ヨシヨシ、相談してぇ事がある、と告げて来た虎之介の表情はあまりにも優れない。また山中のバカが浮気でもしたか。だったら先回りして山中を先にぶん殴っておこうかと思った吉田だが、まずは話を聞く事を先決にした。結果として、その判断の方が正しかった。
「あいつ、何か隠し事してる……と、思う」
 ここで言われた「あいつ」とは山中の事である。またか!と吉田は憤ったのだが、虎之介の態度の方が気掛りだ。そもそも、山中の浮気程度ではもはや相談もして来ない。自分で殴ってけじめをつけるし、それにいちいち相談していられないくらいの日常だからだ。
「? 思う?? してるんじゃないの、それ??」
 虎之介は自分と同じく、あまり聡い方でも無かった。が、山中の浮気の事となるとほぼ100%で見抜いてくる。わざわざ自分に確認するまでもないと思うのだが。
 公園のベンチに腰掛け、天候は気持ちの良い晴れなのに、虎之介の顔は曇り空も通り越し、土砂降り良い所だ。
 吉田の問いかけのような確認に、ゆるゆるとした動きで首を振り、言う。
「浮気だったら解んだ……何となく、ピンとくるっていうか」
 でもそれが今回は無いと言う。虎之介は、山中が実際に浮気をしているのかどうかより、自分の勘が働くなった事の方に嘆いている感だ。
 山中が凝りもせず浮気を繰り返すのは、それを虎之介が怒る事により愛情を確かめているような傾向がある。ならば、虎之介の方もそれを見抜ける事で自分の気持ちを確認をしていたのだろうか……だとしたら、ちょっと、歪である。とは言え、自分達も傍から見て正当と呼べるような恋をしているかと思えば吉田も力強くは頷けない。でも、そんな事は当人同士が納得していれば良い事だ。まあやっぱり、ちょっと釈然しないけど。
「まあ、ほら、どうせ山中なんだし、何か企んでいたって、どうせ大した事ないって」
 励ますつもりで言ってみたのだが、虎之介は元気を取り戻したとは言い難い。
 これが他の人物を相手ならば、虎之介は吉田に相談する前に、当人に即座に問いつめていた筈だ。
 でも、それが出来ない。吉田は、それが解る。
 好きな人を、根拠もなく疑う事はしたくないという気持ちが。


 けれど、ピンとはこないだけで何かごそごそやっているなという空気は掴んでいるらしい。器用な人ならそこで探りを入れられるのだろうが、生憎虎之介も自分もそういう事はむしろ不得手だ。
 なので。
「おい山中! 何を陰でこそこそやってんだ!?」
「な、な、な、何だよいきなり!?」
 山中は狼狽するが、それが吉田の台詞の内容なのか勢いなのかは、まだちょっと判別つかない。どっちでも良い吉田としては話を先に進めた。いつもは吉田が呼び出される所を、今日は吉田が呼びだしたのだ。山中は凄く怪訝そうな面持ちをしたが、佐藤の事もあるのか大人しく従った。来い行かないと面倒な問答をせずに済み、佐藤、ありがとう!と本人にはありがたくもないだろう感謝の意を胸中で述べる。
 で、例の指導室へ呼び出した所、山中が席に着くなり第一声として詰問の声を浴びせた。椅子をがたつかせて戦く山中。
「いいから! お前が何かやってんのは解ってんだ! はっきり白状しろ!」
「な……なんだよ、呼び出しておいて人聞きの悪い……」
「普段の行いだろ」
 怯える山中に、吉田はふんっと言い放つ。
「で、今度はなんだ。どこの女と遊んでんだ」
「何で浮気と決めつけるかなー」
「普・段・の・行・い」
 吉田はそこを繰り返した。
「でも、何かしてるのは確かなんだろ」
 何も見逃さないように、吉田は真正面の山中を睨む。山中は観念したように「……無いとは言わないけどー、」と言って目を逸らす。
「で、何してんだ?」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
 沈黙が2往復くらいした所で、吉田は徐に携帯を取り出した。すぐさまその真意を図り、顔色を悪くする山中。が、それでも。
「さ、佐藤を呼び出したって、話さないからな! ああもう話さないともさ俺は!!!」
「そんな震えてよく強がれるもんだ」
 いっそ山中自体が携帯になったように、小刻みに全身がバイブレーションを起こしている様子を見て、吉田が言った。


