一時はバナナを描く事に凝っていた野沢双子だが、最近はその対照がリンゴに取って代わったらしい。
 それが何故解るかと言えば、実を齧られて芯のみという哀れな姿になったリンゴがあちこちに散らばっているからだ。今の所、被害はここ周辺のようだが、以前のように校内全体に被害が広まるのは時間の問題のような気がした。ただ1つ、幸いなのはリンゴの芯はバナナの皮のように踏ん付けたとしても滑ったりしない所だろうか。
「野沢さん、ゴミはちゃんと捨てないと」
 近くにごみ箱を見つけ、吉田はぽいぽいと目についた芯を放って行く。最低でも5個はリンゴ食べている野沢(姉)は、そんな忠告は意に介さずとばかりにスケッチブックを片手に吠える。
「いーや、まだまだ!! リンゴの持つ曲線や瑞々しさやこの赤色を、もっと情熱的に表現できる筈なんだ―――――!」
 そして「描きたーい!!!」とおなじみのフレーズで締めくくった。空気を読んで事を荒立てない事を由とする、牙の抜かれたような時代において、あんなにも猛々しい性格を宿しているのも珍しい。良いか悪いかはこのさい置いておいて。
「でも、さすがに食い飽きたから残りはやる」
 背景に炎を背負ったかのような勢いの所を、ころっとかえて野沢は籠とそれに収まったリンゴを吉田へと押しつけた。
 野沢の叫びを止める術もなく眺めていた吉田は、急に押し付けられて吃驚とする。
「え、えっ、でも良いの? 絵、まだ描くんじゃ……」
「大丈夫だ。理想のリンゴはこの中にある」
 そう言って、自分の頭を叩く野沢。だとしたら、実物を用意してそれを食い散らかした意味は……いや止そう、芸術家なんてそうそう理解出来るものでは無いのだ、と佐藤も言っていた。佐藤がそう言うくらいだから、自分なんてもっと追いつかないだろう。何より、ここで自分が受け取ってしまえば、これ以上校内にリンゴの芯が散乱する事もないだろうし、それにより生徒会長が怒髪天を突く事も無くなる。牧村が自ら面倒事に首を突っ込み、自分たちが巻き込まれる展開も回避出来ようってものだ。
「じゃ、貰うね。ありがとう」
 素直に受け取った吉田は素直に礼を言い、これからの昼休みに皆で食べようとオチケン部室へと向かったのだった。

 何にも無い時は群がるものだが、逆に用があると集まらない。世の中はそんな風に出来ているようだ。
「秋本、また巻き込まれたのかー」
 事の一部始終を見ていた佐藤から顛末を聞き、吉田が同情を交えて呟く。
 部室に来てみれば、そこには佐藤しか居合わせていなかった。最初に吉田は自分が持って来たリンゴの経緯をざっと説明し、それから2人の所在を佐藤に求めたのである。
 生徒会長に御執着な牧村が彼女のご機嫌取りと点数上げの為に、役員でも無いのに生徒会の雑務を引き受けているのだが、その仕事量が自分の許容を超えるとなると牧村はあっさり人を頼る。佐藤が見たのは、そんな牧村が秋本の襟首引っ付かんで、おそらくは生徒会室へ向かおうとする光景だった。あの体格差なら、本気で抵抗すれば牧村なんて敵でも無いと思うのだが、本気を出さない辺り秋本もお人好しが過ぎる。
 確かに出来ないのを無理やり意地でやろうとするよりは余程失敗の無いスマートな案ではあるが、巻き込まれた方の気持ちを牧村はもっと思い知るべきだ。最も、率先したかのようにターゲットを秋本にしている辺り、殆ど彼女のような可愛い幼馴染の居る立場に対する嫉妬のようなものが垣間見えるが。
 そうなると、吉田の立場は気楽なものだ。牧村の中では、吉田はちょっと手の届かないような相手に片恋中だと思っている。前半は合っているが、後半は違う。吉田は恋の相手とお付き合い中なのである。両想いか、と問われるとちょっと微妙かもしれない。以前、吉田がちょっと愚痴っただけで佐藤があっさり退こうとした辺り、あの時で言うなら佐藤は自分が思う程、吉田は自分を好いていないと思っていた筈だ。けれど、全く同じ分量で想い合うなんていうのは不可能だと思う。自分の出来うる限りで相手を想う。そして相手がふとした瞬間に、それを感じ取ってくれたら何よりだと思う。
