別に、佐藤は不感症でも自律神経に異常がある訳でも無い。気温が上がれば暑いと思うし、汗もかく。
 けれどそれは気温の推移で、季節感を伴ったものでは無かった。佐藤にとって、春も夏も大差ない。
 なので。
「暑っいな―――!」
 一緒に居る吉田の反応で、今の季節が何かを知る佐藤なのだった。暑いと叫ぶ吉田の横で、佐藤は初夏の足音を思う。
「まあ、確かに一気に気温が上がったよな」
 佐藤が言う。はっきりと台詞にされた事で、吉田がよりその暑さを実感したようだった。
「参ったな~、普通に上着着て来ちゃった……」
 台詞を零すように吉田が呟く。日中はこんな具合だが、朝方はまだ少し肌寒さが感じられたのだ。だから何の疑問も持たずに普通に着て来てしまったのだが、今となっては音を上げる程に暑い。
 上着はとうに脱いだが、中のシャツが冬用仕様なので涼は求められない。せめてもと腕捲りをした。
「今日、帰りにアイス食べて行くか」
 げんなりした吉田に、少しでもテンションを上げて貰おうと、佐藤が提案する。帰宅部の自分達は、おそらくは気温の下がらない内に帰路に着くのだろうし。
「おっっ、それ、良いな!」
 佐藤の目論見通り、アイスというイベントを入手した吉田は、気だるげだった姿勢を直し、目を輝かせた。やっぱり、吉田はこうが良い、と佐藤も満足して微笑む。
「今年初めてのアイスだなー」
 そう言った吉田の笑顔は、3割増しだった。初めてを喜ぶ吉田に、可愛いなぁ、なんて佐藤は呑気に和んでいるが、それは実は正確では無い。
 この時の吉田がこんなに嬉しそうで楽しそうなのは、その初めてを佐藤と一緒に迎えられるからなのだった。


「アイス、どこで食べる?」
 校門から出て、女子の姿も見かけなくなった頃、佐藤が言う。ついででアイスを食べるのではなく、それが目的なのだから、コンビニに立ち寄る外にアイスのチェーン店に行くのも良いと思う。駅前を適当に歩けば、1つは見つかる事だろう。
 吉田も、その佐藤と同じ事をふと思ったのか、視線を宙に彷徨わせる。が、すぐに何かを決めたらしく、「コンビニで」という返答だった。コンビニならば、それこそどこにだってある。チェーン店によっては置いてある品に差があるが、今回は気にするポイントでは無いらしい。吉田は一番近くのコンビニにさっさと入って行った。自動ドアを潜ればひんたりとした空気を感じる。すでに冷房でもつけたのだろうか。
「アイス、アイス~♪」
 そんな即興で拵えた鼻歌つきで、吉田は早速近くにあった冷凍の品を収めるのケースの蓋を開けた。煙のような冷気がもわりと漂う。
「なあ、パピコで良い?」
 くりん、と首を捻って顔だけをこちらに向ける。そういう仕草が佐藤にはいちいち可愛くて困る。
 佐藤が頷くと、吉田がニカッとした笑顔で応える。
「今日は俺の奢りな!」
 掴んだアイスを揚々と掲げ、吉田はレジへと向かって行った。


 コンビニの外に出るなり、袋は破かれ、中のパピコもぱきっという小気味よい音と共に2つに分離した。
「ほい、佐藤」
「ありがと」
 片方を手渡され、佐藤が微笑んで受け取る。その優しい微笑に、吉田がちょっと顔を赤らめた。佐藤は素を見せるのを嫌うくせに、その素がこんなに綺麗なんて、ちょっとずるいというか詐欺というか。多分、佐藤はこういう素の自分を知らないのだな、と吉田は思う。そんな自分の姿を見せようと、鏡を出した時点で佐藤の顔は歪みそうだから、あるいは一生知らないままかもしれない。まあいいか、その分自分が知ってるんだし、と解決になってるようでなっていない結論で吉田は自分を納得させる。
 さっきまで冷凍ケースに収まっていたパピコは、まだ固い。とても吸い上げられたものではなく、吉田は手の平で握り込んで溶けるのを待った。暑いとはいえ、真夏程でも無い。すぐに手の平が冷たくなり、もう片方へと変えた。その仕草を逐一佐藤が眺めて和んでいたのを吉田は知らない。
