佐藤が居て良かった、と吉田が思う事は多々ある。
 例えば高い所の物が取りたいときや、英語の課題が出来た時(最も重要な事は敢えて表記しない)。
 それから。
「なーなー、パンケーキの美味い店とか知らない?」
 割と情報通の面もある佐藤に吉田は尋ねた。
 最近の吉田の帰り道は、真っ直ぐに帰宅せずコンビニや本屋等に寄って適当に時間を潰している。すると、最近パワーアップだかレベルアップだかした女子を華麗に撒いて来た佐藤が来るからだ。そしてこの吉田の発言は、そんな寄り道によって生まれたものだ。
「何か最近、雑誌とかでもテレビとかでもやたらパンケーキが出てるからさ~ちょっと食べてみたくなってきた」
 甘い物が好きな吉田としては、流しておけない情報なのだろう。確かに、最近富にパンケーキの店が持て囃されているような気がする。ついぞこの前では、ロールケーキが盛んに持ち上がっていたような気もするが。
 吉田の見た雑誌にもパンケーキの特集があったが、それはここから離れた繁華街や郊外の店ばかりだったそうだ。もう少し近場で、美味しいパンケーキを振る舞ってくれる店を知りたいと、佐藤に願ったという訳だ。
 これが吉田以外の誰かであれば「勝手にパソコンで調べれば」と言うか、胸中で思っておいて頷くだろう。前者は男子(特に牧村)で後者は女子か。けれど、吉田の場合に関しては、頼りにされて嬉しいと思う。鬱陶しいだなんて微塵も感じない。
 個人経営はさすがに検索の手が回らないと思うが、美味しいパンケーキを出すというチェーン店ならば吉田の要望に適いそうだ。
 と、言うより。
「吉田、店に食べに行きたいの?」
「ん?」
 言われた意味がすぐに掴めなくて、軽く目を瞬かせる吉田。
「単にパンケーキが食べたいっていうなら、俺が作るけど」
 そう言われて、またもぱちくり。今度は、さっきよりも時間のかかったゆっくりな瞬きだった。
「え、え――――!! いいのか!?」
「何が悪いのかが解らないんだけど」
 揶揄するように軽く笑って言う佐藤だが、今の吉田にはそんな悪戯も届かない。
「じゃあ、じゃあ、次の土曜でも良い?」
「うん、勿論」
 佐藤が快く頷くと、わーい!と手を万歳をするように突き上げて喜ぶ吉田。もう高校生だというのに、こんな無邪気で良いんだろうか、と不安になるより可愛いという眼福の方が勝る。
 それに、吉田はずっとこの先変わらないと思う。成人しても、三十路になっても、それこそ白髪になろうとも。吉田はずっと吉田で、自分の好きな吉田のままなのだと、佐藤は思うのだった。


 土曜日に予定なので、足りない物はその前ですでに補充しておいた。後は、当日吉田を迎え入れるばかり。
 チャイムが鳴り、佐藤の鼓動も弾ませて玄関に向かう。
「お邪魔しまーす」
 靴を脱いでひょいっと上がる吉田の姿が愛おしい。最初に招いた頃は、しきりに首をきょろきょろと回して全てをもの珍しそうに見ていたが、今となってはそんな様子は無い。自分の部屋に慣れた様子が、佐藤に温かくてくすぐったい。本棚の配列も、覚えているような吉田だ。
 事前に聞いた吉田のリクエストにより、今日作るパンケーキは薄く短時間で焼けるものでは無く、分厚くてふんわりとした奴だ。特集で取り上げられるにしても、そのタイプが多い。この辺り、日本人の味覚かもしれない。
「ちょっと時間がかかるけど」
「うん、いいよ」
 わくわくとした心持で、吉田は頷く。最初からこんなに機嫌の良い吉田も割と珍しい。いや、佐藤の変な悪戯さえしなければ、吉田もいつもにこにこしているかもしれないが、吉田にちょっかいを出さない自分はもはや自分では無い、とすら思っている佐藤である。
 生地はすでに作ってあるから、あとは焼いてやるだけだ。吉田の希望するふんわりとしたパンケーキを作る為、五徳をもう1つ重ねる。ふんわりさせるコツは、弱火の遠火でじっくり焼くのがコツなのだ。
「なー、これ、どこの粉?」
 ボウルに入っている生地を見て、吉田が言う。自分の家だと、大抵は森永のホットケーキミックスだが、たまに奮発してホテルニューオータニの粉を買って作るのだそうだ。吉田家の食事スタイルの一端を聞き入れ、そして佐藤が答える。
「いや、自分で作った」
「え、え?? 粉とか色々自分で混ぜたって事か??」
「うん、そう」
 あっさり頷くと、すっげー!とパンケーキを作ってやろうか、申し出た時以上の感嘆の声が響く。
「別に難しい事なんて無いよ。小麦粉にベーキングパウダーに、あとは砂糖とか塩とか」
 それさえしてしまえば、あとの手順は市販のホットケーキミックスと同じである。佐藤には手間程の手間では無かったが、したことの無い吉田には心底感心する出来事だったようだ。
「どんな味なんだろー」
「……いや、そんなには変わらないと思うけど」
 それまでは各家庭で自ら配合していたパンケーキの元の、最大公約数の味として売り出されているホットケーキミックス粉なのだから、そんな劇的な違いは無いと思う。しかし吉田は、粉からの手作りのパンケーキに思いを馳せている。
「…………」
 ふつふつと膨れ上がって行くパンケーキに、頼むから上手く焼けてくれよ、と佐藤は祈るよりも脅すような気分で胸の中で呟いた。


