その日の授業は少々特殊だった。午後からの授業、昼食を終え次第各自で電車で移動し、郊外のイベント会場にて催されている工業展を見学しに行くのである。勿論授業の一環であるから、後にレポートの提出があるのだが大抵の生徒は物見遊山の気分である。事前に教師が2,3度、これは遊びじゃない、とは言っているが、3分の1ほども聞き入れていられないだろう。金曜日最後の授業という事もあり、すでに皆は浮き足立っている。
 会場内では何となくのグループで見て回り、吉田はいつもオチケンでつるむメンバーと連れ立って見て回っていた。つまり、佐藤、牧村、秋本の4人である。佐藤と一緒に回りたそうな女子はそれこそ山ほどいたが、さすがにこういった場である為、女子も(普段に比べれば)大人しかった。これがまだ平日であれば、次の日に佐藤と見て回った事を詰られた事だろうが、幸い明日は土曜日。さすがに休日越しにまで女子も恨み続けたりしないだろう。……多分。
 工業展は楽しいものだった。まだ販売には至っていないものの、実用には十分足るよう機器を実際に見て触ったりした。少しだけ未来を覗いてきたような気分だった。それぞれのブースに置いてあるパンフレットも抜かりなく貰って来たし、これでレポート掛けるだろう。見学の最中、牧村が女性職員に声を掛けて愛想笑いの失笑されていたり、やたら佐藤に向かっての説明が続いたが、それもまあ、定型美としよう。 
 帰りは会場で解散し、学校には戻らない。そのまま帰宅する者も居るし、見慣れない街を散策しようという者も多かった。吉田も多少はその考えに惹かれたが、帰る事を選んだ。週末こそ遊んで行きたい者も居るかもしれないが、週末だからこそ早く帰って休みたいものだ。吉田は今日はそんな気分だった。別に会場内でも佐藤がやたら注目されていたからとかは、関係ない。と自分に言い聞かせる吉田だった。
 吉田が直帰の旨を何となく言うと、他の3人も準じる方向の方だ。初めて立つ駅の構内で、吉田は自分が乗るべき電車を探す。
「あ、これか」
 誰に返事を求めるでもなく、そう呟いて車内に乗り込む。ふと振り向いて見ると、そこには珍しいくらいに目を剥いた佐藤の姿があった。どうしたんだろう、と首を傾げる暇もなく、牧村と秋本が次いで「あ!」と叫んだ。そこに被さる発車のベル。
 え?何?何??と吉田が慌てる中、2人が何か口々に言っているのをドアが遮断した。そうして、電車が動き出して吉田は気付いた。自分が行きたい方向と逆に進んでいる!
 乗る電車を間違えた。吉田がその事実にこうまでならないと気付かなかったのは、実は原因がある。
「何でお前も乗ってくるんだよ!?」
 しれっと吉田の隣に立って居るのは佐藤である。佐藤は吉田の前で驚いた後、けれど普段の様子に戻り吉田と同じく車内に乗り込んだのだ。その電車が間違っていると知っていたくせに。
「いや、何か面白そうだと思って」
「はあ?何が……」
 実際佐藤は面白そうに言っているが、吉田には何が面白いのかさっぱりだ。吉田が言っている最中に、メール着信があったからそっちを優先して携帯を開く。来たメールはほぼ同時に2通。牧村と秋本からで、それぞれ『違うぞ!!』『吉田、それ逆だよ』という文面で送られてきた。
 吉田がメールを目で追っている横で、佐藤が喋る。
「折角だから、着いた所で降りよう」
「え、」
 すぐにトンボ返りするつもりだった吉田には、寝耳に水の提案である。
「こんな時でなけりゃ、行かないような所だしさ」
 まあ、それは吉田も頷く所だ。この辺りには観光的な名所は無いし、佐藤の言う通りこういう機会でもなければ足も向かないだろう。
 今まで行った事の無い所へ行く。そんな行為は、今でも確かにある冒険心を擽られる。
「ダメか?」
 佐藤が最終確認のように問う。
 行くつもりは全く無かったけど、意固地になってまですぐに帰りたいとまでは思わない。それに、最初は面食らったけどもその提案に乗っかりたいような気にもなって来た。
 うん、いいよ、と頷くと佐藤はほっとしたような笑顔で頷いた。悪戯を平気で仕掛けるくせに、その割にはどこか及び腰な部分も佐藤にはあった。
 吉田は手にした携帯を弄り、二人に返信を送る。このまま降りた街で佐藤とちょっと遊んで行くと。最初に来た返事は牧村からの『了解!』で、次いで秋本から『解った。気を付けて帰ってね』というものだ。メールの文とは言え、それだけで十分人柄が窺い知れる。