 頃合いだと睨んだ頃、口を付ける。目論んだ通り、程よい固さのシャーベット状になったパピコが口内へと吸い込まれる。甘さが先に立つチョコレートコーヒーの味だ。
「ん、うまー」
 それでも普通の液体よりは強く吸わなくてはならず、ぷは、と吉田は合間に息を吐いた。が、味を堪能した後で、満足そうな笑顔である。
 佐藤も一口、口を付けるとなるほど、吉田の好きそうな味だ、と妙な頷きをした。自分の味の好みより、吉田の味の好みの方が解る。それは佐藤にとっては不思議では無く、酷く真っ当な事だった。
 喉が渇いていた吉田は、じゅうじゅうと中身を吸い上げてあっという間に空にした。元から然程量のある物では無い。吉田は道端に捨てるような無礼者ではなく、ちゃんとゴミ箱を見つけてそこへと向かった。がこん、とゴミ箱に落ちた音が聴こえた。
 お待たせー、と吉田が戻って来た。些細な事でも吉田はちゃんと言う。
 自分の分をすっかり平らげてしまった吉田は、物足りなさそうに唇をぺろりと舐めていた。きっと、無意識の行動だろう。
「食べる? 俺の分」
 手にしているパピコを吉田に差し出す。良いのか、という視線を受けて、佐藤はにっこりと笑った。
「ちょっと口を付けたのだけど、良かったら」
 回りくどく間接キスを示唆してみると、通じたらしく吉田が少し怒ったような顔をする。頬が赤くなったのは、勿論気温のせいでは無くて。
「……もらう」
 お、貰うんだ、と佐藤は予想通りなのか、意表を突かれたのか。それでも、普通と比べれば幾分か素早い手つきで受け取り、吉田はあくまで平静を装って口を付けた。再び広がる味に、ああコレコレ、と味覚が喜ぶ。
「よく考えれば、カフェモカだよな」
「へ?」
「それの味」
 チョコレートとコーヒーだから、と細かく言って見せれば、吉田もああ、と理解したようだ。
「そう思うと、お洒落だな」
「お洒落、ね」
「……何だよぅ」
 口にした台詞とは別に意味がありそうな佐藤に、吉田もまた、物言いたげに声を上げる。別に、と軽く言葉を濁してから、佐藤は。
「可愛いなって思っただけ」
「!」
 以前は明らかに揶揄に乗せていたのが多かったが、最近はごく自然に、そんな事を言ってくる。その方が、吉田の心臓に悪い。ドキッと体の外に飛び出るかという程に撥ねるのだから。

 結局、驕りの筈だったのに、大部分を自分が食べてしまった。不満は無いが、不完全燃焼ではある。
 今度はソーダ味のアイスキャンディを買ってみようかな、と吉田は思ってみた。棒が2本付いていて、分離できるタイプの。
 そんな風に2つに分かれる物を買いたがるのは、別に吉田がケチという訳では無い。最も、小遣いに余裕がある訳でも無いが。
 ただ、そうやってアイスを2つに分けて食べるシチュエーションは、いかにも付き合いたての恋人同士、という感じが吉田の中にはあって。かつてそれなりに描いていた予想や理想とは大幅な変更を余儀されたが、佐藤はお付き合いしている好きな人だ。そういうちょっと芝居がかかった事もしてみたいじゃないか。普段は憎たらしいくらいに聡い佐藤だが、このアイスに込めた吉田の思惑はまだ気付いていないようだ。そういうシチュエーションが佐藤には無いかもしれない。あまり、漫画とか読みそうにも見え無いし。
 そんな事を思いっていた折りに、秋本から何やらクーポン券らしきものを手渡された。
 良く見るチェーン店だったが、秋本が通学に使う駅前にも出来たらしい。
 ちょっと前に、幼馴染の洋子との予定が出来た秋本と掃除当番を代わった事があった。そのお礼だそうだ。お礼だけあり、そのクーポン券も中々の代物だった。シングルの値段でダブルが頼める、実質半額の値打ちだ。そして、2名まで有効らしい。
 その文字を見て、すぐに浮かんだのは佐藤の顔。丁度登校してきた佐藤に、吉田が早速クーポン券を片手に向かって行った。