 結局、その後本当に佐藤を召喚する事無く、吉田は山中を開放してやった。山中がどれだけ佐藤を苦手、というか畏怖の対象としているかを知っている吉田だから、それでも喋らないという山中の根性に一旦は引いてやる事にする。山中にも、何か譲れない事情がありそうだし。
 それでも、隠し事をしているという事実は確かなようで、それが気になると言えば気になる。あるいは当人同士に任せるべき問題かもしれないが、虎之介の動揺を見るととてもほっとけない。
 全く山中め、何を企んでるんだか。
 吉田は胸中でぼやく。
 ああ、頭が痛い。
 そして頬も痛い。
「ふに゛―――――――ッ!?」
「吉田お前……他の男の事を考えているな?」
 ぎゅうぎゅうぐいぐいと遠慮も容赦も全く無しに、佐藤が吉田頬を抓る……というか、伸ばす。いーたーいーぃぃぃぃ!と吉田の喚き声を存分に堪能した後、佐藤はようやっと手を離した。
「な、何すんだよー! ちょっと考え事してただけ……」
 痛い痛い、と伸ばされた頬を摩る吉田。確かに、佐藤の自室で2人きりだと言うのに、余所事に気を取られたのは不味かったかもしれない。が、その代償としてはあまりに割に合わない。
「ふーん?」
 その考え事って何だ?という尋ねる口調に、吉田はちょっとだけ事情を零す。
「んー、まぁ、何ていうか、隠し事を上手に聞き出す方法?」
「自分に合わない事はしない方が良いよ」
 と、言って今度は額を軽く小突く。その衝撃に軽く仰け反った顔を不満の表情を乗せて戻した。
 佐藤の言いたい事は解る。けれど、困っている友達をそのままにする方が、余程吉田の性分には合わない。
 佐藤に協力を仰げば、とっとと片付く案件かも知れないが、トラウマを新たに受け付ける方法は最後までとっておこうと吉田は思うのだ。
「……勘っていうのは、悪い方にしか働かないものらしい」
 不意に佐藤が言い始める。何の事だろうと思いながら、吉田はその続きを待った。
「だから、何かあると解っていてもピンとこないのは、隠し事にしろそれは良い事なんじゃないかな」
「……そうかな~~」
 と、吉田は渋い顔で応える。これが秋本だったら、はたまた牧村でも、佐藤の台詞をそのまま信用できたかもしれないが、何せ相手はあの山中だ。善行というものから、最も離れていると言って過言ではないと思う。
 けれど。
「きっとそうだよ。吉田がそんなに悩む事無いって」
「……………」
 そう言って、ぽんと頭に置かれた手とその微笑に絆されてしまって。
 一旦、虎之介、という事か山中の事は頭から飛び出てしまった吉田だった。


「おい、山中」
 何とかせねば、と思っているのは吉田以上に虎之介もだ。そして虎之介は、もう少し踏み込んで尋ねても良い立場にある。と、思う。
「ちょっと面貸せ」
 その顔と台詞も相俟って、何やらカツアゲでも始まりそうな雰囲気である。が、山中としては大好きな恋人からのお呼び出しである。何何?と相手が不機嫌なのを差っ引いて嬉しさが勝っている顔をしている。
 その能天気な顔の奥で何を隠しているのか、と頭の中が燻るような思いを虎之介は抱く。
 曖昧な事は通したくはない。けじめはやはりしっかりつけたいと、虎之介は散々の葛藤の後、正面から切り込む事にしたのだった。
「お前、最近何を隠してる?」
「え、」
「隠してる事を隠しても無駄だ」
 と、よく解らない虎之介の言い回し。
「証拠なんて何もねーけど、解るんだよ。で、何してやがる」
 その内容によってはただではおかない。強面でそんな雰囲気を滲ませてしまうと、話す気のあるものも黙ってしまうものであるが。
 まあ、この場で山中があー、とかうー、とかでまさに言葉を濁しているのは虎之介のその顔とは関係ないのだが。
 ううう、と心底困り果てた山中を見て、虎之介も胸が詰まる思いだ。そんなに自分には秘密にしておきたいのか。あれだけ好きだって言っていたくせに。
 まさか、本当に他に好きな人が――……
 敢えて逸らしていた悪い考えが、山中を前にして一気に湧いた。別れ話で拗れるとでも思っただろうか。だったら本音を隠したまま付き合うとでも?
 それこそ冗談ではないと、虎之介が言う。
「……別に、構わねーけどな。お前に他に好きな奴が出来たって」
「え?」
 山中は全く持ってそんな台詞も吐いていないのだが、虎之介の中ではいつの間にか決定事項になってしまった。最もこれは何も言わない山中が悪いのだが。
「ちょ、ちょっと、どうしてそういう事になってんの!?」
「……だってお前、本当の事言わねーし……」
 言いながら、山中に他に好きな人が出来たと考えただけで思いの外傷ついている自分に驚いた。あれだけ浮気を繰り返しているのだから、いざ実際に乗り換えたとしても然程ショックも感じないだろうとすら思っていた。が、そんなことは無くて。
 結局浮気は浮気なのだ。遊びで、本気じゃない。逆にそこに安心していた自分が居たのも確かだったのだ。
 何でこんなヤツが本当に好きなんだろうと、何に悔しいのか涙がじわりと浮かぶ。その涙に、山中の方が慌てた。
「解った!言う!隠してたこと、言うよ、とらちん!」
 だから泣かないで、と山中もまた好きな人の涙には逆らえない性格をしていた。