「折角、貰って来たのにな」
 籠に入ってるリンゴは4つ。普段この部室で屯する人数と合っていて、丁度良いと思ったのだが。
「まあ、すぐに腐るものじゃ無いし、後で上げても構わないだろ」
 若干落胆するような吉田に対し、佐藤はあっさりとしている。この場に秋本と牧村が居ないくらい、佐藤には取るに足らない事なのだろう。むしろ、吉田と2人きりになれる願ったり叶ったりだ。
 佐藤に言われた通り、2人は後であげるとして、吉田はこの場でリンゴに手を付けた。
 すでに昼食分は買って来てある。それにリンゴが丸々一個加わったとしても、男子高校生の胃袋はびくともしなかった。むしろ果実を摂取する事で、何だか体に良い事をしているような気分になってくる。
 一口噛んで、中に甘い果汁が口いっぱいに広がる。シャグシャグ、とリンゴを齧る吉田に倣うように、佐藤もリンゴを1つ取る。そして、がぶりと噛み付いた。口に入れた分を噛み砕く時、やはりいつもの顰め面になる。吉田はそれを見て顔を綻ばせ、佐藤が少しだけ顔を背けるのが対面で食事する時の馴染みになりつつあった。
「それにしても、」
 と、佐藤が口を開く。
「リンゴを貰って来るなんて、白雪姫みたいだな」
「え、俺が魔女?」
 吉田が言うと、佐藤は「なんでだよ」と突っ込みを入れた。
「魔女は野村だろ。あいつから貰ったんだし」
「うーん……そうなんの?」
 しかしそう言われると、リンゴの味が何だか落ちるような気がした。いや、今の所眠気には襲われていないが。
「まあ、吉田が眠っちゃったら、俺がキスして起こしてやるからv」
 そんな佐藤の台詞に、吉田はリンゴに齧りついたままぶほっ!と噴出した。
「なななな、なん、なん!!!」
 何言ってんだ、が言えない吉田であった。とはいえ、言えないままでも相手には言いたい事は伝わったみたいだが。
「いいだろ、俺が王子さまで。逆に俺が眠っちゃったら、吉田がキスして起こしてよ」
「ちょっと待てよ。結局どっちが白雪姫なんだよ?」
 いや、どっちも白雪姫ではないのだろうけども。それはさておいて、佐藤の脳内での配役が気になった吉田である。
「どっちも」
 と佐藤が言う。
「どっちも王子さまであり、お姫様って事で良いんじゃないか?」
「……じゃないか、って……」
 そりゃまぁ、実際に劇をしようと言うのではないのだから、厳密に決める必要なんて無いのだが。
 けれど、佐藤が王子様なのは良いとして、自分が王子様なのはどうなのだろう。それを言ってしまえば、お姫様である事の方がもっとどうかしているけども。
「俺にとって吉田は、王子様みたいに格好良くて、お姫様みたいに可愛いよ」
「は、」
 またも何言ってんだ、と言おうとした吉田だが、さっき以上に何も言えなかった。佐藤の悪戯には十中八九引っ掛かる吉田だが、佐藤の本音とそうでない事の区別は何となくつく。今のは、本音で言っていた。
「………………」
 それでも、佐藤が「なんちゃって☆」とかでも言ってくれたらまだ良かったのに、実際の佐藤と言えば、言えた事に満足だ、とでも優しい笑みを浮かべていた。
(ううううぅぅぅ……)
 仕方なくて、吉田は胸中で唸る事しかなかった。顔が熱い。きっと、手にしているリンゴみたく、真っ赤になっているのだろう。
 佐藤は格好良い。わざわざ確認する間でも無く、王子様のように格好良い。立ち振る舞いはスマートで、女子受けに良い所なんてまさに王子様だろう。
