夜も更けて来た頃、佐藤の携帯が賑やかなメロディーを奏でる。メールでは無く着信を告げるその音は、何やら今すぐ助けてくれという、エマージェンシー・コールのように聴こえた。実際、吉田からの用件を聞いてみれば、それに類似した内容だった。
『なあ佐藤!! 今日のドラマ録画してたか!?!??』
 必死、の2文字が目に浮かびそうな程、その声は切羽詰っていた。
 佐藤の部屋に置いてある小説の内、今期クールでドラマ化したものがあった。拘りのある中には映像化を快く思わない者も多いが、2人はそういう所には良い意味で無頓着だった。楽しんだ者が勝ち、みたいな。
 幸い脚本はしっかりしていたし、役者もイメージとどんぴしゃりとはいかないが、かと言って失望させる程酷いものでもなかった。中にはその出来の悪さに原作者が筆を折った例も知っている佐藤としては、割と上出来だと呼べる。視聴率も結構良いみたいだ。まあ、別に視聴率で選んで見ている訳ではないが。
「うん、してるよ」
 佐藤が返事する。佐藤は自室にはテレビは無い。勿論パソコンで設定すれば番組だって見られるが、さすがに画面の小ささは否めない。ドラマの時間帯が姉が帰るかもしれない頃と重なっているので、もし帰宅して来た時、早々に自室に引っ込んで後日リビングで悠々と見られるようにと、佐藤はとりあえず録画設定をしてあるのである。何が何でも放送時に見たいという程でも無いし、やはり机の上のPCよりはゆったりと眺めるようにして見たいではないか。
 佐藤の台詞に、吉田は「良かった!ぁ」なのか「よっしゃぁ!」だったのか、その両方とも聴こえそうな雄叫びを上げた。
『実はさ~、録画に失敗しちゃってさ。明日とか、いつでもいいから見せてくんない?』
 吉田も録画組だったが、佐藤のとちょっと事情が違う。そのドラマの裏番組では母親がいつも見ているバラエティーをやってるので、暗黙の了解のようにリアルタイムではこの番組にチャンネルが合わされているのだ。だから吉田も、次の日などに見るのだ。勿論、2人とも、放送時間そのままに見れる時もある。録画するのは言わば保険だ。
「録画に失敗って、変な所でも触ったか?」
『いや、録画設定するのを忘れてた』
 その時のショックでも思い出したか、吉田の声から力が失せる。解り易い反応に、佐藤は小さく吹き出した。
「毎週録画設定しておけば良いのに」
『んー、でもさー、3か月くらいで終わるんだから、面倒かなって』
 佐藤からしてみれば、3か月の間逐一録画設定をするより毎週予約にしておいた方が余程楽だと思うのだが。
 まあ、その辺は個人の印象だよな、と佐藤はあっさり片づけた。何より、それによって吉田が自分を頼ってくれて、部屋に招き入れる口実が出来たのである。何を疎む事があるだろうか。
「吉田の予定が良いなら明日でも見に来て良いけど」
『え、ホント?』
 喜色に溢れたイントネーションに、吉田の返事は決まったようなものだった。案の定「じゃ明日なー」と吉田の声。
 明日の帰り、途中のコンビニでテレビを見ながら摘まむ菓子でも買いに行こう。
 まるで遠足前のわくわくしたような気分で佐藤はその夜、眠りに着いた。実際の遠足では、こんなに浮き足立つ事も無かったのだが、それも吉田が居たら今と同じ心地だっただろう。


 時期的にそういう頃なのか、菓子が並ぶ陳列棚には新製品の文字が多数チラつく。新製品に加え、季節に倣った味付けをされた期間限定も重なると、何が標準なのか解らなくなるような有様だ。
「これ、秋本が美味いって言ってた」
 スナック菓子を手にし、吉田が言う。外見を裏切らない食欲と胃袋の秋本だから、期間限定も新商品もすでに網羅していたとしても可笑しくは無かった。秋本の味の査定に対し、吉田は信頼を置いているらしい。カゴにそのスナック菓子をぽん、と気軽な調子で入れた。そんな信頼すら、佐藤は少し羨ましく思う。
「佐藤は?」
 自分の好きな物を入れたから、今度は相手に、という考えらしい。吉田に尋ねられた佐藤の答えは決まっている。
「吉田の好きなので良いよ」
 実際、吉田の選んだもので不味いものはこれまでにないのだから、何も問題はない。しかし、意見を求めたのにそれが返ってこなかった吉田は、多少不満げだ。
「うーん……あっ、これにしよう。佐藤、美味いって言ってたもんな」
 見つけられて良かった、と吉田は明るく言う。が、生憎佐藤はそんな記憶は希薄だった。むしろ、何を食べてどう感じたのかなんて、殆ど覚えてはいない。何より、吉田と食べる物が佐藤には全て美味しいのだから。吉田との時間が、そしてその笑顔が佐藤には何よりの御馳走だ。
(まあ、一番美味しいのは泣き顔だけどv)
「…………!?」
 佐藤がさらりと物騒な事を思った時、吉田はぶるりと身を震わせた。


