最初があれば終わりもある。このままずっと無人島暮らしも良いかもな、と思った時に艶子の迎えはやって来た。一日の感覚もおぼろげだったが、太陽の昇降で確認した通りの日付で合っていた。
 牧村は心底辟易していたようだが、秋本と吉田は結構楽しかった、と帰りのヘリでも呑気に話し込んでいた。佐藤としては、エンジョイ半分、不満が少し、と言った所だろうか。あれが2人きりなら、と帰りの今でもちょっと夢想しないでもない。
 それでも、いつもの町に立つ吉田を見て、何やら安心したような気持を抱いたからやはり自分の日常はこっちで正しい。
 吉田と最後までは、やはりあの島では無くここの、自分の部屋が相応しい舞台だろう。


 夏休みを明けて時に何かが変わるでも無いだろう、と思っていたら油断していた。女子がパワーアップしていた。あれが女子力というヤツか……いや、違うだろうが。
 おかげで吉田と帰るのも一苦労だ。別にあの時の流れに乗りかかりたい訳ではないけど、単に一緒に居たい。顔が見たい。
「夕食って、吉田の方どうなってる?」
「え?」
 道すがら、佐藤からの質問に吉田は目を瞬かせた。
「今日、姉ちゃんが帰るの遅いからさ。一緒にどうかなって」
 佐藤が付足して言うと、吉田は何度も何度も頷いた。台詞こそ無いが、長く居られるのが嬉しいと輝いた表情が物語っている。その明るさに中てられたように、佐藤はう、と顔の下半分を手の平で覆い隠した。幸いというか、今回は吉田からの「変な顔」という突っ込みは来なかった。
 放課後からかなり時間が経って、太陽もすでに地平線に近づき始めている。今から部屋に行っても、長い時間は過ごせないだろうと思っての佐藤の提案だった。思えばすでに学校で8時間は共に過ごしている筈なのに。まあ、その間中、ずっと顔を見た訳でも話を交わせている訳でも無いのだが。
「晩飯って?」
「んー、俺が適当に作っちゃって良い?」
 外食に行くより部屋で二人きりが良い。裏にそんな意味を含ませて言うと、それを感じ度った吉田が頷いた後ふわりと笑う。そんな笑顔を見て、何やら佐藤は心臓がひっくり返ったような心地になった。


 佐藤の作ってくれた食事は冷蔵庫の中にあった物だけで作られたものだが、それでもとても美味しかった。南の島では基本、海水からの塩だったから、醤油や味噌がとても美味しく感じられる。豚肉とキャベツの甘辛味噌炒めでご飯が何杯も進む。
 少しの時間も離れがたくて、2人で並んでの洗い物だ。佐藤が濯ぎ、吉田が拭いてシンクに置く。それだけの連帯作業が何やら心地よいリズムのように感じられる。
「佐藤、南の島でも活躍だったよなー。火を起こしたりしてさ」
 おかげで魚を焼いて食べる事が出来た。艶子は真水だけは置いてくれたが、佐藤ならそれも何とかしたと思う。それと、森に生えている果実が食用かの選別も佐藤がやってくれた。
 思えばあんなに楽しかったのは佐藤が居たからなんだよな~、と箸を口に着け、吉田は思い出に浸る。
「秋本も楽しいって言ってたよ」
 あの島で損をしたのは水着の女の子目当てだった牧村くらいだ。まあ、同情の余地もないのだが。
 秋本と言えば、と佐藤は今日の様子を思い出した。吉田は佐藤なんて自分をほっといて女子にばかり、と思っていたが、佐藤の意識は常に吉田に向かっている。おかげで野沢双子に意味不明な取り合いをされていたのも確認済みだ。
「なあ、吉田って」
 食事の後片付けも終わり、適当に飲み物を用意して自室に着くと佐藤はそうやって話を切り出した。麦茶を佐藤の分も注ぎながら、吉田は何?と首を軽く傾げる。
「あまり日焼けが残らないタイプ?」
 秋本がまだこんがりチャーシューだったというのに、南の島で同じく焼けていた吉田は今日登校してみた時には普段の肌色に戻っていた。
「え、そう?」
 吉田にしてみれば、日焼けすらしていない佐藤に言われるのも妙な気持ちもするのだが。
「秋本なんてまだ真っ黒じゃん」
「いやー、秋本の方が残るタイプっていうか……それに俺も、良く見るとまだ肌の色の違うよー」
「……へぇ」
 何の気なしに言った最後の一言だったが、佐藤の目が怪しく光る。
 そこに気付けなかった吉田は、佐藤が近づいた事に大した意識も無かった。
「まーなー、風呂とか入ると……っわ―――――!」