 それならば、お姫様みたいに可愛いかどうかは……出会った、というか再開当初なら微塵にもそんな事は思わなかっただろうが、今はちょっと思ったりもする。さっきみたいに、顔を顰めて食べる姿とか可愛いと思うし、他にも本当に笑顔を浮かべたりなんかされたら、ぎゅっと抱きしめたくなる。最近は女子も手強くなって、撒いてくるのも一苦労だとぼやく姿を見れば守ってやりたいな、なんて思ったりもするのだ。こんな佐藤相手に。
 佐藤がそうであるように、吉田にとっても、佐藤は王子様であり、お姫様であったようだ。さすがに佐藤みたく、口に出しては言えないが。
 喋る代わりにリンゴを齧っていたら、さっき床に四散していたように、芯だけの姿になってしまった。折角蜜もあって美味しいリンゴだったのに、ろくに味わえなかった。
 と、その原因を見れば、何やら期待でもするかのように、こっちをじ、と見詰めている。それだけで何を待っているかが解ってしまい、吉田は一層赤くなった。寝なくてもするんじゃないか、なんて悪態をついてみても、笑って流されるのがオチだろう。
 挟んでいるテーブルは幅があるけども、お互いが顔を寄せれば触れ合える距離でもある。佐藤だけでは無くて吉田の意思も必要な分、テーブル越しのキスは恥ずかしい。それでも羞恥を押さえ込み、吉田からも動こうとして、そうしたら。
「ふー、今日も働いた働いたー!」
 まるでサラリーマンみたいな事を言いながら、牧村が入って来た。その後に、そんな牧村より余程疲れたような秋本をを引き連れて。
「おっ、2人はもう昼飯食ったのか?」
「……まぁな」
 どこまでも能天気な牧村に応えてやったのは、頬杖をついた佐藤だった。吉田はドアに手を向ける形で硬直している。顔色が戻るまで、もう少し時間が掛かるだろう。なので、佐藤が代わりに言う。
「そのリンゴ、野沢からの差し入れ……っていうか、デッサンで余ったヤツを吉田が貰って来たって」
 へー、と二人はそれなりの相槌を打った後、席に着いてリンゴに手を伸ばす。吉田が席を移動しなかった為に、佐藤の隣には牧村が腰を下ろした。
「リンゴと言えば、白雪姫だよね」
 言ったのは、見た目からして少女趣味を持ちそうな幼馴染を持つ秋本だった。そう言った秋本の脳内には、すでに白雪姫のドレスでも身に纏った彼女の姿が描かれているのだろう。その顔がいつのに増して締まりがない。同じ思考回路になってしまったが、秋本ならまあいいか、と思える佐藤である。これが牧村だったら、さり気なく脛でも蹴飛ばしていたかもしれない。
「白雪姫か~。俺にとっての白雪姫はまち子さんだな~~」
 誰もが聞いてねぇよ、と突っ込む牧村の台詞だった。その下らなさに、吉田も通常運転に戻る。
「なあ、吉田の好きな子って、どんなだ?やっぱ、お姫様みたいに可愛いのか?」
 折角戻った吉田の調子をまた乱すような事を牧村が言い出す。その対象が吉田に向かってしまったのは仕方ない。この場で相手の顔が知れないのは、吉田だけなのだから。最も、佐藤の相手だと思われているのは真っ赤な偽物――というか村上なのだが。
 牧村の質問を受けて、またもぽっとリンゴのように赤くなった吉田は、ちょっと唸るように言葉を詰まらせた。それから、少しだけ佐藤を見た後、答える。
「うん。可愛いよ」
 そして、続ける。「
「でも、王子さまみたいに、格好良くもあるよ」
 その吉田の答えに、牧村は。
「えっ、まさかの格好良い系!? もしかしてまち子さんみたいなのとか言うんじゃないだろうな!?」
「違う違う!!全っっ然違うから!!!」
 秋本も何となくまち子のような凛々しい女性を思い浮かべていたのだろうか。じゃあどんなのかな?と首を傾げる横で、そりゃぁ全然違うなぁ、と佐藤は顔を綻ばせる。
 片想い独特の盲目さに吉田が振り回されているのを見て、佐藤は齧りかけだった自分のリンゴに口を付けたのだった。




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