「うーん、やっぱり佐藤ん家のテレビはでっかいな~」
 手渡されたハンガーに制服の上着を掛け、改めてテレビと向き合った吉田がしみじみと呟く。自分の家のテレビより、一回りも二回りも大きい。
 これだけの大画面でゲームをしたらさぞかし痛快だろうと、今度お願いしてみようかな、と思う。まあ、その代償に何を強請られるのかと思うと、すぐには実行には移せないが。
 菓子は来る途中で買ったのだから、佐藤は飲み物を準備している。ヤカンに水を張り、火にかける動作すらも洗練されているようで、何だか優雅だ。ぼーっと何となく眺めている間に、佐藤は茶の用意を整えた。漂ってくる香るから察するに、紅茶のようだ。
「じゃ、見ようか」
 リモコンを片手に佐藤が言う。おう、と吉田も本来の目的に大きく頷いた。


 人によるかもしれないが、吉田はテレビは一人で集中して見るより、誰かと雑談を交えながら見た方が面白いと思う。勿論、それで内容が頭に入らなかったのでは本末転倒だが、そこまでにはならない他愛のない会話はむしろ楽しさを倍増させるエッセンスのようだ。
 そして佐藤は博識、というか見聞きした情報が勝手に知識として蓄積されるのか、名前の出ない役者を指せばすぐにその名前と、以前に出たドラマとその配役を教えてくれる。あーあー、と納得しながら、吉田はドラマを見進めた。
「うん、面白かったなー」
 見終わった吉田は簡素な感想を呟く。見ているドラマは連ドラだが、基本一話完結の推理ものだ。けれど、登場人物たちのお互いに対する心情の推移を予測する楽しみはある。
「くっ付くのかな、最後に」
「さあ、どうだろう」
 そうであっても良いし、そうでなくても良い。そんな関係はもどかしさと同じくらいの安心があった。そもそも主軸が別にあるのなら、登場人物たちの恋模様は添え物くらいで良いと佐藤は思っている。そこに気になってメインのストーリーが漫ろになってしまっては、元も子もない。
 原作ありきのドラマであるが、映像にするにあたって若干の改正は行われている。それが劣化になる事はままあるが、とりあえずそこまでにはなっていない。
 1時間弱の視聴の後、吉田は体の凝りを解すように伸びをした。仕草と良い、表情と良い、佐藤はすかさず猫を連想する。
「ありがとなー、さと、ぅ?」
 改めて礼を言おうとすると、すぐ目の前に佐藤の顔があった。その処理が済まない内に、佐藤の感触を唇に感じる。ん、と小さく呻いて吉田は目を綴じた。
 舌は差し込まれないものの、唇同士を執拗に、擦りつけるように合わせるのは、深く交わるのとはまた違った恥ずかしさと心地よさがある。そんなキスの最中、佐藤はさらに身を寄らせ、その重さに耐え兼ねられない吉田はソファの上で横たわった。
「ご褒美が欲しいな」
 不意打ちのようなキスの理由を、佐藤がそう乗せた。だから、別にするのが嫌なんじゃないっていうのに。事前に言えば、心の準備が出来て良いのに、と色んな文句が湧いてくるが、どれも言う事無く、吉田は真っ赤になって呻いた。そんな吉田の様子を、佐藤は目を細めて眺めた。
「ちょ、う、ぁ、」
 一旦離れた佐藤が、再び身を寄せたと思ったら今度は首筋に唇を這わす。指でなぞられただけでも過剰な反応を示す所に、佐藤の柔らかな唇の感触で撫でられては抵抗する力も失せる。その上熱い舌で擽られては、吉田に成す術は無かった。佐藤の思うように、声を上げるだけだ。
(う~、慣れない……!)
 むしろ慣れる事なんてあるんだろうか、とすら思う。ぞくぞくと背筋を伝う感触から逃れるように、吉田は正面から顔を背けた。と、今はもう電源を消したテレビがそこにあり、真っ暗な画面は鏡のように自分達の姿を映し出していた。
「!!!!!!!」
 慌てて顔を元の位置に戻せば、そんな大仰な吉田の仕草にきょとんとなった佐藤が待っていた。
「あ、あ、あ、あの!!」
 どうかしたか?という質問を避けるよう、吉田が先に切り出す。
「ね、寝る部屋に行こう!!!」
 目的こそ違えども、それはこれ以上ない誘いの言葉だった。言った後で、吉田がはっとなる。
 ますますきょとんとした佐藤だったが、こんな嬉しい誘いを蔑ろにするわけがない。若干の不自然さは捨て置き、ならば応えようと佐藤は吉田を軽々と横抱きに持ち上げた。
「わわわわっ!」
 背の高い佐藤に持ち上げられると言う事は、結構な高さまで上がる。吉田から慌てふためいた声が上がった。
「何すんだよ!っていうか、自分で歩く!!」
「おっ、積極的だな~」
「そーゆー事じゃない!!!」
 解って言ってるだろ!と吉田が色んな意味で顔を赤らめた。そんな吉田を宥めるように、まあまあとか呟きながら佐藤は悠然とした足取りで寝室へと向かった。淀みない足運びの佐藤に対し、吉田は暴れんばかりに身じろぎしていく。が、元からそんな距離も無いのだ。抵抗の成果が出る前にあっさりとベッドの上に辿りついてしまうだろう。
 2人の去ったリビングで、真っ黒な画面のテレビは誰も座っていないソファをただただ映していた。



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