 そんな佐藤の脅し(?)も効いたか、パンケーキは失敗する事無く、ふんわりと綺麗に焼き上がった。白くて丸い皿に乗せ、ナイフとフォークの置いてある場所へと乗せる。その周りには、トッピングとして取り揃えた物が並んでいる。
「こっちが蜂蜜で、こっちがメープルシロップ。それと、チョコな」
 バターは取り易い大きさに切って、ガラスの小皿に乗せて出してやる。最初、店を教えてくれという流れなのを思い、何となくカフェ風のテーブルコーディネイトにしてみた。ランチョンマットも敷いて。
 その甲斐あったか、お店みたいだー!と席に着いた吉田も喜色を浮かべている。自分の服装もいっそカフェ店員みたいなエプロンにすれば良かったかな、と吉田に関しては凝り性を発揮する佐藤だ。
「じゃ、いただきまーす!」
 吉田は蜂蜜とメープルシロップの瓶の2つにまず迷い、やがてメープルシロップに手を伸ばした。あるいは吉田の家ではメープルシロップがデフォルトなのかもしれない。こういう時、まずはスタンダードから試したい所だ。
 表面にメープルシロップをたぱーと螺旋を描きながら掛けて行った吉田は、次にナイフでその表面を均していく。それから、中心にバターの欠片をぽん、と乗せた。半分くらいはそのままバターを溶かすように、さっきみたくナイフで表面を滑らせ、もう半分はそのままにしておいた。
 ナイフをパンケーキに切り込ませ、一口大に切り取ったそれを、吉田はもう一度目で楽しんだ後ぱくり、と口に含んだ。いささか一口には多い気がしたが、吉田は口の中を目一杯含ませることでそれを可能にした。
「んー、美味いー!」
「それは良かった」
 吉田の台詞がお世辞や社交辞令で無い事は、その顔で解る。半ば無理やり口に入れたため、口の端に着いたシロップを吉田は舌でぺろりと舐めた。気付かなければ自分がしようとしていた佐藤は、残念頻りである。まあいい。チャンスがこれっきりとも限らない。
 ふわふわのパンケーキはたちどころに吉田の胃袋に収まった。勿論、これで終わりでは無い。途中でおかわりの要請を承っていた佐藤が、空になったさらに再びパンケーキを乗せて提供する。今度はチョコレートシロップで味わう吉田のようだ。
「あと、これ。果物とか」
 味の変化を付け、一口一口を常に新鮮な美味しさで味わって貰いたいと、佐藤はカットした果物の盛り合わせも差し出した。凄い!とまたも吉田が声を上げる。
「佐藤、お店やれるんじゃない?」
「パンケーキだけの?」
 短絡的が潔い吉田の提案に、佐藤が意地悪のように突っ込む。
「えー、ダメか? 結構いけると思うけどな」
 割と真剣に思った上での発言だったらしく、吉田がそんな事を言っている。まあ、今ならブームに乗れるかもしれないが、いつかは去るのもまたブームの特性だ。パンケーキ一本ではとても勤まらないだろうし、何より佐藤は吉田以外に振る舞うつもりは全く無かった。これだけ用意するのも、相手が吉田だからこそすれなのだ。他の奴ならそれこそどうだって良い。
「でもさー、パンケーキも結構不思議な食べ物だよなー」
 もぐもぐ、とそれを食べながら吉田が言う。
「ケーキじゃないし、パンでも無いし……パンケーキはパンケーキって感じ」
 感覚だけでさっぱり要領のえない内容だが、吉田の言わんとする事は何となく解る。ケーキのスポンジともパンの生地とも違う食感と味は、確かに特有のものだ。他に分別は効かない。だから、佐藤の言いたいことは1つだけ。
「パンケーキのパン、はそのパンじゃないぞ、吉田」
「……えっ、違うの??」
 フライパンのパンだよ、と真実を佐藤が言うと、吉田は目を丸くしていた。


