そこは佐藤があっさりと木を登り、容易く制服を取り戻してくれた。
 礼を言って受け取ると、まずは上着のチェック。幸い、裂けたり破れたりという事は無かった。それを確認し、ようやっと胸を撫で下ろす。
「あー、良かった。買い直す所だった」
 しかもその場合、代金は自分持ちだ。小遣いが寂しい所になる所だった。
 吉田が制服を確かめている間に、佐藤は別の木に引っ掛かっていた自分の制服を回収していた。パン、と軽く叩いて汚れを落とす。佐藤の上着も、損傷から逃れる事は出来たらしい。
「んじゃ、教室戻るか」
 無事制服も手元に戻り、佐藤が袖には通さず肩に引っ掛けたのを見て、吉田が言う。吉田の台詞は、佐藤にとってちょっと意表を突くものだったようだ。
「良いのか?」
 驚いたような声が可笑しかった。
 まあ、確かに、クラスに戻ればもれなく全員の視線が集中するだろうし、屋上へ行ったのもそこから避難する為だ。誘いの声を掛けたのは佐藤だったが、佐藤本人の都合というより、余程参っている吉田を見兼ねて切り出したものだった。そういう所を、吉田が何となくだが掴んでいた。佐藤は何だかんだで、自分の事を気遣ってくれる。
「まあ、逃げてばっかでもしょうがないし……内申点も稼がないと」
「そうだな、留年とか洒落になら無いし」
「ホントに洒落にならないからな、それ」
 不吉で縁起でも無い台詞に、吉田も苦虫噛み潰した顔になる。実質吉田の講師でもある佐藤は、その学力で余程の赤点を取らない限りは普通に進学できると解っているが、ここで油断されては適わないので敢えて黙っておこう。
 勿論、佐藤としても吉田と一緒に卒業したいとは思っているが。
「吉田から先輩って呼ばれるのも、何だか良さそうだな」
 にやり、と含みを持たせる佐藤の笑みに、吉田が良く無い物を感じ始めていた。
 さすがに本当に落第させようとはしないだろうが、変な場面で強要されそうである。
「呼ばないからな、そんなの!絶対!!」
 制服を振り回しながら佐藤の元で叫ぶ吉田。その傍ら、本当にいつも通りだな、なんて思ってみたり。
 状況が変わるのなんて、それこそ風が吹き抜けるよりも一瞬だ。
 だったら、前後不覚にならないよう、自分の場所を守るためにはしっかり手を繋いでおかなけば。
 まあ、今はまだ繋がないけど、と自分よりも大きな掌を身近に感じながら、吉田は胸中で呟いた。





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