 携帯をポケットに仕舞いこみ、ドア付近に佇んで居る事もあり、窓の外の景色を眺める。これまでの人生の中で、絶対見た事が無い景色だ。そして、もう見ないかもしれない。
 それを眺めているのも何だか不思議な気分だが、それ以上にその横に佐藤が居ると言うのが妙というか、胸に残る部分だった。


 無計画に乗って降りた街は、それでも結構大きかった。吉田が乗ったのがそもそも快速だか特急だかの種類で、大きめの街に止まるものだった。
 駅からすぐに大きなアーケードで覆われた商店街が見える。この時期のフェアの垂れ幕が堂々出入り口を飾っていて、商店街の活性化を煽っていた。放課後とは言え、まだ日が高いから学生の姿の方が目立つ。けれど、やはり見た事も内容なデザインの制服だった。自分達と同じ学校の生徒は、この街にはもはや居ないのではないだろうか。別に劣悪でもないが、これといって特色の無い学校である。遠方からわざわざ選んで入る者も居ないだろう。
 まずは適当にぶらぶらと歩く。と、その中で「本」と書かれた看板を見つけた。
「本屋行く?」
「うん」
 吉田が訪ねて、佐藤が答える。普段は部屋デートの多い2人だが、時折外出も楽しんだりする。そんな時は、ほぼ十中八九、本屋に立ち寄るのだ。佐藤が読書家なのは、彼の部屋に入ればすぐに解る事だ。そうして、その手の人種は特に買う物の予定が無くても、本屋を見かければ立ち寄るものなのである。
 しかしこの場合、目的があったのは結果的に吉田であった。入口から入って興味あるジャンルに何となく別れて、吉田の向かった先はコミックスの新刊置き場。平積みにされた中で、吉田は購読している作品の最新刊が出ているのを知った。好きな作品であるが発売日まではあまりチェックをしていない。作品への思い入れ云々ではなく、吉田の性格の問題だろう。
 ついでだ、買って行こう、と吉田は単行本を手にした。こういうのは、買える時に買っておかないと機会を逃すものである。
 レジに並んで精算の場面で、会員のカードは持って居るかと尋ねられた。初めて入った書店でそんんものを持っている筈も無く、吉田は首を振る。すると、続けて今は入会金が不要だと勧めれたが、これもまた首を振った。
 会計を済ませて店内の方へ目を向ければ、すぐ近くに佐藤が立って居た。居たのか、とすぐ傍に居た事に驚く。
「じゃ、行こうか」
 そう吉田に呼びかけた佐藤には、ここで特に買う物は無かったようだ。レジに行く事も無く、入ったのと同じ自動ドアで外に出る。
 その後は適当に商店街をうろつき、賑やかな音楽を鳴らす大きな家電ショップに入った。まだ替える当てもないのに携帯会社のテナントに入っては最新機種を適当に眺めてみた。新しいものを求めてはきりがないのだが、やはり最新機種は良いなぁ、と思う吉田。けれど、まだ今持って居る携帯との付き合いは続きそうだ。佐藤の携帯は、何だかちょくちょく替ってるけども。
「ふーん、なるほど」
 吉田には適当に弄るしかなかった最新機種を、すでに佐藤はすっかり理解したように操作している。
「買うの?」
 それを横からひょっこり顔を出し、操作画面を見る吉田。
「いや、まだ替えない」
 それは何だか、近い内に替えるといっているように聞こえた。いいなぁ、とちょっと羨んでみる。
 その後、店内と適当に散策して外に出ると、そこには背広を着たサラリーマンが多く目立った。いつの間にか5時も半過ぎを周り、終業となった所も多いのだろう。
 なあ吉田、と佐藤が話しかける。
「晩飯ってどうなってる?」
「うん?」
「どうしてもじゃなかったら、ここで食べて行こうかなって」
 今度はさっきのように口にはしなかったが、やはり顔が「ダメか?」と語ってきている。
 ダメ、というよりも。
「俺、あんま金が無いんだけど」
 食べて行くと知っていたのなら、さっき単行本を買うのを自重したのに。全く足りない訳でも無いが、ぎりぎりで足りないかも、という不安になる残額だった。
 吉田がそう言うと、ああそれなら、と佐藤が言う。
「平気。俺が持ってるし」
 むしろ最初から吉田には払わすつもりのないような素振りである。と言う事は、まさかこれもデートの内、のつもりなんだろうか?そう思うと、落ち着かなくなる吉田だ。
 そんな吉田がちゃんと整理をつけるのを待たず、佐藤はすかさずどこで食べるとか、何を食べるとか聞いてくる。慌てふためく様を楽しみたいのだろうが、もうそこまで初心でもないのだ。ふ、とちょっと息を吐いて気を落ち着かせることに成功した。とりあえず、母親へ今日の晩御飯は要らないというメールを送った。
「ラーメンが食いたいな」