「わー、割と並んでるな」
 その日の放課後、店に赴いていればそこには10人弱の客が並んでいた。皆が女性、どこかの高校の女子で男性は自分達だけだった。肩身が狭いだけなら良いのだが、佐藤に視線が注目しているのは、なんというか面白く無い。かなり。
「何食べる?」
 と、掲げられているメニューを前に、吉田が自分のを選びながらも佐藤に尋ねる。ここは定番の物と期間限定で入れ替わる物がある。今しか食べられないというフレーバーは勿論食べてみたい所だが、期待する美味しさは定番の方で求めたい所でもある。理想としては、その両方が味わえる事だが、ダブルで頼んでも1つずつではとても足りないというのが吉田の本音である。
「吉田は何が食べたいの?」
 佐藤からの問いかけに、俺はねー、と普通に答えそうになり、はた、と思いとどまる。
「俺は、佐藤が何を食べたいかって聞いてんだけど!」
 質問で質問を返すな!と吉田は言う。けれど、佐藤は飄々としていて。
「俺は特に好きだっていうのも無いしさ」
 だから吉田の好きなのを頼みたい、というのが佐藤の言分である。勿論それは、行く行くは吉田の胃袋に収まる予定で。
「う~……でもさ~……」
 そうだとしても、ちょっとはこれよりこっちの方がみたいな好みはあるのではないだろうか。吉田は、そういう事を知りたいというのに。
 でも、佐藤の事が知りたいだなんて、ダイレクトに言うのはいくらなんでも気恥ずかしい。どうにかして、佐藤が自分好みのアイスを選ぶように仕向けたいのだが、どうすれば、と地味に吉田が頭を悩ませている時、後ろから何やら腹が立つほど能天気な声がした。
「なーなー、何にする? 俺はさ、フルーツフュージョンとロッキーロードが良いかなって。特にないなら、俺が決めちゃって良い??」
 そんな浮かれきった声の後、「好きにしろよ」とぶっらぼうな声は他でも無い親友の声だ。
「とらちん? ……と、山中!!」
 ひょい、と身を伸し出して列の後列を眺めると、そこにはやはり、虎之介と山中が連れ立って並んでいた。
 吉田に呼び掛けられ、2人の反応は対照的だった。
「おー、ヨシヨシか」
 虎之介は偶然の再会を普通に喜び、そして山中は。
「!!!!!!!!」
 声が出ない程の恐怖で戦慄していた。吉田と一緒に居る佐藤に。
 数人に順番を譲る形で、吉田達が2人の所まで赴いた。なんで来るんだよ!!!という心の絶叫が聴こえそうな山中の顔であったが、そんなものは無視をした。
「とらちんも来てたんだ」
「ああ、クラスの連中からクーポン券を貰ってな」
 見るまでも無く、それは吉田が貰ったのと同じ物だろう。
「そっかー、それなら、一緒に来れば良かったな」
「だな」
 と、言って仲良く笑い合う2人だが、それを見て佐藤と山中はほぼ同時に「冗談じゃない」と思っていた。2人きりが良かったし、同席するのがこの相手なのも頂けない。
「とらちんは何にする?」
「あんまり甘すぎるのは嫌だな」
「あ、それじゃあ、これとかこれとか、これも良いかも」
 メニューを前に、吉田が虎之介に案内をする。そのアドバイスを、虎之介も素直に聞い入れていた。
「…………」
 折角、吉田の笑顔を独り占め出来ていたのに。こいつらが来たせいで、と吉田と虎之介が隣り合った結果に、自分の横に居る山中を見やる。その目つきに、アイスを食べるでも無く、心臓が底冷えするような思いをした山中だった。


 乗り気だったのは山中だったし、そして誘ったのも山中のようだった。なのに、当然のように虎之介に奢らせようとしていたので、すかさず吉田が自分のは払え、と山中に言う。山中は渋ったような素振りを見せたが、言われた通りにした。ここで断ったら、吉田自体も怖いがその背後の佐藤も怖い。
 山中と、そして佐藤としてはアイスを買ったらさっさと2人きりに戻りたかったのだが、吉田と虎之介が肩を並べてベンチに座ってしまっては仕方ない。その2人を真ん中に置くように、それぞれが隣の端に坐った。
