「また枝豆かよー!」
 夕飯の食卓、そこにある枝豆を見て、吉田がうんざりしたように言う。
「良いじゃない。ビールと枝豆って本当に最高の組み合わせなんだから」
「俺、ビール飲めないし」
 母親の自分勝手な献立に、吉田は不満も露わにする。が、出してみた所でそれが通じる筈も無いのだが。あんまり言うと最終的には「だったらアンタが作んなさい」と言われてしまうので、文句も早々に、吉田は箸に手を付けた。


「……だから、当分枝豆が続きそうだんだよな~。ウチの母ちゃん、酒飲みだし」
 しかもつまみも無しに嗜む酒豪の部類に入るのかもしれない。父親が居ない時は一人で晩酌をしているくらいだ。
 吉田は愚痴のつもりだが、佐藤にとっては笑い話の内らしい。笑みを浮かべて、口元も緩んでいる。そういう顔はとても穏やかで、吉田としても嫌な気分にはならない。というかむしろ……と先にある感情に辿りつく前、それを打ち切る。
 とはいえ、母親も全くつまみを摂らないというでもないので、一緒に柿ピーが出てたり、枝豆を湯がいたりもする。枝豆とビールの愛称は最高だと母親は言っていたが、ビールの味も解らない吉田には知る由も無かった。酒好きな両親はだからこそ、吉田に与えるような真似もしない。吉田は興味ばかりが募るのだが、頭ごなしにいけないと怒られるのではなく、父親から穏やかに「大人になってからの楽しみは多い方が楽しいよ」と言われては、反発して隠れて飲酒しようという気は起きない。今は出来ないが、いつかは来る確実な未来として吉田は飲酒行為を取り置きしている。
 けれど、吉田はすっかり好奇心を落ち着かせているが、周囲はまさに関心の高い時期。知恵もついてやりようにとっては出来なくもない環境に、時折クラスメイトからは自分達には非合法な飲酒やアダルトな閲覧を話題に花を咲かせている者も居る。そんな時は、やはりいいなぁ、と羨む気持ちが無いでも無い。
「佐藤って、酒とか飲んだ事ある?」
 吉田が無邪気な顔で尋ねた。他意も裏も無い純粋な問いかけに、佐藤はふと考える。実は、あると言えばある。イギリスでのあの施設で、夜に誘われるまま1,2度くらい抜け出した時、その行先がパブだった。酒と煙草と、甘ったるい匂いは香水か化粧の匂いだろう。足を踏み入れた時点で辟易した佐藤は、そのまま踵を返して帰ろうとしたのだが、その前にジャックに捕まり一杯くらい飲んで行けと、琥珀色の液体が入ったグラスを差し向けられる。
 ならばこれを飲めば帰れるんだな、と佐藤は一気にそれを煽った。直後、視界が回ってぶっ倒れた。
 帰るには帰れたが、ジャックに背負われての事だ。思い出すだけでも屈辱である。
 自分が日本人で、先天的にアルコールに弱かったとしてもグラス一杯を一気飲みしただけで倒れる事は無い。きっとあの酒は密造酒の類だったのでは、とアルコールが抜けてクリアになった頭でそう思えた。
 が、そんな経歴は施設の事も満足に伝えられていない現状では教えられるべくもない。佐藤は吉田の問いかけに飲んだことは無いという返事をした。
 すると、吉田がぱっと顔を輝かせた。
「じゃ、一緒に飲もうな」
 にっと目を細めた笑みは、何やら悪戯でも持ちかけているかのようだった。吉田の台詞は勿論、明日明後日実行しようと言うものではない。飲める年齢になったら、という前提だ。そんな先まで自分が傍に居るのを、当然とした吉田に愛しさが溢れる。
 そんな先、とは言ったが16歳の自分達からしてみれば4年先の事だ。高校を卒業してからもう1年。
 きっと、過ぎてから思うのは、全てがあっという間なんだろうな、と佐藤は思った。





「何にしような」
 呟いた吉田の台詞に、佐藤はぶっと噴出した。なんてことの無い台詞ではあるが、何回も繰り替えされると可笑しくなる。
「吉田、さっきからそればっかり」
 噴出した事に吉田が反応して見上げれば、見つめ返してきた佐藤がそう言う。むぅ、と口をへの字に曲げて剥れる様は、とても可愛らしい。言ったら怒るけど、そこまた可愛いのだ。
「もういいじゃん。ビールと枝豆で」
 いつかを思い出し、佐藤が言うが、吉田は不服そうだ。
「でもそれって夏の組み合わせじゃん」
 今の季節は冬。成人式を控えた頃である。
「じゃ、熱燗とおでん」
「なんかオッサン臭い」
 吉田の突込みのような私的に、確かに、とまた佐藤が微笑む。そして浮かれている自分を自覚した。
「ホッピーってちょっと興味ある」
 吉田が不意に呟く。じゃあそれにする?と尋ねれば難しい顔。初めて飲む酒には似つかわしくない、と思ったらしい。
 やはり、そこは特別なものではなくては。けれど、品質が特別ならばその対価もまた相応である。まだ大学生である時分には、酒代にそこまで裂く事も出来ない。
「ま、ゆっくり考えよう」
 今すぐ飲もうと言うものでもない。慌てる必要は無いが、逸る気持ちは解る。
 付き合い始めてから4年の月日が流れて、社会的肩書に先駆けて年齢の上では成人になった。酒の飲めるようになったし、色んな事が合法となる。
 けれど、何かが劇的に変わったということは無い。
 吉田はやっぱり隣に居るし、キスがまだ慣れ無いし、左目の傷跡もそのままで。
 変化を楽しむ傍ら、変わらない事に安心を覚える。
 今はまだ一大イベントのように考えこんでいる飲酒も、そのうち日常のようにして、今は蜂蜜や砂糖菓子のようなキスに酒の香りが加わるのだろう。
 それもまた楽しみだ、とまだ横であーでもないこーでもないと、それこそ出会った時のままのような吉田が首を捻っていた。



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