 吉田が言う。けれど、ラーメン以外にもチャーハンとかも食べたい気分で、だから純粋なラーメン屋よりも中華飯店みたいな所が良い。チェーン店にしろ個人にしろ、こういう商店街の中にはある筈だと、適当に歩いて探す。そしてその目論見通りに、吉田の要望が叶うような店が見つかった。
 店名も入ったスタンダードな醤油ラーメンに、半チャーハンと餃子付き。これで680円なのはちょっと嬉しい。吉田の残金でも賄える金額だったが、佐藤が支払うのだろう。
「んまい!!」
 自分の元に置かれたラーメン・チャーハン・餃子の3セットに目を輝かせ、吉田はまずはラーメンを啜った。雑なチェーン店ではあんまりな味にもなったりするが、ここのは美味しかった。食事が美味しいと、やはり幸せになれる。短銃だと言われようが、それが吉田の真理だ。
 男子学生なんて常に空腹のようなものである。そして店内に入った事で、厨房から聴こえる調理の音と美味しそうな香り。近くのテーブルにすでに届いた料理などで、吉田の食欲は十分刺激されっ放しだった。
 ラーメンに続き、チャーハンや餃子も口にする。どっちも、十分美味しかった。うまー、と吉田が顔中を綻ばせる。
 佐藤は皿うどんとから揚げを頼んでいた。というか、から揚げは勝手にセットになっていた。平日だと、単品を頼むともれなく小皿でのおまけがつくらしい。曜日ごとに変わり、金曜日はから揚げという事だ。
 とことんお洒落と無縁の店内に、女性の姿は居ない。佐藤に向けられる視線のストレスも無く、存分に食事を楽しむことが出来た。


 すっかり腹を満たした吉田は、満足そうに店の暖簾を潜って出た。
「割と美味かったな」
 直後、そんな感想が佐藤から飛び出る。相変わらずもげもげと眉間に皺を作りながら食べていたが、美味しいとは思っていたようだ。何となく、吉田も佐藤が美味しそうだと解っていた。どこがどうとは説明は出来ないけど。
「何だか、佐藤、ホントに楽しそうだよな」
 上機嫌がずっと続いているような佐藤に、吉田が言う。こんな何の変哲もない街で、けれど佐藤はどんなアミューズメントパークに訪れた時よりも楽しそうだったと思う。何でだろうと素朴に疑問に思った。
 すると佐藤は、その台詞を待ってましたとばかりに言い出した。
「うん、だってさ。何か、駆け落ちみたいじゃん?」
 2人きりで、どこか知らない街へだなんて。
 流れるように言った佐藤の発言の内容を、吉田はすぐには理解出来なかった。そのまま少しの時間、2人の間に街の雑踏の音だけが響く。そして。
「はっ……なっっっ!!?!??」
 慌てて寸でで口を閉ざしたが、存外大きな声が出た。が、商店街のざわつきにその声はあっさり飲み込まれた。
「かっ、」
 と、吉田は喉に何かが引っ掛かったような声を出した。
「駆け落ちって、お前、そんな!!!」
 周りを気にして、吉田は小声で叫んだ。まさに泡を食っているような吉田に対し、佐藤は何やら含みを持たすように微笑んでいる。  
 さっきから、というか電車に乗った時点でそんな事を考えていたのか。なんて奴だ、と今さらの事を吉田は思って唸る。吉田が見当違いの電車に乗った所を見た時点で、佐藤の中で練られたプランに違いない。
 そうして思い出したのは、佐藤がかつて誰も居ない場所を求めて宇宙の果てにすら行きたがっていたという事だ。
 ここには人は溢れているけれど、この場に居る誰もが佐藤や自分の事を知らない。ある意味、佐藤の理想に敵っていたのかもしれない。
 けれど、そんな夢はもう、佐藤はどうでも良いと言って捨てていた。吉田に会えたから。そう、言って。
「………、……」
 吉田は何かを言い返してやろうかと思ったが、結局上手い切り替えしが思い浮かばず、せめてもの抵抗にぷいっと顔を逸らしただけだった。そして一言、もう帰る。
 実際、電車に乗る時間を思えば、今から駅に向かわなければ家に着くころはすっかり夜更けになってしまう。門限にはそんなに厳しくは無いが、そこまで遅いとなると母親もただでは済まさないだろう。
 母ちゃん怒ると怖いもんな、と吉田。見つかった時のリスクを思えば駆け落ちなんて絶対できない。いや、しないけど。
 うっかり変な方向に考えた飛んだ吉田が妙な顔つきをすると、佐藤がそっと顔を近づけて囁く。
「手、繋ごうか?」
「しないっっ!!」
 馬鹿っ!!という言葉をその叫びに乗せて、吉田は吠えた。



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