 そのまま、肩を軽く掴まれたかと思えば、流れるような動作で床に押し倒される。麦茶の入ったグラスを持って居たのだが、佐藤がそれすら上手く取ってすでにテーブルの上である。
「何、何すんだっ……っ!!」
 思えば、この体勢はかなり久しぶりに感じられる。真上にある佐藤の顔に、吉田は何だか顔を逸らしてしまった。
 場所が専ら砂浜だからか、佐藤は吉田を押し倒す姿勢は取らなかった。お互い座り込んで、息遣いが感じられるくらい顔が近くて。まさに少し手を伸ばせば届く距離だった。佐藤から伸ばせれた手と、自分が伸ばした手のどっちが多いかなんて数えるのが馬鹿らしい。
「見てみたい」
「へっ?」
「日焼けしてる所としてない所v」
 そんな台詞が聴こえた直後、カチャカチャと何か金属的な音が下から聴こえる。逸らした顔を真上にし、そして下に移すと吉田は目を丸めてぎょっとなった。
「わーバカバカ!何してんだバカ――――!!」
「だって、水着を着ていた所となると……ここだろ?」
「馬鹿―――――!!!」
 しかしそんな抵抗虚しく、するん、とズボンはあっさりと脱がされてしまった。ひらひらとズボンが目の前で揺れているのに、ぎゃぁ!と吉田から声にならなかった悲鳴が上がる。
「……まだ見えない」
 そう呟いた佐藤は、悪魔のような笑顔を浮かべていた、と吉田は後になっても思い出す。
「バカバカバカ、それはヤバい!ヤバいって!!!!」
「何を今さら」
 そう言われて、蒸し返すような島の空気を思い出した。その記憶に捕えられ、一瞬止まってしまった吉田はまさに佐藤の餌食になる。さっきよりも呆気なく、下の一枚をはぎ取られてしまった。吉田の身体は特には拘束されてないので、手を使ってとりあえずはガードする。
「お、お、お、お姉さんは!!」
 今それを言うんだ、と必死な吉田の突っ込みに、佐藤は暢気に構える。
「大丈夫。9時前には帰らない」
 佐藤の姉にこんな場面をうっかり目撃されたらもはや舌を噛むしかない、とすら思っていた吉田にとってそれは僥倖……ではない。
「ちょ……っと、佐藤!!」
 今日はそういうつもりで来た訳じゃ無かった、とここで言って素直に従ってくれるだろうか。吉田だって、本当に全くその気が無かったのかと言われると、何やらすぐには頷けない。学校に来て、同じ空間に居るのに触れられない距離がもどかしくて。
 触れないなら意味が無いと、視界に入る佐藤を無視して不貞腐れていた。そんな所を野沢弟が通りがかり、エロスが見えるだのなんだのと。なまじ心当たりがあるだけに、違うとも何言ってんだとも言い切れず。
「さっ……!」
 覆い被さるようにそっと近づいた佐藤が、しかし素早く唇を重ねる。佐藤の感触だ、と何故か安心した。段々と深く長くなるキスに、吉田も懸命に追い縋る。下を隠していた手が、知らずに佐藤の服の袖を握っていた。
 吉田の撥ねる髪を、それも愛撫の一環のように艶めかしい手つきで撫でる一方、もう片方の手は体のラインを辿って下降していく。鎖骨に佐藤の指を感じて、吉田の身体がビクリと戦いた。その吉田に、殊更優しく頭を撫でる。
 傾れ込んでしまったのが納得できないのか、吉田がうー、と唸る。目の端に涙が少しだけ溜まって、きらりと電灯の光を弾き返していた。
 それまで密着する程だった佐藤の身体が、ふ、と浮く。まさかここで終わるとは吉田は思ってはいない。
「……っ!」
 先ほど、目の前の視界にズボンが垂れ下がっていたのも目を剥いたが、今度はそれ以上の衝撃だ。ひょい、と自分の片足が上がっている。
「わ、うわ、コラ―――――!!!」
「ああ、確かに肌の色が違う」
「見るな馬鹿―――――!!!」
 こうなってはこんな文句も虚しい。ふるふると真っ赤になって震える吉田に、佐藤はさらに仕掛ける。上がった足はそのままに、佐藤が吉田の視界から消える。身をかがませたのだ。何をするんだと吉田が慌てた時には、すでに佐藤は行動に移っていた。程よく引きしまった内腿に躊躇いも無く舌を這わす。ひ、と上擦った声が吉田から上がった。この体勢だと、その顔が見れないのが唯一の欠点である。
「どっちかと言うと、白い方が美味しそう」
「お、美味しそうって何……ひゃ、ぁッ!!!」
 れる、と佐藤の舌が何かをなぞるように動く。場所から見て、日焼け跡のラインをなぞっているのだろう。何してんだ、とこれまでに何度も思った台詞を、今にして一番強く思った。
「っふ、う、ぅー……!」