 そうして、山中から語られた真実とは。
「バイクの免許???」
「うん、今年中に取れないものかな~って」
 その為の奔走をしていた、というのが山中の言うここ最近の隠し事だったらしい。
 自動車は18歳からだが、バイクならものにとっては取得可能である。そこは良いとして、山中が取ろうと思ったきっかけが掴めない。そんなバイクに乗りたいとか、仄めかすような言動や場面でもあっただろうか。思い返そうとした頭は首を捻る形で収まった。それにそもそも、隠さなければならない内容だろうか。あと、今年中という縛りもよく解らない。
 虎之介のその浮かんだ2つの疑問は、まずは後者の方からその紐が解かれる事となった。
「とらちんの誕生日に間に合わせたいなーって思ってたんだけど」
「は?」
「とらちん、バイク良いな、って言ってたし。だから、バイクで2人乗りして湾岸沿い飛ばしたりしてさ」
 これって素敵なデートだろ?当日サプライズにしたかったんだ、とにこにこした顔で言われても、虎之介はただただぽかんとするだけだった。
(バイクが良いって、そんな……)
 確かに言ったかもしれないが、それは例えばポテトチップスでコンソメより塩味が良いとか、それくらいの気軽さしかなかった。いや勿論、実際に乗れたら良いだろうなと思った気持ちにも嘘はないのだが。
 それに、何より。
(俺の為だったのか……!)
 こうなると、他に好きな人が出来たのかと勘繰ってしまった事自体恥ずかしい。いや、勘繰るどころか直接問い質してしまったではないか。
 穴があったら入りたい、ってこんな気持ちか、と諺の意味を身を持って知る虎之介であった。
 大丈夫、とらちん?と理由は解らないままでも頭を抱えてしまった虎之介を気遣うような山中。とりあえず、誤解ともつかない誤解だが、解いておかねばなるまい。
「あー、その……気持ちはとても嬉しけどよ、そこまでして欲しい事じゃないぞ?」
 え、そうなの、と軽い山中の返事。もっとショックでも受けるかと思えば、あっけらかんとした山中。こいつのこういう所は長所と欠点の両方を兼ね備えているな、と虎之介は思った。
「大体、免許を取るとか金がかかるだろ。バイクも……その金、どうするつもりだったんだ?」
「んー、そこは素直に親を頼ろうかなって」
 それを特に恥とも思ってない様子で山中が言う。変な所が素直なのが山中だった。こいつは、と頭を抱えた次は額を押さえる虎之介。山中は続けた。
「バイクは知り合いに好きな人がいるから、その人から借りたら良いかな~って」
 もし免許取ったら貸してくれるって言ったし、と弛緩したような笑顔で山中が言う。
 と、そこで虎之介に何かピンと引っ掛かるものがあった。もしや――」
「なあ、」
 と、深く低い音で虎之介が言う。その圧倒なオーラに気付かないか、山中はなーにー?と表情が笑みのままで応える。
「その知り合い……女か」
「え、」
 ごく一瞬だが、山中が強張ったのは見逃さなかった。その硬直の意味は、勿論言い当てられた気まずさだ。
「……………」
「……………」
 結果として見つめ合う2人。
 山中はそれでも、えへっと笑って見せた。
 それに応えるように、虎之介も欠けた歯を見せるようにニッと笑って見せ、そして―――
 ふざけんなコラァァァァ!という怒声と共に、ごっと痛そうな音が響いた。


 まあ、でも。
 お前のバイクに乗るのは楽しみにしておく。
 痛い痛いと殴られた脳天を涙目で押さえている山中に、そんな気持ちをいつ伝えるか、今はそれが悩みどころの虎之介だった。



<END>