「おっ、これ美味い」
 吉田が短く感嘆する。その台詞以上に、表情が歓喜に満ちていた。吉田が口にしたのはオレオ・チョコレートミントだ。青いミントアイスに、砕かれたオレオクッキーが散らばっている。
「ふーん、俺も一口良い?」 
 強請る佐藤に、吉田は快く頷いた。が、すぐにその顔が膠着したのは、佐藤がじ、と待つように見つめて来たからだ。これはあれだろう、はい、アーン、と待っているのだ。
 ダメだダメだ、絶対ダメ!!とらちん達も居るのに!!という必死な心境を表情に上乗せ、視線だけで拒絶を伝えた。佐藤は悪戯や揶揄をするが、吉田が本当に嫌な事はしない。ちょっとだけ残念そうな顔をして、待機していた姿勢を止める。
「……ほら、」
 しかし、アイスを分ける事はやぶさかでは無い。吉田は、一緒に着いてきたプラスチック製の小さなスプーンに自分の分をたっぷり乗せ、佐藤へと差し出す。口には直接入れてやらないけど。
 佐藤はそれを受け取り、口に入れる。舌で溶かしてじっくり味わう様子を、何となく吉田は眺める。こういう味だと細部まで認知したのか、佐藤は微かに頷いた。はい、とスプーンを戻されて、吉田は何だか困ってしまった。自分が食べる時には使わないアイテムなのだ。それに、間接的な口付である。結局、使わないスプーンを片手に、吉田はアイスを食べ進める形を取った。
 ふいに虎之介達と遭遇して、その偶然さに何だかテンションが上がった吉田は、並んでいる最中はずっと虎之介と話し込んでしまっていた。しかし、そのおかげで佐藤が吉田に意見を求めるでも無く、自分で頼んだアイスの種類を見る事が出来る。佐藤が選んだのはジャモカコーヒーとレモンシャーベットだった。その組み合わせを見て、コーヒーと柑橘系は相性が良い、といつだったか言っていた佐藤の台詞を思い出す。佐藤は複数を頼む時、全体の味のバランスを気にする性質のようだ。最も、吉田だってそこの辺りは、少しは気にしているけども。吉田のもう1つのフレーバーはチョップドチョコレートだ。
 ふと隣を見れば、山中も佐藤と同じく「アーンv」と強請っていた。勿論虎之介が応じる事無く、代わりに拳を食らっていた。けれどやはりアイスは分けてやっていた。差し出されたアイスを、山中は遠慮なくスプーンで抉って食べている。そして、言う。
「こういうアイスも良いけどさ、今度パピコとかも食べようね、とらちん」
 その台詞の最中に出て来た固有名詞に、吉田はアイスを食べながらも咽そうになった。
 その横で、佐藤は山中が言ったのは、つい昨日自分達が食べた物だと佐藤は何となく思う。
「アイス食いながらアイスの話しすんなよ」
 隙あらば迫る山中を鬱陶しそうに押しのけ、虎之介が言う。 えー、だって、と山中は更に言い募った。
「パピコってさ、何か初々しい恋人同士が食べる物ってイメージじゃん?とらちんとそういう事したいよ、俺」
「ンだよ、その勝手なイメージは」
 呆れた口調でそう言ったのは虎之介だが、佐藤も同じ思いだった。まさかそんな、と。しかし、そう思って見た吉田は、耳まで真っ赤だった。佐藤も、ちょっと驚く。
 と、言う事は。
 佐藤は軽く顎を摘まみ、ふむ、と考える。いや、考えるまでもなく答えは解り切っていたが、そうやってワンクッション置かないと落ち着かない気分だったのだ。
「……じゃあ、今度は俺が奢るな」
 詰まらない言い争いをしている2人を余所に、佐藤はそっと、吉田だけに聴こえる音量で言う。必然的に耳元に口を寄せる形になって、その感触だけで吉田はひゃっと軽く戦いた。
 付き合うようになって、それなりに経つというのに、未だ初々しい吉田の反応に、佐藤はそっと笑みを浮かべる。
 今年の夏は、吉田とどれだけアイスを食べるのかな。そう思いながら食べるアイスが、佐藤には一番美味しかった。


<END>