「我慢するなよ」
 必死に声を押し殺している吉田に、顔の見えない佐藤がそう語りかける。勝手な事言いやがって!と言ってやりたいのは山々なのに、今口を開けば全てが熱い吐息に変わってしまいそうだ。
 際どい場所ではあるが、直接刺激されたでも無いのに反応している自分が恥ずかしい。こんな恥ずかしい自分を、佐藤には見られたくないのにそうしているのは佐藤だ。何だか、訳が分からなくなってくる。
 思えば、あの島だってそうだった。2人が寝入って、波の音だけして。こんな人工的な光も無くて、佐藤しか居なくて。だから手を伸ばした。他はもう、何も解らない。
 荒くなっていく自分と佐藤の呼吸の向こうに、打ち寄せる波の音を聴いたような気がした。


「……あ~、もう~……」
 シャワーから上がり、吉田はぶつくさと佐藤の自室まで戻った。着替え何て持って居る筈も無いので、バスタオルが衣服の代わりだ。悔しい事に、大きさたっぷりな佐藤のバスタオルは、吉田の身体を容易く包んでしまえる。
 早々に佐藤が吉田を脱がしてしまった甲斐あって、制服は無事だった。しかしそのつけが吉田に全部回って来たようで、シャワー浴びずにはとても帰れないような状態だった。何だかんだで、南の島から帰って来てから間があった。然程気にしないようにしていたが、やはりお互い飢えていたのだろう。吉田も、何だかすっきりしているのはシャワーを浴びたからだけではない。
 佐藤はもっと生き生きしていて、女子が見たらもれなく卒倒する笑みを浮かべている。こういうのを100万ドルの笑顔とかでも言うんだろうか、と部屋に戻って吉田が思う。さっきの麦茶に氷が入ってある。それが有り難く思えた。ごくり、と飲むと今度は体の内側から潤う。
 飲んでいる途中、ちらりと時間を気にする。身体の水気を完全にとって、少しまったりして帰宅。そんな具合だろう。
「吉田」
 相変わらず凄まじい笑顔のまま、佐藤が横に坐った吉田を抱き寄せる。さすがに今からは無理!と吉田が顔を真っ赤にして言うと、もうしないよ、今日は。と最後に何やら気になる一言を付け加える。
「帰る時間になるまで、こうしてて良い?」
 ぎゅ、と体に巻き付く腕は、シャワーから上がったばかりの吉田には熱い程だった。また、汗を掻きそうだ。そう言えば佐藤は汗を掻いていない。元から掻き難い体質なんだろうか。特に汗臭くもない。
 それを確認するように、ふんふん、と鼻を顔のすぐ横にある腕に擦りつけるようにすると、今度は少し剥れたような声で、佐藤が「……誘ってるのか」と呟いた。要するに、我慢してるのに煽るな、という事らしい。さすがにそれを悟れない吉田でも無い。慌てて元の体勢に戻ると、頭頂に佐藤の顎が乗る。
「ちょ、重い~」
「吉田の顔の位置って、俺に本当に丁度良いんだよな~」
 真下からの吉田の声を、完全無視して佐藤が言う。佐藤があまりにも楽しそうに言うものだから、吉田も何だか気が、というか毒気が抜けて、何やら頬も緩んでしまう。身体の力を抜いてしまえば、佐藤の腕の中の居心地は良かった。
「明日、とか、一緒に帰れるかな?」
 佐藤が女子を撒くのにとても苦労したのは、現れた時に草木を体に付けていた様子で見て取れる。しかし、一体どういうルートを通って来たのか。
 吉田の呟きに、頭上の佐藤が軽く唸る。
「頑張るよ」
「あんま、無理はするなよ?」
「いや頑張る」
 間髪置かずに言い返す佐藤が、まるで子供のようで可笑しかった。思わず吹き出すと、何、と上から佐藤が覗き込む。
 佐藤が覗き込んで、上下に向かい合ったその顔に、吉田が軽く首を伸ばして触れるだけのキスをした。
「……だから、煽るなって」
 すぐに顔を引っ込ませた佐藤が、苦々しい口調で言う。その顔が赤いと、吉田は良いと思う。
 さっきは自分が散々仕掛けられたのだ。これくらいは許される筈、と吉田は悪びれもせず帰り支度の時間になるまで、佐藤を座椅子代わりにしていた。
 あれだけ毎日、佐藤を感じる日々は去ってしまっただろうけど、その機会は自分で作れる。
 今日は何だか勢い任せだったけど、もう少し自然に言ってみたいな。だって、佐藤と居るのは凄く自分にとって普通の事。
 テーブルの麦茶に手を伸ばし、吉田はそう思った。



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