「佐藤の分は俺が作る」
 と、吉田が言ったのは3枚目のおかわりを聞いた時だ。別にまだ満腹では無いだろうが、してみたくなったのが本心かも知れない。
「フライパンで作るのって初めてだな。いつもはホットプレートだし」
「まあ、でも、違いなんて無いから」
 コンロの前に立った吉田に、佐藤が言う。
 生地を流し、表面にぶつぶつが浮かんだらひっくり返す。敢えて言うなら、面積が小さい分それが難しいだろうか。
 佐藤は別にふっくらには関心はないので、普通の(?)薄いパンケーキを望んだ。五徳を取り、元の形に戻す。吉田もまるで料理が出来ないという訳でも無いから、フライパンの温め方は教えるでも無かった。じゅう、と生地が熱を受けている音がする。
 さっき、佐藤が作っていたものに比べると、かなり火の通りは早かった。表面に合図のようなぶつぶつが現れ、ひっくり返す時を報せる。フライ返しを片手に持った吉田は慎重に、しかし最後は大胆に「よっ」という掛け声付きで裏返した。ちゃんとフライパン内に収まり、少し濃いキツネ色の表面が覗く。
「やった、成功♪」
 綺麗にひっくり返す事が出来て、吉田も満足そうだ。後は焦げに気を付け、適当な所で皿に移せばよい。
 軽く下を持ち上げ、生地の様子を確認し、皿に乗せる。
「ほら、佐藤」
 立場を逆にした吉田が佐藤に振る舞う。佐藤はナイフとフォークを手にし、吉田とは違い正確に口の中に納まる大きさで切り取った。掛けたのは吉田と同じメープルシロップ。
 口に入れ、咀嚼する。この時、口以外にも変に力が入るから、変な顔になるのだと思う。しかし、思ってもなかなか直せないのが癖というものだ。もげもげ、と今も多分そんな蠢くような動きになっていると思う。
 ただ、一番の問題は、そんな風な食べ方を、吉田がからかうだけで本気に嫌がっていない事だ。だから佐藤も、まあいいか、なんて甘んじてしまって。
 でも吉田が良いのなら、もうそれで良いんだとすっかり決めてしまっている佐藤だ。


「フライパンの上でさ、ぽーんて宙返りみたいなの出来る?」
 あれから再び調理の担当は佐藤に移り、今度は自分も薄いのを食べたいと言う吉田が次いでそんなリクエストをしてきた。
「うん、出来るよ」
 軽く佐藤は返事をして、その軽さの分簡単にやってみせた。ぽん、と宙に浮いたパンケーキがくるりと反転して同じ場所に収まる。その見事さに、うわー、と吉田も拍手する。
「吉田もやってみる?出来ると思うけど」
「えー、いいよ。失敗したら勿体ない」
 それより早く食べたいと、吉田はそれが最優先のようだ。
「うん、薄いのは薄いので美味しい」
 満足そうに言う吉田。隣に腰掛け、佐藤はまた口の中に物が入っている状態の吉田の頬を軽く抓む。
「んむ?」
「いや、パンケーキのふわふわしてるの見ると、吉田のほっぺた思い出しちゃって」
 こっちもふわふわ~と佐藤が面白がって痛みの無い加減で頬を抓る。しかし、痛くは無いものの、感触はある。口の中までむず痒くなってきた吉田は、口の中を飲み下すと佐藤の手を払う。
「もー、食ってんの邪魔すんな!」
「良いじゃん。今日のご褒美って事で」
 そして佐藤は、パンケーキより、甘くふっくらとした吉田の頬に軽く口付た。途端、イチゴよりも赤くなった吉田が、いい加減にしろー!と叫ぶ。佐藤だって、美味しそうに自分の作ったパンケーキを食べる吉田の邪魔をしたくはないが、吉田ばかり甘いものを満喫してずるいではないか。自分だって、顔が緩むような甘さを感じたい。そして佐藤にとってそれは、評判のスイーツでも何でも無くて。
 誰かが見れば、それは恋じゃないよと言うかもしれない。焦がれすぎた憧憬が歪んてしまっただけなのだと。
 それだって良い、と佐藤は思う。ケーキでもパンでも無いパンケーキがあるのだから、恋でも友情でも無い感情があったって良いじゃないか。
 そしてそれに包まれている自分は幸せなんだと、佐藤は何百回、何千回とでも言い張ることが出来るのだから。



<END>